序幕・前編:蒸気王の魔弾
——蒸気王メギストス・キリディスによって発明された蒸気機関が発達してから、凡そ半世紀。
神への信仰を世界の中心と考える神中心主義者達の宗教国家と、人間を中心に人間の世界は動くべきだと考える人間中心主義者達の人文国家との間で起きた大戦——二十年戦争の終結と同時に、長年の鎖国政策を解除したドロワールは、他国との貿易と、ドワーフ自らが持つ技術力をもって世界一の文明国家という冠詞がつく程の超大国へと発展を遂げた。
世界がようやく自然科学に目覚め初め、火薬、羅針盤、活版印刷などを始めとした世紀の大発明に一喜一憂する中、ドロワールでは馬も無しに馬車が走り、帆も無しに船が海を渡る——。
その様を少数の者は未来と呼んだが、大多数の者は異端と拒んだ。
そう……神への信仰と神秘が形作ったこれまでの前時代を、機械文明という新時代が塗り潰さんとする事を、多くの者は未だ受け入れてはいないのである。
鎖国が解かれた現在だが、ドロワールに住まう者達は日々ひしひしと感じていた。
他国から自分達へ向けられる嫉妬と羨望……似て非なるその二つの感情の中に入り交じって居座る見当違いな義憤の感情を、だ。
機械が神に成り代わる事を良しとしない世界にとって、彼らドワーフの文明は未だ受け入れ難く……しかし、まず間違いなく次の時代の波が起こる場所である事は、誰の目から見ても明白であった。
「第二と第三区画を早く閉じろ! ボイラー室には絶対に火を寄こすな! 宮殿ごと全部吹っ飛んでしまうぞ!!?」
その激動に押されるように、ドロワール北部——海と見紛う程に巨大なウェージャ湖の畔へ建築されたイミール宮殿では、ドワーフ達の怒号が鳴り響いていた。
ピストンの機械的な音と蒸気が漏れる笛に似た音、そしてあちらこちらから上がる火の手によって変形して行く鉄の、ベコっ、ベコっ、という不気味な音が、宮殿の異様な空気感を作り出している。
「早くあの男を見つけ出せ! あれを奪われたらとんでもない事になるぞ!」
「分かってるわい! ドワーフなら口じゃなく手を動かさんか! とっとと水を汲んで来い! こっちの消火の方が先じゃ!」
罵り合う髭男たち。
半ばパニックに陥る彼らは、木製の樽に水を汲んでは消火活動に勤しんでいる。
しかし、彼らの努力も虚しく火の手は一向に収まる様子を見せない。猛々と火力を強めて錆くさい宮殿内を進んで行く。ついにはどこかへ引火したのか、耳を劈く爆発音と同胞の野太い悲鳴が鳴り響き、消火活動に勤しむ彼らの表情に焦りの色が現れ始めた。
「——ハハハ。世界一の文明国家なんて言われてる割には、案外、脆いな?」
火の中にて、突如として響いた落ち着き払った声。
ドワーフの数人が弾かれたように顔を上げると、そこにはフードを目深に被った長身の男が立っていた。軽装に身を包み、背に盾と剣を背負う様は如何にも剣士然とした風貌であったが……ドワーフ達の目を引いたのは、彼が持つ一丁の銃だった。
丁寧にニスで塗膜された木製のグリップ、砲身は薄ぼんやりと黒く、その重厚な色合いにの中に更に黒い文字で幾つものルーン文字が刻まれている魔導銃である。
「イーシッシッシ! そう言ってやんなよケイン! ドワーフなんて昔からこんなもんさ。見た目に反した小心者……だからチマチマ銃やら何やら作ってんだ!」
ケインと呼ばれた長身の男の後から、一体の精霊が羽を羽搏かせながら現れた。
一言で言い表すならば、その姿は一つ目の蝙蝠。イッシッシ! と、歯を剥き出しにして笑った精霊は、そのままケインの肩に留まり、ギョロリとその大きな一つ目をドワーフ達へと向ける。
「「……っ」と、まるで全てを見透かしているような、どこか不気味なその瞳に覗かれた二人のドワーフは、ゴクリと息を呑んだ。
そんな彼らへ——「悪いな?」と。
「俺の相棒は口が悪い。大目に見てやってくれ——けど、拍子抜けっていうのは本当だぜ? コイツを奪う為に、それなりに準備はして来たっていうのに……無駄になっちまった。……時間を返して欲しいね」
溜息交じりに言葉を続けたケインは、肩に掛けた魔導銃を手に取り、値踏みするように瞳を細める。
