第8話 困ってしまいました。
さらに季節は巡り、徐々にフィクト国が荒れ始めたとルチアは噂を聞きつけた。
「本当……でしょうか?」
「本当も何も、フィクトの貴族連中は、もう顔が真っ赤! 傑作だったぜ〜。魔石が売れないとは、どういうことだ! って机をひっくり返したら、魔石が貴族の頭にゴンって当たってぶっ倒れたわ」
「っ……それは、少し面白いですね」
「だろう? いやぁ〜スターレットのおかげだぜ」
吹き出すのを堪えながら、ルチアは流通担当になった魔術士の報告を聞く。
魔石の流通をレヴァントが統一したことで、他国も追随するようにフィクトとの取引を考え直し始めたらしい。少しずつ、フィクト国の歯車が狂っていく音を聞くと、ルチアの足取りも自然と軽くなっていく。
気が付けば、ルチアの周りの空気もだいぶ変わってきていた。
先ほどの魔術士もそうだが、対等な職場の人間同士として扱ってくれるようになっていた。レヴァントに来た頃は、女が文官補佐など出来るわけがないと下に見られることが多かった。けれど、レヴァント国は、他国と比べて実力主義社会だ。オーギュスト王に認められたという箔が、周りから一目置かれる理由となり、こうして成果となっている。
それが、魔術士にも伝わり、こうしてフランクに話しかけてくれるようになっていた。
「ところで、スターレットは、その……フィクトの出身なんだろ? 有力貴族とは知り合いか?」
「そうですね……それなりには知っていますけれど」
元伯爵令嬢ということをルチアは伏せていた。
ただ、令嬢の品格というのは隠しきれず、周囲もやんごとなき理由があるに違いないと、暗黙の了解としてルチアを迎え入れていた。
ルチアにとっても、それはありがたく、詮索する人間の少なさにレヴァント国の倫理観の高さを感じていた。
「その……今度、そういった上級貴族との商談になってな。できれば、同席してもらえると助かるな、と」
「…………」
上級貴族が相手となると、ルチアの顔は割れている。
そうなると、面倒な事態になることは避けられない。
だが、ルチアにしてみれば確認したい事実があった。それは、一体誰がスターレット家を陥れたのか、ということだ。
一方的に潰された以上、恨みはある。けれど、心当たりがある貴族は数多いゆえに、絞り切ることができなかった。それだけ、フィクト国の貴族は、泥沼すぎたのだ。
「お力になりたいところではありますが、私は……その顔が知られていると、少し……」
「それなら、これでどうだ? 光よ、その身を包み偽りの彩を纏え——幻影」
ふわりとルチアを光のベールが包み込む。
魔術士は、廊下の窓を見るように指先で促すと、ルチアの蜂蜜色の髪と淡い緑の瞳が、赤毛と茶色の瞳に変わっていた。
「これが……魔術なのですか?」
「そっ。これなら、ルチア・スターレットだとわからないだろう? ってことで、よろしくな」
有無を言わさず、魔術士は強引にルチアの許諾を取り付けた。
そして、商談の席はレヴァントでも豪奢な一室で行われることになった。
やってきたのは、いつもスターレット家を目の敵にしていた伯爵だ。でっぷりと肥えた体格で、派手なジャケットのボタンが弾け飛びそうだと、ルチアは会うたびに密かに思っていた。
挨拶して早々に伯爵は、ルチアを見ると、幾重にも肉のたるんだ顎を震わせ、ニチャっと下卑た顔で笑う。
「レヴァントは、女まで働かせる貧乏国家になったのか……いやぁ、道理で魔石の取引できないわけだ」
室内にいる魔術士や文官よりも、自分は上だと認識しているゆえの暴言だった。
伯爵は、ソファを軋ませる勢いで腰かけると、そのまま「貴国は、我が国を干上がらせる気か?」と切り込んできた。
「どういう意味でしょうか」
魔術士が答える。
ピリピリと緊張感が漂い、ルチアも身構えた。
「どうもこうもあるか! 貴国は魔術大国であろう。ならば、魔石は必要不可欠。我が国とは同盟関係にあったはずだ!」
机をたたき割る勢いで貴族は抗議する。
商談の場に伯爵が出てきたということは、それだけフィクト国内が切羽詰まった状況にあるのだと、ルチアも理解していた。鉱山の経営を任されているのは、上級貴族であり、私腹を肥やす人間も多かった。だからこそ、こうして出向いてきたのだ。全く利益が出ない苛立ちを“貴族”が包み隠さず言ってきた。
