第118話「入口区画」
入口の外では、牙獣がまだ爪を立てていた。
黒玻璃の縁に爪が当たるたび、広間の人たちが肩を震わせる。入口は壊れていない。それでも、外から聞こえる音だけで子供はまた泣きそうになっていた。
里の人たちは、星骸の龍宮の入口側広間まで逃げ込めた。
次は、避難民を一晩もたせる。
水がないと死ぬ。火がないと怪我人と子供が冷える。寝る場所が決まらないと、入口で何か起きた時に人が転がって邪魔になる。
水、火、寝る場所を決める作業は魔物を倒すより地味だが、今夜を生き延びるには必要だ。
俺は広間の床へ前脚を置き、コアの感覚を入口側だけに絞った。
深部までは見ない。必要なのは、この広間で人が倒れずに済む場所だ。
◇ ◇ ◇
最初に水を探す。
反響定位を広げると、右奥の壁際から小さな水音が返ってきた。床の黒玻璃には細い溝があり、その溝の中を冷たい水が少しずつ流れている。
水量は多くない。
ただ、里の人たちが一晩口を湿らせる程度なら足りる。
俺は右奥の溝へ鼻先を寄せた。酸の匂いはない。腐った水の甘い臭いもない。舌で拾える気配も、外の泥水よりずっと澄んでいた。
『右奥に水がある。いきなり全員で飲むな。まず器に取って、怪我人と子供からだ』
ミラがすぐ声に変える。
「右奥に水があります。器を持っている人から、少しずつ取ってください。怪我人と子供が先です」
水、という言葉だけで広間の空気が少し変わった。
さっきまで壁に背をつけて固まっていた人たちが、荷物の中から木の椀や皮袋を出し始める。カイルがすぐに二人を水場へ送った。
「押すな。取りに行くのは二人ずつだ。溝に手を突っ込むなよ」
カイルの指示は短い。
こういう時、短くて分かりやすい声は強い。俺の念話だけだと、頭の中に突然でかい竜が指示を出す形になる。
客観的に考えると、かなり嫌な避難放送だ。
◇ ◇ ◇
次は火だ。
広間の中央で火を焚けば明るくなる。怪我人も少しは落ち着く。
でも、煙の逃げ道がない場所で火を増やせば、今度は人が咳き込む。牙獣から逃げた先で煙にやられるのは、攻略としてだいぶ情けない。
俺は天井へ反響定位を向けた。
広間の天井はほとんど閉じている。ただ、左奥の壁ぎわだけ、上へ抜ける細い割れ目がある。焚き火の煙を出すなら、その割れ目の下が一番ましだ。
火を使う場所は左奥にする。
『火は左奥の壁ぎわだけだ。大きくするな。煙が天井の割れ目へ流れる場所で、小さい火を一つだけ作れ』
ミラが声に変える前に、マルトが顔を上げた。
「火を一つだけ、ですか」
『煙で子供が咳をしたら意味がない。明かりが足りないなら、荷物を動かして火の前を空けろ』
「分かりました。火は左奥。小さく。燃やす物は少なめにします」
マルトがすぐ動いた。
怖がりだが、仕事を振ると手は早い。里の若い男たちに乾いた布と細い枝を出させ、左奥の壁ぎわへ小さな火床を作っていく。
炎がつくと、広間の黒玻璃に淡い光が揺れた。
人の顔が少し見える。
火の光があるだけで、暗い迷宮の中に閉じ込められた感じが少し薄くなった。
◇ ◇ ◇
寝る場所は、入口から離しすぎない。
離れた奥へ人を入れると、俺がまだ確認していない通路へ勝手に入り込むやつが出る。逆に入口へ近すぎると、牙獣が押し込んできた時に人が巻き込まれる。
だから、右壁の水場から少し手前を怪我人と子供の場所にする。
左壁には荷物を積ませる。荷物は寝具にもなるし、入口側から見れば低い壁にもなる。
広間の中央は空ける。
俺、カイル、リーナが動く場所だ。
『怪我人と子供は右壁。年寄りはその近く。荷物は左壁へ積め。広間の中央に寝るな。入口で何かあった時、俺たちが走れなくなる』
ミラが同じ内容を声で伝える。
今度は、里の人たちも動きが早かった。水と火の場所が決まったせいで、広間の形が頭に入ってきたのだろう。
どこへ座ればいいか分かる。
どこへ荷物を置けばいいか分かる。
座る場所と荷物の置き場が決まると、里の人たちは少し落ち着いた。
俺も前世で避難所のニュースくらいは見たことがある。まさか自分が竜の体で避難所レイアウトを考える側になるとは思わなかった。
就活のグループワークでこの経験を出したら、面接官はどんな顔をしただろうな。
たぶん落ちる。
竜は入社できない。
◇ ◇ ◇
見張りは入口に集中させる。
龍宮の内側は、今のところ俺の管理範囲に入っている。入口側広間の守護機構も、避難民へ反応していない。
危ないのは外だ。
牙獣が入口の前へ集まっている。レオガルドがすぐ戻るかは分からないが、牙獣だけなら夜のうちに何度でも寄ってくる。
