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遥なる酒  作者: かきのたね


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10/22

9話

 翌日。


「おはよー」


 凛ちゃんと一瞬だけ目線が合う。しかし、すぐに横に逸らされ、無言で離れていってしまった。


 凛ちゃんと私は所属している学科が違うため、毎朝会える訳ではない。だが、いくつかの講義が共通なため、露骨に避けられさえしなければ話をするチャンスは多い。

 凛ちゃんの座る席の方を見ては、里中先輩に言われた言葉を思い出して、肺に溜まった空気を深く吐き出す。

 結局、今日の講義もノートに記入はするが、頭にはほとんど入ってこなかった。


 昼休み。

 学生広場のベンチに座りながら、ぼんやりとソテツの葉を見上げた。

 惰性で運んだアンパンに、口の中の水分を奪われ喉に引っかかる。そして、それを牛乳で流し込んで潤すことを繰り返していた。


 頭の中にあるのは、あのときの凛ちゃんとのやりとりの事ばかりだ。どうすれば良かったのか。そして、これからどうすれば良いのか……。


 視線を下ろすと、周囲で休憩している学生と共に視界に入る、光に照らされた校舎の壁が妙に灰色に見える。そんな中、不意に背後から声をかけられた。


「本田先輩、ここに来るなんて珍しいですね」


「あ、小春ちゃん。どうしたの?」


「窓から先輩の姿が見えたので、一緒にどうかと思いましてー」


「そっか……うん、一緒に食べよっか」


 ベンチに並んで座り、昼食を進めはじめた。なんとなく、パンが先ほどより甘く感じる。


「先輩、サンドイッチ一ついります?」


「うん、ありがとう。……本当にありがとね」


「いえいえ、サンドイッチ一つで大げさですよ」


 しっとりした食パンとシャキシャキしたレタスの食感が、口の中を軽くさせる。

 しかし、小春ちゃんと仲良く食べてる今……凛ちゃんはどうしているのか、どこかに引っかかっていた。


「先輩、大丈夫ですよ」


 小春ちゃんが、柔らかく微笑む。


「先輩達の関係はおかしくなったかもしれませんけど、途絶えたわけじゃないですから」


「……ありがとう」


 小春ちゃんが、私よりも少し大人に見えた。


 それから二週間。凛ちゃんに挨拶をしては目をそらされ、昼は小春ちゃんと一緒に過ごす日々が続いた。

 凛ちゃんと会話が無いのは相変わらずだけど、最近では挨拶をした後に口をもごもごとしている気がする。


 講義中、凛ちゃんの方をちらりと見ると、たまに目線が合うことも出てきた。話しかけたいという衝動が湧いてくる。

 しかし、近づくことは、まだ無い……。


 そして私は今、ビニール手袋をはめてサークル活動を行なっていた。週に一度は手入れをしないとだめになってしまう、とある生き物の世話をしていた。


「小春ちゃん、そっちの糠床は混ぜ終わった? こっちは大根も入れ終わったよ」


「はい。流石に二人だと、全員分の糠床のお世話は結構大変ですね」


「あはは……里中先輩も、最近来ない日があるもんね……」


 自分の糠床の糠の上下を良く混ぜてから表面を平らにし、糠の中の空気を抜いてから容器を掃除して冷蔵庫へと入れる。

 取り出した人参、大根、ごぼう、そして柿のぬか漬けを皿に並べた。


「吉田くん……何で柿なんて漬けたんだろうね?」


「まあ……。吉田先輩らしいですけど……」


 長期のインターンの前に、皮を剥いた柿を丸ごと漬けていく吉田くん。ここに居なくても、吉田くんは吉田くんだった。


「まあ、松岡先輩よりマシだけどね……」


「鯖……ですもんね……」


 既に数カ月漬けていて、まだ漬けるらしい。インターン中の世話を頼まれているものの、臭いが強いために早く帰ってきて、自分で世話をして欲しいところである。


「……で、柿のぬか漬けどうするの? これ」


「漬けた本人不在ですし……。冷蔵しておきますか?」


「再来週には戻ってくるし、そうしよっか……」


 半月は漬かった柿の糠を洗い流して水分を拭き取り、ラップに包んで冷蔵庫に入れていると吉田くんの顔が脳裏に浮かぶ。

 何も悩みが無さそうな彼が、無性に羨ましかった……。


 凛ちゃんが漬けていた人参を、タッパーに詰めて冷蔵庫に入れる。


「凛ちゃん、戻ってくるのかな……」


「さあ? 来たくなったら、また来るのではないですかね」


 小春ちゃんが他の漬物が入ったタッパーにメモを貼りながら言う。


「だから、来たいと思える場所……一緒に守りましょうね」


 私は頷き、タッパーを冷蔵庫に入れた。



――――――――――――――――――――――



「里中先輩、ノートありがとうございます」


「礼は松岡に言ってくれ。俺は松岡のノートを持ってきただけだからな」


「いえ、それでも助かります」


「そうか」


「あの……先輩……」


 呼びかけたものの、俯いて黙る。


「どうした、何か聞きたいことがあるんだろう?」


「いえ、その……遥ちゃん、ちゃんとご飯……食べてますか?」


「……いや、俺は知らないな」


「そうですか……」


 再び沈黙が落ちる。里中先輩が缶コーヒーに口をつけた。


「あの……先輩。覚悟って、一体何なのでしょうね」


「覚悟……か。なかなか難しい質問だな」


 少しの時間を置いて、彼は答えた。


「あくまでも俺にとっての話だが……。たとえ間違えたり、失敗したりした時にも逃げずに受け止めるようにする。そういう心構え……だな」


「そう……ですか……。なら、覚悟が無いから、何もしてはいけないのでしょうかね……」


「いや、そういう訳でもない。吉田はどうだ、あいつに覚悟とかあると思うか?」


「……あれは何も考えてないだけじゃないですか」


「いや、少し違うな。失敗することを考えずに、ただ成功した時の事しか考えてない。だが、失敗してもあいつはあいつなりに工夫して、最後は面白い事になってるだろう?」


「それは否定できませんが……」


「あいつは、失敗を恐れていないのだろうな。怖いからこそ、覚悟が必要になる……覚悟をしなければならないなら、それの何が怖いのかを考えてみろ」


 里中先輩が缶コーヒーを飲み干す。


「ま、言葉にしたら簡単なことなんだけどな」


「……そう簡単に出来たら苦労はしませんよ」


「だが、参考にはなるだろう?」


 しかし返事はなかった。ただ、そこにはノートを書き写す音だけが響いていた。

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