8話
家に帰ってすぐに凛ちゃんに連絡を送る。既読はついたが、返事は返ってこなかった。何度もスマホを確認するが返信はなく、風呂から上がって寝る準備をしている時に軽やかな通知音が部屋に響いた。
『それで、相談したい事って何なのよ?』
しかし、これだけの時間をかけても、結局どんな相談をすれば凛ちゃんから話が聞けるかは思いつくことができなかった。
文字を書く手が度々止まりながら、入力する。
『お父さんが上司の人に話してくれて、春になったらお父さんのところにインターンに行くことが正式に決まったんだけど……ズルしているみたいで、本当にいいのかなって』
次は、少しだけ時間をおいて通知が返ってきた。
『何がズルいのよ。何がどう本当にいいのか悩んでるのか、わかんないわよ』
『あ、ごめんね? こんな早い時期に面接とかも無しだし、お父さんのコネだけで決まっちゃったみたいだから……』
『そう。それの何が悪いの』
即座に返ってくる返事。返事を書く手が完全に止まった。更に凛ちゃんからのメッセージが届く。
『コネインターンなんてよくある話よね? 私はあんたが、一体何に悪いとおもってるのかわかんない』
息が苦しい。手に汗が滲み、文字を打とうとしても身体が動かない。
しかし、向こうでは既に既読はついている。
何度も書いては消し、本当に送っていいものなのか確信は持てない。だが、それでも送信した。
『凛ちゃんが動けないのに、私だけ……先に進むのが、ちょっと不安なの』
既読がつき、画面を祈るように凝視しながら返事を待つ。先ほどよりも少し遅れてメッセージが届いた。
『それどういう意味よ』
『何なの? 私に同情でもしてるわけ? 余計なお世話よ』
再度、身体が動かなくなる。呼吸が乱れ、スマホの画面が歪む。だが、スマホの通知は更に続いた。
『動けないってなに。私のなにがわかるの。勝手に決めつけないで』
『いい加減にして』
そして、スマホが沈黙した。
喉から嗚咽が漏れる。止めようとしても自分の意思ではどうにもならず、シャチのぬいぐるみを顔に押し付けることで声を漏れなくするだけで精一杯だった。
翌朝。
「おはよー……」
「おはよう。あら、遥。……ちゃんと顔を洗ってらっしゃい」
「はーい……」
顔を洗って食卓につく。
昨日はあんなに甘く感じたトーストが、今日はほとんど味を感じず、飲み込むのも一苦労だった。
普段よりも長く感じる道を進み、大学に到着する。
「あっ……。凛ちゃん、おはよー……」
目線は合うがすぐに逸らされ、返事はない。
その後の講義の内容は一切頭に入らず、代わりに自問自答が繰り返されるだけだった。
講義後。
部室へと向かうがそこには凛ちゃんの姿はなく、小春ちゃんだけがくつろいでいた。
「あ、本田先輩。山口先輩とは話はできたのですか?」
その一言で、全身から力が抜けた。
「ちょ……ちょっと先輩どうしたんですか!」
「うっ……うううっ……」
「ああ、もうっ! よしよし、先輩。私がいますからねー……」
何も話せず嗚咽を漏らすだけの私の顔を、小春ちゃんが服が汚れるのを厭わずに抱き締めて頭を撫でてくれる。
そんな中、扉が開き……一呼吸おいてから閉まった。
「ちょっと里中先輩! 逃げないでくださいよ! ちょっと……こらーっ!」
「えぐっ……えふぅ……」
「んっ、ちょっ……先輩、胸に顔をすりすりしないでっ……。おい、里中ーっ! 戻ってきとぉー!」
三十分ほど経って私が落ち着いた頃、里中先輩は数本の飲み物が入った袋を下げて、ようやく戻ってきた。
「ほれ、本田。スポドリだ。姫野はいちごオレでよかったか?」
「先輩……ありがとうございます」
少し荒れた喉に、冷たい飲み物が心地よかった。
「私は、こんなのじゃ誤魔化されませんからね……」
小春ちゃんがむくれながら、里中先輩の脛をしつこく蹴っていた。
「地味に痛いから、そろそろやめてくれないか? それと、本田。すまなかった」
里中先輩が、私に向かって深々と頭を下げていた。
「俺の昨日言ったアドバイスのせい……なんだよな?」
「いえ、先輩は何も悪くは……私が失敗しただけで……。私が……あんな事を聞かなければ……」
「いいえ先輩。悪いのはきっと、この男なんですよ。里中先輩が、余計な事を言ったから! 本田先輩泣いちゃったじゃないですか! えいっ、えいっ」
「悪かったって! あと、さっきから同じ場所を蹴るのは本当にやめてくれないか!?」
二人の普段と変わらないやりとりに、強張っていた身体から、ほんの少しだけ力が抜けた気がした。
「あの、先輩。凛ちゃんとの昨日のやり取りなのですけど、見ていただけますか?」
「……見てもいいのか?」
「はい、おねがいします」
スマホを操作し、画面を二人に見えるように差し出した。
「……山口先輩、思ってた以上に限界だったみたいですね」
「なるほど……。これは……」
里中先輩が頭をがりがりと掻きながら何かを言おうとするが、すぐさま言葉を引っ込める。
そして、腕を組んで少し時間をおき、口を開いてくれた。
「今すぐ謝ったり、話を掘り下げようとしないほうがいい。挨拶くらいにとどめておけ」
大きくため息を吐いてから、先輩の目線が少し下がった。
「……そうしないと、本当に取り返しがつかなくなるぞ」
そう語る先輩の瞳は、どこか寂しげだった。
「まあ……大変だったな。今日は帰って休め。な?」
先輩が、私の頭をぽんぽんと撫でる。子供扱いされているようで少し引っかかったが、それがどこか心地よかった。
「わかりました……では、お先に失礼します」
そして、私は帰路につく。今朝と同じく、踏み込むペダルは重く、足にまとわりつくようだった。
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「本田先輩、大丈夫ですかねー……あ、先輩。足は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。姫野もありがとうな、大変だっただろうに」
「気安く頭を撫でないでください……セクハラですよ。後、あの状態で逃げるなんて酷いです」
「おっと、すまんな。だが、あの状態で俺が部屋に入ってどうする……。俺がいると、落ち着いた本田がどう思うかわかるか?」
「……まあ、今回だけは許します」
「はは、手厳しいな。……しばらく、本田のことを頼む。俺は山口の様子を気にかけておく」
「別に、言われなくてもやりますよー」
「それならいいんだ。お前がいて、本当に助かった。ありがとう」
「むっ、そうですか……。じゃあ、私も帰りますね」
「ああ、また明日な」
部室から小柄な女性が出ていき、男性が一人残される。
「本田……。お前は俺みたいになるなよ」
一言呟き、彼は帰り支度をしたのだった。




