第四章 三節 顕現
ひんやりとした冷気によってラインは目を覚ました。
最後に覚えているのは神社の境内で何者かに意識を乗っ取られたような感覚に陥ったということ。
それを踏まえた上でのこの現状は一概にも理解しにくいものがあった。
言い換えれば、天宇受売命がラインをお姫様抱っこしたまま顔をのぞき込んでいることを納得することは出来なかったのである。
「……ん?んんッ?」
ラインは何度も瞬きを繰り返し、状況を整理する。
視界の端には海が見える。
どうやら気を失っていた間に目的地に着いてしまったらしい。
とはいえ、そんなことは結果でしかない。
それよりもラインが驚いたのは天宇受売命の隣にいる天手力男命の姿であった。
「あ、起きたのですね」
「ウズメ。これはどういうこと?」
その返事を返したのは天宇受売命ではなく天手力男命だった。
「一時休戦して協力体制を築こうという訳だ。敵は最高神だと君も知っているだろう?」
ラインは黙りこくる。
そんなことはもちろん知っている。仕えていた神なのだから当たり前だ。
ラインは顔を見たりしたことは無いが、それでも気配で知っていた。
そして、それがラインの意識を乗っ取ったものだということも知っているのだ。
「……幸助は?幸助はどこなの?」
状況把握が一周回ったためか。それとも、ラインにとって最も重要性の高い人物であるためかは分からない。
ただ、一つ言えることはラインの顔色がすごぶる悪くなったということだ。
「彼は……」
天宇受売命は口籠る。
「残念ながら彼は離脱させた。ここから先は神々の戦いだろう?」
「でも、幸助は助けてくれるって」
「だが君は一度も助けを求めてない」
ラインは今度こそ何も言えなかった。
別に助けを求めなかったのではない。ただ巻き込みたくなかったのだけなのだ。
そのように言い訳することさえできなかった。
ラインを抱えた天宇受売命は空に目を向ける。
地平線から迫りくる太陽によって明るくなっていく夜空。
それはタイムリミットが近づいていることを示していた。
「天手力男命。この海を越えるには少なくとも半日はかかりますよ?」
「そうだろうな。だが、日の出は近い。天照大御神自身が現世に降りることはまずないだろうが、それなりの妨害は確実だ。致し方ないが海での交戦を覚悟しよう」
そう言って二柱の神が地面を蹴った。蹴ったのだ。しかし、足が地から離れない。
「ハハハッ!滑稽とはこの事を言うのかもしれんな?」
「ッッ!!?」
二柱の神はすぐに顔を空へと向ける。
そこにはあり得ないはずの姿があった。
現代における二十単と呼ばれる装束に身を包んだ神。
長い澄んだ水色は眩い装飾で彩られ、ひときわ目立つ勾玉が首には掛かっている。片手には丸い鏡。もう一方には一般的な儀式に使われるような鈴棒を持っていた。
「やぁ、裏切り者ども」
「天照大御神ッッ!?」
いち早く動いたのは天手力男命だった。
空中に飛んだ天手力男命の拳は天照大御神の頬へと吸い込むように入る。
その前に彼は海へと叩きつけられた。
「え?」
強い水しぶきが起こり、飛び散った海水により天宇受売命とラインの全身が濡れる。
だが、そんなことは気にもならない。もっと異常な出来事が目の前で起こっているからである。
「人払いは既に済ませてあるから心配しなくていい。先の戦いではあの人の子しか相手にできなかったからな。次はお前たちの相手をしてやる」
激しい地鳴りと共に何本もの水柱が出来あがる。
それらは神社での戦いの渦巻きによく似ていた。だが、恐怖の度合いは別格であった。
「なんで、なんであなた様自身が現世に降りられているのですかッ!?」
「ん?ああ、私の神格の話か。たしか、神格の高さにより現世に影響を及ぼすなどだったか?」
大声で叫ぶ天宇受売命の問いをあしらうように天照大御神は答えた。
まるでそんなことは重要ではないと言わんばかりである。
「確かに私がここに来るのには正規の手段を使っていないからな。まぁ、前提としても最高神が現世に降りることはできないとされておるから驚くのは無理がないだろう」
天照大御神は分かっている。
自らの地位と危険性を分かったうえでこの暴挙に出ているのだ。
天宇受売命は冷や汗が流れるのを感じながら天照大御神の言葉に耳を傾ける。
「だからどうした?私の存在に耐えきれない世界など壊れてしまえばいい」
同時に一つの水柱が天宇受売命とラインを飲み込んだ。
寸前で天宇受売命が盾となり、直撃を免れたラインはアスファルトの上へと叩きつけられる。
「ぐッ!!」
ラインの元に戻っていた巫女服がボロボロになっている。それは細かい術式など役に立たないことを物語っていた。




