第65話 逃げの構造
中央危機統括局・合同会議室。
監査開始から二週間。
カルド・イーヴは、ついに具体的な事例を提示した。
「北方第三地区。余力“十分”と記載。実際の即応部隊待機数、定員の八割」
画面に数字が並ぶ。
「つまり、動けた」
室内が静まる。
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ノア・リュカが、画面越しに応答する。
「待機数があっても、出動すれば将来危機に対応できません」
「将来危機の発生確率は?」
「予測上、三十パーセント」
「実発生率は?」
「……ゼロ」
小さな沈黙。
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「余力温存は合理的です」
ノアは言い切る。
「制度に従いました」
「制度は“温存”を最優先にせよとは書いていません」
カルドの声は平坦だ。
「“判断を機能させるための余力確保”とある」
「同じ意味です」
「違います」
空気が凍る。
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フォルン。
エマは、議事録を読んで顔を上げた。
「同じ意味じゃない」
「はい」
アレインは頷く。
「温存は目的ではありません」
「余力は手段」
「そうです」
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中央会議室。
ユリス・バンデルが口を開く。
「余力があれば安心だ。市民も安定する」
「市民は、今の損壊で不安定になっています」
カルドは即座に返す。
「小規模被害は、統計的に許容範囲だ」
「積み重なっています」
「大崩壊は起きていない」
堂々巡り。
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カルドは、一枚の資料を提示する。
「小規模被害件数、半年で一・四倍」
「誤差だ」
「死傷者数、微増」
「許容範囲」
「“許容”とは誰が決めますか」
静かな問い。
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ノアは、苛立ちを隠せない。
「監査官は、現場を知らない」
「知っています」
カルドの声は揺れない。
「だから、記録を見ています」
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フォルン。
エマは呟く。
「制度を盾にしてる」
「はい」
アレインは淡々と言う。
「責任を制度に預けている」
「それって……」
「逃げです」
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中央。
セルディオは、二人の応酬を黙って聞いていた。
ノアは制度に従っている。
カルドは制度の精神を守ろうとしている。
どちらも、規則違反ではない。
だが、方向が違う。
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「余力の定義を再確認する」
セルディオが静かに言う。
「余力は“使わないため”にあるのではない」
室内が静まる。
「必要なときに、使えるようにするためだ」
ユリスは表情を変えない。
「その“必要”の基準が曖昧だ」
「だから監査がある」
カルドが続ける。
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会議後。
ノアは通信を切ると、机を叩いた。
「全部制度通りだ」
自分に言い聞かせるように。
「何も間違っていない」
だが、心の奥で小さな疑問が芽生えている。
本当に?
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その夜、南方で小規模揺れ。
ライナは即座に限定介入を選択する。
余力は中。
それでも使う。
「削れる前に止める」
被害ゼロ。
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カルドは、その報告を見て小さく頷く。
「これだ」
温存ではない。
浪費でもない。
必要なときに使う。
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逃げの構造は、目に見えない。
制度の文言は同じ。
だが、責任の向きが変わっている。
壊れてはいない。
だが、軽くなっている。
第6部は、
“責任を誰が持つか”の核心へと進む。
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