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第20話:新興貴族の標準仕様(デフォルト)

パーティ仲がいいのは微笑ましいです。

「……はい、ここにサインを。ええ、そこです。1bitも枠からはみ出さないように、丁寧にお願いしますよ?」


夜明け前の静寂に包まれたハミルトン邸。

書類の擦れる音と、羽ペンの走る音だけが、不気味なほど規則正しく響いていた。

ルーカスは、目の前で魂が抜けたようにペンを握るカイルの肩を、優しく、それでいて逃げ場を封じるように叩いた。


「あ、ああ。……婚姻届……証人、カイル・ヴァン・ブレ……」


カイルが掠れた声で読み上げる。

その視線の先にあるのは、王国の公式な紋章が刻まれた婚姻届だ。

そこには、ルーカスとリーゼの婚姻が、あたかも天命であったかのように整然とした文字で記されている。


「お前……本当に、これを出すのか? リーゼさんは今、ガラムの馬車で……」


「ええ、ですから『手続き』ですよ。彼女が目覚めたとき、法的に僕の所有……失礼、僕の妻になっていれば、彼女も安心するでしょう? 余計な不安ノイズを排除するための、最も効率的なパッチです」


ルーカスは、カイルが書き終えた書類を鮮やかな手つきで回収し、インクを乾かすために軽く振った。

その動作一つとっても、数日前まで瀕死だった男とは思えないほどに洗練されている。


「それと、こちら。カイルさんの領地における、過去五年間分の不正監査結果デバッグログです。これを持って、これから王城へ行ってきます」


「は……? もう……? いつのまに、そんなものを……」


「あはは。昨夜、貴方が泣き言を言っている間に、アーカイブをすべてスキャンしておきました。……かなり、不正のやり方そのものが杜撰で酷いものですね。横領のパケットが、あちこちでオーバーフローを起こしています」


唖然としているカイルに、有無を言わさない爽やかな圧力でルーカスは続ける。


「僕を『長期休暇』のついでに『補佐』として潜り込ませてくれますよね?僕の新婚旅行先、カイルさんの領地に決めたんで。さ、書類が片付いたらゼノさんの『正しい貴族の在り方』のマナー訓練です」


カイルはもはや、言葉を返す気力すら失い、机に突っ伏した。

ルーカスは満足げに目を細めると、サングラスをかけ直し、夜明けの光が差し込み始めた廊下へと歩き出す。



王城の受付広場。

まだ眠たげな目をした役人が、窓口に現れた「新進の男爵」を見て、椅子から転げ落ちそうになった。

その特徴的なサングラス、右手に巻かれた包帯は広く周知されていた。


「あ、ルーカス男爵……! 何用で……。また、財務の....?体調が優れないと伺っていますが、ご無理は」


「おはようございます。ええ、体調は最悪クリティカルですが、責任感がそれを上書きしてしまいまして」


ルーカスは、顔色の悪さを逆手に取った「痛々しい微笑み」を浮かべ、分厚い書類の束をカウンターに置いた。


「長期離籍許可の申請書です。カイル様の領地へ向かいます。ハミルトン伯爵の承認済み。……それと、カイル様の領地再建に向けた緊急の監査報告結果、および……僕とリーゼ・フォン・シュトラウスの婚姻届です。もちろん父たるユス団長のサイン入りです」


「こ、これを、一度に……?」


ユス・フォン・シュトラウス子爵への名誉男爵の婿入り。

確かに、ユス団長のサインがあるなら書類上は問題ない。


だがその、「整えられ過ぎている」書類の山に、役人は戦慄した。


「あと三日。三日だけは、死ぬ気で公務を完遂します。その後は、妻と共に静養に入らせていただきますので……僕がいなくてもシステムが回るよう、徹底的にアップデートしておきますよ」


