Turn3:カードゲーマーと少女と金
────果てがなかった。
上も下も、右も左もない。ただどこまでも澄み渡る、無限に広がる空だけがある空間。地面の感触はないのに確かに「立って」いる、天空の闘技場のような場所だった。
現実とも空想とも違う。あえて言葉にするなら、『有り得た未来』、あるいは『辿られなかった過去』の光景を幻視しているような、奇妙で神秘的な空間だ。
「……なんだ、あれは」
俺は息を呑んだ。
空間の中央で、漆黒の衣を纏った一人の女性が、六つの巨大な影と対峙していたのだ。
赤、青、緑、白、橙、土。
六色のイメージを具現化したような影たちは、それぞれが災害そのものだった。
赤の影が灼熱の業火を放ち、青の影が絶対零度の氷柱を雨のごとく降らせる。緑の影が真空の刃を伴う暴風を巻き起こし、白の影が空間を貫く光線を放つ。橙の影が視界を歪める爆発と幻惑を生み出し、土の影が隕石のような巨岩を次々と隆起させる。
天変地異の奔流。だが、黒衣の女性は一歩も退かない。
彼女が虚空に指を滑らせるたび、その手に「札」が顕現し、圧倒的な現象となって六色の猛攻を相殺していく。
「嘘だろ……あのカードの裏面……!」
俺は自分の目を疑った。
彼女が切っている札の裏面にある幾何学模様。それは間違いなく、俺が愛してやまない『Vanity Scroll』のものだった。
「すげえ……! なんだあのテキスト、あんな効果のカード、収録リストのどこにもなかったぞ!」
死地にあってなお、俺の中のカードゲーマーとしての血が沸騰した。
見たこともない未発表カードの連続。しかも、彼女のプレイングは神がかっていた。赤の業火を土の防壁で反射し、生じた隙に青と緑のカードを併用させて巨大な嵐の竜を顕現させる。手札の消費、マナの管理、盤面の制圧。どれをとっても芸術的なまでのプレイングだ。
激絶な攻防の最中。
ふと、黒衣の女性がこちらを振り返り、俺と視線が交差した。
漆黒のフードの下から覗く、吸い込まれるような瞳。
理屈なんてなかった。あの圧倒的なプレイングと、見たこともないカードの数々。純粋なゲーマーとしての闘争心が、俺にこう叫ばせていた。
「――いつか! アンタと戦ってみたいぜ!!」
俺の言葉を聞いた黒衣の女性は、ふっと優しく微笑んだ。
次の瞬間、世界がまばゆい光に包まれ────
◇
「……っ」
まばたきをすると、見知らぬ木造の部屋の天井があった。
柔らかい日差しが差し込み、鳥のさえずりが聞こえる。背中にはふかふかのベッドの感触。
限界を超えた魔力消費による激痛や吐き気は、嘘のように消え去っていた。
「あ……! 気がつかれましたか!」
鈴を転がしたような、澄んだ声。
ガタッと椅子から立ち上がり、俺の顔を覗き込んできたのは、見知らぬ少女だった。
「うおっ!?」
顔が近い。しかも、息を呑むほどに美しい。
月明かりを紡いだような純白の髪に、宝石のように輝く金色の双眸。頭の横には、精巧な銀の鍵を象った髪飾りが揺れている。気品のある純白のドレスに身を包んだその姿は、おとぎ話のお姫様がそのまま絵本から抜け出してきたかのようだった。
「よ、よかったです……! ずっと、ずっと目が覚めないのではないかと……!」
少女は感極まったように、両手で俺の右手をギュッと握りしめてきた。
温かくて柔らかい感触に、俺の心臓が別の意味で跳ね上がる。
「えっ、ちょ、なんだアンタ!? 誰!?」
「え……? あ、あの、森で……」
動揺して身を引こうとした俺だが、至近距離でその顔を見て、ハッとした。
泥や煤の汚れが落ちて綺麗な身なりになっているが、間違いない。あの夜の森で、黒紋竜の前にへたり込んでいた少女だ。
「アンタは……あの時の。無事だったのか」
「はい。貴方様が、あの恐ろしい黒紋竜から命がけで私を救い出し、この街まで運んでくださったのですよね。本当に、何と御礼を申し上げればよいか……」
少女はベッドの傍らで深く、美しいカーテシをとった。
「私はキースライブ家の娘、アルミシアと申します。恩人である貴方様が目覚めるのを、報奨をお渡しするためにずっとここでお待ちしておりました」
「キースライブ家……報奨……?」
ファンタジー用語の連続に、俺は頭を抱えた。
唐突な異世界転移。黒紋竜との死闘。そしてお姫様のような少女。処理しなければならない情報が多すぎる。
「何がなんだかさっぱりだ……。ここはどこなんだ? そもそも俺は……」
困惑する俺の姿を、アルミシアは不思議そうに、そして興味深そうにじっと見つめていた。
彼女の金色の瞳が、俺の服装を上から下へと観察する。見慣れないであろうジャージ、首にかけたままのメカニカルなヘッドフォン、そしてデニム生地のジーンズ。どれもこの世界の住人からすれば、異端極まりない装束だろう。
「……あの、失礼を承知でお伺いいたしますが」
アルミシアは、少し興奮したように身を乗り出した。
