タナトス様は常連客。
薄暗い冥界の街角。
黒い石造りの建物が並ぶ路地の奥に、一軒だけ暖かな灯りが浮かんでいた。
尖塔。
小さな悪魔の像。
赤く揺れる照明。
外観だけを見れば、誰もが魔王城だと思うだろう。
しかし扉を開けば──
暖炉の火。
木製のテーブル。
甘い珈琲の香り。
そこは冥界でも珍しい、落ち着いた空間だった。
看板には黒い翼のマーク。
『悪魔カフェ・マグナ』
店先の黒板には、今日のおすすめメニューが並んでいる。
『地獄シロノワール』
『冥界エスプレッソ』
『亡者のプレッツェル』
一階はカフェ。
二階は悪魔向け雑貨店。
地下には古い酒蔵。
怖い外観とは裏腹に、そこは冥界の住人たちにとって数少ない安らぎの場所だった。
タナトスが悪魔カフェに入る。
マグナが接客に来る。
マグナは黒いエプロンを身につけていた。
ただの給仕服ではない。
深紅のリボンが胸元で結ばれ、袖口には小さな翼を模した刺繍が入っている。
黒を基調とした制服は悪魔らしい雰囲気を残しながらも、白いフリルと柔らかなラインによって、どこか可愛らしい印象を与えていた。
頭には小さな帽子。
尻尾の先には、店のロゴと同じ黒い翼の飾り。
「悪魔カフェ・マグナ」の店主であることを一目で分からせる、彼女専用の制服だった。
悪魔らしい黒と赤を使っているのに、不思議と威圧感はない。
むしろ「怖い悪魔」ではなく、「毎日通いたくなる店員」の姿だった。
「いらっしゃいませ……あ、タナトス様ですかぁ」
「いつものな」
「まだ注文を聞いてませんがー」
「いつものだよ」
「……本当に常連ですねえ」
そこへアルネアが来る。
「タナトス様!?」
「ん、アルネア。なぜいるんだ?」
「それはこちらの台詞ですよ」
アルネアはマグナを見る。
「まさか……二人で……」
マグナはため息。
「違うよん」
「でも距離が近いし」
「注文を聞いてるだけ」
そしてマグナが、
「アルネア、あんた何百年もこの人を見てきたんでしょお」
「ええ…」
「じゃあ分かるでしょ」
「何が?」
「この人の性格」
(店員としか見てないわよ)
タナトスは恋愛沙汰に鈍感だった。(今さら)
「珍しい珈琲豆だな」
とマグナの説明を真剣に聞く。
「……」
(わたくしの話は虫の話と間違えたのに、珈琲の話は聞いてる……)
小さい嫉妬がアルネアに湧き起こる。
「仕事のほうは終わったのか、アルネア」
「はい、急いでここへ来ました」
「なぜ急ぐ……」
(早くタナトス様にお会いしたくて)
そこに怒号が走った。
「ニンゲンが一人冥界に紛れ込んだぞ!」
「かなりの猛者だ」
「どうやって入ったんだ!?」
「門番は何をしていた!」
タナトスは終命録を開いた。
そこには今日、冥界へ来る者たちの名前が並んでいる。
「……予定通りだな」
彼にとって、それは武器ではない。
死者を迎えるための業務記録だった。
黒い髪に白いロングコート。
その下には黒いシャツと細身のスーツ。
胸元には冥界行政局の徽章。
一見すると医者のようにも見えるが、彼が扱うのは生命ではなく死だった。
読んでくれてありがとうございます。箱庭は今日も静かに回っています。




