18話
新年度が始まり、私は三年生に進級した。そして……
「遥、準備はできたか?」
「うん、大丈夫だよ。お母さん、行ってきまーす!」
いよいよ、今日から父の働く会社でのインターンが始まるのだ。車の助手席に座り、シートベルトを装着する。荷物は膝の上に置いてから深呼吸を一つ。肩に力が入っているのを自覚し、首を動かした。
「どうした、やはり緊張するか?」
「うん……ようやく、お酒を造る現場を見られるわけだし……何より、お父さんの格好いい姿も見れるかもしれないしね?」
「……そうだな、酒を造る姿を見れるといいな」
「どういうこと……?」
「まあ、仕事はいろいろあるということだ」
父の意味ありげな笑みと含みがある言葉に嫌な予感を覚えつつ、車は高速道路へと上っていく。
「そういえば……お父さん、昨日は帰ってくるの凄く遅かったけど、さすがに今日は大丈夫だよね……?」
「それについては大丈夫だ。ちゃんと定時に帰れるから安心しろ」
やがて高速道路を抜けて父の会社……蔵へと到着した。一度この目で見るまでは、日本酒を造る蔵と聞くと瓦屋根の日本家屋で作っているものをイメージしていた。
だが、父の職場の建物は、白い普通の何処にでもありそうな事務所と言っていいものだった。しかし、その玄関先には杉玉がぶら下がっているため、ここが酒蔵であることを強く主張していた。
「お父さんの職場……前に見た時と違って、何か……ちょっと怖いかも……」
見学しただけの時は感じなかった、何かを失敗した時にどうなるかが頭をよぎってしまい、少し身がすくむ。スマホで時間を確認する。連絡されていた集合時間よりも、随分と早い。父の出社時間に合わせたからではあるが、少し早く来すぎてしまっただろうか?
「そうか……とりあえずは挨拶をしに行くぞ」
「はい!」
でも、そんなことは考えていられない。不安は頭の中から払いのけ、気合を入れて事務所に入る。
「おはようございます! 本日より一ヶ月お世話になります、大学三年生、本田遥です! どうかよろしくお願いします!」
数人の父の同僚の姿が目に入り、挨拶と共に頭を下げる。奥にいた柔和そうな年配の男性が持っていた書類を机に置いて、話しかけてくれた。
「おはよう、本田さんの娘さんだね? 話は聞いてるよ。今回は後から二人、インターンで来るから、それまでこっちの部屋で待機してくれるかな」
「はい! わかりました!」
お辞儀をしてから用意してもらった部屋に入り、革のソファに座って待機する。
「お茶、よかったらどうぞ―」
「ありがとうございます!」
事務員らしきお姉さんに、小さなペットボトルのお茶をもらう。気が付くと口の中が乾燥していた。一口飲んで、喉を潤す。
一体どんな仕事を任されるのだろうか……。失敗したら、父の評価が下がってはしまうのではないだろうか……。様々な期待と不安が入り混じる中、入ってきた扉の方を時折見ていると、30分ぐらいしてから私と同じぐらいの年齢の男性が二人、案内されて入ってきた。
荷物を持ってソファから立ち上がり、他のインターン参加者に会釈をする。会釈を返され、すぐに先ほど挨拶した年配の男性が入ってきた。
年配の男性は私たちを見渡し、語り掛け始める。
「えー、全員揃いましたね。今回はこちらの三名の方ですか。我が社のインターンに参加していただきありがとうございます」
男性に会釈されたため、会釈を返す。
「では早速となりますが、三手に分かれてもらいます。田中さんは営業志望とのことで、営業部の福沢君のチームに付いて行ってください。で、本田さんは醸造志望とのことですね、うちの頭の本田君に付いて行ってもらいます。で、最後の羽田さんは事務志望ですね。こちらの吉澤君から説明を受けてください」
どうやら、私の作業の説明担当は、父を割り当てていただけたようだ。安心からか、少しだけ体が軽くなる。
「では、こちらに」
父に案内されて向かった先の部屋には作業服に長靴や清掃器具が用意されていた。
そして、木でできている、人が何人も入れるぐらいの見上げるほど大きな樽のようなもの……甑が立っており、木でできたオールのようなもの……櫂やスコップのようなもの……ブンジなども複数並んでいた。
「お父さん……もしかして」
「今日の作業はこれを洗ってもらう」
「あ……やっぱり?」
「ああ。あと、ここではお父さんではなく、ちゃんと役職で呼びなさい」
「はーい……頭、よろしくお願いします……」
やる気を削られながらも清掃用の作業服にカッパを羽織り、長靴を身に着けてデッキブラシを装備する。ホースも準備し、いざ巨大な敵へと挑みかかる!
