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第21話:最強の論理(ロジック)

好きなものには全力で

カイルへ分厚い帳簿を叩きつけ、書斎での膨大な処理を終えた三日後の夕刻。

ハミルトン邸の玄関ホールには、旅装ではなく、絹と刺繍でガチガチに固められた「シュトラウス子爵家の婿」としての完璧な礼装デフォルトを纏ったルーカスが立っていた。


「なかなか様になってるではないか」


ハミルトン伯爵は装いに満足そうに頷く。


その圧倒的な「格の違い」を見せつけるような佇まいに、寝不足の目をこすりながら見送りに来たカイルは、気圧されたように一歩引いた。

それは、付け焼き刃の貴族教育を受けた自分より余程貴族らしく見えたからだ。


「じゃあ、カイルさん。僕はこれで、正式に療養(新婚旅行)へ行ってまいります。ハミルトン伯爵様の看板として、せいぜい社交界でバグを起こさないように」


「あ、おう……。なんかお前、急に遠いところの人間になっちまったみたいだな……。リーゼさんと仲良くな」


カイルがどこか圧倒されたように笑う。

ルーカスはサングラスの奥で満足げに目を細めると、その背後に控えていたゼノに視線を向けた。


「ゼノさん。出発の前に、僕の部屋まで『ちょっといいですか』。片付け忘れた私物ログがあるので、手伝ってください」


「……分かった」


ゼノは怪訝そうな顔をしながらも、ルーカスの後を追ってハミルトン別宅二階の一室へと向かった。

誰もいない室内に合理的な静寂が満ちる中、ルーカスは部屋の鍵をカチリと閉め、迷いなくベッドの前に膝をついた。

重厚なベルベットの天蓋をめくり、暗い床下を指差す。


「……ルーカス、これは?」


ゼノが眼鏡の奥の瞳を細め、息を呑んだ。

ベッドの下の床板には、王国のどの魔導書にも存在しない、不気味な青白い幾何学模様が、呼吸するように明滅していた。

空間そのものが歪み、微かな耳鳴りを引き起こすほどの魔力密度。


「空間転移の術式ポートです」


「はぁ!?お前、それはっ」


「ここでは未実装技術ですが、必要なんで個人のバックドアとして常設ホスティングを」


「.......は、ははは.....お前、賢者たる私に、何を、見せて」


ルーカスは立ち上がり、呆然とするゼノの耳元へ一歩近づくと、吐息の届く距離で静かに囁いた。


「これで、カイルさんの領地からここへ飛べますね。……この別邸の『僕の部屋』、このままにしておいてください。消したり、上に物を置いたりしないように。……時々、帰ってくるんで」


「っ……!」


ゼノの背筋に、氷を直接流し込まれたような戦慄が走った。


時々、帰ってくる。


それは、この怪物がいつ、何の前触れもなくベッドからログインしてくるか分からないという、絶対的な監視ファイアウォールの宣告だった。


「……私たちを監視するつもりか」


掠れたゼノの声に、ルーカスは最高に爽やかで不潔な微笑みを浮かべ、サングラスを指で押し上げた。


「あはは、まさか。カイルさんのことはゼノさんに『一任』していますよ。ただ、大切なシステムにエラーが起きそうになったら、僕が直接デリートしに来る。それだけです。……では、頼みましたよ」


ルーカスはゼノの肩を叩くと、天蓋を元に戻した。

ゼノは、じわじわと冷たい汗を流すことしかできなかった。




ハミルトン邸を出たルーカスは、手配していた正規の辻馬車に乗り込み、王都の第一検門へと向かった。


故障した魔道回廊の修理前であれば、結界のエラーを逆演算して強引にバイパスを通せたが、今は正常化している。

ゆえに、内なる「異物(エラー)」が検門のファイアウォールに引っかかれば、即座に排除プロセスが起動してしまう。


だが、今のルーカスにはゼノから託された(強奪した)、賢者の術式が刻まれた「強力な封印具マスク」があった。


「シュトラウス子爵家への婿入り」という無敵の書類ガワに加え、賢者の封印具によって不浄な魔圧を完全に隠蔽されたルーカスは、検門のセキュリティに何のアラートを鳴らさせることもない。

ただの「病弱な事務官」として美しくログアウトの記録を残し、王都の外へと躍り出た。


衛兵たちは疑いも持たずに深く頭を下げ、重厚な鉄格子のゲートを開放するだけだった。



それから数時間後。

王都の防壁が地平線の彼方に消えた、人影のない荒野の街道。

辻馬車を途中の村で乗り換えと称して返したルーカスは、サングラスを外し、ひどく顔色の悪い貌で包帯の巻かれた右腕を虚空に突き出した。


「……座標、固定。同期リンクを開始」


彼の膨大な魔力が、リーゼの乗った馬車に刻んだ「隠し紋章」と同時に共鳴を始めた。

空間転移――それは王国では未実装の禁忌。


狙うは、200kmを超える超長距離の一括処理バルク・トランスファー



だが、三日三晩の不眠不休による残務処理で、ただでさえその『ガワ(人間の肉体)』は限界を迎えていた。

そこへさらに、検門を欺く「賢者の封印具」を維持したまま空間を裂くことは、170cmにロックされた不完全な肉体ハードウェアへ、本来の200cm級の帝国竜の出力を無理やり流し込むに等しかった。


