第9話 真実を話してくれました。
三週間が過ぎたころ、ルチアはジーナを供に従えて王都を離れ、関所を目指すことにした。
仕事については、周囲が察してくれたのだろう「行ってきてかまわない」とあっさりと許可が下りた。そのおかげで、スムーズにクリュオスが指定した国境付近にある高台の関所へ向かうことができた。
それまでの一週間の道中は、ルチアにとって拷問のような時間でもあった。たまにすれ違う旅人や商人から、戦況を聞けば、レヴァント国の快勝が続いているという。それでも、戦場にいれば傷を負わない保証はどこにもない。ルチアは、藁にも縋る思いで、祈り続けていた。
(どうか、ご無事でありますように)
手を握りしめて、馬車から外を見る。
レヴァント国内は戦時中とはいえ、風景は何一つ変わらない穏やかなものだった。
だからこそ、ルチアは“本当は戦争なんて起きていない”という錯覚すら覚える。クリュオスは長期遠征か、魔獣退治に向かっているのだと、そう思うほどに戦というものに怯えていた。
ようやく、クリュオスが指定した関所にたどり着いた。
堅牢な城壁と高い塔が左右にあり、彼はその塔と塔の間の城壁で待っていると紙に書き記されていた。
辺りは夕日が落ちかけていて、まもなく夜を迎える。
「っ、はぁ、はぁ」
長い塔の螺旋階段を昇る。息が上がり、少し休みたかったが、ルチアは懸命に足を動かし続けた。
クリュオスに会える。それがルチアの支えとなっていたからだ。
ジーナと共に、ようやく塔のてっぺんにたどり着く。この木の扉の向こうに、彼は待っている。
深呼吸して、気持ちを整えると、ルチアはゆっくりと扉を開けた。
ゴォッ、と強い風が吹き抜ける。
そして間もなく降りてくる夜の帳と相反する世界が、ルチアの目に映った。
「…………」
星空が見えるはずだった。
ところが、ルチアの視界には、赤々とした地平線が遠くに見える。
夕日の橙色ではなく、もっと禍々しい色。
——フィクト国の王都が、燃えている。
どうして、という言葉すら出てこなかった。
目の前の光景が受け入れがたく、ただ呆然と、母国が失われる様を見ていることしかできなかった。
なぜ、燃えているのか。レヴァントは、それほど過激な国ではないはずだ。オーギュスト王は、戦うことよりも対話による降伏を望んでいた。ルチアは必死になって、炎の理由を探したが見つからなかった。
キィ、という向かい側の塔の扉の音に、反射的に身構える。
けれど、そこから現れたのは、クリュオスだった。
「——クリュオス様」
ほっとルチアは肩の力を抜く。
良かった、無事だったのだと、別れたときと変わらぬクリュオスの姿に、自然と笑みがこぼれた。
「ルチア様。来ていただきありがとうございます」
「いいえ、クリュオス様。貴方に会えるとおも――……」
彼の影が動いた。
違う、別の誰かが彼の後ろから現れた。
ルチアは、思わず息を呑む。
忘れもしない。忘れるわけがない。
初恋の人。
「ヴァニ、シオン……?」
陰から現れたのは、月を溶かしたような金糸の髪。
誰もが虜になった青い瞳は、まるで夜空のように輝いている。
初めて出会ったときから変わらない、理想の王子様の微笑みをたたえながら、彼はルチアに告げた。
「ルチア、迎えに来たよ」
「…………えっ?」
迎え、という言葉にルチアは理解ができず首を傾げる。
沼底から呼びかけられたような声の響きに、ルチアの身体は拒絶したくなるような恐怖を覚えた。
この男は、一体、何を言っているのだろう。
ルチアは、母国が燃えているというのに、その国の王子が笑顔でいられることが信じられなかった。そもそも、なぜこの場にいるのかすら理解出来ない。いっそ、夢だといってくれた方が頷ける。
けれど、煌々と燃える母国と、ヴァニシオンの恍惚とした笑みが結びつかなかった。
