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遥なる酒  作者: かきのたね


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4話

 夕方になり父が帰宅する。すぐに祖父の酒の検査結果を伝えたが、「まあ、そんなものか」というあっさりした反応だった。

 値段について伝えても、「それぐらいの価値があってもおかしくはないだろうな」とだけ。父は既に知ってるかのように、祖父の酒のデータや値段に興味がないみたいだ。


 その夜。家族揃っての夕食の後、シャチのぬいぐるみの柔らかい身体に腕を埋めながら、しばし考える。

 今日は話せなかったインターンについて、父にどう伝えるべきか。


「うーん、なんとなく伝えづらいんだよね」


 幼い頃、祖母に祖父の事を尋ねたときは「遥ちゃんのお祖父さんは昔ながらの職人で、昔ながらの大変な方法でお酒を造っている人達を纏める、立派な仕事をしていたのですよ」と教えてくれた。

 だが、父は近代的な造り方をする、神戸の大手蔵で働く蔵人の一人だ。


 父は幼い頃、雪の降り積もる六甲の山の家で「お父さん、いつ帰ってくるのかな」と、よく祖母に囲炉裏にあたりながら聞いていたらしい。

 その頃の話をしてくれる時は、いつも父の顔が俯いていて、祖母も多くは語ってくれなかった。


 それに対して、父は特定の時期にある夜勤のシフトの時以外は、決まった時間に帰ってきてくれる。


 そして、その時期が過ぎると、父は水族館に連れて行ってくれた。

 ぬいぐるみを抱えて売店のレジに並ぶ私の頭を、父が優しく撫でてくれる時間が好きだった。


 でも、酒が入って祖父の話になると、よく寂しげに愚痴をこぼしていた。「厳しい冬の寒さの中の生酛きもとの仕込みは、自分をいじめているだけだ」と。

 そしていつも、どこか苦しそうに「今の時代、あんな苦行をしなくても美味い酒は造れる」と、更に酒をあおっていた。


 インターンの話をしようとすると、その時の父の表情が頭から離れなくて言葉が出なくなる。

 そんな状態なのに、どうすれば父に相談できるのだろうか?


