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遥なる酒  作者: かきのたね


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21/22

20話

 五月に入ると無事に父の蔵でのインターンも終了し、大学でのいつもの講義へと帰ってくることができた。

 四月の後半。出荷直前の酒瓶にひたすらラベルを貼り、箱を組み立ててはその中に封入し続けていた日々から一転。机に向かって教授の声を書き写す、インターン前と同じ日常が戻ってきた。不思議な解放感はあるものの、私には講義以上に厄介な強敵が新たに現れており、まったく集中できずにいた。


 そう……インターンの成果報告レポートである。これを提出し、なおかつ学内発表を終えなければインターンシップの単位は認定されないのだ。

 発表をしても評価が低ければ単位はもらえない。教授に詰められる可能性を考えると、変なことは書けないために講義が終わってすぐに、私はノートパソコンを部室に持ち込んで悩んでいた。


「うーん……」


 名前や学科等の必要事項。それに、蔵についての概要や歴史は記入した……だが、肝心の内容欄は白紙のままで全然進まない。

 一ヶ月間。長いようで短い期間のうち、始めの頃は甑の洗浄や天場でのタンクの見学という濃密な時間を過ごした自覚はあるのだが……いかんせん、濃密すぎてどう言葉にすればいいのかわからないし、後半三週間のラベル貼りと箱の組み立て作業の記憶が強烈すぎて、文章化しようとしてもどうしても頭の中にやってくる。ついでに、机に向かって座っている今でも腰に重さを感じてしまう。


 終盤に教えてもらった、化粧組紐を大吟醸の瓶へと綺麗に結ぶ方法でも書くべきか……? だが、それは報告するような内容ではないだろう。そんな方向に思考が迷走していると、部室の扉が開く音が聞こえた。


「あ、本田先輩。戻ってきたのですねー」


「小春ちゃん、やっほー」


 パソコンの画面から小春ちゃんへと視線を移した。デニムジャケットとデニムミニスカを身に着けていて、カジュアルな感じに今日もおしゃれである。


「そのジャケットってもしかして?」


「あ、気づいてくれました? これ、この前の女子会の時に買ったやつなんですよー。五月に入って、ようやくアウターとしてちょうどいい季節になりましたからねー」


 ジャケットの裾を引っ張ったり、一回転して服装をアピールする小春ちゃん。かわいい。


「あ、やっぱり? 似合う似合う! ……はっ!」


 今はこんな話をしている場合ではなかったのだ。締め切りが来る前に、早くレポートを教務課に提出しなければならないのに!


「えっと……ごめんね? 今、レポートを書いてて……」


「あ、インターンのですか。大変そうですねー。レポートと言えば、吉田先輩はインターンの翌日の朝一番にレポート提出していたらしいですよー? コツを聞いてみたらいかがですかねー」


「いや、吉田くんだよ?」


 吉田君のことだ。なんとなく、独自の理論や適当なことまで書いていそうである。


「まあ、聞くだけならタダですし……吉田先輩なら、さっき新しくサークルに入った人と一緒に広場にいましたよ」


「あ、メンバー増えたんだね」


 私が居ない間も、サークルは私の知らないところでちゃんと動いていて、新しいメンバーまで増えている。四月の一大イベントである新歓期に全く参加できなかったため、少しだけ置いて行かれたような寂しさを感じるが……それよりも目の前のほぼ白紙のレポートを何とかする方が優先である。死活問題なのだ。ああ……正直、藁にでも縋りたい気分だ……。


「うーん……じゃあ、吉田くんに聞いてみようかな。小春ちゃん、ありがとうね」


 パソコンの電源を落としてリュックに入れて、吉田くんから話を聞くために学生広場へと向かった。すると、吉田くんは見知らぬ男女を前に、缶ジュースを片手に楽しそうにしていた。