「その奇妙で美しい意匠のお召し物。それに、言動や詠唱もなしに強大な魔物を顕現させる御力。もしや貴方様は、伝説に聞く『転移者』様なのでしょうか!?」
「転移者……!? ってことは、俺の他にもこの世界に来た奴がいるのか!?」
元の世界に帰る手がかりかもしれない。俺が食い気味に身を乗り出すと、アルミシアはハッとして、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「あ……いえ、申し訳ございません。おとぎ話や古い伝承の中にそういった存在が語られているだけで、私自身、実際に転移者の方にお会いするのは初めてでして……」
「……そ、そうか。いや、こっちこそ大声出してごめん」
肩を落としつつ、俺は居住まいを正した。
とりあえず、現状を把握するためには彼女と意思疎通を図るしかない。
「俺の名前は紅羽 紙人。アルミシアの言う通り、多分別の世界から来たんだと思う。ただの高校生で……まあ、しいて言うなら、ただの『カードゲーマー』だよ」
「かーど……げーまー……?」
アルミシアが、こてんと可愛らしく首を傾げる。
異世界人に現代日本特有のゲーム文化なんて通じるわけがない。どう説明したものかと頭を掻こうとした瞬間、彼女は「ああっ!」と閃いたように顔を輝かせた。
「かーどげーまー! つまり、カードを巧みに操り、事象を支配する魔術士――『術符士』のことですね!」
「……は? なんだそりゃ?」
術符士。レンダーマギカ。
聞いたこともない単語に、俺は間抜けな声を漏らして首を傾げ返した。
「術符士ってのは、なんなんだ?」
オウム返しに尋ねる俺に、アルミシアは真剣な表情でこくりと頷き、説明を始めた。
「はい。この世界には、魔法や道具、あるいは魔物そのものを特殊な技術で紙片に封じ込める〈札化〉という技術が広く普及しております」
「札化……つまり、俺が使ってたみたいな札にするってことか」
「ええ。ですが、自身の魔力と詠唱によって真の魔法を行使する正統な魔術師たちからは、他人の力や道具に頼る〈札化〉は『邪道』や『小手先の技』として異端視されています。とはいえ、手軽に魔法の恩恵を得られるため、実用性を重んじる冒険者の方々には、そうした札を巧みに駆使して戦う『術符士』と呼ばれる者も多くいらっしゃるのです」
なるほど、と俺は顎に手を当てた。
あらかじめ用意された札を使って、状況に合わせて手札を切っていくプレイング。
「確かに、それは『カードゲーマー』っぽいな。俺の戦い方も、基本的にはそんな感じだ」
俺が納得したように言うと、アルミシアはパァッと顔を輝かせた。
だが、俺の内心はひどく冷静だった。
(いや、待てよ……)
アルミシアの言う一般的な「術符士」は、市販されている使い捨てのカードを駆使する連中のことだ。
だが、俺の能力は違う。対象を勝手に〈解析〉してカードに変え、事象すらも手札に加える。おまけに、俺のカードは何度使っても消滅せず、自動的に「手札に戻ってくる」のだ。
もし、あの黒紋竜の爪や、あの夢の中で黒衣の女性が使っていたような規格外の能力が『無限に使い回せる』なんてことになって、それが知られたらどうなるの?
間違いなく、権力者やヤバい組織から身柄を狙われるか、異端を越えた化け物として討伐対象になる。
(……俺の本当の能力については、あんまり公言しない方が良さそうだな。『ちょっとレアなカードを持ってるだけの、しがない術符士』ってことで通すしかない)
異世界における生存戦略の基本は、目立ちすぎないことだ。
俺は心の中でそう結論付けると、ベッドの上で改めて居住まいを正し、真っ直ぐにアルミシアの金色の瞳を見つめ返した。
「アルミシアの言う通り、俺は別の世界から来たんだと思う。気がついたらあの森にいて、レッドキャップとか黒紋竜とかに追い回されて……正直、まだ現実感が湧かないくらいだ」
「カミヒト様……」
「でも、俺はこの世界に何の縁もないし、何が原因でここに来たのかも全く分からない。……できるなら、元の世界に帰りたいんだ」
見知らぬ天井を見上げながら、俺は胸の内に渦巻く不安を素直に吐露した。
新弾パックの開封の途中で飛ばされてきたのだ。机の上には開けかけの『Vanity Scroll』が散乱したままだろうし、当然、親や友人も突然いなくなった俺の事を心配しているはずだ。
俺は再びアルミシアに向き直り、真剣な声で尋ねた。
「アルミシア。君は貴族のお嬢様なんだろ? 転移者や、別世界に繋がるような魔法、あるいは原因になりそうな伝説……なんでもいい。それが分かりそうな場所や、詳しい人物に心当たりはないか?」
俺の問いかけに、アルミシアは少し考えるように頬に手を当てたが、やがて申し訳なさそうにふるふると首を横に振った。
「私の知り合いには、そういった別の世界や転移に関する知識を持つ者はおりません……ごめんなさい。ですが、お父様ならもしかしたら……」