役人の手が震える。

目の前の男は、明らかに体調不良を装いながらも、そのレンズの奥で王国の脆弱な法整備を嘲笑っている。

だが、その「有能さ」という甘い毒に、役人は逆らうことができなかった。


「男爵に任せれば、面倒な不祥事はすべて消える」……その誘惑に負ける。

休暇と婚姻など瑣末だ。


「受理、いたします。確認して、……不備、があれば、その……後ほど」


「じゃぁ、僕は義父に挨拶に行くので。そこにいます」


様子を伺う役人に、ルーカスは爽やかに答える。




「……なるほど。残り三日、か」


騎士団長室。

重厚な机の向こうで、リーゼの父であり、ルーカスの義父となるユスが、静かに書類を見つめていた。


「はい。リーゼは先に、静養先へ向かわせました。……お義父様、寂しい思いをさせてすみません。ですが、彼女のディレクトリを癒やすには、あの静かな場所が必要だと判断しました」


ルーカスは、これ以上ないほど誠実な「婿」の貌をして頭を下げた。

実際には、リーゼは今ごろ、ガラムの馬車の中で「ルーカスとの幸せな逃避行」という名の幻覚パッチを見せられながら、揺られている。


ユスは、娘が自分の意志でルーカスを選び、自分に挨拶もせず去ったことに苛立ちを覚えながらも、目の前の男の「横暴」に目を瞑る。


一昨日、ルーカスに会いに行くと飛び出した時から、リーゼの様子はおかしかった。

おまけに昨日は挙動不審。


昨日届いた、『預かりました』とだけ書かれたルーカスからのメッセージを見た瞬間に、彼は全てを察したのだ。


(もう私の手に負える範囲を超えている)


それは理解というよりは、システムの強制終了シャットダウンに近い諦観だった。


「妻は納得いかないと騒いでるが、黙らせた。……約束しろ。リーゼを、泣かせるな」


「ええ。命に代えても(1bitの損耗も許さず)、彼女を聖域おりで守り抜きます」


ルーカスは、嘘を言っていない。

ただ、その「守る」という言葉の定義が、騎士のそれとは致命的に異なっているだけだ。



ハミルトン邸に戻ったルーカスは、食堂室でカイルに冷たいコーヒーを差し出した。

氷がグラスに当たる乾いた音が、静まり返った部屋に不気味に響く。


「さて、カイルさん。マナー講習、頑張っていますか?」


カイルは、普段の軽快な装備をパージされ、絹と刺繍で固められた「重厚な貴族服(拘束具)」に身を包んでいた。

その向かいでは、ゼノが死神のような冷徹な顔で、銀食器の配置を1bitの狂いもなくミリ単位で修正している。


「……あ、ルーカス……お前……。俺、今わかったよ。この服、ドラゴンと戦うより死ぬほど窮屈なんだが……。腕が上がらねぇし、息をするたびにこの襟が刺さるんだ……」


カイルが、助けを求めるように瞳をルーカスへ向けた。

だが、ルーカスはサングラスを指で押し上げ、その絶望を「最適解」として受け流す。


「あはは。諦めてください、ドラゴンスレイヤー様。これから貴方は、僕の婚姻を承認し、領地の不正を監視する『王国の看板ステータス』として機能しなきゃいけないんですから。外向けの仕事も増えるんです。……ね? ゼノさん、彼の『行儀の悪いバグ』、しっかりデバッグしておいてください」


「言われるまでもない。ルーカス、こいつはフォークを持つ指の角度すらすぐズレる。……最初からやり直させるところだ」


ゼノの冷たい言葉に、カイルは「ひえっ」と短い悲鳴を上げて再びテーブルへログインさせられた。


「あ、カイルさん。忘れてました。婚姻届、正式に受理されましたよ。……証人のおかげです、ありがとうございます」


「お、おう……おめでとう、な……。……って、今さら言うのもなんだが、本当にお前、昨日から一睡もしてねぇだろ。なんでそんなに元気なんだよ……」


バグの力ですよ。……さぁ、僕はこれから書斎で、カイルさんの領地の考えうる『膿』をすべて捕食(処理)してきます。王都を去るまでに、貴方のディレクトリを真っ白にしてあげますから。感謝してくださいね?」


