エピローグ
全ての元凶にして始まりの揺籠
カイルの領地という「楽園」で始まった二人の生活は、どこまでも穏やかで、世界のノイズから完全に遮断されていた。
聖域で完璧な帝国魔術による偽装を修正したルーカスは、有能なカイルの事務官として公務を捌いていた。
リーゼは夢だった騎士として、領主の館に勤めている。
……だが、どれほど完璧なファイアウォールを築こうとも、生命のシステムが刻む「エラー」だけは防げなかった。
「……ごめんなさい、ルーカス。私、また……」
寝室のベッドの上、リーゼは青白い顔で自身の腹部を抱え、絶望に声を震わせていた。
これで、三度目だった。
命が宿ったログは確かに確認できるのに、数ヶ月と持たずにシステムが強制終了(流産)してしまう。
騎士としての強靭な肉体を持つリーゼが、なぜこれほどまでに「母親」としての機能を喪失しているのか、王国の医師たちには理由すら分からなかった。
(……当然です。僕の遺伝子が、人間の母体を内側から侵食しているのだから。母体が人間はやはりハイリスクか)
ルーカスは、泣き崩れる彼女の身体を優しく抱きしめた。
彼の「人外の血」という致命的なバグが、純粋な人間であるリーゼの胎内で拒絶反応を起こしている。
それは世界法則が突きつけてくる「交配不能」のアラートだった。
「泣かないで、リーゼ。……あなたのせいじゃない。僕の計算が、少しだけ自然の摂理と噛み合っていないだけです」
ルーカスは、愛しいパスワード(彼女)の涙を指先で拭うと、すぐに「修復」へと動いた。
聖域の秘密の地下室に籠もり、昼夜を問わず帝国禁忌に触れるギリギリで魔導回路を編み上げ、王国には存在しない不気味な「幾何学の檻」を完成させる。
それは、母体の代わりに怪物の魔力を濾過し、胎児のバイタルを24時間強制同期して生かすための、禍々しくも美しい『人工保育器』だった。
「これで大丈夫です、リーゼ。……次の命は、1bitの狂いもなく僕がこの手で育て上げてみせますから」
ルーカスが微笑み、保育器の起動ログ(ハミング音)が地下室に満ちた、その翌日。
ジジ、と耳障りなノイズと共に、空間そのものが物理的に「歪み」を上げた。
「――素晴らしいな、ルーカス。君の執念、そして編み上げたコード、すべてが計算通りの美しいバグ(アーカイブ)だ」
薄暗い地下室の影から、ノイズと共に立ち上がったのは、一人の観測者。
ルーカスが生まれる前からアーカイブを続けている、あの軍服の男。
すべてを見通し、すべてを管理する、ルーカスの「師匠(執行官)」だった。
「師匠……」
ルーカスは、保育器の前に立ちはだかるようにして、琥珀を細めた。
師匠は軍帽の下で無機質な笑みを漏らすと、その白い手袋の指先で、空中に一通の紫色の書簡を浮かび上がらせた。
「君がその保育器を完成させる瞬間を、ずっと待っていた。……さあ、次のステージだ。帝国からの『招待状』が来たぞ」
「......帝国の」
「そうだ。今は亡きアステア侯爵家の『隠された遺児』として、君の偽装戸籍は既に帝国のメインサーバーに構築してある。不法滞在の移民ではなく、完璧な最高血統としてログインする許可(お墨付き)だ。今の君ならその資格があるだろう」
師匠は答えを待つことなく、再びノイズと共に空間へと溶けて消えた。
旅支度を始めるルーカスの背中を、リーゼは何も言えず見つめていた。
あの日、眠る間に髪を短く切り揃えられ、24時間同期のパーツを埋め込まれたことなど知る由もない彼女だったが、それでもずっと、微かな違和感だけは感じていた。
目の前にいるルーカスは、確かに自分を狂おしいほどに愛してくれている。
けれど、かつて彼が「気さくな人」と言っていたあの『師匠』が呼びにきた瞬間、ルーカスの見つめるモニター(視界)は、王国の法も、世界の常識も、人類の倫理すらもデリートした、遥か遠くの「昏い深淵(帝国)」に完全に繋がってしまった。
「ルーカス……どこへ、行くの……? なんだか、あなたが遠くへ行っちゃいそうで、私――」
不安に震えるリーゼ。
旅装を纏うルーカスが、にっこりと完璧な「事務官」の貌で振り返る。
「少し、僕たちのシステムの『根源』をハッキングしに行ってきます。……大丈夫ですよ、リーゼ。僕はどこにも行きません。僕が帰ってくる頃には、この世界のすべての法則を、僕たち二人のためだけに書き換えて(上書きして)みせますから」
ガタガタと、静まり返った邸宅の『上』に、不気味な魔法陣が浮かび上がる。
その駆動音を身に受けながら、ルーカスは楽園の檻を開け、未実装の未来――竜帝国へのログインプロトコルを起動した。
ランスロット:
「おや。そろそろ出番ですかね?」




