ほな、始めよか
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
その全てが少し重く、それ以上に温かかった。昨日まで誰も私の名前を知らなかった街で、今は仕事を任され、帰る場所を与えられ、なぜか猫たちから親分と呼ばれている。地獄で初めて手に入れた役職は猫の親分で、今のところ無給だった。出世とは何か、一度ゆっくり考えた方がいい。
「ずいぶんと甘い裁きですな、獄堂奉行。昨日まで盗みを働いていた野良猫へ、奉行所の仕事まで与えるおつもりですか」
「……誰、この感じ悪いおっちゃん」
「声が大きいぞ、親分」
「聞こえるように言ったから大丈夫」
「聞こえているぞ、小娘」
「成功です」
広間の入口には、黒い羽織を着た大柄な鴉天狗が立っていた。背中には艶のある翼が畳まれ、腰には飛脚組の頭領が持つ銀の札を下げている。その後ろにも同じ装束の鴉天狗が並び、クロたちへ向ける目には隠す気もない嫌悪が浮かんでいた。玄馬が露骨に眉間へしわを寄せたので、少なくとも一緒に酒を飲む仲ではなさそうだ。
「こいつは迅蔵。羅生街最大の飛脚組、黒羽組の頭領だ。街で扱われる荷物や書状の七割は、こいつらが運んでいる」
「信用は一日で得られるものではありません。昨日、たまたま薬箱を運べたからといって、奉行所の定期便まで任せるのは早計でしょう」
「まだ任せるとは言っていない。今日の急ぎ便で働きぶりを見るつもりだった」
「では、黒羽組にも同じ仕事を。どちらが任せるに足るか、その場で証明いたしましょう」
「親分、やらせてください」
「うん。早く終わった方が、ご飯も早く食べられるし」
「仕事への動機が素直すぎるな」
「空腹は大体の問題より強いです」
迅蔵は鼻で笑い、机の上へ三通の書状を置いた。届け先は東門、西の鐘楼、南の渡し場。それぞれの受取印を先に持ち帰った組へ、今後の奉行所定期便を任せるという。黒羽組は空を飛べる熟練者ばかりで、こちらは昨日まで魚を盗んでいた猫と、走ることはできるが止まり方を知らない元訓練生である。改めて比べると、敵より味方の方が不安だった。
「制限時間は、この香が燃え尽きるまでだ。もっとも、書状を持ち逃げせず戻れたなら、それだけでも褒めてやろう」
「それ、負けた時の言い訳を今から作ってます?」
「何だと」
「クロ、地図を見せて。勝ったあとで条件が悪かったと言われると面倒だから、ちゃんと黙ってもらおう」
「親分、南の渡し場が一番遠いです」
「そこは私が行く。昨日より弱く地面を蹴れば、たぶん街の中で止まれる」
「昨日は屋根で止まっただろ」
「止まりたい場所ではなかった」
「それは着地だ」
「結果的に生きてたから成功やろ」
「お前はもう死んでいる」
地図によれば、東門へ続く大通りでは朝市が始まり、西の鐘楼へ向かう石橋は修理中、南の渡し場までは細い路地が入り組んでいた。空を飛ぶ黒羽組には都合がよく、地上を走る者には面倒な道ばかりである。試験というより、鴉天狗の長所を紹介する催しに近い。迅蔵の性格にも舗装工事が必要だと思う。
「クロは西の鐘楼へ。染物屋の屋根から水車小屋へ抜けられる?」
「行けます。鐘楼の裏には猫しか通れない隙間があります」
「東門は三匹で。朝市の屋台の下なら人にぶつからない。残りは連絡役をお願い」
「親分は南の渡し場ですね」
「うん。なるべく何も壊さず戻る」
「目標が飛脚とは思えないほど低いな」
「少しずつ成長してる」
「まだ始まってもいないぞ」
書状を分けると、クロたちは誰が先頭を走り、誰が書状を守り、誰が遅れた仲間を助けるのかを素早く決めた。昨日まで追われるために使っていた道が、今は誰かのために走る道へ変わろうとしている。二本の尻尾を立てたクロの横顔には、不安よりも初めて仕事を任された誇らしさが浮かんでいた。猫は感情が尻尾へ出るので分かりやすい。
「始め!」
香へ火が移った瞬間、黒羽組は窓から一斉に飛び立った。私は奉行所の床を壊さないよう、なるべく静かに片足を踏み出したのだが、次の瞬間には広間も門も大通りもまとめて後ろへ流れていた。正面へ迫った屋根を慌てて蹴り、進路を変える。かなり力を抑えたつもりだった。私の中の「かなり」は、世間一般とは意味が違うらしい。
