地獄観光(嫌味)
どうもはじめまして春と桜です。
あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
鬼たちに両脇を抱えられ、私は長い石畳の道を引きずられていた。地獄に来てからというもの、理不尽しか起きていない。せめて説明くらい欲しいのだが、鬼たちは驚くほど口が固かった。いや、単純に私の話を聞く気がないだけなんだきっと。
「今からでも入れ替われませんか?」
鬼の片方が眉をひそめた。
「何とだ」
「上司とです」
「無理だ」
「庇ったこと後悔してるんです。決して仲間ではありません。むしろ嫌いでした」
私は諦めていなかった。別に命を懸けて守りたい相手ではなかったのである。今なら喜んで返品したい。
「残業代も出さなかったんですよ?」
「黙れ」
「私のプリンも食べました」
隣の鬼が立ち止まり、ギロリとこちらを睨んだ。鋭い牙が覗く。私は即座に黙った。暴力は会話より強い。
やがて巨大な門が見えてきた。城壁は空が見えなくなるほど高く、その向こうからは怒号や悲鳴が響いている。地面は踏み固められ、あちこちに黒ずんだ染みが残っていた。嫌な予感しかしない。
【第六地獄兵団訓練所】
門の上にはそう刻まれていた。
門の先には数百人の人間が集められていた。若い者もいれば老人もいる。泣いている者、怒鳴っている者、土下座している者までいた。みんな顔色が悪く震えている。もちろん私も震えている。
「整列!!!」
突然、雷が落ちたような怒声が響いた。空気が震える。鼓膜が痛い。反射的に背筋が伸びた。
朝礼台の上には巨大な鬼が立っていた。身長は二メートルを超えている。顔中に傷があり、片方の角は根元から折れていた。歴戦の猛者という言葉が似合う男だった。
「貴様らを歓迎する!!!」
歓迎されている気が全くしない。
鬼教官は胸を張った。どうやら本気で歓迎しているらしい。その事実が一番怖かった。
「安心しろ!!!」
「地獄に落ちた以上、悠久の時を訓練に使える!!!」
辺りが静まり返る。
泣いていた者も怒鳴っていた者も口を閉じた。私も閉じた。何を言われたのか理解するのに時間が必要だったからだ。
「死ぬことはない!!!骨が折れても治る!!!腕が千切れても繋がる!!!」
鬼教官は誇らしげだった。本気で良いことを言っているつもりらしい。価値観の違いが深刻である。地獄の常識と人間の常識は相容れないらしい。
「素晴らしい環境だろう!!!」
「労基はどうなってるんですか!!!」
しまった、つい叫んでしまった。
訓練所が静まり返る。数百人の視線が集まった。鬼教官がこちらを見る。めちゃくちゃ見ている。嫌な予感しかしなかった。
「柱間牡丹!!!」
「はい!!!」
「貴様だけ訓練二倍だ!!!」
「なんでやねん!!!」
訓練はその日から始まった。
整列が終わると私たちは列を組まされ、そのまま訓練場の奥へ連れて行かれた。鬼たちは慣れた様子で歩いているが、人間たちは違う。処刑場へ向かう囚人の行進と言われた方がしっくりくる。
「前進!!!」
鬼教官の怒声が飛ぶ。
誰も逆らわない。
逆らえる雰囲気ではなかった。
しばらく歩いていると異臭が鼻を突いた。生臭いような、鉄のような、腐ったような臭いだ。隣を見ると中年男性が荒い息を吐いていて思わず顔をしかめた。周囲も同じだったらしく、あちこちで咳き込む声が聞こえた。なるべく吸い込まないように口呼吸をしながら私は歩いた。隣で「オエッ」とか言ったら失礼だしね。
「うわ……」
誰かが呟いた。目の前には巨大な池が広がっていた。
「血の池地獄だ!!!」
鬼教官が誇らしげに叫ぶ。
観光名所の紹介みたいなテンションで言うな。
「今から貴様らにはこれを泳いでもらう!!!」
誰も拍手しなかった。
「なお溺れても問題ない!!!」
誰も安心しなかった。
「沈んでも死なん!!!」
ジョークかな?もう死んでる。
「飛び込め!!!」
誰も動かなかった。
当たり前である。
どう見ても入りたくない。
「飛び込め!!!」
鬼教官がもう一度叫ぶ。
それでも誰も動かない。
次の瞬間だった。
一番前にいた男が蹴り飛ばされた。
