第2話 家を潰されました。
馬車のなかで、ルチアはジーナからとんでもない事態を聞かされた。
スターレット家は、フィクト国のなかでも特に由緒正しい名門伯爵家だ。ルチアの父は伯爵家にふさわしく、領民を愛し、助け、他領よりも安定した領地経営を行っていた。
だが、その安定が、他の貴族たちの神経を逆なでした。ありもしない罪をでっちあげられ、とうとう国王の逆鱗に触れたという。伯爵家だろうが、関係ない。ヴァニシオンとの婚約破棄と合わせて、スターレット家を潰しにかかることにしたのだ。
「そん、な……」
無茶苦茶すぎる上に、横暴にもほどがある。
ルチアは頭を抱えて事態を飲み込もうとするが、気持ちが追い付かない。
「っ、ジーナ! お父様とお母様は!?」
なぜ、自分だけ逃げているのか。
ルチアの悲鳴のような声に、メイドのジーナは苦々しい顔を浮かべて、ゆっくりと首を左右に振った。
「旦那様と奥様は投獄されました」
「……うそ、うそよ、そんな、ああっ、あぁぁっ!」
優しい父と母が、冷たく暗い牢獄にいる。
それを想像しただけで発狂するような激痛が、ルチアの身体のなかで走った。
変わらぬ朝だった。
穏やかに微笑む父と柔らかな母の声と共に朝食を囲み、ヴァニシオンと久方ぶりに会えるのだとルチアは笑っていた。
スターレット家の眩しい光のなかだった。
それを、たった数時間足らずで全て壊された。
ガラガラと馬車は走り続ける。
悪路を駆ける車輪が跳ねるたびに、受け入れがたい事実をルチアの身体に叩き込む。
そしてその揺れが、涙を隠し抑えながら絶望するルチアの手を顔から引きはがす。
現実を見つめろ、という心の内にいる冷静な自分が訴え、次第に頭が冴えわたってくるような感覚がルチアに宿る。
「ジーナ、これから、私はどうなるの?」
「隣国のレヴァントへ亡命しましょう。あの国は移民に対しても寛容的です」
ジーナはきっぱりと告げた。
彼女はルチアとさほど年も変わらない優秀なメイドだった。幼いころから親友のように慣れ親しみ、ルチアの蜂蜜色の髪を結うのが特に上手かった。それゆえに、ジーナがこうしてそばにいてくれるのは心強かったが、少しばかり手際が良いような気がした。
そんな疑問が顔に出ていたのか。ルチアに対して、ジーナは沈痛な面持ちのまま口を開く。
「以前から旦那様に言われておりました。もしものことがあったら頼む、と」
こうなることをすでに父は想定済みだった。
ルチアの心に重い石がのしかかる。貴族社会のことは、ルチアにとってわからないことばかりだ。
自分の想像以上の駆け引きが日々、行われているのだろう。その程度のことしか考え浮かばない自分に嫌気がさす。ルチアは、ぎゅっと拳を握りしめる。細く白い手は、無力さの証明だった。
「レヴァントに行ったら、移民の手続きが必要ね……」
移民になったら、ただの女になる。
地位も名誉も何一つとして持っていない。伯爵令嬢ではなくなる以上、この馬車も、目の前のジーナもいなくなる。
――耐えられるだろうか。
奥歯を噛みしめ、今まで蝶よ花よと愛でられてきた小娘に一体、何ができるのか。
ルチアは懸命に考えるが、まったくもって先が見えなかった。けれど、心構えはしておかねばならない。ルチアは顔を上げて、ジーナを見据える。
「ジーナ。今までありがとう」
「お嬢様?」
「もう、貴女を雇うお金も何一つとして持ち合わせていないわ。レヴァントについたら、この馬車を売り払うから、最後にそれを受け取ってちょうだい。ジーナの能力なら、きっとどこの貴族の家でも歓迎されるはずよ」
手のひらに爪を食い込ませて、震えだすのを必死に抑える。
ぎこちなく口角をあげて微笑むルチアの手に、そっとジーナは手を重ねた。
「いいえ、お嬢様。ジーナは、ずっとルチアお嬢様のおそばにいます。スターレット家の皆さまは本当にお優しかった。だからこそ、ジーナは誰よりもお嬢様の幸せを見届けたいのです」
「ジーナ……」
じんわりと心が温かくなっていく。
こんな苦境に立たされてもそばにいてくれる。その言葉がどれほど心強いか。
ルチアもジーナの手を握りしめ、大切な親友のためにも生き延びねばならないと思った。
そして、同時に胸に火がともる。
無実の罪で父と母を追いやり、自分をないがしろにした王子――ひいてはフィクト国を許さない、と。
どんな手を使ってでもかまわない。必ず、母国に復讐を遂げてみせる。
ルチアのなかで復讐のためのピースが次々と生まれていく。
この絵が完成した時、フィクト国はどうなっているのか。
燻る炎が瞳に宿るようだった。
*
国境までは一週間ほどかかる旅になる。
そこからさらにレヴァント国の王都リュミエラまで、数日かそれ以上の長旅だ。
ジーナが持ってきたトランクの中には、金貨や少量の宝石があり、資金面においては問題なさそうだった。
「馬車での国境越えは危ないわね。船で迂回しましょう」
「さすが、お嬢様! 地理にお詳しいですね!」
ルチアは小さく頷いた。
夜間での移動は危険が伴う。そのため、早めに宿をとり、ジーナと今後の方針について話を詰めることにした。
無能な王妃であってはならないと、ルチアは貿易や流通路について深く学んでいた。領地経営に長けていた父の教えもあり、物流については国の宰相に匹敵するほどの知識を蓄えている。
それが今、亡命のために活用されている皮肉に、ルチアは心の中で深くため息をついた。
(……ドレスも新調したばかりだったのに)
宿場町に着いて早々、ルチアはすぐに身に着けていたものを全て売り払った。ヴァニシオンのために、と用意したものが全部無駄になってしまったからだ。それなら、売り払って得たお金を旅の資金に充てたほうがマシだ。
加えて、幸いにも追手が来る気配はない。ヴァニシオンにとって、元婚約者が路頭をさまよい野垂れ死にしようが、どうなろうが知らないということなのだろう。ますます腹が立ってきたルチアは、さらなる決意を固めた。
そうして、レヴァント国との国境付近にある川の関所にたどり着いた。
ここからは、商隊に紛れて首都を目指す。関所で移民の手続きをすることもできたが、ルチアの元伯爵令嬢という身分を考えれば首都で手続きをした方が合理的だ。万が一、関所で追い返されてしまったら元も子もない。
ルチアは比較的、裕福そうな身なりをしている商人を探した。
話すに話せない事情を飲み込めそうな人物を探し当て、トランクにあった一番高価な宝石を握らせる。
「では、私の姪ということにしておきましょう。名前は適当にこちらでつけますか?」
商人はルチアの顔を見ながら、宝石を懐へ仕舞う。
「かまいません。王都まで、ですので」
「わかりました。では、どうぞこちらへ」
商隊の荷台に乗り一息つく。
護衛もついているし、川下りならば山を越えるよりも安全だとルチアは考える。
そうして、無事に川を渡り終えた後、ここから先も問題なく隣国への旅ができるはずだった。
――ところが。
「金目のものは全て置いていけ! なに、命までは取らねぇよ!」
レヴァント国に入った直後、盗賊団が現れた。