南の渡し場が見えたところで両足を踏ん張ったが、やはり走るより止まる方が難しかった。石畳を削りながら進み、積み上げられた藁俵へ腰から突っ込み、二つほど川へ飛ばしてようやく身体が止まる。渡し守の河童は、川に浮かぶ藁俵と私を何度も見比べていた。配達の速さはともかく、第一印象は完全に失敗である。
「奉行所から急ぎの書状です。受取印をお願いします」
「今、何が起きたんだい」
「配達です」
「配達は普通、藁俵を川へ飛ばさないよ」
「次から気をつけます」
「次も飛ばす可能性があるのかい」
「止まり方を覚えるまでは」
「先にそっちを覚えてから働きな」
もっともな意見だった。渡し守は呆れながらも印を押してくれた。私は川へ入り、流されかけた藁俵を拾って元の場所へ積み直す。速さを競っている最中に後片付けをしている時点で、飛脚としての適性は猫たちの方が高そうだった。
「親分、東門は終わりました!」
「西の鐘楼も完了です!」
「早いね。私より飛脚に向いてるんじゃない?」
「戻りましょう」
「帰りも何か壊さないようにね」
「それは親分だけ気をつけてください」
「はい」
東門へ向かった三匹は、朝市の屋台の下を走り、荷車の車輪を飛び越え、黒羽組が着地するより先に書状を届けていた。クロも修理中の石橋を避け、染物屋の屋根から水車小屋へ飛び移り、猫一匹しか通れない隙間を抜けたという。空を真っ直ぐ飛ぶ速さでは黒羽組に及ばなくても、羅生街の道を知る深さなら負けていない。盗むために覚えた道も、逃げるために磨いた足も、使い方を変えれば誰かに喜ばれる力になる。
「戻りました。三か所、全部の受取印があります」
「馬鹿な。香はまだ半分も燃えていないぞ」
「藁俵を拾っていたので、少し遅れました」
「なぜ競争中に藁俵を拾う」
「私が川へ飛ばしたからです」
「何をしているんだ、お前は」
「配達です」
「配達という言葉に謝れ」
迅蔵は印を何度も確かめたが、どれも本物だった。猫たちは人へぶつからず、書状も落とさず、受取人へきちんと頭まで下げたらしい。私だけが藁俵を飛ばしていた。集団の責任者が一番足を引っ張っている。
「勝負は羅生飛脚組の勝ちだ。今日から奉行所の定期便は、お前たちにも任せる」
「獄堂奉行、こいつらが昨日まで盗人だった事実は変わりません」
「昨日まで盗人だったことは変わらん。だが今日、仕事を果たしたことも変わらん。今評価するのは今日の働きだ」
「迅蔵さん。猫たちに言うことがあるんじゃないですか」
「……勝手に仕事をすればいい」
「それだと聞こえません」
「貴様、調子に乗るな」
「私は乗ってません。猫たちが胸を張るために、あなたの言葉が必要なだけです」
迅蔵は翼を膨らませたが、数百万年にわたって鬼教官の怒声と金棒を浴び続けた私には、春先の風に近かった。私は喧嘩をしたいわけではない。ただ、きちんと働いた者が、きちんと報われるところを見たいだけだった。それすら許されないなら、地獄の制度は一度すべて壊した方がいい。
「羅生飛脚組の速さと仕事ぶりを、黒羽組頭領、迅蔵の名において認める。今日の勝負は、お前たちの勝ちだ。それから猫ども……見事だった」
「親分、聞きましたか」
「聞いた。胸を張っていいよ。もうあんたたちは、魚を盗んで逃げる猫じゃない。羅生街の飛脚です」
クロたちはしばらく動かなかった。幼い猫又は、本当に自分たちが褒められたのか確かめるように瞬きを繰り返している。やがて配達料として銭を渡されると、それを両手で包み、盗んでいないのに魚を買えるのかと小さな声で尋ねた。その一言に広間が静まり、魚屋の河童は鼻をすすりながら、働いた者には腹いっぱい食わせると笑った。
「親分、これ、本当に俺たちの金ですか」
「そう。自分たちで働いて稼いだお金」
「誰にも返さなくていい?」
「盗んだ分は少しずつ返してもらう。でも今日は一つだけ好きなものを買っていいよ」
「魚でも?」
「魚でも」
「お金を払ったら、捕まらない?」
「捕まらない」
