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第9章 涙と笑顔-1



「陽香!」

 恭平は車から飛び降りると、教会の扉を開けた。志穂も後に続く。

 強い腐臭と血生臭さに、思わず顔を歪める。

 恭平は目を見張った。

 ロープで手足を縛られた女性たち。

 黒いスカーフを首に垂らした全裸の男。

 そして、血に染まって倒れてる女性たち。その女性うちの一人に駆け寄る志穂。

 恭平は三年前にタイムスリップしたような錯覚に陥った。しかし、今目の前にいるのは、真田耕平ではない。

「何だ、お前たちは? 私の神聖な儀式を邪魔するつもりか?」

 男は志穂のファイルで見た諏澤浩一郎だった。

「神聖な儀式?」

 志穂が女性の遺体を抱き起こしながら、諏澤を睨む。

「人殺しのどこが?」

「咲月は亜沙美のために命を捧げてくれたのだ。私は彼女の死をムダにしないためにも亜沙美を生き返らすのだ。真田教授がやったようにね」

「真田がやったのはただの人殺しだ! 誰も生き返りはしない!」

 志穂は悲しい瞳でそう訴えると、女性の遺体を仰向けに寝かせ、両手を胸の上に組ませる。

「ウソだ! 騙されはしないぞ! 現にここに真田教授の娘はいるではないか!」

 諏澤が両刃の剣で陽香を指した。陽香は怯えた様子も見せず、ただ呆けていた。周りが見えていないようにも見えた。

 記憶が戻った。

 恭平はそう直感した。この惨劇がきっかけとなったのは言うまでもないだろう。

「違う。その子は成瀬陽香だ。本物の真田恵莉は十年も前に死んでいる。真田は一番楽しかった頃の愛娘とその子を重ねて見ていただけだ」

 恭平は静かに答えた。

 真田は恵莉が死んだという事実を受け入れることができなかったのだ。愛する者の死。それは誰もが認めたくないことなのかもしれない。しかし、その悲しみを皆乗り越えてきているのだ。

「お前の娘はすでに白骨化している。現実から目をそらすな」

 恭平は祭壇の上に横たわる人骨を指した。

「そんなことはない! 亜沙美は生き返る。この娘たちを生け贄として悪魔に捧げれば」

 諏澤は両刃の剣を振り上げた。

「陽香!」

 恭平は叫んだ。志穂も走る。


 ダメだ。間に合わない。


 その時。

「陽香ちゃーんっ!」

 一台のスクーターが、恭平の横を走り抜けていった。







「陽香ちゃーんっ!」

 勝弥は恭平と志穂の横をすり抜け、急ブレーキを掛けるとスクーターを寝かせ、そのまま剣を掲げた男に突っ込んでいった。

 前タイヤが男の足をかすめる。男がひるんだ隙に勝弥はスクーターから離れると、陽香に駆け寄った。

 教会には陽香の他に多くの女性がいた。やはり犯人は麻衣たちの行方不明と関係していたのか。

「陽香ちゃん、大丈夫か?」

「………………」

 陽香は遠くを見つめたまま、何も答えてくれなかった。

「変態オヤジ! てめぇ、陽香ちゃんに何しやがったっ?」

「お前もか? お前も私の邪魔をするのか」

 全裸の男は怒りをあらわにして、剣を振り回した。

「何するんの! 殺す気きゃあ?」

 陽香を連れて逃げようとした勝弥は、血まみれの女性たちの中に咲月の姿を見つけた。

「三枝さん……?」

 勝弥は愕然とした。

 なぜ咲月がここにいるのか?

 なぜ血を流して死んでいる?