「あぁ、ごめんね。ちゃんと説明をしなきゃいけないよね。そうだな……どこから説明したらいいかな。まずは、全部、僕が計画したことなんだ。ルチアがレヴァントに来たことも、クリュオスがルチア専属の騎士になったことも、全部」
ヴァニシオンは、まるで悪戯が成功した子供のように楽し気に話した。
計画、という言葉にルチアは耳を疑う。
彼の言葉が真実ならば、ルチアがここに来た理由も、彼の計画の一端としか思えなかったからだ。
「…………嘘」
「嘘じゃないよ。ほんと、ここ数年はごめんね。嫌われてもおかしくないと思ってたし、僕も辛かった。でもね、この計画のために、君を遠ざける必要があったんだ」
「……どういう、こと」
「ルチアもレヴァントに来てからわかったかもしれないけれど、フィクト国はどーしようもなかったんだ。だから、燃やした」
ヴァニシオンは事も無げにあっけらかんと言ってのけると、フィクト国へ目を向ける。
燃え盛る国の王子とは思えない発言に、ルチアはただただ困惑するしかなかった。
そこに未練はないのだろうか。どうしてそんなことが平気で出来るのか。疑問が脳裏に浮かび上がっては消えていく。この現実に心がついていかなかったからだ。
次第に、身体が震えて、膝をつく。そっと、ルチアの肩を支えてくれる人がいた。ジーナだ。
「クリュオス様は……一体、何者なのでしょうか」
ジーナがルチアの代わりに疑問を投げかけた。
「クリュオス? あぁ、僕の騎士だよ。僕の命令を全部、遂行してくれた。いやぁ、助かったよ。ありがとね、クリュオス」
「……もったいなきお言葉、大変恐縮です。殿下」
クリュオスは膝を曲げて、深く首を垂れる。
それだけで、クリュオスがいかにヴァニシオンに忠誠を尽くしているか見て取れた。敬愛する我が主、と言わんばかりの最上位の礼に、ルチアはようやく気付く。
——クリュオスは、ヴァニシオンの命令でルチアを守っていたのだ。
今までのことが走馬灯のように脳裏に駆け巡る。
全て、計画だったのだとするならば、ルチアの母国への復讐もヴァニシオンの手のひらの上だったということなのだろうか。
視界が暗く淀んでいく。
ヴァニシオンはゆっくりと歩み寄り、その濁った水底からルチアを救い上げるように、手を重ねた。
「大丈夫。ルチアの才能は本物だよ。僕の想像以上に政治の才を発揮して、フィクト国を追い詰めた。そのおかげで計画は前倒しできたし、僕らはこうしてすぐに再会できた。ありがとう、ルチア。さすが、僕のルチアだ」
極上の笑みだった。
だが、その口元はまるで、子どもが適当に描き殴った線のように歪んで、ぐちゃぐちゃだった。笑っているのに、生理的な嫌悪感が肌を刺す。
そっとヴァニシオンのルチアの両手を包み込む。振り払いたい衝動に駆られたが、愛おしそうに見つめられる視線に絡み取られて動けない。
「じゃあ、帰ろうか。僕らの家に」
「い、え?」
「うん。レヴァント国に君と僕の家を建ててあるんだよ。だからこれからは、ずうっと君の傍にいることができる」
それはまるで、華々しい門出へ向かうような輝きに満ち溢れた声色だった。
けれど、その言葉がルチアの身体に重くべったりと貼りつき、狂気すら滲ませる。
「約束を守りに来たんだよ、ルチア」
差し出された手。
それは、幼き日のことを思い出させた。
――ずっと、一緒にいてくれる?
――うん! 僕、ルチアのことが大好きだから、ずっと一緒にいるよ!
血の気が引き、ルチアは呆然とヴァニシオンのことを見つめる。
(私は……この手を取るべきなの?)
謀略を巡らせ、使えるものを駒として扱い、燃やし尽くした。
たった一つの約束を守るために、全ては愛する女のために。
薔薇の匂いが、焦げ臭い。
王宮という温室にいたはずの男が、いま、燃え盛る地獄を丸ごと背負ってルチアの前に立っていた。