「すごい……」
「それが普通なんだけどね」
クロは目元を拭い、幼い猫又が銭を落とさないよう、その小さな手を包んでやった。たった一枚の銭だった。それでも昨日まで盗む以外に食べる方法を知らなかった子たちにとっては、自分の足で手に入れた初めての未来だった。数百万年働いても給料を一度も受け取れなかった私には、その重みがよく分かる。少し羨ましかった。
「良かったな、親分。奉行所の定期便を任されたぞ」
「待って。契約書に責任者手当、月に銀二枚って書いてある」
「さっきまで責任者を嫌がっていただろ」
「労働には正当な対価が必要です。クロ、看板は一番目立つ場所へ置いて」
「親分、急にやる気が出ましたね」
「生活が懸かってるから」
「現金な奴だ」
「現金が出るからね」
猫を一匹捕まえたら、翌日には定職と手当まで付いてきた。地獄の就職活動は早い。生前もこのくらい簡単なら、履歴書を何枚も書かずに済んだと思う。
奉行所を出ると、クロたちは仕事札を掲げながら大通りを歩き始めた。店主たちが次々に顔を出し、荷物を頼むだの、祝いに団子を持っていくだのと声を掛けてくる。親分おめでとうと呼ばれるたび、私は反射的に振り返った。否定する方が面倒になっただけで、受け入れたわけではない。たぶん。
その時、街の東側から低い角笛の音が響いた。
店主たちの声が止まる。通りを歩いていた者たちが一斉に振り返り、地面を揺らす重い足音に道を空けていった。黒い甲冑をまとった鬼兵たちが、長い槍を手に隊列を組んで近付いてくる。その胸元には、炎に囲まれた天秤の紋章が刻まれていた。
「閻魔大王城直属の執行部隊だ」
玄馬の声が低くなる。鬼兵たちは街の出口を塞ぎ、屋根の上にも弓兵を配置していった。数は五十を超えている。先頭の鬼が鉄の面を上げ、手にした命令書を広げた。
「廃棄処分済みの元訓練兵、柱間牡丹を確認した。ただちに身柄を引き渡せ。抵抗した場合は魂を消滅させ、かくまった者も反逆者として処分する」
「廃棄処分済みって、壊れた家具みたいな扱いですね」
「お前のことだ」
「知ってる。まあまあ傷付いてる」
私の名前と白髪、所属していた訓練所まで細かく記されていた。羅生飛脚組を登録したことで、罪人名簿との照合に引っ掛かったらしい。就職した翌日に前職から抹殺部隊が来た。転職活動としては最悪である。
「親分には指一本触れさせません!」
クロを先頭に、猫たちが私を隠すように前へ並んだ。初めて稼いだ銭を握ったまま、幼い猫又まで小さな身体を震わせている。魚屋の河童や団子屋の店主たちも、包丁や麺棒を手にして店先へ出てきた。戦力として数えてよいかは分からないが、気持ちはありがたかった。
「みんな下がって」
「でも親分!」
「今日やっと仕事をもらったんやろ。初出勤前に反逆罪を付けられたら、履歴書が大変なことになる」
「親分の方が大事です!」
「私はもう履歴書に書けない経歴が多いから、一つ増えても大丈夫」
「大丈夫ではない」
「イナリ、今ちょっと格好いいところやから黙って」
私は猫たちの間を抜け、鬼兵たちの前へ歩み出た。蘭子ちゃんも佐藤さんも守れなかった。鬼教官にも何一つ返せなかった。だから今度こそ、私の後ろにいる者くらいは守りたかった。
「私が柱間牡丹です。街の人には手を出さず、私だけを狙ってください」
「ようやく立場を理解したか。両手を差し出し、地面へひざまずけ」
「それは嫌です」
「……何?」
「連れて行きたいなら、力ずくでどうぞ」
「落ちこぼれが、我々と戦うつもりか」
「戦闘の才能はありません。数百万年訓練しても、どの兵団からも引き抜かれませんでした」
「ならば話は早い。捕らえろ!」
号令と同時に、五十人の鬼兵が一斉に槍を構えた。石畳を踏み砕く音が重なり、鋭い穂先が私へ向けられる。背後には、ようやく自分の足で未来を掴んだ猫たちがいる。
私は白い髪を後ろで束ね、静かに拳を握った。
「ほな、始めよか」
新連載!【獄門道中閻魔大王への道】を始めました!
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