ルーカスは、震えるカイルの肩を親指の先でトントンと叩くと、冷たいコーヒーを一気に飲み干した。

その瞳の奥で、琥珀色の光が不潔な愉悦に燃えているのを、カイルは二度と忘れることはできないだろう。


「……なあ、貴族って、もっとこう……こう、ふんぞり返って、美味いもん食って、『うむ、苦しゅうない』とか言ってるもんじゃないのか?」


カイルは、首筋を締め上げる高い襟を指で広げようとして、ゼノに短鞭でパシッと手を叩かれた。


「カイルさん、それはどの時代の、どこのディレクトリの話ですか? 貴方が今からなるのは『新興の領主』ですよ。ふんぞり返る暇があったら、前任者が残した数億金貨の横領ログ(赤字)を一行ずつデバッグするんです。対策、改善案、新規事業計画書。これが貴方の次の竜退治です」


ルーカスは、カイルの目の前に、凶器のように分厚い帳簿を「ドン」と積み上げた。


「ね?僕が代わりにやって差し上げる、と言ってるんです。中身は僕が整理(捕食)しておきますが、最終的な承認アクセプトの印を押すのは、貴方の指先なんですから。あと、議会に呼ばれた時の説明もね。あ、それから。ふんぞり返るには、まずその骨盤の角度を15度修正してください。ゼノさん、お願いします」


「承知した。カイル、背筋を伸ばせ。お前がその服でだらしなく座れば舐められる。私の実家の経験、お前のための糧にしよう。衰退貴族も餌だが、新興貴族などカモでしかない。……よし、直らなければ物理的に添え木を当てるぞ」


「ひえっ……! ゼノ、お前、呑気な貴族次男坊じゃなかったのか!?昔はもっと優しかっただろ!? ルーカス! お前も笑ってないで助け……」


ゼノの持っていた短鞭が、机を叩き割らんばかりの勢いで振り下ろされた。


「……呑気……だと?」


凍りつくような低い声。

眼鏡の奥で、ゼノの瞳がかつて洞穴で魔物を射抜いた時よりも鋭く、昏い光を宿す。


「……いいか、貴族が『焦り』を見せ、安易な儲け話に手を出した瞬間に、家は死ぬ。私の実家が……どうやって消えたか、その詳細な『失敗の記録』を子守唄にしてやろうか?」


「ぜ、ゼノ!?」


急に雰囲気の変わったゼノに、カイルは飛び上がる。


「お前がその椅子で『ふんぞり返った』瞬間、その隙間に親戚という名の寄生虫が侵入してくる。私の実家は…父が廃嫡され、家を追い出されたその日のうちに、家の権利書はすべて従兄の手に渡っていた。私の兄は没落した実家を買い戻すと、怪しげな利権を持って異国へ消え……、それきりだ。……生きているのか、それともどこかの溝で死んだのかすら、私にはわからない」


ゼノが眼鏡を外し、疲弊し、暗い情念の籠った視線で、カイルの魂を射抜く。


「もう命をかける冒険はいかなくていい。お前の新しい地位を、私が支えよう。先生は長年やってたからな、出来の悪い生徒にはどこまでも付き合おう。さぁ、マナーの続きだ」


「ひぇ!?」


「カイルさん、僕たちは貴方を助けてますよ。貴方が将来、社交界で『無学な成金バグ』としてデリートされないように、今ここで完璧なパッチを当ててあげてるんです」


ルーカスは、もがくカイルを眺めながら、最高に不潔で過保護な微笑みを浮かべた。

カイルが思い描いていた「一発当てた後のイージーモード」は、ルーカスの「完璧な管理者権限」によって、1bitの猶予もなく「最高難易度の行政シミュレーション」へと書き換えられたのだ。


