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蝶は老け顔と踊る

あの夜から五年程が経った朝。


十歳くらいの少年が、母から夜空の色と褒めてもらった自慢の髪を靡かせ、父から貰った英雄の本を、未だ小さい手で大切に抱えて村の道を走っていた。


「あら。プシュケちゃんじゃない?」


洗濯中だった婦人が、頬に手を当てて言う。


「ほんとね。あの子まだ英雄を夢見てるみたいよ。不老不死になりたいんだとか。」


向かいの家の、婦人が返す。


「なってどうするのよ?」

「さあ?英雄のように、善徳を積んで武神にでもなりたいんじゃないかしら。」


婦人がそれに答える。

彼女達のこの会話は全て、例の少年・プシュケには筒抜けだった。それでも顔色を変えずに走るのは、単に彼女達の言葉に反応してしまったら負けだというプライド故であった。つまり内心、プシュケは腹が立って仕方がなく、いつも見返してやりたい気持ちでいっぱいなのである。

走って走って、いつもの丘の大木に腰掛ける。そして英雄の本を開くと、プシュケは話に入り込む。本を読む時のプシュケは、鉄壁の集中力を誇る。この状態のプシュケは何をされても、よっぽどでない限り気付けない。故に、鉄壁である。

プシュケは本が好きだ。とりわけ、この英雄の本は何度読んでも自分を飽きさせる事なく、本の世界に連れて行ってくれる。プシュケにとって本は、自分を別世界へ連れ去ってくれる唯一の癒しなのだ。


「おい、プシュケ!お前また読んでんのかよ、英雄の本!」


村の子供の中でも一際デカい奴の取り巻きが先陣を切って、プシュケに向かって叫んだ。それに続いて、村の子どもの中でも一際デカい奴が笑い飛ばした。


「英雄なんて所詮伝説なんだよ!憧れるだけ時間の無駄さ。俺たちゃ遊ぶので忙しいからよ、本読む暇があるなんて羨ましいぜ。なははは!」


だけども、読書中のプシュケは気付けない。これだけ煽って返答がないのだから、いつも通り痺れを切らして、デカいのがとうとうプシュケに石を投げた。プシュケの肩に命中した。

プシュケは集中を破られ、別世界から強制送還を受けた。これにはプシュケも堪らず、痛みに叫んだ。


「痛い!何するんだよトンラ!」


大木の下にいるデカい奴・トンラに言い返した。


「うるせぇ!お前が返事しねぇのが悪いんだろうが!これでもくらえ!」


トンラの手から、さっきよりデカい石が飛び出す。素早く回転が掛かった石は、誰にも止められず、プシュケは無事では居られない筈だった。


「よっと。あっぶねぇなぁ。お前らさ、コイツのこと誘いたいならもっとマシなアプローチ考えようぜ?石投げるとか、最近の子どうなってんの。マジで怖い。」


ちょっと老け顔の男が石をキャッチして、トンラに説教臭い事を言い出した。


「んだよ、おっさん!どっから現れやがったコンチクショー。別に俺たちアイツのこと誘いたくて石投げたわけじゃねーし!」

「なっ!オッサンって言ったか今。俺まだオッサンじゃねぇよ!二十八だよこのクソガキ!」

「十分オッサンじゃねぇか。」

「んだと!クソガキが!」


老け顔の地雷に踏み込んだトンラは、暫く老け顔と揉めた。最終的に、勢いに押されたトンラが諦めて帰り、喧嘩は収束した。


「ったく。お前もなんかこう、出来ることあったろ?言い返すとか、親に言うとか、場所変えるとか。」


老け顔は頭の後ろを掻き、ため息をつきながら座り込んだ。


「ありがとう、老け顔さん。でも、親に心配かけたくないし、ここはお気に入りなんだ。それは出来ないよ。」


プシュケは大木から降りて、老け顔の隣に座った。


「そうかよ。あと、老け顔は余計だ!」

「なんで助けてくれたの?」

「って無視かよ!まぁ良いか。助けたのは、弱いものイジメが嫌いだったってのと、俺もロシナンテが好きだったからだな。」

「老け顔さんも、ロシナンテ好きなの?」

「あぁ。お前ほどではないかもしれんがな。」

「そっか。俺ね、ロシナンテみたいに強くなって、不老不死になって、いっぱい良い事して幸せに暮らすんだぁ。」

「それ、良いな!そっか、アンブロシアに行くって事か。数々の英雄っ子をみて来たが、アンブロシアに行きたいって奴、お前くらいだよ。」

「やっぱり変?」


プシュケは少し落ち込み気味であった。


「いいや。むしろ面白れぇよ!クハハハ。そっかぁ。俺は応援するぜ?その夢。ぜってぇなれよ、ロシナンテに!」


そう言うと、老け顔は丘を去って行った。


「ありがとう!老け顔さん!」


プシュケは力一杯叫んだ。


「俺はペトロだ!老け顔さんはちょっと心が痛む!」

「俺はプシュケ!また会おうねー!ペトロさん!」

「おうよ!またな、プシュケ。また会おう!」


丘の向こうの夕日に、ペトロの後ろ姿が消えてゆくまで、プシュケはその場で見送り続けた。

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