「吉田くん、こんにちはー。その二人が、新しくサークルに入ってくれた人?」


 吉田くんがこちらに振り向き、片手を上げる。


「おん? よお、その通りだぞー。二人とも、挨拶だ。お前たちの先輩の本田さんだぞ」


 まずは髪の毛を茶色に染めているが、どことなく無理してそうな雰囲気の男子が挨拶をする。


「はじめまして、先輩。オレ、農学科一年、高橋っていいます!」


 次は猫背で眼鏡をかけた女の子がお辞儀をしながら挨拶をする。


「はじめまして。私は農学科一年、朝比奈と言います」


 後輩に対して変な姿は見せられない。背筋を伸ばして、少し微笑む。


「はじめまして。醸造学科三年、本田遥です。よろしくね。二人はどうして、うちの発酵・保存食研究会に入ろうと思ったの?」


「オレは四月の初めごろ、履修登録の講義選択で悩んでいた時に声をかけて助けてくれた先輩が、このサークルだからですね」


「あ、私も同じです。どうしようかとうろうろしていたら、綺麗なお姉様に助けてもらいまして」


 私たちの時と同じ理由のようだ。一昨年の春……一年生の時に、小川先輩が非常に優しく教えてくれたことを思い出し、なんだか遠い目になる。まったく同じ手口であるこの勧誘方法は、我がサークルの伝統なのかもしれない……。

 その時、ふと本来の目的を思い出す。そういえば、吉田くんに聞きたいことがあったのだった。隣の吉田くんへと向き直る。


「あ、そうだ。吉田くん、インターンの報告レポートをすぐに出してたらしいけど、何かコツでもあるのかな?」


 すると吉田くんが首を傾げた。


「コツ……? お前、日報はどうしたんだ? 俺のレポート、日報をまとめて総括付けただけだぞ」


「それは書いてたけど……後半、ずっとラベルを張ったり箱に入れたりしてたから、書くことなんてほとんどないんだよ」


「ん? 書くことなんて、山ほどあるじゃねえか。まさか、単純な作業ばかりだから中身がスカスカとでも思ってんのか?」


「うぐっ……なら、他に何があるのさ」


「んなもん、ちょっと言い換えればどうにでもなるもんだぞ。教授が納得するような言葉に変えればいいわけだし。例えばそれは商品の仕上げの作業なんだから、『醸造物の商品価値を確定させるための最終品質保証実務を行っていた』とか書けばいいじゃねぇか」


 ……その一言で私は膝から崩れ落ちた。


「大体な、酒の箱やラベルなんざ、めっちゃ厳格な酒税法とか食品表示法に縛られて作られてるもんなんだぞ? ワインでも同じなんだが、あれって、ちょっとでも表示にミスがありゃ大問題なんだぞ。多分だが、箱やラベルを持ってきた人が確認してるはずだが見てなかったのか?」


ぐうの音も出なかった。「まさか……私は吉田くんよりも頭が悪かったなんて……!」


「おいこら、失礼にも程があるぞ。あと、前から思ってたけど、お前は俺の事を馬鹿にしすぎじゃねぇか!?」


 私は立ち上がり、お辞儀をしながら謝罪をする。


「……はい、吉田様……申し訳ございませんでした……」


「おい馬鹿やめろ。新人二人も見てるんだぞ」


 吉田くんが腕を組みながら足を肩幅に開き、呆れたような顔でこちらを見てくる。


「はあ……あのなぁ……。このコツは松岡先輩から教えてもらった事なんだが、インターン行く前に先輩の誰かに質問とかはしなかったのかよ」


「うっ……」


 図星である。どんな体験が出来るのかしか考えていなかった、過去の自分に注意してやりたい……。

 そして吉田くんが後輩の方を向き、話しかける。


「お前らは本田みたいな事にならねぇように、何かの実習とかの前には先輩の誰かに質問するようにしとけよー」


「「はい」」


「うぐぅ……」


 こうして、私の先輩としての威厳は秒殺で砕け散っていた。この後、直ぐに新入部員達の歓迎を兼ねて新生発酵・保存食研究会の全員で新玉ねぎのピクルスを作りはじめた。しかし、新入部員の二人は凛ちゃんや小春ちゃんにも質問しているのに、落ち込んでいる私にだけは何も質問に来てくれずに淡々と新玉ねぎをくし切りにする。目に刺さる刺激に、私はほろりと涙を流していたのでした。

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