 頭の中が真っ白だった。

「何ぼーっとしてるの? 早くはぁちゃんを連れて逃げなさい! 諏澤は尋常じゃないわよ!」

 志穂の言葉に我に戻る勝弥。いつの間にか恭平が眼前に立っていた。

「なぜだ? なぜみんな私の邪魔をするのだ?」

 諏澤はビュッビュッと剣を振り回した。しかし、恭平相手では剣など何の役にも立たない。恭平は剣を持っていた諏澤の手に廻し蹴りを食らわせた。剣は弧を描いて床に落下する。

「あなたがやっているのはただの殺戮だ」

「違う! 私は間違ってなどいない!」

 武器をなくした諏澤は祭壇の方へふらふらと歩いていくと、祭壇の上に寝かせている人骨の頭をなでて涙を流した。それは、父親が娘を慈しむやさしい瞳だった。

「あのおっちゃん、悪い奴じゃないんか?」

 勝弥の問いに答えてくれる者はいなかった。恭平も志穂も諏澤を鎮痛の面持ちで見つめているだけだった。

「もう少しの辛抱だよ、亜沙美」

 諏澤が小さな声でそう呟いたのが聞こえた。

 振り向いた諏澤はいきなり祭壇の上にあった蝋燭を投げつけてきた。蝋燭の炎がじわりと床を焦がしていく。

「悪魔よ、皆の魂を捧げます! どうか亜沙美の魂を!」

 諏澤は狂喜した。

「逃げるわよ!」

 志穂の声を合図に教会内が騒然とし始める。

 勝弥はリュックサックの中からアウトドアナイフを取り出すと、縛られていた女性たちのロープを切っていく。

「逃がしはせん!」

 狂気した諏澤が勝弥たちに襲いかかる。が、恭平が諏澤を押さえ込む。

 その間に、志穂の誘導で女性たちは次々と教会の外へ脱出していく。

「勝弥くん?」

 そんな中で、弱々しい声が背後から聞こえてきた。聞き覚えのある懐かしい声だ。

「麻衣姉……?」

 勝弥は振り向いた。そこには涙で頬をぬらした麻衣がいた。

「麻衣姉っ!」

「やっぱり勝弥くんだ。どうしてこんなとこに」

「今は再会を喜んどる場合じゃない! 早くここから逃げるんじゃ!」

 麻衣はうつむき、首を横に振った。

「麻衣姉?」

「私は行かない。私、誰からも必要とされてない人間なんよ。だから……」

「そんなわけなかろうが! おばちゃんだって麻衣姉がおらんようになったからって心配して尾道からわざわざ東京まで来とるのに」

「お母さんが?」

「麻衣姉はいっつも先頭切って何でもやってきたじゃろうが! 麻衣姉がいたからオレここまでやってこれたんじゃから!」

「ごめん、勝弥くん。私、もうダメなんよ。私、そんな強い人間じゃないんよ」

 麻衣は嗚咽していた。

 胸が苦しかった。自分では麻衣を立ち直させることはできないのか。

「ごめんなさい、八重垣さん!」

 一人の女性が麻衣の前で土下座した。多喜川希美である。

「多喜川さん?」

「私、本当はうれしかったの。でも、あなたの好意を素直に受け止めることができなくて。昨日ここに連れてこられてからずっと八重垣さんに謝りたかったんだけど、なかなか言い出せなくて」

 希美は麻衣の手を取った。

「三枝先生が死んだ時に思ったの。私にはやりたいことがあるからまだ死にたくないって。私、八重垣さんと友達になりたいの」

「私なんかでいいん? 私はさっき多喜川さんにひどいことしたんよ?」

「そんなの私が八重垣さんにしたことに比べれば大したことじゃないよ。私は八重垣さんと友達になりたいの! 八重垣さん以外考えられないよ」

「多喜川さん……ありがとう」

 麻衣は笑っていた。昔と同じあの笑顔だ。麻衣はもう大丈夫だ。

「行けるよな、麻衣姉」

「うん、勝弥くん」

「やっぱ麻衣姉は笑ってる顔の方がいいな」

 麻衣は希美と共に立ち上がると、怯えている他の女性たちに手を貸しながら教会を出ていった。

 恭平と志穂も最後の女性と共に出ていく。勝弥は陽香を連れて続いた。





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