13話
凛ちゃんと別れてから、少し頭が重たい。様々な水槽をぼんやりと眺めながら館内を歩く。
色とりどりの魚に、水面から顔を出すアザラシ。そして、プールの縁で右往左往しているペンギンを眺める。たまに止まってプールを見ては、また行ったり来たり。近くで見ている見知らぬ人も苦笑していた。
なんとなく、心の中でエールを送る。がんばれー。
やがてその後ろには三羽のペンギンが縦一列に並びはじめ、まるで順番待ちをしているように見えた。
しかし、ペンギンは飛び込まない。……何をしているんだろう、あの子。ただ同じ場所をうろうろしているだけで、後ろのペンギンも焦れてきているようだ。
最終的に、後ろのペンギンが近づいたと思った次の瞬間、バランスを崩したのか、そのままドボンと落ちた。
じたばたしながら落ちる一瞬の、慌てたような顔はペンギンでも人でも変わらないようで、愛らしくも間抜けな顔だった。
少しほっこりと癒されながらぼんやりと順路を進んでいると、気がつけばさっき通ったイルカのエリアまで戻ってきていた。
座席が隙間なく埋まった、歓声で賑わうイルカショーをテラスから眺める。一頭のイルカがプールの外周で加速しはじめたかと思うと、急に姿を消した。
次の瞬間、プールの中央で大きく跳び上がる。再び沸き上がる歓声と共にイルカが着水すると、私も思わず手を叩いていた。イルカがご褒美の魚を飲み込むのを見届けてから、会場を後にした。
のんびりと歩いていると、会場の近くにイルカのぬいぐるみのくじを発見する。大きなイルカから小さなイルカまでのどれかが必ず当たるというものらしい。これを引かない理由があるだろうか? いや、無いのだ!
鼻息荒く鞄の中の財布を確認して、いざくじを引こうとすると……横から誰かに話しかけられた。
「あれ、本田先輩? こんなところで会うなんて、奇遇ですねー」
「あ、小春ちゃん……奇遇だね。小春ちゃんも、こういう所に来るんだね。意外かもー」
「私は、まあ……たまたまですねー。バスで月一で遠くまでふらっと遊びに行くの、好きなんですよー」
「へぇ……そうなんだ。他にどんなとこに行くの?」
「んー……三宮とか多いですねー。デパート巡りとか楽しいですよ?」
「うわっ……なんか、大人……。三宮とか、ちょっとハードル高そうなんだよねー……」
「そんなことないですよ。普通に歩くだけで、結構楽しいですし。あと、カジュアルな格好で大丈夫です。みんなそんなに気合入れてないですし、むしろ普通の格好の方が歩きやすいですよー」
小春ちゃんが顎に指をあてて、何かを少し考える様子を見せる。そして、何かを思いついたのか、軽く手を合わせて笑顔を見せた。
「あ、そうだ。また今度、サークルの女子で三宮に行きません? とろけたチーズが乗ってる、とっても美味しいチーズケーキのお店があるのですよ。そこでカフェなんかは……あ、迷惑じゃなければですけど」
「あ、なんだか凄くおしゃれ……。そういうのちょっと憧れるかも……小川先輩にも戻って来たら、話してみようよ」
女子が一人しかいないからと、入学直後に私達を強引にサークルに誘ってきた小川先輩なら、絶対に飛びついてくるはずだ。
「それと……ううん、何でもない……」
先ほど会話をしていた友人を思い出し、言葉が詰まる。
女子会……凛ちゃんは参加してくれるのだろうか。
「いいですねー。……山口先輩には、ちゃんと本田先輩から伝えてくださいね」
「うん……ありがとう。あとごめん、ちょっとくじを引いてくるね?」
後ろから見守られながら引いた結果は二等。抱きしめられるサイズの可愛いイルカのぬいぐるみをゲットできた。わーい。
気分よくぬいぐるみを両手で抱え、小春ちゃんと他愛も無い話をしながら共に下に移動した。その先、前方に見えるのは大きなアクリルガラス。その前では多くの人が眺めている。
中では元気にイルカが愛嬌を振りまくように泳ぎ回り、小さな子供が手を叩いて大喜びをしていた。
そして、そんなガラスの真正面で肩を抱き寄せて仲良くしている男女がいた。それは、とても見慣れた後ろ姿で……
……私の両親だった。
思わず目を逸らす。小春ちゃんが隣にいるのに……やめて欲しい。本当に。なんで、今日に限ってそんなに仲が良いのだろうか!
