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タナトスさんは今日も定時退社。  作者: 4時間移動の無職
第二章 サタンの苦悩
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ウリエルは忘れない。

「過去の俺は死んだ」


 サタンは、それだけを短く言った。

 その言葉に、ウリエルはしばらく黙っていた。


「……そうですね」


 いつもの軽さはない。

 少しだけ寂しそうに笑う。


「でもね。死んだ方を勝手に忘れるほど、私は薄情じゃないの」


 サタンは何も返さなかった。

 ただ一瞬だけ、視線を伏せる。


「……また来ますわ」


 ウリエルはそう言って、背を向けた。



 ◇



「ハデス様。天界の熾天使が二名、この冥界へ来ております」


 報告を受けたハデスは、書類から目を離した。


「とうとう来たか」


 その一言だけだった。

 驚きも焦りもない。


 むしろ、そうなることを最初から知っていた者の声だった。


「サタン様への説得は失敗したようです」


「当然だろう」


 ハデスは静かに立ち上がる。


「今さら『帰ってこい』と言われて戻る男ではあるまい」


 タナトスは黙って頷いた。


「上層部を集めろ」


「はっ」


 冥界は静かに動き始めた。



 ◇



 しばらくして、カロンが書類を抱えて部屋へ入る。


「いやぁ、妙な話が入ってきましてねぇ」


「聞こう」


 ハデスが促す。


「天界側が動いた理由ですが……どうやら最近、規律が少しずつ乱れ始めているようでさ」


「規律?」


 ハデスが眉をひそめる。


「ええ。以前なら即座に決まっていた判断が止まる、命令系統も以前ほど機能していないそうで」


「唯一神の存在は」


 カロンは首を横へ振った。


「以前のように明確な意思を示さないそうす」


「……なるほどな」


「規律の維持が困難になっています」


 ハデスが重々しく口を開く。


「つまり……天界は……」


 一瞬、全員が注目する。


「……ふが」


 タナトスが目を閉じる。


「……またですか」


 リュネが無言で近づく。


「ハデス様、失礼します」


「待て、ひまは重要なふぁなひを」


「入れ歯の調整です」


 洗浄が終わりハデスは腕を組む。


「ルシフェルを失った穴が、今になって表へ出始めたか」


「あっしもそう考えています」


 カロンは一枚の古びた紙を机へ置いた。


「それと、こちらは堕天当時の記録ッス」


 ハデスが紙へ目を落とす。


 そこには短く記されていた。


 強欲。

 規律への反発。

 欲求不満。


 部屋が静まり返る。


 タナトスがぽつりと呟いた。


「反逆というより……積もり積もった感情か」


「伝承は美しく語られますからね」


 カロンは肩をすくめる。


「記録というのは案外、夢がありやせん」


 ハデスは紙を閉じた。


「天界は迷い始めた」


 妙に静かな声だった。


「規律だけでは世界は回らんということだ」


 誰も返事をしなかった。

 冥界には、重苦しい沈黙だけが流れていた。



 ◇



「サタン様、天界の方々がお帰りになった後から、書類を見る時間が増えております」


 玉座に座るサタンに、黒い衣装を整えた秘書が一礼する。眼鏡の位置を軽く直し、跪いた。


「そうかな」


「……気にされていますか?」


「少しはな」


 サタンは顎に手をやり、しばらく考え込む。


 秘書は、その仕草を静かに見つめていた。


 それはサタンになってからではない。

 かつてルシフェルだった頃から、変わらない癖であった。


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