(——恥知らずね)
貴族たるもの、節度と良識をもって図るべし。
ルチアが父から言われた伯爵家としての誇りだ。それを同位の貴族が、他国の文官を侮辱し、不当に利益を得ようとする姿勢にルチアは吐き気がこみ上げてきた。そして、それが母国の者だということが情けなく、哀れに思える。
「……こちらをご覧ください」
ルチアは前もって用意していた資料を渡す。
そこに書き記していた内容は、フィクト国の利益配分だった。高値で買った魔石が民にどれくらい還元されているか数字が示してあるが、明らかに貴族への手取りが半分以上を占めている。鉱夫たちへは、ごくわずかにしか支給されていない。
この資料を彼ら領民に渡せば、どうなるか。暴動や内乱が勃発してもおかしくはない。
「っ、こんな紙を突きつけたところで、何になるというのだ! お前が勝手に作ったデタラメではないのか!?」
「数字は嘘をつきません。また、今もこの還元率でございましたら、貴公の資産はまだ豊かなはずです。それとも……そちらこそ、貧乏国になったのでしょうか?」
「っ!」
真っ赤になって、口をパクパクと開ける様は、まるで餌に群がる魚のようだった。
ただただ、金銭を欲しがり、得られないとわかると暴れまわる。まさにフィクト国の醜悪の極みだ。
「レヴァントとしては、利益配分率の是正がない限り、当面の間は取引を控えさせていただく所存です。これは、我が王、オーギュスト陛下のご意向でもございます。どうか、お引き取り下さい」
ルチアがその視線を跳ねのけるように告げる。
これ以上の問答はできないとわかったのか、貴族は腹いせに机を蹴り上げ、派手に扉を閉めて出ていった。
「……ふぅ」
ルチアは肩の力を抜いて一息つく。すると、隣にいた魔術士が苦笑した。
「スターレットは、カッコいいね」
「えっ?」
「もっと時間がかかるかと思ったけれど、資料だけで追い返したなんて、さすが政策室の賢女様だ」
「っ、そんなこと、ありま……」
ありません、とは言えなかった。
もっと粘られるかと思っていたが、あまりにも醜態を晒すので、逆にルチアの頭は冴えわたってしまったのだ。
それにもしかしたら、父を貶めたのは彼だったのかもしれない。これで少しは父の仇が取れた。
その一方で、ルチアはフィクト国も考え直してくれればいい。相手は伯爵だったのだから、と思っていた。
――だが。
「大変だ!」
それから数週間後、政策室へ別の部署の文官が飛び込んできた。
「フィクト国が宣戦布告してきた!」
曰く——レヴァント国は、我が国の魔石の利権を奪い、貶めようとしている。これは、経済侵略と言える。
よって、ここに開戦を宣言させてもらう。
(嘘でしょう!?)
そこまで、フィクトは落ちぶれてしまったのかと、ヴァニシオンの顔が思い浮かぶ。
母国も、あの王子も、戦力差など考えもせずに戦争を仕掛けてこようとしているのだ。
戦争という言葉に、ルチアは身を切り裂かれるような痛みが走る。
(クリュオス様!)
ルチアは執務室を飛び出して、騎士団へ向かう。
戦争となれば、騎士団が前線に出るのが当然だ。だからこそ、クリュオスの身に危険が迫る。
「ルチア様!?」
まさにちょうど、武具を出し、彼は準備を始めようとしていた。
「クリュオス様、戦争に行かれるのですか!?」
思わず腕を掴み、ルチアは悲鳴染みた声をあげる。
いくらクリュオスが強いとはいえ、戦争となればわからない。
彼を掴むルチアの手が震え、心臓が破裂しそうなほどに痛く、涙が溢れ出てしまいそうになる。
「はい」
アイスブルーの瞳が、ルチアの手を掴み、そっと腕から引きはがす。
冴えわたるような冷たい眼差しだった。
「ですが……ルチア様。危険を重々承知しておりますが、一カ月後、関所でお顔だけでも見ることは可能でしょうか」
「えっ?」
クリュオスは、あとで関所の地図を渡すと、ルチアに告げる。
それは、必ずルチアのところに戻ってくるという意味に聞こえた。
「はい! 必ず参ります」
――こうして、戦争が始まった。