リーナが入口側へ耳を向けた。
「爪音が増えてる。入口の外で、少なくとも三体はうろついてる」
『リーナは入口外の足音を聞き続けろ。カイルは里の若い者と冒険者で見張りを二人ずつ回せ。眠らないやつが増えると、明日動けなくなる』
「分かった。二人組で交代だ。マルト、お前は怪我人を見る側に残れ」
「僕も見張りじゃなくていいんですか」
「怪我人が悪くなった時、お前が寝ていたら困る」
「それはそうですね」
マルトは素直に引いた。
マルトは怖がるが、必要な役を振ればちゃんと動く。変な意地を張らない後衛は貴重らしい。俺が魔物基準で言うと、後衛というより群れの回復担当だが。
エドルは祭壇の石片を右壁の近くへ置いた。里の人たちがその周りに少しずつ集まる。
信仰の中心を、人が休む場所の近くへ置く。
祭壇の石片を休む場所の近くへ置く判断は、たぶん合っている。
ここは俺の迷宮だが、里の人たちにとっては昔から祈ってきた龍宮でもある。俺が安全だと言うだけでは足りない。あの石片があるだけで、何人かの呼吸が少し整っていた。
◇ ◇ ◇
配置が決まったところで、俺は一度ステータスを開いた。
今夜この入口を守れるかどうかは、気合いでは決まらない。
俺の数値で何を受けられるか。どこから先は地形を使うべきか。ステータスを見て、今夜の守り方を決める必要がある。
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【ステータス】
個体名:アステル
種族:幼竜
Lv:2
HP:308 / MP:196
攻撃力:146 / 防御力:136
素早さ:138 / 知力:130
【スキル】
捕食継承 Lv2 / 毒牙 Lv3 / 締め付け Lv2
竜鱗装甲 Lv1 / 壁走り Lv3 / 振動感知 Lv3
熱感知 Lv2 / 外殻粉砕 Lv2 / 毒液圧縮 Lv1
酸耐性 Lv1 / 粘着無効 Lv1 / 毒霧 Lv1
急旋回 Lv1 / 嗅覚強化 Lv1 / 反響定位 Lv2
念話 Lv1
鑑定 Lv3 / 反響撃 Lv1 / 魔力操作 Lv2
竜威 Lv1 / 竜息 Lv1 / 熱体 Lv1
雷纏 Lv1 / 冷気耐性 Lv2 / 冬眠 Lv1
竜因子 / 蛇王因子
次の進化まで:4%
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幼竜 Lv2。
数字だけ見れば、外の牙獣なら入口で止められる。
HPも防御力も、仔蛇の頃とは比べものにならない。今の俺なら、牙獣の爪を一、二発もらっても即死はしない。前は蟲の頭突きで死にかけていた。出世したな、俺。
ただ、レオガルドは別だ。
あの獅子の一撃は、今の防御力でも正面から何度も受けるものじゃない。喉を狙われたら終わる。足を止められたら、そのまま押し切られる。
次の進化まで4%。
牙獣を少し食った程度では、今夜のうちに成長だけで追いつく数字じゃない。
なら、入口を使う。
人を広間の奥へ下げる。入口の幅を絞る。牙獣の頭を入れさせない。レオガルドが来た時も、広い場所で正面から受けない。
今夜の勝ち筋は、俺のステータスではなく、この入口区画そのものだ。
◇ ◇ ◇
俺は入口へ戻り、黒玻璃の縁へ前脚を当てた。
コアに意識を向けると、入口の幅をもう少し細かく動かせる感覚があった。
完全に閉じる。
人が一人ずつ出入りできる幅にする。
牙獣の鼻先だけが入る幅にする。
外の音と匂いを拾う隙間だけ残す。
大きく四段階だ。細かい調整はまだ慣れないが、今夜使う分には十分だろう。
入口の幅を選べるなら、レオガルド相手でも広間の中まで好きに入れさせずに済む。あいつの巨体を入口の外で止めれば、避難民まで爪は届かない。
入口の外で、牙獣がまた黒玻璃を引っかいた。
入口の正面で爪音が一つ鳴る。
少し離れた右側の岩場でも、別の牙獣が黒玻璃を引っかいた。
リーナの言った通り、外にいる牙獣は増えている。爪音は入口の前だけでなく、左右の岩場からも聞こえた。
今夜は入口区画を守る。
明日は入口の外を確かめる。何体いるのか、どこから来ているのか、どれなら食って戦力にできるのか。
避難民は水を飲み、火の近くで肩を寄せ始めている。
入口区画は、ただ逃げ込んだ場所ではなくなった。
水場がある。火の場所がある。寝る場所がある。入口を見張る順番も決まった。
あとは外の牙獣を、俺の餌と経験値に変える。
入口の向こうで、牙獣の爪音がまた一つ増えた。




