第3章 理想と現実の間で-3
聖ポリアンヌ女子大学と書かれたレンガ造りの立派な門柱を前にして、勝弥はごくりと唾
を呑んだ。
この門の向こうにいるのは、女子大生ばかり。彼女いない歴十七年の勝弥にとって、そこ
は禁断の園だった。
「何だかドキドキしますね」
隣から勝弥の心境と同じ言葉が聞こえてきた。
その声の主は、心なしか頬を紅潮させ瞳にきらきら星が浮かんでいるように見えた。
「あのー、陽香ちゃん。オレ、遊びでここに来てるわけじゃないんじゃけど」
「わかってます。私、東さんに協力したいんです。何かお役に立つことがしたいんです」
陽香は力強く答えた。先刻、公園で会った内向的な少女と同一人物とは思えなかった。
記憶喪失が陽香の心を暗くしていただけで、本来の陽香は積極的なのか、意外と行動派な
のかもしれない。
お金貸してくれ、なんて言わにゃあえかったかのー?
お金を貸すのを条件に、陽香が言ってきたのは勝弥への同行だった。勝弥は何も考えず二
つ返事でそれを承諾した。しかし、普段からお金を持ち合わせていない陽香は、無断で恭平
の財布を持ち出してついてきたのだ。そんなことが超過保護のつく兄に知られたら、勝弥は
間違いなく殺されるだろう。
後悔半分、うれしさ半分の複雑な心境だった。
「おい、すっげーかわいい子がいるぜ」
「マジ? 隣のがカレシかよ?」
ぴくぴくと、勝弥の耳が動いた。
聖ポリアンヌ女子大学にいる彼女を迎えにやってきた彼氏軍団だった。大方どこかの大学
生なのだろうが、親の脛かじりの象徴とも言える外車に乗っていた。以前はひがんだりもし
たが、今は違う。隣に誰もが羨む美少女がいるのだ。電車の中ででも陽香を称える声が絶え
ることはなかった。その度に鼻の下を伸ばしていた勝弥だった。
殺されてもいっか。
などと、不届きなことを考えていた。
「そいじゃ行こっか、陽香ちゃん」
これ見よがしに陽香の肩に手を掛けてみる。
男どものひがむ声が何とも心地良かった。
これぞ、男の幸せだなぁ。
勝弥は陽香をつれて聖ポリアンヌ女子大学の門をくぐった。
勝弥は愕然とした。
キャンパスには数えるほどしか女子大生はいなかったのだ。
「やっぱり夏休みは人少ないですね」
さらりと陽香が重大発言をのたまう。
そう。勝弥は忘れていたのだ。世間一般的に学校は今が夏休みであるとういことを。しか
し、誰もいないわけではない。勝弥好みの女子大生だっているかもしれないのだ。そんな勝
弥の不純な気持ちを察したのか、陽香が軽蔑の眼差しでこちらをじっと見ていた。
それに気付いた勝弥は白々しく咳払いすると、通りがかった女子大生に声を掛ける。
「あの、すいません。ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「何?」
金髪で化粧の濃いお姉さんが大儀そうに答えた。当然、勝弥の趣味ではない。後悔したが、
今更後には引けない。
「八重垣麻衣さんを知ってますか?」
「八重垣? そんな子知らないわよ」
即答すると、足早に去っていった。
「化粧臭い女にロクなのはおらんの」
勝弥は毒づくと、今度は親切そうな女子大生を探した。
「あの、東さん?」
「ん?」
キョロキョロしていると、陽香が話しかけてくる。
「八重垣麻衣さんって、どんな人なんですか?」
「どんなって……。オレが知ってんのは高校までの麻衣姉なんだけど、サラサラのロングヘ
アで大きな瞳のかわいい子じゃった。しかも容姿だけじゃのうて明るくて頭が良くてしっか
り者。でもって、笑顔がとびっきりかわいかったのぅ」
勝弥は高校時代の麻衣を思い出した。麻衣は今どこにいるんだろうか?