「……強盗の分際で態度のデカい奴じゃ。それがいったい、どれだけの代物なのか理解しておるのか? それはドロワールの至宝の一つなんじゃぞ……!」
「理解してるから盗りに来たんだろ。コイツは凄い代物だ……天才メギストス・キリディスの最高傑作と呼ばれているだけのことはある。——寧ろ、コイツをこんな錆くさい場所に眠らせてたお前らの方が、物の価値を理解していないんじゃないのか?」
「……勘に触る小僧じゃ。ドワーフ相手に物の価値を説くとはのぉ……いい度胸じゃ」
ケインの言葉を挑発と分かっていながらも、ドワーフ達にとって物の価値を……しかも、自分達の手ずから作り出した物の価値を説かれるのは屈辱である。
額の血管を浮き上がらせ、静かな語り口の中に怒気を含ませたドワーフは、ゆっくりと目を細めてケインを睨みつけた。その罵り合いを聞きつけてきたのか、二人のドワーフの後ろの通路から武装したドワーフ達が現れる。
その手には彼らの手で作られた魔導銃——世界一の文明国家ドロワールで作られた最高品質の魔導銃が握られていた。
その銃口をケインへと向けたドワーフ兵たちの殺意を、涼しい顔で受け流したケイン。やれやれと言わんばかりに肩を竦めた彼らを鼻で嗤うと、同意を求めるように一つ目蝙蝠の精霊へと顔を向けた。
イシシシシッ! と、それに応えるかのように一つ目蝙蝠の精霊が嗤う。腹の立つその態度に、ケインと会話をしていたドワーフのが舌打ちをする。自らの怒りを発散するかのように、彼は右手を頭上へと振り上げ——
「……撃てぇぇぇい!!」
——怒号と共に振り下ろした。
次の瞬間、号令を合図に無数の銃声が轟く。諸国に出回っている旧型の魔導銃とは違い、その威力も、連射性能も、弾道の正確さも全ては並外れている。
「——クルクス、頼むぞ」
「——あいよ!」
一斉に襲い掛かった弾丸の嵐の中。
名を呼ばれた一つ目蝙蝠——魔眼のクルクスが、その大きな目を更に大きく見開く。同時に、フードの奥でケインの瞳が怪しく光る。
そして、今まさに自身の命を刈り取らんとする無数の弾丸を、ケインは半身を捻り、上体を反らし、そのまま宙返りで躱し——と、不可視で迫る弾丸の全てを見えているとしか思えないような動きで回避する。
「なんちゅう奴じゃ……っ!!?」と、流石のドワーフ達もケインの動きには舌を巻き、引金を引く指に苛立ちと焦りが混じり始めた。
「魔具の扱いがまるでなっちゃいないな……。理解したよ。やっぱりお前達ドワーフは、骨の髄まで“作り手”だ。——“使い手”には及ばない」
「「「「「……っっっ!!?」」」」」
弾丸を交わしながら徐々に後方へ退がるケインが、突き当りの壁にまで追い詰められた時だった。肩に掛けた魔導銃を引き抜き、その銃口をドワーフ達へと向ける。
次の瞬間——轟音。
ドワーフ達の息を呑む音、その野太い悲鳴さえも掻き消す程の……凡そ小銃から発せられる銃撃音とは思えぬ程の大音量が、周囲一帯へ鳴り響く。火山の噴火に似た爆発がこの工場の一角を吹き飛ばす。
割れた工場の外壁から黒煙と火の手が漏れ、ウェージャ湖の畔に充満した。
「いい月だ。おかげで新しい力を認識できる」
その火の手と黒煙の中から気障な呟きと共に現れたケイン。巨大な一体の精霊——小型の蝙蝠程度の大きさしか無かった筈のクルクスが、怪鳥と見紛う程に巨大化し、契約者であるケインをその背に乗せて飛んでいる。
自らで開けた大穴を満足気に見下ろし、ケインは静かに口元を曲げた。
「ケインまだだ! 少しは骨があるみたいだぞっ!」
「ハハっ、みたいだな? ……そうでなくっちゃ困る」
しかし、その黒煙を払うように一発の銃弾が空を穿ってケインへと迫る。その弾丸に続くように二発、三発、四発、と……連なる銃撃音が徐々に黒煙を払い、その弾丸の出所を露わにした。
軽くその銃撃を交わしながら、ケインは冷然に瞳を細め地上へと視線を向ける。
「舐めおってからに……! 儂らドワーフはこの程度じゃ死なんわい!!」