近くのカップルも、そんな両親を見て小さく笑い合いながら仲良くしているが、身内としては反応に困る……。
見なかった事に……もとい、二人の邪魔にならないように出口の方へと移動しようとする。
「あ、遥ー」
母がこちらに気づき、手を振っている。
「お母さん……周りの人の迷惑になるからやめて……大きな声出さないで……」
周囲から何人かの視線が集まる……先ほどのカップルからの視線も感じる……。そんな中で両親に近づくのは、凛ちゃんと話すのとは別の意味での勇気が必要だった。
「まあ、いいじゃない。それで、遥。ちゃんと話は出来たの?」
「えっと……うん……。お母さん、なんで凛ちゃんも来るって教えてくれなかったの」
「あら、言ってなかったかしら? 凛ちゃんからも聞いてなかったのね」
文句を言いたいが……顔を横向けて頰を膨らませる。すると、母に頭を撫でられる。
……そしてすぐに、その様子を小春ちゃんや周囲の何人かに見られていることに気がついた。特にカップルからの優しい目線がつらい……。
「ねえ、お母さん。向こうに行こう? ね?」
母の服の裾を引っ張り、その場から離れる。無言で見ていた父も一緒に移動する。
そして、通路の隅に移動したあたりで、小春ちゃんに話しかけられた。
「あの、先輩。そちらの方は、先輩のご両親ですか?」
「あ、うん……。こちら、私のお父さんとお母さんだよ。で、この子は小春ちゃん。同じサークルの後輩なんだ」
一歩引いて手のひらを向けて両者を紹介し、邪魔にならないように横へと移動する。
「いつも遥がお世話になってます」
「いえ、私の方がいつも先輩にお世話になっております。私、姫野小春と申します」
「はじめまして。遥の父です。いつも娘がお世話になっているようで、ありがとうございます」
……何故だろうか。ただ、身近な人達が丁寧に挨拶をしているだけなのに、妙に背中がむず痒く感じる。
「遥は学校やサークルではどんな感じなのかしら? 凛ちゃんに聞いても、あまり話してくれないのよね」
「先輩は、ぬか漬けやチーズの作り方をわかりやすく教えてくれる、頼もしい先輩ですよ。例えば……」
……。なんだか非常に落ち着かない。しかし、口を挟むのも何か違う気がする……。
……居心地の悪さに耐えきれず、こっそりと売店まで移動した。
そこで妙に目にとまった、無駄に筋肉質で仕上がっているシャチのストラップを購入。人気エリアのレジは混み合っていてしばらく並ぶことになったが、ぬいぐるみを小脇に抱え、足取り軽く元の場所へと戻る。
「え、本田先輩って小さなときに僕って言っていたのですか」
「あー……そういえば、そんな時もあったわね……」
「そうなのよー。髪の毛も短くて、よく男の子と間違えられてねー……あら、遥。お帰りなさい」
……すると、いつの間にか凛ちゃんと合流していた。
クラゲのエリアからレストランに向かうなら必ず近くを通るので、合流したのは理解できるのだが……何故か私の恥ずかしい過去を暴露されていた。思わずぬいぐるみを落としかける。
「ちょっと、何話してるの!? やめてよ!」
「ご両親と可愛い後輩を置いて、何処かに行くほうが悪いんですよ。先輩?」
「うっ……」
ニヤニヤしている小春ちゃんに、何も言い返すことが出来なかった。
「むー……まあ、それはともかく。……凛ちゃん。これ、良かったらあげる」
「……なにこれ?」
「シャチのストラップ。可愛いでしょ?」
「……なんでムキムキなの? 腹筋割れてるんだけど……」
「さあ……? でも、可愛いでしょ」
「……まあ、貰っておくけど。ありがと……。で、なんでこれなの?」
「……なんでなんだろうね?」
二人揃って首を傾げていた。そして、二人同時に自然と口元が緩んでいた。全身が何となく軽くなったように感じる。横を見ると、こちらを見ている両親と小春ちゃんも微笑んでいた。
「あ、そうだ。そろそろお昼ですけど、もし良かったらそこのフードコートでご一緒しませんか?」
「えーっと……ごめんね。私たちは、レストランを予約してるから……」
「えー、そんなー……。なら、私は一人寂しくご飯を食べることにしますよ。では、失礼しますね」
泣き真似をしたあとに小春ちゃんが私の横に来ると、小声で話しかけてきた。
「良かったですね、本田先輩。さっきの話を忘れずにお願いしますね?」
そして、小春ちゃんは私達と別れてフードコートへと向かって行った。……小春ちゃん、絶対私よりも歳上だよね?
