第68話 恐怖の正体
見送り案件への理由署名義務が始まった。
報告書の最後に、こう追記される。
> 判断責任者:ノア・リュカ
> 理由:将来同時多発危機への備え
名前が入るだけで、紙は重くなる。
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北方自治領。
ノアは、署名欄を見つめていた。
以前は制度に従っただけだった。
今は、自分の判断として残る。
「……将来危機への備え」
本当に?
それとも――
「怖いだけか」
小さく呟く。
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中央監査室。
カルドは、署名付きの報告を並べていた。
言葉はほぼ同じ。
だが、署名が入ると違う。
「恐怖の分布が見える」
彼は、各自治領の過去被害履歴を重ねる。
大きな被害を経験した地域ほど、
介入率は高い。
被害の少ない地域ほど、
見送り率が高い。
「……痛みを知らないほど、慎重になる」
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フォルン。
エマは、その分析を聞いて息を呑む。
「逆じゃないんですか」
「逆です」
アレインは頷く。
「大きな被害を経験した地域は、迷いにくい」
「南方」
「はい」
十八の記録が、判断を鈍らせない。
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中央会議。
カルドは、正式に発言する。
「見送り増加の原因は、係数ではありません」
「何だ」
ユリスが低く問う。
「恐怖です」
室内が静まる。
「将来同時多発危機への過剰な恐怖が、現在の介入を抑制している」
「恐怖は合理的だ」
「過剰であれば非合理です」
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セルディオは、ゆっくりと口を開く。
「恐怖は消せない」
「はい」
カルドは頷く。
「だが、恐怖を理由にするなら、数値で示すべきです」
「どういう意味だ」
「将来危機発生確率の再評価を」
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フォルン。
エマは、丘の上で言う。
「未来の恐怖って、便利ですよね」
「便利です」
アレインは否定しない。
「反証が難しい」
「どうやって崩すんですか」
「現実を積み上げる」
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中央統計局。
将来同時多発危機の発生確率再算出。
過去十年データ。
発生回数――一回。
予測確率――七パーセント。
従来想定――三十パーセント。
過大評価だった。
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会議室。
ユリスは沈黙する。
「安全側に見積もっただけだ」
「三十は七の四倍です」
カルドは淡々と言う。
「過剰安全は、現在被害を増やします」
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ノアは、新しい確率報告を受け取る。
七パーセント。
それでもゼロではない。
だが、三十とは違う。
自分が、恐怖を膨らませていたことを知る。
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その夜、北方で小規模揺れ。
余力:十分。
将来危機確率:七パーセント。
ノアは、深く息を吸う。
「限定介入」
初めて、自分の意志で選んだ。
被害ゼロ。
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カルドは、その報告を見て静かに頷く。
「恐怖は消えない」
「だが、数値で削れる」
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フォルン。
エマが言う。
「制度じゃなくて、人間の問題だった」
「はい」
アレインは穏やかに答える。
「制度は器です」
「中身は」
「人間です」
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恐怖は消えない。
だが、正体を知れば、支配は弱まる。
見送りは、再び“苦渋”に戻りつつある。
第6部は、
制度修正から、
人間修正へと進む。
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