「お父さんのいる蔵も良いんだけど……」


 設備も最新鋭だし、父の車に乗せてもらえば毎日橋を渡って通えるだろうし、普通なら悩まなくてもいいはず。

 けれど、それでも一度は祖父と同じ体験をしてみたい。いや、体験すべきなのだと感じている。


「……よし、明日の夕方にお父さんが帰ってきたら、相談しよう!」


 そして、今の思いをぶつけてみよう。


「じゃないと、何も変わらない。今は少しでも前に進まなきゃね」


 あとは、父を説得する理屈や口実を、しっかり考えておかないと。

 抱き枕を抱きながら目を閉じる。今日は、普段よりも少し眠りにつけるのが遅かった。


 翌朝。

 目覚めてすぐにリビングに行くと、既に父は食べ終えており、家を出る準備を済ませていた。


「おはよー。あ、お父さん。今日は何時ぐらいに帰れるの?」


「今日は六時半か七時には帰れると思うが、どうかしたのか?」


「うん。ちょっと、インターンについて相談したいんだけど、大丈夫かな」


「別に構わんが……」


「じゃあ、お願い! 大事な話だから!」


「わかった。では、行ってくる」


「いってらっしゃい!」


 出かける父の背中を見送る。夜になると、父に胸の内をぶつける事になるかと思うと、今から少し気が重い。

 しかし、一日はまだ始まったばかり。今は塞ぎ込んでいる場合じゃない、少しでも明るくしていよう。


「あ、遥。トーストに目玉焼きはいる?」


「いるーっ! お母さんお願い! 」


「はいはい、トースト焼けてるわよ」


「はーい」


 トーストを一口かじった。口の中に、こんがりと焼けた香ばしい小麦と、溶けたバターの芳醇な香りが広がる。

 そして、香ばしく焼かれたパンに、バターのコクとぷりっとした目玉焼きの味がとてもよく合う。

 だが、こころなしかいつもよりもバターの風味……特に、ミルクの甘みが強い気がする。


「お母さん、今日のバターは新鮮なのを使ったの?」


「あ、わかる? 昨日、ちょっとそこの直売所まで行ってきたのよねー」


 パンを飲み込んで、温かいカフェオレに口をつける。

 砂糖の甘さと、柔らかいコーヒーの苦味と酸味。そして、濃厚でコクのある牛乳の風味がトーストによく合う。どこかホッとする優しい味に、思わず顔がほころぶ。


 トーストを一口かじっては、カフェオレを一口。トーストの塩気がカフェオレの甘みを増幅し、交互に幸せを噛みしめる。


 重くなった気持ちも美味しい朝食のおかげで、一日分の活力が湧いてくるようだ。

 ゆっくりと食べ終えて、食器を片付けてから出かける準備を行う。


「よし、いってきまーす!」


 今日も一日、元気に頑張ろう!


 そして、講義後。


「どうしたん? 魂抜けてるけど」


「うぐぐ……。講義を受けながらお父さんを説得する言葉を考えようとしたら、どっちも中途半端になっちゃった……」


「いや、それこそ何があったのよ……」


「インターン先に行きたい場所が、多分お父さんに反対されそうなところなの……」


「ふーん。別に、思ってることを言えばいいじゃん」


「反対されそうなのに?」


「あんたがどこに行きたいかはわかんないけど、本当に反対されるかもわかんないじゃん? ま、私は知らんけどね。……簡単に言えることでもないし」


「うー……凛ちゃんが冷たい……」


「そりゃ、私のことじゃないし。何でもかんでも頼られても困るしね。私だって、インターン先については悩んでる訳だし」


「え、そうなの? お父さんの仕事を手伝えば良いから気は楽って……」


「漁師の仕事は嫌いじゃないけどね。他にやってみたい事もあるってわけなのよ」


 凛ちゃんが背伸びをして、鞄を肩に担ぎ直す。


「じゃ、また明日ね。大事な事なんだから、ちゃんと自分の言葉でお父さんに伝えてきな」


 颯爽と立ち去る凛ちゃんの後ろ姿を見ていると、一人の男子学生が視界の隅に入った。


「あ、やっほー! 吉田くん、この前のワインはどうだったの? いい出来だって言ってたよね」


「よう、本田! ワイン……? 何のことかねー?」


 確かにシャルドネで造ったワインの発酵が終わったと、先日言っていたはず。人差し指を顎につけ、首を傾げた。


「くっ……。口に入れたら、酸っぱくて思わず口の中がキューってなるし、なんか少し濁ってるし、香りもなんかパンっぽいし……期待していたのと違う……。せっかくのテイスティングなんだから、俺はもっとフルーティーなのが飲みたかった!」


「あはは……それ、時間が経てば、ちゃんとワインになるやつなんじゃないの?」


「いやー、教授にも熟成したらワインらしくなるだろうとは言ってたけど、俺はすぐに飲めるようなのがよかったんだよね」


「焦りすぎだってば。そこは待とうよ……。教科書通りの、ちゃんとした発酵したてのワインだよ?」


「でも、この俺が丹精込めて醸したんだぜ? はじめから飲めるようになっててもいいじゃねえか!」


「その根拠の無い自信、なんだか羨ましいね」


「ふふん、いいだろ?」


「うん、よくないよ? 後は時間が造ってくれるものなんだから、完成を楽しみにしようね」


 彼を見ていて思う。自分も、似たようなものだったのではないかと。

 はじめから結果を求めすぎていたのではないだろうか。


「ふふ……ありがとうね」


「あん? なんかわからんが、どういたしまして!」


 ほんの少し、視野が広がって見える気がする。

 私は少しだけ軽くなった足取りで、講義室を後にしたのだった。

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