「もしかして、東さんの初恋の人ですか?」
「ななな、何言い出すんの? 陽香ちゃんは!」
陽香のするどい突っ込みに思い切り動揺してしまう。
陽香ちゃんって、おとなしそうに見えて大胆なこと聞いてくるのぅ。
勝弥は話題をはぐらかすため、見つけた女子大生に慌てて駆け寄る。
「あの、すいませーん! ちょっと聞きたいことがあるんですがー!」
茶髪ではあるが、薄化粧だし性格もおとなしそうに見える二人組だった。
勝弥は麻衣の写真とメモ帳を手に、捜査を実行した。
「八重垣麻衣さんって知ってますか?」
「八重垣?」
麻衣の写真を見て、ショートヘアの女子大生が怪訝な顔を見せた。やはり知らないと冷た
くあしらわれるのだろうか。
「人間社会学部の子でしょう? 私は科が違うからよくは知らないけど」
「ああ、あの子ね」
もう一人のロングヘアの女子大生も思い出したかのように話してくる。
「バカよね。正義感ぶってあんな子をかばうからいじめに巻き込まれるのよ」
「いじめ? 大学生になってまで?」
勝弥には信じられなかった。
「女の私たちが言うのも何だけど、女のいじめって陰湿だからいじめられる方はたまんない
と思うよ」
「ウワサだと、その八重垣って子は過食症になって1ヶ月で十キロ太ったって。夏休み前は
よくカウンセリング室に入っていくの見たわよ」
「カウンセリングで思い出したけど、知ってた? 心理学科の三枝先生ね、不倫相手の男の
娘さんを自殺に追い込んだんだって」
「うっそ〜? 私、何度か三枝先生にカウンセリング受けたのに。そんな人がカウンセラー
やってていいわけ?」
「しかも、ボランティアで大学以外でもカウンセラーしてるんだって」
「信じられなーい」
二人の女子大生はウワサ好きの近所のおばちゃんの如く、聞いてもいないことまでベラベ
ラと喋りだす。勝弥はメモ書きを取るだけでいっぱいいっぱいだ。
「で、その八重垣麻衣って何かしたの?」
いきなり話がふりだしに戻り、ショートヘアの女子大生が興味津々に聞いてくる。
お前ら、たまにはニュースや新聞見ろよ。
勝弥は胸中で毒づいた。しかし、貴重な情報提供者に邪険な態度は控えなければならない。
「さっきも八重垣麻衣のことを教えてほしいって、女の人に聞かれたのよね」
「そーそー。モデルみたいにすっごい美人だったのよねー」
「絶対にハーフよ、あれは」
二人はその女を思い出したのか、頬を紅潮させて興奮していた。
「でも、八重垣麻衣のこと知りたいんなら、いじめられている当事者に聞くのが一番なんじ
ゃない」
「その人は今どこに?」
「ほら、今後ろから歩いてきてるでしょう。メガネ掛けた根が暗そうな子が」
指差した先には、勉強大好きという看板を背負っているような女子大生が歩いていた。
「ありがとうございます」
勝弥は社交辞令的な礼を言うと、その女子大生の下へ歩いた。
「あの、八重垣麻衣さんのこと聞きたいんですけど」
勝弥はボブヘアの女子大生に話し掛けた。全く化粧気がないという点では勝弥の好みなの
だが。
女子大生は勝弥たちを一瞥すると、立ち止まることなく無言で素通りしていった。
「あ、あのー?」
「あなたたちも私を笑いにきたの?」
「へ?」
「自分にはキレイな彼女がいるからって威張ってるんじゃないわよ!」
女子大生は持っていたショルダーバックを勝弥に投げつけると、走り去っていった。
「何のこっちゃ?」
「さあ?」
勝弥と陽香は顔を見合わせて?マークを浮かべた。
陽香が落ちていたショルダーバックを拾う。
勝弥は散らばっていた荷物の中から、学生証を見つける。
名前は、多喜川希美。住所は目白の寮になっていた。
「これ、どうしましょうか?」
「まだ聞きたいことあるし、後で届けりゃいいんじゃない」
そうだ。まだ彼女から麻衣のことを何一つ聞けてない。いじめのことも。
「もうここにいても大した情報は得られそうにないけー、帰るとするか」
「もう帰るんですか?」
陽香がガッカリした表情を見せる。
例え大学とはいえ、陽香にとって学校は興味を引かれる場所なのかもしれない。しかも、
これを機に何か思い出すかもしれない。
しかし、早く帰らなければ黒帯締めて待ち構えている兄に殺される。
理性と本能の闘いが始まった。
が。
陽香の憂いの表情を見れば、理性など風速一メートルの風であっさり吹き飛んでいってし
まう。
「せっかくじゃもんな。まだ何か手掛かりがつかめるかもしれんし」
呆気なくなく、本能が勝利を収めた。
勝弥たちは校舎の方へ歩いていった。