人間のガワを強制する呪符と、人外の魔力が、ルーカスの肉体の中で最悪のデータ衝突コンフリクトを引き起こす。

ミリ単位の拒絶反応によって全身の毛細血管が内側から引き裂かれ、凄まじいデバフが神経を焼き切っていく。


視界がバグを起こしたように歪み、意識が白く飛びそうなほど激痛が走ったが、彼の琥珀色の瞳だけは冷徹に発光していた。


「……が、あ……っ!」


激しい耳鳴りと共に、ルーカスの輪郭が掻き消える。

次の瞬間、彼は激しく揺れる「別の密室」の床に、片膝を突いた状態で実体化していた。


耳に飛び込んできたのは、ガラムの馬車が刻む規則正しい車輪の音。

鼻腔を突いたのは、愛しいリーゼの、甘く清潔な体温の匂い。


「ハァ、……ハァ……。ログイン……成功、ですね」


強行転移の負荷で、ルーカスの唇からは一筋の血が伝っていた。

右腕の包帯にも、新たな赤がじわりと圧迫されて滲み出す。

体調は文字通り最悪クリティカルだ。


「はは。ちょっと......無茶、だったかな....?」


一歩間違えれば、空間の裂け目に肉体をデリート(消滅)されるか、座標が数センチずれて馬車の外壁の鉄骨にミンチ状態で肉体がマウントされるかという、文字通りの「命がけの狂気(特攻)」。


だが、その限界の体を支える執念のままに、彼はゆっくりと顔を上げた。


そこには、ルーカスが仕込んだ精神安定の魔術パッチによって、揺り籠の中にいるかのように深く、心地よい眠り(スリープモード)に落ちているリーゼの姿があった。


「……リーゼ。僕の、唯一のパスワード……」


ルーカスはボロボロの体を引きずり、座席に横たわる彼女の前に膝を突いた。

彼女は、1bitの狂いもなく「彼が望んだ通りの美しい状態」でそこに保存されていた。


他の誰の視線ノイズも触れていない、完全なる彼の所有物として。


ルーカスは、手で自分の唇を乱暴に拭うと、震える指先で彼女の長い、明るい髪に触れた。


「.....っ」


ハッと一瞬、窓に映る己の姿を見る。


(......まだ人間の顔だ)


再び眠るリーゼを見る。

マッサージするように、ゆっくりと指頭で頭皮の緊張を解きほぐしていく。


そのリーゼの髪の、柔らかな手触り、幸せの匂い。


時折、彼の冷たい指先が無防備な耳殻を掠めるたび、リーゼの長い睫毛が微かに震えたが、その意識が覚醒ログインすることはなかった。

ルーカスの流し込む魔力が、彼女のOSを深い微睡みの底へ繋ぎ止めているからだ。


「リーゼ、少しノイズ(枝毛)が出ていますね。……外の不潔な空気に触れたせいだ。僕がすべて、綺麗にしてあげます」


ルーカスは懐から小さなハサミを取り出すと、柔らかな月光が差し込む車内で、ミリ単位の狂いもなく彼女の毛先を切り揃え始めた。

チョキ、チョキ、と響く金属音は、さながら金庫の鍵を内側から厳重に締め直す音のように響く。

そして、切り落とした髪の中から、特に美しい一房を器用に指先で取り分ける。


「これは、僕が『魔術原料』として徴収アーカイブしておきますね。君のバイタルを、24時間僕と同期させるための、大切なパーツだ」


その一房にルーカスが自身の青白い魔力を流し込むと、髪の毛は生き物のように彼の指先に巻き付き、やがて結晶化するように静かに輝きを失って収まった。

これで、彼女は世界のどこにいても、1bitの例外もなく自分の手のひら(システム)の中で監視されることになる。


外界からの完全なる遮断。

完璧なコンディションでの保存。


ルーカスは満足げに目を細めると、髪が少し短くなったリーゼの額に、自身の乾いた唇をそっと重ねた。


「……おやすみなさい、リーゼ。目覚めたとき、そこは僕たちの聖域にわです。……もう、誰にも君を汚させない」


馬車の周囲には、彼が精製した「ファイアウォール(魔物避け)」が、近づくすべてのノイズを焼き尽くすように、昏く威圧を放っていた。




朝の柔らかな光が、馬車の窓から差し込み、リーゼの意識を穏やかに浮上リブートさせた。


「……ん、……ルー、カス……?」


目を覚ましたリーゼは、まだ少し重い頭を揺らしながら体を起こした。

目の前には、いつものように血の気のない白磁のような、だが世界で一番見慣れた端正な青年のかおがあった。

濃色のサングラスの奥から、琥珀色の瞳が静かに彼女を見つめている。


リーゼにとって、彼は王都を出てからずっと自分の隣にいた「ルーカス」だった。

まさかこの数日一緒にいたのが高精細な映像の偽装パッチで、今目の前にいるのが200kmの空間を血を吐きながら飛び越えてきた「本物の怪物」だとは、まったく気づいていない。


