第9章 涙と笑顔-3
「お父さんとお母さんに会いたい」
恭平の胸の中で、陽香が小さく呟いた。
「わかった」
恭平は短く答えると、志穂の車の助手席に陽香を座らせた。
「志穂、車借りるぞ」
「お気の済むまでどうぞ」
そう言った志穂の顔は、なぜかうれしそうだった。心配など微塵もしていない。そんな顔だ。
逆に、恭平は不安でたまらなかった。できることなら両親には会わせたくなかった。真実を知ってしまった陽香の、恭平を見る目が変わってしまうのが怖かったのかもしれない。しかし、もう逃げることはできない。陽香に真実を打ち明けよう。陽香の両親の前で。
恭平は重い気持ちを抱えたまま、アクセルを踏み込んだ。
志穂が恭平を見送ると、気付いた勝弥が慌てて駆けつけてくる。煤だらけの顔に痣が増えているのは気のせいだろうか。
「警察が来るまで待たなくていいんかよ?」
「いいのよ。今日のヒーローはここにいるんだから」
志穂は勝弥を指した。
「オレ? かっこよかった? アクションヒーローみたいだった?」
「アクションヒーロー顔負け」
「ホンマきゃー?」
「の、かっこ悪さ」
志穂は浮かれる勝弥を横目に、小声で付け足した。聞こえていなかったのだろう。勝弥はうれしそうに何やらポーズを決めていた。おだてに乗りやすい単純な性格らしい。これなら人の死からの立ち直りも早いだろう。
「聞こえたか、センパイ! オレ、ヒーローじゃて!」
勝弥はスキップしながら、後から現われた長身の女性の下へ飛んでいった。
志穂は煙草をくわえると、燃え盛る教会を見つめた。かなりの距離を取ってはいるが、炎の熱さが全身に伝わってくる。
愛する者のために死を選んだ咲月。
彼女はこれで幸せだったのだろうか。
「本当に悪魔がいたとしても、悪魔が人間の願いなんか聞いてくれるわけないのにね」
遠くからサイレンの音が聞こえる。
皮肉にも教会を燃やしている炎が夕焼けと同化しているように見え、志穂は苦笑した。
恭平が陽香を連れてきたのは、国立市にある墓地だった。
陽香は両親が眠る墓前で両手を合わせた。
墓はキレイに手入れされていた。おそらく、恭平がまめに墓参りしてくれていたのだろう。
「お父さん、お母さん。今まで忘れててごめんね」
両親と過ごした最後の夜を思い出す。もうあの日々は戻ってはこない。
「陽香……、記憶が戻ったお前に言わなければならないことがある。お前の両親を殺したのは、俺の祖父だ。お前が死んだ母さんに似ていたために」
「あのおじさんの娘さんってお兄ちゃんのお母さんだったんだね。だから、おじいさんが犯した罪を償うために、陽香を引き取ったの?」
陽香は恭平の言葉を遮った。
振り返った陽香は、恭平と対峙した。
ウソでもいいから否定してほしかった。
しかし、恭平の口からでた言葉は。
「確かに最初はそうだったかもしれない」
陽香は少なからずもショックを受けた。
陽香は知っていた。自分の存在が恭平を一番苦しめていたことを。だから、もう恭平をその苦しみから解放してあげたかった。
「記憶が戻っちゃったら、陽香もうあの家にいられないね」
声が震えているのが、自分でもわかった。泣き出しそうになるのを必死で堪える。
恭平と暮らした三年間の思い出が走馬灯のように浮かんでは消えていく。
あふれてくる涙を抑えきれなくなり、陽香は恭平に背を向けた。
「家を出ていくことはない」
「でも……」
「お前は俺の妹なんだから」
そう言った恭平の顔は微笑んでいた。形だけではない。心からの本当の笑顔。
「お兄ちゃん!」
恭平の顔を見た途端、抑えていた感情が一気にあふれ出した。
陽香は大声で泣いた。まるで迷子の子供がやっと親を見つけた時のように。
陽香は恭平の胸の中でずっとずっと泣いていた。恭平は何も言わず、ただ陽香をやさしく包み込んでくれた。
陽香は本当の悪夢からやっと解放された気がした。




