第5話 城で働き始めました。
レヴァント国の王宮はとてつもなく広い。
おそらく、フィクト国の城が二つ分くらいは入りそうだ。おまけに庭も同程度の面積を誇るから、ルチアは呆れかえる。
また、城内も贅沢を極め、絵画や彫刻が所狭しと廊下を飾る。これではまるで、フィクト国と変わらない――長い廊下を歩きながら、ため息をつくしかなかった。
政策室の文官補佐に配属されて、二週間が過ぎた。
ルチアは王宮内にある文官用の寄宿棟で寝泊まりをしながら、雑務に明け暮れる日々が続いていた。
「お疲れならば、休暇をご提案しておきましょうか?」
「いっ、いえ! 問題ありません。クリュオス様こそ、騎士団のお仕事がありますのに、私などの迎えなどしていただき申し訳ございません」
「この城は広大です。慣れるまでは……いいえ、慣れずとも、ルチア様を職務室にお届けする任は続けさせてください」
「それは……ありがたく思いますけど」
クリュオスは目立つのだ、非常に。
そもそも、一介の文官補佐に騎士の護衛がつくというのは、前代未聞だ。それでも、クリュオスがルチアのそばにいるのには、理由があった。
まず第一に、この城は迷子になりやすい。これは、ルチアも城内に来て早々に身をもって体感した。
次に女性が文官補佐として働くのは、非常に珍しい。女性が宮廷で働くとするならば、ジーナのようなメイドが大半だ。だからこそ、ルチアのような異端の女性は、他の文官や貴族の標的にされやすい。ましてや、明確な後ろ盾がない以上、護衛付きの方が身の安全に繋がる。だから、クリュオスはルチアに護衛の任を申し出た。
(クリュオス様のご懸念もわかるのだけど、お人柄が目立つのよね……)
氷壁の騎士——クリュオスの異名だ。
まるで絵画に描いたような麗しの貴公子のような姿。それでいて、騎士道精神に則り、立ち振る舞いは紳士として完璧だ。言葉数は少ないが、令嬢の間では絶大な人気を誇るという。
そんな人物が、突如として現れた女性の護衛をしている。しかも、自主的に、だ。
噂は瞬く間に広がり、やれ某国の姫君だの、自国の王の隠し子だの言われるハメになっている。
そのおかげで、ルチアは若干、煙たがられているが、メキメキと補佐としての頭角を現しつつあった。
(まずは、地盤固め……よね)
ルチアはフィクト国の苦い経験を思い返す。
ヴァニシオンに改革案を突きつけたのが、そもそもの敗因だったのだ。文官補佐として働き始めて、いかに根回しが大切なのかを学んだ。
オーギュスト・ヴァロア・レヴァント。数年前に即位したばかりの若き王の名のもとに、レヴァント国は大改革が行われている。オーギュスト王は、魔術の才に長けていた。幼少期からその頭脳を遺憾なく発揮し、魔術士たちの地位を底上げしたと言われるほど名高い。今度はその手腕を国政に活かし、魔術大国として世界中に名を轟かせる計画のようだ。
フィクト国とは、魔術に使われる魔石を通じて貿易協定を結び、昔から繋がりがある。ルチア自身もレヴァント国について、よく調べたものだった。
(魔石……お父様が一番、悩んでいたものだったわ)
政策室という国の大根幹に籍を置いたことで、今まで見えていなかったものが、鮮明に見え始め、如何に自分が机上の空論を述べていたか痛感した。
たった一つのものに対して、あらゆる方向に根が広がっているのだ。労働者、商人、魔術士、税金、交通路など、一つを良くしても、別の根が潰されてしまうこともある。だからこそ、全方位に目を向けて、張り巡らされたものに対して考えなければならない。そのためには、人脈や資金などの情報が必要だ。
(復讐なんて考えたけれど、目の前の問題で手一杯だわ)
けれど、ルチアのなかではフィクト国の魔石にヒントが隠されているような気がしていた。
父が悩んでいた理由の中に、魔石の価値は魔術士じゃないと判断がつかないと苦慮していた記憶がある。人の目によって価値が変わるものは厄介だ。加えて、フィクト国は良質な魔石を生み出す鉱山がある。だからこそ、上手く活用できればいいのだが、とルチアの父は苦笑いを浮かべていた。
(きっと、そこに問題があったのね……)
母国にいる父と母は今頃どうしているのだろうか。
ズキリと胸が痛む。
自分だけ逃げられたことに、ルチアのなかでは罪悪感が膨らむ一方だった。衣食住は問題なく整えられて、おまけに守ってくれる人までいる。それが、ルチアがクリュオスを真正面から見れない原因でもあった。
「どうかされましたか?」
「いいえ。大丈夫です」
クリュオスが心配そうに顔を覗いてくるたびに、不思議に思う。
出会ってからまだ、さほど時間は過ぎていない。けれど、ルチアが考え込んでいれば黙って付き従い、話しかければ言葉を選びながらも答えてくれる。その不器用な優しさは、今まで触れたことのないものだった。
そもそも、ルチアの周りの男性は、父親かヴァニシオンぐらいだ。ヴァニシオンにいたっては、ここ数年はまともな会話をしていない。王子なのだから、と政治の話をしたほうがいいかと思って問うてみれば、ため息をつかれるばかりだった。ついには「ルチアは僕よりも王としての素質があるね」と鼻で笑われた。
(……あんな男、思い出したくもないわ)
ふいに、なぜクリュオスはルチアを宮廷で働かせようと思ったのだろうか、と疑問が沸き上がった。
男性ばかりの政治社会に身を置かせた理由が気になった。
「クリュオス様。どうして、私を宮廷で働かせようと思ったのでしょうか? メイドなどといった傍仕えでもなく、文官補佐という男性職に異を唱えなかったのか……気になります」
執務室前にたどり着き、ルチアは立ち止まってクリュオスを見上げる。
彼は言葉に詰まり、目を泳がせる。真面目な彼のことだ、じっと見つめていれば、否が応でも答えてくれるだろう。
そんな打算がルチアのなかで浮かんだ。
「……貴女を守りやすいからです」
「えっ?」
「メイドとして城内をあちこち出向かれるよりも、室内にいた方が安全です……それに、政策室の文官は全員既婚者です。ですから、貴女の一番近くにいる未婚者は私だけになる。それが理由です」
「……えっ、あっ」
急激に体温が上がり、ルチアの顔を真っ赤に染め上げる。
少し困った顔をしていたのは、言うつもりはなかったということだろうか。クリュオスの何とも言い難い表情が、ルチアの胸の内を更にざわつかせて、落ち着かなくさせる。政策室の男性陣が全員既婚者なのは、選りすぐりの経験豊かな人物を集まっている結果に過ぎない。
だからこそ、まさか急に男性である、ということを意識させるようなことを彼が言うとは思わなかった。
「その、えぇと、そう、ですか」
熱は一向に引かないまま、ルチアは背を向けることしか出来なかった。
ただ、未婚の男性と歩くという特別な意味を改めて、ルチアは考えさせられることとなった。
「あの、今日の執務は長引くかも、しれません」
「承知しました」
しばらく、仕事が手につかないかもしれない。
そんな不安と共にルチアは執務室のドアを開いた。