「では僕はログイン(仕事)を続けます。……あと七十二時間。僕たちの『楽園』を維持するための、膨大なリソースが必要ですからね」


「……お前、本当に……怪物だな」


「それはどうも。最高の褒め言葉です」


ルーカスの視界の隅では、遠く離れた馬車の現在位置(座標)が、1bitの狂いもなく聖域へと近づいている。

数百キロ先で眠る、宝物。

目の前で絶望する、親友。

そして、自分の手のひらで踊る、愚かな王国。


「……あはっ、最高に効率的だ」


不潔な静寂の中、ルーカスは再びペンを握る。

自分の欲しいもののためだけに、世界(おうこく)を書き換え続ける。




深夜、ハミルトン邸の書斎。

カイルとゼノが疲労で意識を飛ばしたのを確認し、ルーカスは最後の一行を書き終えてペンを置いた。

カチリ、と時計の針が重なり、日付が更新される。


(……座標、固定。同期リンクを開始)


ルーカスが包帯の巻かれた右腕を虚空にかざすと、青白い魔力が細い糸のように紡がれ、目の前に鮮やかな映像ウィンドウを立ち上げた。

それはガラムの馬車の中――眠れずにいたリーゼの、不安げな貌だ。


「……ルーカス……様……?」


空中に投影されたルーカスの姿は、魔術的な干渉によって、あたかもそこに実在しているかのように熱を持ち、彼女の頬を撫でる。


「ええ、ここですよ、リーゼ。……あはは、そんなに泣きそうな顔をしないで」


「だって……ずっと……喋ってくれなくて……寂しかったの。……ずっと、一人で……外見てるだけだし」


リーゼが震える手で、映像の中のルーカスの指に触れようとする。

ルーカスは、1bitの狂いもなく彼女の指先に自分の指を重ね、幻影の体温パッチを流し込んだ。


「……すみません。道中の危険ノイズを見張っていたんですよ。……貴女に、不快なものを見せたくなくて。……ね? だからもう大丈夫。……僕の声を聞きながら、おやすみなさい。……目覚めたとき、そこは僕たちの聖域にわですから」


ルーカスが低く、慈しむような声で子守唄を口ずさむ。

映像と魔術が織り交ざった五感への干渉は、リーゼの意識を穏やかな眠り(スリープモード)へと誘っていく。

やがて、彼女の呼吸が深く規則正しいものに変わるのを見届け、ルーカスは慈愛に満ちた表情のまま、レイヤーを切り替えた。


「……順調そうですね、ガラムさん」


通信の端から、馬車を操るガラムの呆れたような声が返ってくる。


「ああ、順調すぎて暇だよ。……お前が馬車にべったりつけた『魔物避け』のせいか、魔物避けの魔道具なんて必要ねぇ。野生の獣すら、一キロ先からUターンしていくぞ。あれは何だ?こないだ殺した竜のやつか?」


「あはは。それは重畳。……僕の所有物(宝物)に近づくノイズは、たとえ無意識の獣であっても許しませんから。あれはね、僕のオリジナルのファィアウォールですよ」


(僕の血と、あの竜の血を混ぜて、精製した。並の魔物は近づかないだろう)


ルーカスは、自分の腕に巻かれた包帯を愛おしそうに見つめた。

そこに滲む血の匂いは、彼がここ最近で「掃除(捕食)」してきた不祥事と、自身の内側から溢れ出す破壊衝動の残り香だ。


「……さぁ、あと少し。……僕がいなくても、彼女を1bitも損なわせないでくださいね」


通信を遮断し、ルーカスは暗い書斎で独り、琥珀色の瞳を不気味に発光させた。


(……待っていてください、リーゼ。……あと少しで、僕が貴女を……永遠にシステムから保護(隔離)してあげますから)

帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:

「(本日軍事演習のため不在)」

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