そう言ってパッと顔を上げたものの、彼女はすぐに「でも……」と言葉を濁し、困ったように視線を落としてしまった。
「……何か、俺が会うとマズい理由でもあるのか?」
「マズいというか……実は、父は国の中枢である〈魔導機関〉という組織で魔術教授をしておりまして。正統な魔術を重んじている誇りから、他者の力に頼る術符士の方々を、その……ひどく嫌っているところがあるのです」
言いづらそうに視線を泳がせた後、アルミシアは慌てたように両手を振った。
「あ、もちろん! 私自身は術符士の方々に対して、そのような偏見は一切持っておりませんからね! カミヒト様は私の命の恩人ですし!」
「はは、分かってるよ。気遣ってくれてありがとう」
俺は苦笑しつつ、少しの間考え込んだ。
魔法至上主義のエリート教授。俺のような素性の知れない「カード使い」がノコノコ会いに行けば、冷たくあしらわれるか、最悪の場合は異端やアルミシアを誑かした犯罪者として捕縛されるリスクもある。
だが、今の俺にはこの世界の繋がりも知識もゼロだ。元の世界に帰るという最大の目的を進めるためには、多少リスクはあっても、アルミシアの父親に接触するしかない。
「……親父さんが術符士嫌いなのは分かった。それでも、俺をその人に会わせてくれないか?」
俺が真っ直ぐに見つめて頼み込むと、アルミシアは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに微笑んで深く頷いた。
「分かりました。それでは、ここを発ち、王都へ向かう出発の準備をしてまいりますね。カミヒト様は、その間にこの村を見て回られてはいかがですか? 小さな村ですが、装具店には術符士用の札──カミヒト様の世界で言う『かーど?』も売っていますし、冒険者の方の姿も見られるかもしれません」
それはありがたい。俺は自分が今持っているカードの価値や、この世界で流通しているカードの相場をゲーマーとして知っておきたかった。
「分かった。少し外の空気を吸ってくるよ」と言って、俺はベッドから立ち上がった。
アルミシアもコクリと頷き、部屋を出て行こうと木製のドアノブに手をかけた――その時だった。
「あ!」
彼女は唐突に何かを思い出したように声を上げると、くるりと反転し、パタパタと小走りで俺の元へ戻ってきた。
「申し訳ありません、すっかり忘れておりました。カミヒト様はこの世界の方ではないのでした」
そう言って、アルミシアは自分のドレスの小さなポケットから、美しい黄金色に輝く硬貨を一枚取り出し、俺の手のひらにそっと握らせた。
ずしりとした心地よい重みと、硬貨の表面に刻まれた複雑な魔法陣のようなレリーフ。
「この世界で使われている貨幣、『マナ』です。下からブロンズ、シルバー、ゴールド、そしてプラチナと位が分かれているのですが……これは『ゴールドマナ』になります。ゴールドマナ一枚は、シルバーマナ百枚に値する大変高価なものですから、落とさないようお気をつけくださいね」
「えっ、そんないきなり大金をもらうわけには……」
「命を救っていただいた恩に比べれば、これでも全く足りないくらいです! どうか、旅の身支度にお役立てください」
有無を言わさぬアルミシアの真っ直ぐな笑顔に気圧され、俺はありがたくその硬貨をジャージのポケットに滑り込ませた。
◇
木造の建物を一歩出ると、のどかな村の風景が広がっていた。
石畳の真っ直ぐな大通りを中心に、レンガや木で造られた素朴な家屋が並び、通りには活気のある露店がいくつも軒を連ねている。馬車が土煙を上げて通り過ぎ、剣を腰に下げた冒険者らしき男たちが笑い合いながら歩いていく。
「完全にファンタジーの村だな……」
深呼吸すると、土と薪が燃える匂いがした。
俺は露店を冷やかしながら、アルミシアからもらった貨幣の価値――この世界の「相場」を確かめることにした。異世界において、経済の把握は基本中の基本だ。
「おっちゃん、この野菜と、そっちの魚はいくらだ?」
「ん? ああ、そのぶっとい『ディーコン』は1ブロンズマナだ。そっちの川魚は脂が乗ってて美味いぞ、3ブロンズマナでどうだい!」
威勢の良い店主の言葉に相槌を打ちながら、俺は頭の中で素早く計算を走らせた。
(なるほど。日本のスーパーの感覚でいえば、その大根に似た『ディーコン』って野菜が100円、魚の方が300円ってところか。となると、1ブロンズマナ=100円くらいの価値)
そこから上のレートを推測していく。
(シルバーマナ1枚が、大体日本円で一万円くらい。そしてアルミシアがくれたゴールドマナは……10万円って事か)
ポケットの中の硬貨の重みが、急に生々しいものに感じられてきた。
ポンと10万円を渡してくるアルミシアの貴族っぷりにも驚くが、まずはこの資金を使って、戦力の要である「手札」を拡充しなければならない。
俺は大通りの奥に見える、剣や盾の看板が掲げられた『装具店』へと足を踏み入れた。




