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第6章 救われない心-1


「ここ……?」

 勝弥は眼前にそびえ立つ二階建ての木造建築を見上げた。

お世辞にもキレイとは言いがたい風貌の建物に、勝弥は以前住んでいたアパートと同じ匂

いを感じずにはいられなかった。古ぼけた木の門柱には、かすれて見えにくいが聖ポリアン

ヌ女子大学女子寮と書いてある。

 ドキドキしながらやってきた自分が妙に虚しかった。

「こりゃオバケでも出てきそうな雰囲気じゃのー」

「脅かさないでください、東さん」

 陽香が勝弥の腕をつかんでくる。胸がきゅんとときめいた。

 陽香はあれから何事もなかったかのように普段と変わらずにいた。顔色ももう悪くない。

「大丈夫だって。もしオバケが出てきたらオレがやっつけちゃるけー」

 すっかり気が大きくなっていた。

 勝弥はぎぃ〜を錆びれた音を立てる玄関扉を開いた。

 奥へと続く長い廊下が一層不気味さをかもしだしていた。

「すいませーん!」

 声を上げると、一番手前にあった部屋のドアが開く。小柄な中年女性が顔を出した。女性

が怪訝そうな顔で勝弥を上から下へとなめ回すように見つめてきた。

「あの、多喜川希美さんに会いたいんですが」

「多喜川さん? あの子なら昨日から帰ってきてないわよ。最近の若い子は夏休みになって

も実家へ帰ろうとせず、ああやって平気で外泊してくれるから困るのよね。こんなボロ寮は

さっさと取り壊してくれた方がありがたいんだけどね」

 女性は愚痴をこぼし始める。この年の女性に今時の若い子を理解しろという方が無理な話

である。

「ところで、あんたたち多喜川さんとどういう関係なの?」

「オレたちは……その、姉弟です。夏休みになっても帰ってこない姉のことが心配になって

こうして会いに来たんです」

 ちょっと涙ぐんでみる。しかし、東京人にはそんな涙も通用しないのか、女性は同情すら

してくれず、冷たい言葉を返してくるだけだった。

「さっきも言ったけど、あんたたちのお姉さんは昨日から帰ってきてないの。アテにはなら

ないけど、待つんなら二階上がって。六番目の部屋が多喜川さんの部屋だから」

「ありがとうございます」

 勝弥はそれでも演技を止めようとせず、きょとんとしている陽香をつれて二階へ上がろう

とする。

「多喜川さんに弟なんていたかしら?」

 女性のするどい突っ込みに、勝弥はドキっとして後戻る。

「おばさん! 姉ちゃんがいつも迷惑掛けて申し訳ないです! これでも飲んでイライラし

た心をリラックスさせて下さい!」

 勝弥は持っていたペットボトルのお茶を手渡すと、脱兎の如く二階の希美の部屋へ駆け上

がった。

「いいんですか?」

「いいのいいの。ウソも方便。多喜川希美が昨日から帰ってきてないってのが気になるじゃ

ろー? オレたち大学で顔合わせてるわけじゃし」

「そうですね」

 陽香の同意を得た勝弥は、希美の部屋に入った。

 六畳の和室に備え付けの机があるだけの殺風景な部屋だった。麻衣の部屋を思い出させる。

「東さん!」

 机の上を見た陽香が、悲鳴じみた声を上げた。慌てて駆け寄る。

 机にはカッターナイフのような刃物で切り刻まれた無数の傷があった。古いものもあるが、

新しい傷の方が明らかに多い。それはマジックで書かれた希美への罵詈雑言を切り刻んだ跡

だった。

 バーカ。

 ブス。

 田舎者は帰れ。

 臭い。

 陰険。

 勝弥は黙読した。

 

 女ってのはやることがホンマ怖いのぉ。


 勝弥は希美がいじめに合っていたことを再確認させられた。彼女はそこまで追い詰められ

ていたのだ。誰にも相談できなくて。

 もしかしたら希美はもうこの世にはいないかもしれない。そんな悪い予感がした。

「オレってやっぱどっかが抜けとるのー」

 勝弥は自分の頭を殴った。

 昨日のうちにすぐ希美に会いに行くべきだった。明日に引き伸ばし、呑気に典子が作って

くれた料理を食べている場合ではなかった。

 勝弥は自分の軽率な行動を悔いた。

「東さん、そんなに自分を責めないで下さい。あの時、私が気分さえ悪くならなかったらす

ぐにカバンを返しに行くことができたんですし」

「陽香ちゃんのせいじゃない。オレってどっかで甘えとったんじゃ。困っても誰かが助けて

くれるって。センパイやおばちゃんや陽香ちゃんに頼ってばっかじゃった。けど、もうオレ

は甘えん!」

 えらそうなこと言って、自分は何もできない。アクションスターになるなどと甘えた夢を

語っていた自分が恥ずかしかった。

 勝弥はためらうことなく、希美のカバンの中身を全部出した。入っていたのは、財布、学

生証と数冊の本。手掛かりになりそうなものは見つからない。

 次は机の引出しを開けた。そこには一冊のノートがあった。勝弥はそのノートをめくる。

 それは、希美の日記だった。

 大学に入学してからの日々が書き綴られていた。

 勝弥は陽香にもわかるように音読した。

「『今日は大学の入学式。でも、お父さんもお母さんも来てくれなかった。仕方ない。だっ

て、お父さんもお母さんも私が東京の大学に行くことを反対してたんだから……』」

 勝弥は日記を読むにつれて、希美の置かれていた状況を知った。

 希美の家は決して裕福な方ではなかった。しかし、どうしても東京の大学に行きたかった

希美は、両親の反対を押し切って進学した。当然、学費は全部自分で支払わなければならな

い。希美は学費を稼ぐため、寝る間も惜しんで働いた。おしゃれをすることもなく、奨学金

を受けている学生しか住まないというこの古ぼけた寮で生活してきた。

 そして、それがいじめの発端となった。汚いだの臭いなどと罵詈雑言を浴びさせられる毎

日。それでも、希美は耐えてきた。自分が好きで選んだ道なのだから。

 そんな中で、希美をバカにしなかったのは麻衣だけだった。しかし、すっかり人間不信に

なったしまっていた希美は、麻衣のやさしさを信じることはできなかった。そのうち麻衣ま

でがいじめの対象になってしまい、その時初めて麻衣のやさしさが本物だったと気付くが、

素直に詫びることができなかった。そして、麻衣が行方不明になり、希美は責任を感じてい

た。罪悪感から自分一人では支えきれなくなった希美は、大学でカウンセリングをしている

三枝という心理学の講師に相談することにした。

「『八重垣さんが行方不明になったのは私のせいだわ。どうしたらいいのかもうわからない。

明日こそ、三枝先生にすべてを打ち明けよう。先生ならきっと……』」

 日記はそこで終わっていた。一昨日の日付だ。

「三枝……」

 今となってはその人物だけが希美の行方を知る唯一の手掛かりだ。

「悪い、陽香ちゃん。もうちょっとだけ付き合ってくれ」

 陽香は大きくうなずいた。



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