恐らくは何らかの魔道具だろう。先程までケイン達が銃撃戦を繰り広げていた通路には、光の幕によって覆われたドワーフ達が銃口をケインに向けていた。あれでケインの銃撃を防いだのは明白だが、完璧には防ぎきれなかったのか、やはり数名のドワーフ達が戦闘不能の状態で倒れ伏している。
「儂の声が聞こえる者は全て空を狙えぇい!! ドロワールと、儂らドワーフの威信に掛けて……何としてでも、あの魔導銃だけは取り返すんじゃぁぁ……!」
ドワーフの一人が声を張り上げる。彼らの見た目通りに逞しく、そして空気を震わせるような大声だ。工場全体に響き渡るその大声に釣られ、火の手が上がる工場の彼方此方から魔導銃を持ったドワーフ達が夜空を見上げた。
満月と火の明かりに照らされ、ドワーフ達の眼にケインとクルクスの姿が映る。
対して——、彼ら二人の瞳に映ったのは、五百は優に超える膨大な数の銃口。その全てが自分達に狙いを定め、その銃を持つ銃撃手が殺意を向けている姿だった。
「——撃てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい……っっっ!!」
次の瞬間、地上から無数のマズルフラッシュが光輝いた。
「数を揃えたって意味は無いさ……全部、見えてんだからな?」
迫りくる無数の死を前に涼し気に微笑んだケイン。その瞳にはしっかりと、自身を狙う弾丸の数が見えている。数だけではない。弾丸一つ一つの弾道や、その回転数まで、彼の目には……文字通り全てが見えていた。
「クルクス」
「あいヨっ!!」
彼が相棒の名を呼ぶ。待っていたとばかりにクルクス滑空を始め、蜘蛛の巣のように張り巡らされた弾幕の隙間を器用に抜けて行く。
アクロバティックに飛行を続けるクルクスの背の上で、ケインは背中を小剣を引き抜き、当り前のように銃弾を弾いて行くと、次いで魔導銃を二発、地上へと放った。
再び凄まじい轟音が鳴り響き、宮殿の二か所から爆発の火の粉が上がる。
次の瞬間、そのたった二発だけで五百を超える弾丸の銃撃手たちが沈黙し、ケインは物足りないとばかりに肩を竦めた。
「……クソったれめぇ!? 奴は背中に目でもついとるのかっ!?」
そうとしか形容できない芸当を目の当たりにしたドワーフ達から、憤りの声が上がる。周囲を見ると、何とか防御用の魔具を展開した他のドワーフ達が、爆発に巻き込まれた仲間たちの救助に当たっているのが見えた。
中には瀕死の者も散見され、状況は明らかに劣勢である事が分かる。
「……」
たった二発の弾丸でここまで追い詰められたという事実を目の当たりにし、先程までケインと言葉を躱していたドワーフの一人が言葉を失って沈黙した。
「——見ての通りだ」
「……っ!」
その沈黙したドワーフ——アルディス・キリディスは、自身の耳に届いた声に釣られて空を見上げる。そこには、腹が立つ程に綺麗な満月を背に微笑むケインの姿があった。
クルクスの背に立って魔導銃を肩に担いだ彼は、アルディスを睥睨する。
「正しい使い手に渡った魔具はここまでの効果を発揮する。お前達じゃここまでは扱いきれない。コイツを作った奴も本望だろ……自分の作品をここまで使いこなしてくれてるんだからな」
「……黙れ、二十年戦争の亡霊め。貴様のような傭兵崩れの為に、親父殿はその銃を作ったわけじゃないわい……!」
「そうかい。まぁ、どうでもいいさ」
「……っ! 待たんかっ……!」
アルディスの言葉に然して興味も無く流したケインは、小剣と魔導銃を仕舞うと地上に背を向けた。そのまま飛び去って行こうとする背中にアルディスが叫ぶが、彼の制止の声を聞かずに、クルクスが両翼を羽搏く。
「——あぁ、そうだ……一つ、言伝を頼めるか?」
と、彼らが飛び去ろうとした瞬間。
静かな笑みを浮かべながら、ケインがフードを脱ぐ。冷然とした瞳と無精髭、少し草臥れた表情の相貌が露わとなった。そのままアルディスを見下ろしたまま、彼は口を開く。
「お前達が匿ってる白狼のお嬢様に伝えておいてくれ。——せいぜい眠れない夜を過ごすといい、ってな?」
——じゃあな、また会おうぜ? と最後に言い残し、万能の傭兵……ケイン・マクガーレンは、火の粉の深い橙に照らされる夜空の向こう側へと消えて行った。




