第7話 順調に始まりました。
関連する書類や人、さらに魔石のことも加わり、ルチアの仕事の量は倍増した。
文官の地位に上がったことで、当然やっかみも増えるかと思っていたが、クリュオスの眼光がそれを制していた。地位が盤石になったら、護衛をやめてもらう予定が、益々、ルチアの側から離れられなくなってしまった。
(まさか、こんなことになるなんて……)
ドンッと本を置いて、椅子に腰かける。
まず、ルチアはレヴァント国の歴史から読み解き始めることにした。基礎から読まなければ、流通がどのように発展していったのかわからなかったからだ。必要な箇所をメモしながら、時には他の文献を確認し、読み進める。
「お嬢様、あまり根を詰めると疲れてしまいますよ」
「ありがとう、ジーナ」
紅茶の甘い香りに、心が緩む。
ルチアの階級が上がったことで、ジーナを政策室専用のメイドとして迎え入れることができたのだ。そして、彼女の持ち前の明るさが、日々忙殺されている政策室の唯一のオアシスになっている。
ルチアが考えた改革案は、正規の魔石流通ルートを作り上げることだ。フィクト国でも、領地にある鉱山を管轄している貴族が、基本的に卸値や価値を判断して売買することが基本原則だった。けれど、それは貴族の判断であり、魔術士にとってみれば、貴族の気分次第で価値が変動することは避けたいことだ。
だったら、貴族が判断するのではなく、魔術士が独自の組織を作り、そこで基準を決めた方が効率がいい。加えて、国家規模で行えば資金の流れも把握できる。
「スターレットさん、こっちの資料をまとめておいたよ。あ、あと先日は助かったよ。娘も喜んでた」
同僚から資料を受け取りながら、ルチアは微笑む。
「ありがとうございます。それは、良かったです。私も十歳を過ぎた頃から、小さくても指輪が欲しかったので」
娘への贈り物の相談を受けたルチアだったが、無事に成功したようで、ホッと肩の荷が下りる。
政策室内の男性陣は激務ゆえに、家での揉め事も多いらしい。そこで、女性としての意見を告げたところ、家庭内が円滑に進むようになったと評判が良くなった。
そのおかげもあり、室内では会話が増えて作業の分担が進んでいる。
「フィクトの仲介手数料の額、他国と比べましても桁が違いますね」
ルチアは手渡された書類をめくりながら、目を通す。同僚も「それなぁ……」と腕を組んでため息をつく。
フィクト国は他国よりも良質の魔石が採掘される。その分、希少だからと価値を上げて利益を儲けているのが現状だった。その分、民に還元されているかと思えば、貴族ばかり優遇されている。
他国からみても、フィクト国は歪んでいた。
「魔術士ギルドは、どのようにお考えなのでしょうか」
「聞いた話だと、結構やる気みたいだな。レヴァントは魔術学校もあるし、配給量は多いほうがいい。あとは、貴族たちがどう思うか、だな」
「えぇ。ですが、フィクト以外の魔石の流通路を確保できれば、風向きも変わるかと思いますわ」
「そうだな。蒸気船の建造計画もある。物資の輸送は劇的に変わるだろうな」
ルチアは頷いて、少しずつ計画が動いていくのを感じた。
経済的な打撃を与えれば、あの国はすぐに大慌てだ。ルチアの父をハメた貴族は資金繰りに奔走し、右往左往すると予想される。また、王族はそんな貴族に顔を真っ赤にして怒るに違いない。ルチアを嘲笑ったヴァニシオンは、どんな表情を浮かべるのだろう。
ルチアは小さく笑って、優雅にお茶に口をつけた。
それから、順調に事は進み、オーギュスト王の発令と共に魔術士ギルドを中心とした魔石流通網が確立されることになった。
少しずつ魔石の価値が変わり、魔石による新たな魔術発展が見込まれることになる。