「ぎゃあああああ!!!」
綺麗な放物線を描いて男は池へ落ちた。
鬼だ……。
私たちは自ら飛び込んだ。
…人類は学習するのだ。
「うわあああああ!!!」
血の池へ飛び込んだ瞬間、全身がべったりとした感触に包まれる。臭い。とにかく臭い。鼻が曲がりそうだった。
隣の人の口臭を疑った私は馬鹿だ。ほんますんません。
「なんやこれ!!!」
「泳げぇぇぇ!!!」
「無理ぃぃぃ!!!」
周囲は大混乱だった。溺れる者、泣き叫ぶ者。
私もその一人だった。
必死に手足を動かす。
すると隣で同じように溺れているおじさんと目が合った。
「助けてくださいぃぃぃ!!!」
「私も余裕ないですぅぅぅ!!!」
眼鏡をかけた真面目そうなおじさんだった。
しかし今は必死すぎて真面目さの欠片もない。
「名前ぇぇぇ!!!」
「佐藤ですぅぅぅ!!!」
「私は牡丹ですぅ!!」
「佐藤さんはなんで地獄にきたんですかぁぁぁ!!!」
「授業中にチョーク投げたからぁぁぁ!!!」
「理不尽やなぁぁぁ!!!」
「ですよねぇぇぇぇ!!!」
友情が芽生えた瞬間だった。
一時間たっても私たちはまだ泳がされていた。
地獄だった。
本当に地獄だった。
「教官!!!」
誰かが叫ぶ。
「なんだ!!!」
「いつ終わるんですか!!!」
「向こう岸に着いたらだ!!!」
全員が向こう岸を見たが見えなかった。
地平線しかなかった。
「嘘やろ……」
誰かが泣いた。
私も泣いた。
だがその時だった。
隣を泳いでいた佐藤さんが突然沈み始める。
「佐藤さん!?」
「足がぁぁぁ!!!」
「足がどうしたんですか!?」
「つったぁぁぁ!!!」
地獄に来てまでそれあるんや。
私はなんとも言えない気持ちになった。
佐藤さんはどんどん沈んでいった。血の池は思った以上に深く、底なんて見えない。ドロドロとした血の中で、佐藤さんだけが必死に手を振っていた。
誰も助けに行かない。というより余裕がないのだ。みんな自分が沈まないようにするので精一杯だった。私も余裕なんてない。ないのだが。
「しゃあないなぁ!!!」
私は方向転換した。困っている人を見捨てられない。だからこんなことになった気もする。学習能力は死んだ時に置いてきたらしい。
「見るがいい!!小学校六年間続けた私のバタフライを!!!」
血飛沫を撒き散らしながら私は前へ進んだ。速いかどうかは分からない。だが気持ちは日本代表だった。
「今行きますぅぅぅ!!!」
佐藤さんへ手を伸ばす。手を取り合ったその瞬間、二人まとめて沈み始めた。血の池は思った以上に重かったのだ。ドロドロした液体が身体へまとわりつく。
「佐藤さぁぁぁん!!!」
「牡丹さぁぁぁん!!!」
私たちは血の池の中にいた。不思議と息はできた。会話もできた。理由は知らない。地獄だからだろう。
そして底は無数の針で埋め尽くされていた。
「「うわぁ……」」
二人揃って引いた。
私たちは沈んでいる。針へ向かって。
私は佐藤さんを見た。佐藤さんも私を見た。
……これは無理や。
人間には諦めが肝心な時もある。
特に針山へ沈んでいく時はね。
「佐藤」
「はい」
「すまん」
「え」
「達者でな」
私は静かに方向転換した。友情より大事なものがある。生存本能である。死んでるけど。
「牡丹さぁぁぁん!!!」
佐藤さんが叫ぶ。
私は振り返らない。
これが大人の別れだった。
その時だった。
爆速の何かが私の横を通り過ぎた。
魚かと思った。違った。佐藤だった。なあんだ佐藤か……っいや待て。
「佐藤ぉぉぉ!!!」
「失礼しまぁぁぁす!!!」
「泳げるやないかぁぁぁ!!!」
「足治りましたぁ!!」
佐藤さんは一目散に岸へ向かって行く。
私だけを置いて。
針へ向かって沈みながら、私は悟った。
見捨てられたのは私だった。
「許さん!!!」
血の池に私の怒号が響く。
佐藤さんは振り返りもしない。
「友情は決裂やぁぁぁぁ!!!」
「そんなぁぁぁぁ!!!」
数分前に生まれた友情だったが数分後に終わった。
代表作を執筆中なので、更新はゆっくりめです。
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