第048話「棚の上の者たち」
カイルが目を覚ました時、リーナはもう弓弦の手入れをしていた。
「早いな」
「2階層目の朝は嫌いなの。湿気で弦が緩む」
岩棚の上に張った簡易キャンプ。天幕の下でマルトがまだ寝ている。
3人は冒険者ギルドから依頼を受けて、この迷宮の第2階層に入っている。任務は深層の地図更新と、行方不明になった先行調査員の捜索だ。今回が2度目の潜入だった。
前回は南東方面の通路で大きな振動を感知し、そこで撤退した。今回は装備を整え直し、3日分の食料を持ち込んでいる。
「マルト、起きろ。出発する」
回復役の青年が目をこすりながら起き上がった。
「……あと5分」
「5分後に魔物が来たら、寝たまま死ぬぞ」
マルトは黙って荷物をまとめ始めた。
◇ ◇ ◇
岩棚を南東に進みながら、カイルは昨日の狩りの成果を確認していた。蟲系の魔物を7体。素材の質はそこそこだが、量としては1日分の報酬にぎりぎり届く程度だ。
「カイル」
リーナが足を止めた。岩棚の端に屈み込み、下を見ている。
「また、あの痕」
カイルが覗き込んだ。岩棚の下の泥底に、何かが這った跡が残っている。跡の幅は広い。蛇のような蛇行痕だが、普通の蛇にしては太すぎる。
「前回もこれ見たろ。蛇型の大型魔物が下にいる」
「前回より痕が新しい。最近通った」
リーナが泥底に矢を向けた。探知を発動する。しばらく沈黙が落ちる。
「……今はいない。でも、ここ数時間以内に通ってる」
カイルは泥底の這い跡をもう一度見た。幅は人の腕より太い。第2階層で知られている蛇型魔物――モスバイパーは壁面に吊り下がる種で、泥底は使わない。
この痕は別の種だ。
「まだ襲ってきていない。下にいる限りは無視でいい」
「襲ってきたら?」とマルトが聞いた。
「その時は殺す」
南東に進んだ。リーナの探知が先行し、カイルが前衛で岩棚の上を確保し、マルトが後方で光球を灯す。3人の連携は2度目の潜入で手慣れたものになっていた。
◇ ◇ ◇
2時間ほど進んだところで、通路の構造が変わった。岩棚が広くなり、天井が高くなる。壁面の苔は減り、泥底の水位は深くなっていた。
「ここから先、前回引き返した地点の近くだ」
カイルが剣を抜いた。リーナが弓に矢をつがえる。マルトが結界の準備に入った。
リーナが探知を広げた。
「……カイル。大きい」
「距離は」
「200メートル先。動いてる。こっちには来ていない。横切ってる」
「横切ってる?」
「巡回してるみたい。同じルートを繰り返してる」
カイルは岩棚の壁面に背をつけた。前回撤退した時も、同じ振動を拾って引いた。あの時はただ大きいとしか分からなかった。
今回はリーナが探知に集中できている。相手が同じ場所を巡っていることまで読めていた。
「行方不明の調査員が消えたのは、この先の区間だ」
「……あの人のことも報告しないといけないわね」
カイルは頷いた。
先行調査員。単独で第2階層に潜った男だ。ギルドへの最後の報告は「南東区間で大型個体の痕跡を確認。接近調査を試みる」だった。それきり連絡が途絶えた。
「近づいて確認する。交戦はしない。巡回が通り過ぎたら、通路の先を偵察して戻る」
「了解」
「……了解」
3人は壁面に沿って進んだ。足音を殺し、光球の光量を落とす。
150メートル先で、リーナが手を上げた。
「止まって。戻ってくる。こっちに」
振動が岩棚を伝ってきた。遠いのに、足元が揺れている。普通の魔物が歩く振動ではない。
カイルは壁面の窪みに3人を押し込んだ。光球を消した。暗闇の中で、振動だけが近づいてくる。
泥底で何かが動く音が聞こえた。水が押しのけられる音。滑るような、引きずるような、巨大な体が通過する音。
通過する音が長く続いた。隠れている3人の前を、巨大な体がいつまでも進んでいく。
マルトの手が震えていた。カイルはその肩を押さえた。
振動が遠ざかった。
「……あれを、1人で調べに行ったのか、あの人は」
リーナが小さく言った。
カイルは暗闇の中で剣の柄を握り直した。
さらに進むか、ここで引くか。
カイルはまだ決められなかった。