ただ、王都を出てからの彼は、話しかけてもずっと無口で(――御者台で手綱を握っていたガラムが、喋れば声でバレるため口を閉ざしていただけなのだが)、どこか冷たいように感じていた。


「ルーカス……あのね、私……」


リーゼは少し胸元をきゅっと握り、心細そうに視線を彷徨わせた。


「……わがまま言ったから、怒ってた……?」


(……あはは。困ったな。可愛すぎる誤認(エラー)だ)


ルーカスの脳内コンソールが、彼女のその一言で一瞬にして全損フリーズした。

自分が強行転移の負荷でボロボロになりながら、這いずるようにログインしてきたというのに、この愛しいパスワードは「自分が怒らせてしまったのではないか」と怯えている。


「――まさか。僕があなたに怒るわけがないでしょう」


ルーカスは最高に甘く、不潔なほど優しい声を漏らす。


「えぇ?.....結構、ルーカス私を怒るじゃない」


「......はは」


ルーカスは座席のリーゼの身体を迎えに行くように、その細い肩をそっと、拒絶を許さない強さで抱きしめた。


「あっ……」


腕の中に収まる、本物のリーゼの熱量。

リーゼは、いつものルーカスの腕の中に収まった安心感にホッと息を吐き、その胸に顔を埋めた。


――だが、その瞬間。


彼女の鋭い騎士としての本能(OS)が、微かな「ノイズ」を検知した。


(……あれ?……血の、匂い……?)


いつもの野花のような香りの奥に、微かに混ざる生々しい鉄の味。

ルーカスが唇の血を拭った、その残り香。


さらに、彼の引き締まった左手が自分の背中に回され、長い髪を優しく梳いた時、首筋に当たる風が、昨日よりも心なしか軽いことに気づいた。


「ルーカス、なんだか髪が……それに、あなたどこか怪我を――」


不思議そうに小首を傾げ、サングラスを見上げようとするリーゼ。

王都のシステムを、法を、そして王国最強の剣をもデリートして自分を迎えに来たこの青年が、今、どんな目で自分を見ているのか。


「ねぇ、リーゼ。大好きですよ」


「......え?」


ルーカスは、彼女を抱きしめる右腕(包帯の下の鱗が、今も不気味に熱を持っている)に、初めて「効率」とは無縁の力を込めた。

彼女の意識を再び心地よい微睡みの底へと繋ぎ止めるように、自身の甘い魔力波形パッチを流し込みながら、彼女の耳元で囁く。


「……リーゼ。僕は、自分が思っていたより父に似ていたようです」


「どういうこと……?」


「父は、愛する者のために世界法則を書き換える狂人です。……僕は当初、家族の安定のために論理を追求する機械マシンであろうとしました」


ルーカスは乾いた唇を彼女の少し短くなった髪に寄せ、1bitの狂いもなくその毛先を指先で愛おしそうになぞる。


「ですが、あなたという『欲しいもの』ができた途端、僕は個人の欲望のために世界の常識を破壊する狂人へと変質した。……愛は、最も非効率で、最も破壊的だ。ですが、その破壊力こそが、欲しいものを手に入れるための最強の論理ロジックだったと……ようやく理解しました」


そのあまりにも絶対的で、歪んだ告白。

だが、ルーカスの流す精神安定の魔術に包まれたリーゼは、恐怖を覚える代わりに、ただただ愛おしそうに微笑み、ルーカスの白い頬にそっと手を添えた。


「ええ……あなたが誰に似ていようと構わないわ、ルーカス。あなたは、私の全てを懸けても欲しかった人よ」


「……はい。僕もです、リーゼ。愛しています。この世界の全てを犠牲にしても」


その言葉(受理)に、ルーカスはサングラスの奥の琥珀を昏く歓喜に歪め、にっこりと微笑んだ。


窓の外を見れば、すでに辻馬車の馬は一頭外されており、ガラムはそれを駆って、カイルの領地サーバーへと一足先に処理(手続き)に向かっている。

ここにはもう、二人を邪魔するノイズは存在しない。


「さあ、髪を梳かせてください。……もうすぐ、目的地(僕たちの楽園)に到着しますから」


チョキ、と昨夜ハサミで切り落とされた彼女の髪の一房が、ルーカスの手の内で、24時間の同期監視トラッキングを開始したことなど、リーゼはまだ何も知らなかった。

帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:

「殿下の所有物?A01同期済み?それは........こちらへどうぞ」

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