第115話「移る者たち」
ミラが、俺の念話をそのまま声に出した。
「龍宮へ来い。ここにいたら、次で潰れる、だって」
その一言で、里の空気がまた荒れた。
西門の残骸の前で、何人かが一斉に喋り出す。
「迷宮に入れってのか」
「そんなの死にに行くようなもんだろ」
「街へ走った方がまだましだ」
言いたいことは分かる。
さっきまで襲ってきた側の穴へ入れと言われて、すぐ頷けるわけがない。
けど、西門は折れたままだ。家の壁は割れている。食糧小屋も裂かれた。次の群れが来たら、牙獣は壊れた西門を抜けて、家や食糧小屋まで踏み込んでくる。
西門の前で迷っている時間が、一番まずい。
◇ ◇ ◇
「落ち着け!」
カイルの声が通った。
西門の前で騒いでいた連中が、少しだけ黙る。
カイルは壊れた門柱を一度だけ見て、それから里の連中へ向き直った。
「街へ逃げる案は切る。今からだと間に合わない」
すぐ反発が返る。
「でも迷宮よりは」
「街まで半日じゃ着かない。子供も年寄りもいる。怪我したやつもいる。荷もある」
カイルはそこで言葉を切らなかった。
「しかも西の森はもう牙獣が動いてる。次が来る前に里を畳んで、全員連れて、街まで抜ける? 無理だ」
カイルの言い分はその通りだ。
俺でも分かる。
歩けるやつだけなら走れる。けど、この里には抱えて動くしかないやつが多い。
次の襲撃の前に全員を街まで運ぶのは無茶だ。
◇ ◇ ◇
「角笛が鳴ったじゃないか」
別の男が食い下がる。
「人が来るなら、そこで合流して」
「合流して何人守れる」
今度はエドルが切った。
声は大きくない。けど、周りはちゃんと止まる。
見た目も立ち位置も、この里の長はやっぱりこいつだ。
エドルは折れた門柱、割れた家、裂けた食糧小屋を順に見た。
「援軍が来ても、今夜すぐ里を元に戻せるわけではない。次にあの獣王が来たら、この壊れた西門では止められん」
エドルの言葉で、何人かが口を閉じた。
誰も西門を直視したくないらしい。
壊れた西門は、目の前から消えない。
壊れたままだ。
◇ ◇ ◇
ミラが一歩出た。
肩はまだ固い。けど、声は思ったより揺れなかった。
「私も、龍宮の中で何に出くわすか分からないのは嫌だよ」
その一言で、一回みんながミラを見る。
「でも、ここに残ったら、次の牙獣は壊れた西門を越えて家まで来る。それを待つ方がもっと嫌だ」
ミラは西門の向こうを見た。
森の方じゃない。俺を見た。
「アステルは二回、ここを守った。さっきも、あの王とぶつかった」
ミラの言葉は事実だ。
負けたけど、ぶつかってはいる。
「街まで向かう半日の間、子供や怪我人を守り切れるって、今ここで言える人いる?」
誰も返さない。
カイルも黙ったまま否定しない。
街まで行ける保証はない。
街まで逃げ切れないことは、みんなもう分かってる。
◇ ◇ ◇
俺はミラへ念話を送る。
『入口側は抑えられる。少なくとも、壊れた西門の前で次の襲撃を待つよりましだ』
ミラは少しだけ目を見開いたあと、そのまま頷いた。
「龍宮の入口側は、アステルが抑えられるって」
ミラがそう言うと、里の連中はまたざわめいた。
でも、今のざわめきはさっきと違う。
嫌だ、無理だ、だけじゃない。
行けるのか、どこまでだ、子供は運べるか、に変わった。
逃げるかどうかの話じゃなく、どう動くかの話に少しだけ寄った。
◇ ◇ ◇
エドルが杖で地面を一回突いた。
「移る」
エドルがそう言ったところで、この里の方針は決まった。
エドルの一言で、この里の連中は動き出せるらしい。
エドルは周りを見回した。
「持てるものだけ持て。食えるもの、水、火。歩けぬ者と子供を先に龍宮の入口へ向かわせる。祭壇は最後だ」
「エドル様、本当に」
「ここに残れば、次で終わる」
エドルの返事も短かった。
里の連中には、その短い言葉で十分だった。
さっきまで反対していた連中も、今度はもう言い返さない。
龍宮へ入った先が見えない怖さは消えていない。
でも、里の連中はその怖さを抱えたまま、荷をまとめて動く方へ切り替わった。
◇ ◇ ◇
カイルが息を吐く。
「分かった。俺たちも手を貸す」
リーナはもう怪我人の方へ走っていた。マルトも青い顔のまま、水袋と布を拾い始める。
里の女たちは子供を集める。男たちは割れていない袋と干し肉を掻き集める。年寄りは背負える分だけまとめている。
さっきまで怯えて固まっていた里が、今度は移るために動き始めた。
人が、龍宮へ入る準備をしている。
俺が食って進んできた迷宮へ、人を連れて入ることになる。
もう迷ってる段階じゃない。
次は、俺が先に立つ。




