8.恋バナ
「おっ、アナ姉、今訓練終わりかい?」
大声で呼びかけられてクロガネ・アナベル少佐はきょろきょろと辺りを見回し、入口から一番遠くのテーブルでこちらに向かって勢いよく手を振っている女を見つけた。ここは第一機動部隊旗艦アズライグ・ゴッホの大食堂である。クロガネは第一機動部隊偵察中隊の隊長で、2個駆逐隊との合同訓練を終え、ビールでも一杯やろうと1人で食堂にやってきたところである。
クロガネは軽く手を振るとそのテーブルに歩いていく。クロガネを呼んでいたのはグロリア・ソラレス少佐で、その隣にはグエン・ティ・ホアン中尉もいる。2人とも今日は非番で、私服姿だ。グエンもケーキをつつきながら軽く会釈をする。クロガネはヘルメットをテーブルに置くと、空いている椅子にドカリと座り、給仕ロボットを呼んでビールを注文した。
「なんだい、2人とも非番のくせに艦に残ってたのかい? 気晴らしに地上にでも行ってくればよかったのに」
クロガネが言うのにソラレスは口を尖らせた。
「いや、アタシもそう言ったんスよ。服でも買いに行こうって。でも、ほら、ホアンは『ちょっと艦でやることがあるから』って・・・・」
ちょうどやってきたビールのジョッキを「いただくよ」とばかりに目の高さまで上げると、クロガネはごくごくと喉を鳴らしながらビールを流し込む。あっという間にジョッキ半分のビールが消えた。ああ、満足そうに溜息を洩らすと、口を拭いながらクロガネはグエンに向かって片目をつぶってみせた。
「そうか、ホアンは愛しの彼が気になってそれどころじゃないってか」
「そんなんじゃないです!」
グエンは真っ赤になって否定する。アルビノの透き通った肌だけに分かりやすい。クロガネが言っているのは、隣のカロディール星系で通商破壊作戦及び訓練に従事している第一機動部隊分艦隊司令ヴィクター・ウォラフソンのことだ。彼らがモートンを旅立ってもう1ヶ月になる。
「寂しいよなあ? しかしヒューイを手懐けて彼との距離を縮めようなんて、いじらしいよなぁ」
ソラレスがからかうのにグエンはムッとした顔をする。
「馬鹿なことを言わないでください。ヒューイとは仕事でコンビを組んでるから・・・・そんなことより、グロリアさんだってリーマン少佐とデートにでも行けばよかったじゃないですか。今日、確か少佐も非番でしたよね」
思わぬグエンの反撃に今度はソラレスの顔が真っ赤になった。
「バカ! アイツとアタシはそんなんじゃねえよ! だいたいアイツは・・・・」
そこで大声が周りの視線を集めていることに気付いてソラレスは顔を顰め、テーブルの上に身を乗り出すと囁いた。
「アイツはレースとマシンにしか興味のない正真正銘のオタクだぜ」
ふふ、笑ってクロガネは残りのビールを飲み干すと、お代りを頼みながらわざとらしく大仰に溜息をついてみせる。
「いいねえ、実のありそうな恋バナができる年頃ってのは」
「姉さんには誰か気になる人がいないんスか」
32歳になるクロガネはお代りのジョッキを片手に、ショートカットの黒髪をかき上げながら豊満な胸を反らしてニヤリと笑った。
「あれ言わなかったっけ? アタシの一押しはもちろんデビッド・ソール大佐さ。あのいかつい顔に樽みたいなビール腹、ドラ声がたまんないだろ?」
ソラレスとグエンは顔を見合わせる。
「でも、ソール大佐には奥さんも子供もいますよね・・・・」
「そうさ、だから実のありそうな恋バナができる年頃ってのが羨ましいって言ってんのさ。気をつけな。アタシぐらいの年頃になっちゃうと、自分の周りのいい男ってのは大抵、誰かのものになっちゃってるもんだからさ」
へえぇ、まあそんなもんかもしれないっスね、感心したようにソラレスが腕を組んで頷いた時、食堂のスピーカーが突如がなりだした。
「達する。カロディール星系防衛艦隊の出撃を探知。分艦隊は攻撃態勢に移行。非番以外の司令部要員は直ちに艦橋に集合せよ。繰り返す・・・・」
ハッとしたようにグエンが顔を上げ、そわそわし始めた。クロガネとソラレスは顔を見合わせ、ニヤッと笑うと肩をすくめた。
「行っといで、ホアン。気になるんだろ」
グエンは2人のニヤニヤ顔に気付かなかったのか、慌ただしく頷くと席を立った。
「あの、すみません、私、ちょっと・・・・」
小走りに食堂を出ていくグエンにクロガネは声を張った。
「軍服に着替えていくんだよ! じゃなきゃ、司令官がうるさいからさ」
クロガネはビールジョッキを少し見つめた後、またごくごくと飲み始めた。
「いいねぇ、初々しくってさ」
「アタシらにも出動命令が出ますかね?」ソラレスの問いにクロガネは肩をすくめた。
「さあね。幕僚長殿なら上手くやるだろ。どちらにしろ、」
そう言うと、クロガネは残りのビールを一気に飲み干した。
「今から準備して行ったって、間に合いっこないだろうさ」




