第073話「黒玻璃の回廊」
82%。あの数字がまだ頭に残っていた。
層主級だからか、それとも別の何かか。分からない。分からないが、見間違いではなかった。あそこまで一気に伸びたのは事実だ。
考えても答えは出ない。なら先に進む。
◇ ◇ ◇
黒い通路だった。
ただ焼けた岩じゃない。熱でいったん溶けて、そのまま冷えたみたいに、壁も床も妙に滑る。鱗の腹で触ると、石より硬い。なのに足場は細い。
通路幅は広いところで3メートルほどある。だが実際に乗れる場所は違う。黒い床の大半は斜めに傾いていて、まともに踏めるのは壁際の出っ張りか、ところどころに残った棚だけだった。
しかも熱の来方が変わっている。
今までの第4層は面で熱かった。空気そのものが煮えていて、近づくだけで削られる層だった。ここは違う。線で走り、点で刺さる。
壁のひびに沿って、青白い火花が細く瞬いた。次の瞬間、その線の真下だけ熱感知の色が跳ね上がる。
面で避けるんじゃない。線を読む層だ。
◇ ◇ ◇
10メートル進んだところで止まった。
前方の棚が途切れている。代わりに、壁面に細い段差が続いていた。幅は俺の腹面の半分ほど。滑ればそのまま下だ。下は黒いガラスの傾斜で、途中に溶岩の割れ目が走っている。
面倒だ。
だが嫌いじゃない。
壁走りで左壁へ移った。足場の広い方ではなく、上の狭い筋を使う。下より熱が薄い。代わりに、青白い火花が近い。
そこで鱗の下を何かが走った。ぴり、と来る。
熱ではない。痛みも薄い。だが魔力操作の器官の奥が、一瞬だけざわついた。
……今のは何だ。
もう一度壁に腹を寄せた。今度は何も来ない。
一定じゃない。それも覚えた。
◇ ◇ ◇
熱感知の端で、細い赤が動いた。
速い。
マグマリザードより細い。だが線が短い。熱の尾を引かない。点がひとつ、壁から壁へ飛ぶ。
鑑定を走らせた。
フレイムサーペント Lv10
熱体Lv2/壁走りLv3/咬撃Lv2
蛇だ。
大きさは俺より少し短い。胴は細い。頭も小さい。代わりに、体の線がやたら締まっている。無駄がない。速く動くためだけに作ったみたいな体だ。
ちょうどいい。同じ蛇なら分かりやすい。そう思ったのが甘かった。
◇ ◇ ◇
フレイムサーペントが右壁を走った。
進路は読める。壁際の細い段差を辿って、前の棚へ移るつもりだ。そこを落下で取る。
落ちた。
外した。
俺が腹を向けた時には、フレイムサーペントはもういなかった。視界の右で熱が跳ねる。次の瞬間、首の横に衝撃が来た。
先に触られた。
フレイムサーペントが俺の側面を噛んで、そのまま壁へ蹴り返した。深くは入っていない。だが位置がずれた。腹が細い段差から半分落ちる。
危ない。
尾を壁へ巻きつけた。落下は止まった。
その間にフレイムサーペントは反対側の棚へ戻っている。速い。しかも、一発当てた時点で離れている。短接触の型を、向こうも持っていた。
熱体を噛みつき直前だけ使って、短く入って離れる。そこまでは同じだ。
ただ速さが違う。
◇ ◇ ◇
フレイムサーペントは追ってこなかった。
壁の高い位置に止まっている。頭を少し下げて、こっちを見ていた。獲物を見る目だ。同時に、距離を見ている目でもある。
人間みたいだな、と一瞬思った。
いや、人間より話が早いか。
青白い火花が壁の筋を走った。
その瞬間、フレイムサーペントが消えた。
視界からではない。位置からだ。さっきまでいた壁から、次の棚にもう移っている。
今のは壁走りだけじゃない。地形と噛み合っている。
◇ ◇ ◇
追わなかった。
代わりに通路を見た。
火花が走る筋は毎回同じだ。壁の黒い艶が薄い場所、細い青白い鉱石みたいな筋が露出している場所、その近くでだけ瞬く。
床にもある。
黒いガラスの割れ目の中に、白青い線が埋まっている。フレイムサーペントはそこを跨ぐ時だけ、体の沈みが浅い。壁を蹴る角度も変わる。
使っている。意味は分からない。だが、あいつはこの地形を知っている。俺より一手多く持っている。
壁の低い位置に移った。次の火花が来る筋を待つ。
少し待つと、青白い線が走った。
来た。
今度は落ちない。
先にずれた。
フレイムサーペントが使う筋の半歩先へ、壁走りで回り込む。フレイムサーペントが頭を出した瞬間、急旋回で角度をずらす。向こうの噛みつきが空を切った。
熱体。
頸の付け根へ噛みついた。浅い。だが毒は入った。外殻粉砕を一点だけ打ち込む。すぐ離れる。
フレイムサーペントが反転した。
速い。
だが今度は読める。さっきより速く見えない。火花の筋と合わせて見れば、どこに乗るかが分かる。
この先は熱に耐える層じゃない。先手を取れるかどうかの層だ。
◇ ◇ ◇
フレイムサーペントが二度目に突っ込んできた時には、毒が少し回っていた。
壁の踏み切りが半拍遅い。
そこを取った。
棚ではなく、狭い段差へ誘う。横幅がない。速くても、進路変更の余地は少ない。
フレイムサーペントが来る。
青白い火花が壁を走る。
その一瞬前に、俺が前へ出た。
噛みつき。今度は深い。熱体を通したまま、頸から肩口へ毒牙を滑らせる。外殻粉砕。すぐ離れる。
フレイムサーペントが壁へぶつかった。
落ちない。だが止まった。
そこへもう一度だけ反響撃を近距離で叩き込む。黒い壁面が鳴って、フレイムサーペントの細い体が震えた。
次の動きが来る前に、毒が勝った。
フレイムサーペントが段差から滑り落ちる。
落ち切る前に尾で引っかけて、棚へ引き戻した。
食う。
◇ ◇ ◇
細い。だが中身は薄くない。熱とは少し違う。舌の奥に、ぴり、と残る。
進化率を確認した。
89%。増えた。いい。
ただ、今回の伸び方は普通だ。層主の時みたいな跳ね方じゃない。やっぱりあの82までの上がり方だけが妙だったことになる。
まあいい。今は先だ。
◇ ◇ ◇
さらに奥へ進んだ。
回廊が開けた。
縦に長い空洞だった。壁も床も黒い。そこに白青い筋が何本も走っている。今までの火花は点だったが、ここは違う。筋そのものが脈打っていた。
鉱脈だ。たぶん。
壁の中で光が走るたび、空気が鳴る。熱感知が乱れる。振動感知にも薄い揺れが混じる。
その中央を、赤い線が一本、上から下へ抜けた。
鑑定を走らせた。
ハイフレイムサーペント Lv13
熱体Lv3/壁走りLv4/咬撃Lv3
さっき倒したフレイムサーペントより長い。
細いのに圧がある。背の黒が濃い。青白い光が走るたび、鱗の隙間に同じ色が一瞬だけ浮いた。
あれが別格だ。分かる。今のまま行ったら負ける。
しかも一体じゃない。壁の奥、床の割れ目、黒い棚の裏。熱感知の点がまだある。全部が同じ速さではない。だが、ここはもうインフェルノリザードの縄張りとは別の生態系だ。
熱だけじゃない。速さが違う。それに———この火花は、ただの景色じゃない。