更なるレヴァント国の発展にルチアは大きく貢献することとなった。
(あ……クリュオス様だわ)
魔術士たちとの会議が終わった後、ルチアは政策室へ戻るために渡り廊下を歩いていた。
その途中、威勢のいい声が聞こえてきたため、その方角を見れば、騎士団が警備の交代の挨拶を行っていた。
レヴァント国に来てから、季節は二つ、三つと過ぎたが、クリュオスの態度は変わらなかった。朝晩の迎えは、よほどの事情がない限り、必ず行ってくれていたし、他愛もない会話も付き合ってくれている。
ルチア自身、ずっと職務で忙しく、たまの休みもジーナとおしゃべりをするか、図書室にこもる程度だった。
近いようで遠い。それがクリュオスとの関係だった。
ふいに目が合う。
すると、彼は急に走り出して、ルチアの元へやってきた。
「どうして、こちらに」
「えっ?」
「執務室にいるはずの貴女が外にいたので」
クリュオスは険しい表情を浮かべた。
まるで、籠にいた鳥が急に外に飛び出して焦っているように見える。
「あ、魔術士の皆さんと会議をしていたんです。新しい流通路について、ご相談したいことがあって……」
「部屋まで送ります」
「ご心配しなくても大丈夫です。もう、城内の場所もだいぶわかりましたし、皆さんも良くしてくださるようになりました」
だから、とルチアは口を開きかけたが、言葉が続かなかった。護衛はしなくていい、と申し出るべき時に来ていたのに、クリュオスの姿が見えなくなることに不安を覚えた。
騎士団と文官の接点は、ほぼ皆無に等しい。だからこそ、ルチアの警備だけがクリュオスに会える唯一の接点だ。
ジーナに言った手前、ズルズルとここまで来てしまったのは、やはりクリュオスの優しさにつけこんでいる甘えに他ならない。
けれど、彼自身はルチアに対して、踏み入ろうとしなかったのは不思議だった。いつまでも、ルチアの側からは離れないが、決して手を伸ばすことはしなかった。
「……どうして――私の側にいるんですか?」
ルチアは思い切って疑問をぶつけることにした。
心臓の鼓動がゆっくりと、確実にルチアの胸を打つ。クリュオスからの言葉を一言一句たりとも聞き逃すまいと、真っ直ぐに見つめる。
クリュオスは、しばし考えたのち、口を開けた。
「貴女の側にいない理由が、最初からありません」
「えっ……?」
「貴女を見失いたくないから側にいる、それだけです」
真剣な眼差しがルチアに注がれる。
十分すぎるくらいの熱量に、ルチアは小さく震えてしまった。
クリュオスの低い声が耳にこだまして、身体から抜けようとしない。その屈強な騎士の強さに丸ごと抱きしめられているようだ。
「わかり、ました」
ルチアは真っ赤に染まった顔を見せるのが恥ずかしくなり、小さな声で頷く。
クリュオスは「戻りましょうか」と先導して歩き始めた。
コツコツと靴音が響き渡る。誰もいない廊下は、まるで二人きりの世界のように思えた。
それが余計にルチアの心臓を忙しなくさせる。早く部屋に着いてほしい、着いてほしくない。そんな相反する気持ちが、ルチアをかき乱す。
やがて、無言のまま執務室にたどり着いた。名残惜しくなったルチアは、会話の糸口を探す。
「あの、今の動き始めている政策が上手くいきましたら、フィクト国はすごく困ると思います。ですから、その……クリュオス様を困らせたフィクト国の人間も、慌てるのではないかと思い、ます」
クリュオスがどういう経緯でレヴァント国に来たのかはわからない。
だが、ルチアは自分と同じような道をたどってきたのではないかと、考えていた。
「では……上手くいくことを願っております」
ふっ、とクリュオスは微笑を浮かべた。
初めてみた柔らかなその表情に、ルチアは息をのむ。
それだけで、そばにいてほしいと強く思えた。




