第6章 救われない心-2
その日、志穂は楠野スクールに向かうことなく、S2000を聖ポリアンヌ女子大学に走
らせた。
奈津子の激怒する姿が目に浮かぶ。しかし、どうしてもここに来なければならなかった。
確かめたいことがある。
昨日の午後から志穂は、諏澤浩一郎のことを調べていくうちに、彼が家財を売り払い、奥
多摩に教会を建てたことがわかった。そして、行方不明になった女性たちの大半が、心に大
きな悩みを抱えていたという。その女性たちが通っていたカウンセリングセンターに、三枝
咲月がカウンセラーとして登録されていた。
気になったのは昨夜見た自殺志願者のサイトだった。管理人にメールを送ってみると、返
信のメールが今朝届いていた。メール内容には聖ポリアンヌ女子大学の第四校舎にある諏澤
研究室の前に来るよう指示が書いてあった。
志穂は聖ポリアンヌ女子大学に着くと、昨日と同じく諏澤研究室の前に立っていた。
「そこで何をしているの?」
その声に振り返る。昨日も聞いた声だ。咲月は昨日と同じきびしい瞳でこちらを見据えて
いた。
咲月は志穂だと気付いて驚愕していた。
「あなた!」
「昨日はどうも」
「言ったはずですよ。諏澤教授はもうここにはいないと」
咲月は不快な態度を露骨に見せていた。
「知っていますよ。ただここにいればまたあなたに会えると思って。それとも、お待ちかね
の女性じゃなくて残念ですか?」
「どういう意味かしら?」
「理由はあなたが一番よく知っているかと思いますけど」
咲月は答えなかった。
「聞いたわ。あなたと諏澤教授のこと。けど、私は人のウワサと迷信は信じないの」
「本当のことよ。別に隠すつもりもないわ」
咲月は目を反らさず、凛とした声で答えた。
「でも、もう終わったことだわ」
「それを聞いて安心したわ。どう? これからランチでも」
「あなた、どういう神経してるの?」
「興味がわいてきたでしょう? 私っていう人間に」
志穂はにっこりと微笑んでみせた。
「悪いけど、私そういう趣味はないの」
「あら、奇遇ね。でも、ついでに言わせてもらえば、妻子がありながら他の女性とお付き合
いするような男も趣味じゃないんだけど」
「何も知らないのに、教授を悪く言わないでちょうだい」
咲月の拳が震えていた。諏澤を侮辱されたことに対する怒りの表れだろう。それはまだ諏
澤への思いが絶ち切れていないことを意味していた。
「咲月さんは諏澤教授の前にここを使っていた真田耕平氏をご存知ですか?」
いきなり話の矛先を変えられ、咲月は戸惑いを見せた。
「私がこの大学に来たのは二年前だけど、三年前の事件は知ってるわ」
「三年前、私の親友はここの研究室で手伝いをやってました。彼女は純粋に真田耕平を尊敬
していた。けど、彼女は殺された。真田はたった一人の娘をよみがえらすために百人の女性
の命を奪った」
忘れたくても忘れられない記憶。今でも目に焼き付いて離れない。
炎に包まれた教会の中で狂喜する血まみれの真田耕平と、その足元に転がる無数の女性の
遺体。その中に美奈子もいた。
得るものなど何もない、無意味な殺戮。
助けることができなかった愛しい人の命。
志穂は自分を責め、そして、すべてを憎んだ。しかし、そんな志穂の凍てついた心を癒し
てくれたのは一人の少女だった。
「悲しい事件だったわ」
咲月が目を伏せた。
「咲月さん、あなたは大学以外でもカウンセラーとして働いてますね」
「あれはボランティアよ。私は心を悩ましている人たちの力になりたいのよ」
「行方不明になっている女性たちの中に、あなたが担当していた人たちも含まれていること
はご存知かしら?」
「さっきから何が言いたいの?」
咲月が苛立ち始めていた。
「今ならまだ間に合うわ」
「言ってる意味がわからないわ」
「諏澤教授はこの研究室で何を見つけたの?」
志穂は研究室のドアを開けた。
「二ヶ月前から閉鎖されているというのに、つい最近まで人が使っていて形跡がある」
「私は何も知らないわ。きっと誰かが」
「それはありえない。私がこうして立っているだけで、あなたはすぐに駆けつけてくる。人
に見られたらまずいことがあるからじゃないの?」
「だったら、カギを掛けて入れないようにするわ」
「この研究室は学生たちの間では、殺人鬼の研究室と呼ばれていて誰も寄り付かないのをあ
なたは知っていたはずよ」
「………………」
さすがの咲月も言葉を詰まらせる。
「楠野さん、塾の講師やってるより刑事か探偵になった方がいいんじゃないの?」
「ええ。三年前までは本気で刑事になろうと思ってたわ。けど、三年前の事件でいかに警察
が無能だったのかを思い知らされて、止めたけどね」
そう。警察は十八才の志穂の話をまともに聞いてはくれなかった。恭平だけが唯一バカに
せずに志穂の話を真面目に取り合ってくれた。しかし、時はすでに遅かった。駆けつけた時
にはもう教会は。
「諏澤教授はどこにいるの?」
「昨日も言ったでしょう。わからないって」
「わかったわ。もう何も聞きかない。けど、もし彼に会うことがあったら伝えてちょうだい。
キリスト信者でもない者が教会を建てても意味ないわよ、ってね」
「………………!」
咲月の一瞬の動揺を志穂は見逃さなかった。
「それと、迷信は信じない方がいいってね。死んだ者はどんなに願ったって生き返りはしな
いんだから」
志穂とて娘を亡くしたという諏澤の悲しみはわからないでもなかった。もし生き返ってく
れるのならどんなことだってするだろう。例え、自分の命さえ投げ出しても。しかし、どん
なに願っても一度死んだ者は生き返らない。新たな悲しみを生むだけだ。
「もし会うことがあれば伝えておくわ」
咲月の頑なな瞳にはもう何を言ってもムダだ。志穂は直感した。諏澤への愛が、彼女の理
性を鈍らせている。恋は盲目とはよく言ったものだ。そこまで一途に思われる諏澤をうらや
ましく思う志穂だった。