そんな事を考えながら、そのまま流れるようにレストランへと向かった。
受付を済ませて案内された先は、なんというか、とても凄かった。
店内は全体が青く、まるで海の中のような落ち着いた雰囲気で綺麗だ。目の前には店内の大きなアクリルガラスごしにプールの中をダイナミックに泳いでいく二頭のシャチ。そして、子供達が喜ぶ賑やかな声が聞こえてくる。
白黒の巨体が見えない場所から窓へとひょっこりと顔を見せると、みんな食事を一旦止めて注目していた。
……こんな姿を見せるなんて、間違いなく反則である。中には写真や動画を撮り始める人もいて、私もその一員になっていた。
更に料理はブッフェ形式で、制限時間の間はスイーツも含めて好きなものを好きなだけ食べられるという、私が昔していた妄想が具現化したかのような空間だった。
予約していた席につき、荷物を置いてから料理を見に行く。
「あ、このおにぎりシャチみたい……可愛い……」
おにぎりが崩れないようにトングで皿に運ぶ。
隣の凛ちゃんに顔を向けると、呆れたような視線が返ってきた。
「遥ちゃん、可愛いからって食べれないんじゃない?」
「大丈夫だってばー。そういえば、さっき呼び捨てにしていたんだから、別に呼び捨てでいいよ」
「あれ、呼び捨てしてたっけ……」
凛ちゃんの、魚料理を皿に乗せる手が止まる。
「クラゲのところでしてたよ?」
「そっか……。じゃあ、私のことも呼び捨てでいいよ」
「ううん、凛ちゃんは凛ちゃんだから」
「なによそれ」
いつものように、呆れたような目で見られてしまった。
話しながら肉に魚。そして、色とりどりの野菜を皿に乗せて席に戻る。各々が自由に料理を運び、全員が揃ってから食事を開始した。
「お父さん、野菜ばかりで大丈夫?」
「後で他のを取りに行くさ。遥、沢山取るのもいいが、残さないようにな」
「これぐらいは大丈夫ですよーだ」
小煩い父から視線を外し、母の方を見る。分厚く切られたローストビーフをナイフで切り、無言で一口ずつ口に運んでいた。
今ある分を食べ終えたら、私も後で持ってこよう。
「あ、そうだ。凛ちゃん、さっき小春ちゃんと、また今度サークルの女子会しよーって話をしてたんだけど、どうかな?」
「いや、私は……でも、そんなのどこでするつもりなの?」
「三宮でチーズケーキ食べながらカフェだってー」
「ふーん、三宮ね……ちょっと私にはハードル高いかな」
凛ちゃんが軽くため息をつきながら、お寿司を口に運んでいた。
「小春ちゃん曰く、カジュアルな格好で大丈夫らしいよ。なんか、こういうのって憧れない?」
「まあ、憧れるのは否定しないけど……。小川先輩は好きそうよね、こういうの」
「うん……あの人なら絶対張り切るよね……。あ、シャチがこっちに来たよ!」
こんな感じで時折シャチも見ながら楽しい時間は瞬く間に過ぎていき、今日という日は忘れられない一日となりそうだった。
帰りの車の中、イルカのぬいぐるみを抱きしめながら外を眺める。行きと変わらない道のりだが、隣に座る凛ちゃんとの距離が行きよりもほんの少しだけ近い気がした。