「細かい隙間は、ちゃんとたわしを使うように」
「はーい……」
武器もランクダウンして、初日から心が折られそうだった……。はしごを使い甑の内側に入り、冷水を流しながら手を必死に動かし、木と木の隙間をたわしで磨く。
「洗剤は……使っちゃ、ダメ、なんですかっ……!?」
「洗剤は使えない。においが移って酒がダメになる」
「かしこまりましたぁ!」
必死にこすり続けること一時間。大きな甑の清掃は、まだまだ終わりそうになかった。
「どうだ、大変だろう?」
「はい! 大変! ですよ!」
「だろうな。では、甑の清掃はここまででいい、体験は終了だ。後は、俺たちが最後まで行う」
甑から顔を出すと、父やほかの蔵人が掃除道具を持ってやってきていた。
「すみません、娘のために無理を聞いてもらって」
「いやいや、いいっていいって。娘さんに道具を触らせてあげたいっていうの、私たちもわかるんで」
「ありがとうございます……。では、遥。後は、このブンジ等の手入れを頼む。しっかりと指示を聞くんだぞ?」
そう言って、父たちは私と入れ替わりに甑の中へと入っていった。父が私のために、色々と準備してくれていたなんて……。思っていたような姿ではないが、間違いなく父の格好いい姿を見ることができたみたいだ。
やる気を補充して周囲を見ると、必死に甑を洗浄している間に洗浄待ちの道具たちが増えていたみたいだった。たわしを片手に作業を開始しようとするが、蔵人に止められる。
「ストップ。これはもう洗い終わってるから、次は煮沸消毒するんですよ」
そう言い、煮立った大きな釜の中に道具をドボンと入れて、ぐつぐつと煮込みはじめていた。
「消毒が終わったら、干すのを手伝ってくださいね」
「はい!」
消毒が終わって水分を吸ってずっしりと重たい道具を運び、戻ってくると再び道具をお湯に放り込む。これが終わると、次は乾燥が終わった道具の手入れだった。必要な道具を持って事務所の裏手に移動する。
「これ、ここの部分の塗装が剥げかけてますよね? この柿渋を塗って、次のシーズンのために補修するんですよ」
「わかりました!」
鼻を突くような、独特の強烈な酸っぱいにおいがする柿渋を刷毛で木にペタペタと丁寧に塗りつけて、風の通りが良い道具干し場に立て掛けていく。こんな感じで、私のインターン初日は過ぎていった……。
「お疲れ様でした!」
「はい、お疲れさん。また明日、よろしくねー」
帰り際に蔵の人に笑顔で挨拶をしてから、父の車に乗り込む。シートベルトを装着し、全身の疲れから脱力したところで父が運転席に乗り込んだ。
「遥、インターン初日お疲れさん」
「ありがと……。お父さん……酒造りの仕込み、もう終わってたんだね……」
「そうだぞ? 昨日、品評会用の大吟醸の仕込みをしたのが今年最後のもの……つまり、甑倒しだったからな。昨日は俺の帰りが遅かっただろう? 会社のみんなで無事に仕込みを終えた宴会があったんだよ。それで、今は蔵の掃除と出荷の準備……後は、タンクの醪の管理の真っ盛りだな」
「むー……なら、一言先に言ってくれてもよかったのに……」
笑いながら教えてくれたが……それならば、到着前に教えて欲しかったところである。
「はは、そうむくれるな。どうだ、酒造りの道具を触った感想は」
顎に指を置き、少し考える。
「うん……ちょっと意外だったかな……」
「意外?」
「だって、結構近代化してるって言ってたのに、まだ木の道具を使ってたし……」
「ああ……なるほどな。木の甑は、うちでは決まった銘の酒造りに使ってるんだよ。例えば、さっき言った品評会用の酒だな……木肌が余分な水分を吸ってくれるから、最高の蒸しあがりになるんだ。もちろん、奥には本醸造とかの量産酒に使う、ステンレス製で大きくて大量に米を蒸せる自動蒸米機もちゃんとあるんだぞ」
「へぇ……そうなんだ……」
「ああ……どれか道具が変われば、味も変わる。酒は生き物だからな」
エンジンがかかり、車がゆっくりと進み出す。
「仕込みの山場は終わったが、酒造りはまだ終わってはいない。まあ、掃除が終わってからにはなるが、タンクも見れるようにしてあるから安心しろ」
「そっか……うん、ありがとう……お父さん」
父が仕込みをする姿を見ることは出来なかったが、家とは違う姿は見ることが出来た。明日になると腕と腰の筋肉痛になるのは間違いないだろうが、それでも少し明日の作業は何をするのか楽しみに思えたのだった。
頭とは……酒造りの責任者である杜氏の下の、現場の責任者のこと




