第64話 見送りの乱用
監査開始から、一週間。
カルド・イーヴの机には、赤い付箋が増えていた。
見送り案件――十八件。
うち、余力十分と記載――十二件。
実際の余力消費――ほぼゼロ。
「……使っていない」
余力は、存在している。
だが、動いていない。
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中央危機統括局。
小規模都市圏での結界揺らぎが報告される。
規模:中。
連鎖確率:低。
余力:十分。
「見送りで問題なし」
担当部署は即答する。
「前回も自然収束」
前例が、判断を軽くする。
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カルドは、その報告を止めた。
「再評価を要求します」
「監査官の権限は事後確認までです」
担当者が言う。
「事前介入判断は現場責任者の裁量」
正しい。
制度上、間違っていない。
だが――
「余力算出根拠を提示してください」
カルドは引かない。
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北方自治領。
ノア・リュカは、中央からの照会に苛立っていた。
「制度通りにやっているだけです」
「監査官が余力の再定義を求めています」
「余力は温存するものです」
ノアの言葉は、迷いがない。
「将来の大規模危機に備える」
正論だ。
だが、その“将来”はまだ来ていない。
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フォルン。
エマは、最近の小規模被害一覧を並べる。
倉庫損壊。
市場半壊。
軽傷者増加。
「全部、小さい」
「はい」
アレインは頷く。
「だが、増えています」
「大崩壊は起きてない」
「起きていません」
「でも」
「制度の目的は、大崩壊を防ぐことだけではありません」
エマは顔を上げる。
「何ですか」
「必要な介入を、必要な時に行うこと」
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中央会議。
カルドは、統計を提示する。
「見送り判断のうち、六割が“前例参照”のみで決定」
「問題はない」
ユリスが言う。
「合理的だ」
「合理的ですが、精査不足です」
「過剰精査は余力を削る」
「現在、余力は使われていない」
空気が張りつめる。
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「あなたは何を望む」
ユリスの声は低い。
「毎回、全面介入か?」
「いいえ」
カルドは即答する。
「“温存のための見送り”を止める」
沈黙。
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その夜、都市圏の結界が部分崩壊した。
死者なし。
負傷者五名。
商業区画二割損壊。
介入していれば、防げた可能性は高い。
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ノアは報告書を書く。
> 判断:見送り
> 理由:自然収束期待
> 結果:想定外拡大
最後の一文を消そうとする。
だが、消せない。
監査が入っている。
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カルドは、静かに呟く。
「乱用だ」
制度は変わっていない。
だが、使い方が変わった。
見送りは、本来“苦渋の選択”だった。
今は、“便利な選択”になりつつある。
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フォルンの丘。
エマが言う。
「先生、これって崩壊ですか」
「いいえ」
アレインは首を振る。
「崩壊ではありません」
「じゃあ」
「劣化です」
静かな言葉。
「思想は壊れない。だが、薄くなる」
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小さな傷が、また一つ増える。
壊れてはいない。
だが、削れている。
第6部は、
制度そのものではなく、
その“軽さ”と戦う章に入る。
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