第60話 外れてくれ
8月1日の朝。
黒曜の入口には、いつもより多くの人が集まっていた。
冒険者だけではない。学院の制服を着た生徒もいれば、まだ眠そうな顔で友人に引っ張られてきた者もいる。
その視線の先に、8人がいた。
《栄光の翼》。
学院最強と呼ばれるパーティが、遠征へ出る朝だった。
「……格好いいな」
思わず、口に出た。
朝の光を受けた金髪。整えられた装備。仲間の話へ耳を傾けながら、短く指示を返すユリウス先輩。
いつもの穏やかな顔なのに、立っている場所が少し遠く感じられる。
まるで物語の主人公のようだ。
その隣では、レオノーラが手袋を締め直していた。
赤い髪が、肩の後ろで揺れる。
腰の剣へ添えた手も、入口へ向けた眼差しも、迷いがない。
「お姉様、ああいう時は本当に格好いいんだよね」
エステルが、俺の隣で言った。
「そうだな。普段も格好いいけど、今日は見惚れるな」
「うん。今の、あとで言ってあげて」
いたずらっぽく笑う。
シルヴィアは2人の会話を聞きながら、8人へ目を向けていた。
「わたくし、見送りに来てよかったですわ」
いつになく、素直な声だった。
クラリッサ先輩は仲間の1人と荷物を確かめ、終わると小さく頷いた。銀縁の眼鏡の奥の目が、こちらを見つける。
手を振ってくれた。
シルヴィアが、嬉しそうに会釈を返した。
*
「今度こそ、27層を越えるつもりなんだな」
後ろから、男子生徒の声がした。
「23でも十分すごいのに、まだ行くんだぜ」
「そりゃ、あの8人だぞ」
少し離れた場所では、冒険者たちも足を止めている。
「学生の記録、塗り替えるかね」
「さあな。ただ、準備にはずいぶん時間をかけてたらしいぞ」
「若いのに、いい顔してるじゃねえか」
声を聞きながら、俺は8人へ近づいた。
ユリウス先輩が、こちらへ身体を向ける。
「おはよう。3人とも、早いね」
「見送りくらいは、遅れずに来たかったので」
「ありがとう」
先輩は俺の装備を見て、目を細めた。
「君たちも、今日からだったね」
「はい。まずは2泊3日で」
俺たちの荷物も、普段とは違った。
泊まるための道具を用意し、食事と見張りの順番も相談してある。ギルドへ出した帰還予定は、8月3日の夕方だ。
日帰りで何度も通った場所と少し先に、今度は夜まで残る。
それだけなのに、朝から少し落ち着かない。
「最初の夜は、眠りが浅くなるかもしれない。翌朝は、そのつもりで動くといい」
「はい」
「強い魔法を何回使えるかと、3日間元気に歩けるかは、少し違うからね」
隣のエステルが、真剣に頷いた。
レオノーラもこちらへ来る。
「野営は、先に確かめた場所を使えよ」
「第3層の、東の道から外れたところです。退路も確認しています」
「ああ。あそこなら、入口を見張りやすい。人がいたら、無理に割り込まず別の候補へ回れ」
「分かりました」
7月後半、俺たちは第4層へ足を踏み入れた。
そこから先へ急いではいない。
新しい魔物と戦い、戻り、また同じ道を歩く。その間に、泊まるならどこがよいかも確かめてきた。
学校が終わってから潜る時には、どうしても地上へ戻る時間が要る。
夏休みなら、そこで1度眠って、翌日も続けられる。
まずは、その経験をしようと決めたのだ。
「お姉様。見張りも、交代でちゃんとやるから」
エステルが言う。
「当然だ。オスカー1人に任せるなよ」
「任せないよ。オスカー、放っておくと、わたしたちを寝かせて自分は起きてそうだもの」
否定しかけて、やめた。
1度くらいは、考えた。
「……交代するよ」
「今、少し間がありましたわね」
シルヴィアに見られた。
初めての泊まり込みだ。
俺自身の扱いまで含めて、3人で相談する必要がありそうだった。
*
クラリッサ先輩が、シルヴィアへ何か言っていた。
「練習した分は、ちゃんと身についているわ。慌てなければ大丈夫」
「はい。ありがとうございました」
「使ってみた話も、聞かせてね」
シルヴィアが頷く。
何の話だろう。
補助魔法についてかと思ったが、彼女は俺と目が合うと、少しだけ笑った。
「あとで、お見せしますわ」
「また、何か覚えたのか?」
「ええ。今回、必要だと思いましたので」
エステルが、すぐに身を乗り出した。
「何? 新しい魔法?」
「あとで、と申し上げたでしょう」
「気になるなあ」
クラリッサ先輩が楽しそうに笑う。
「帰ったら、また続きをしましょう。教えたいことは、まだあるの」
「はい。楽しみにしております」
その言葉を聞いた時だった。
胸の奥が、すっと冷えた。
帰ったら、続きを。
頼りになる先輩たち。
学院の記録を越えるための、最後の大きな遠征。
戻ってきた後の約束。
……やめろ。
頭に浮かびかけた続きを、止めた。
そういう話は、知っている。
主人公を導いた人たちが、笑って遠くへ出かけていく。残された者は、自分の目標に向かって進みながら、その帰りを待つ。
そして、ある日。
そこまで考えて、指を握り込んだ。
何かを感じ取ったわけではない。
遠くでこれから起きることを、俺が分かるはずもない。
ただ、知っている物語が、勝手に目の前へ重なった。
いつもなら、テンプレか、と内心で構えていた。
用意できるものを並べ、起きた時にどうするか考えた。
だが、今は、その続きを考えたくなかった。
「オスカー?」
ユリウス先輩の声で、顔を上げる。
「どうしたの?」
穏やかな目が、こちらを見ている。
雷が上手く出せずにいた俺へ、何度でも手本を見せてくれた人だ。
横には、木剣を握る俺へ付き合い、できた時には頷いてくれた人がいる。
クラリッサ先輩は、シルヴィアが新しい魔法を使えるようになったことを、自分のことのように喜んでいた。
俺は、この人たちの笑い方を知っている。
「……必ず、帰ってきてください」
思っていたより、強い声になった。
ユリウス先輩が、1度だけ瞬きをした。
「8人で」
言い足した。
それ以上は、言えなかった。
嫌な話を思い出したので行かないでください、などと。
この人たちが積み重ねてきたものを、俺の連想だけで止められるはずがない。
先輩は少しの間、俺を見ていた。
やがて、静かに頷いた。
「ああ。8人で帰ってくるために、準備してきた」
飾らない言葉だった。
「君たちも、3人で戻っておいで」
「……はい」
頷くと、肩へ手が置かれた。
レオノーラだった。
「いい報告を待っているぞ」
「レオノーラ殿下たちの報告も、待っています」
「ああ」
手が、軽く肩を叩いた。
温かかった。
*
出発の声がかかった。
8人が、入口へ向き直る。
見送る生徒たちの間から、声が上がった。
「会長! 記録、お願いします!」
「レオノーラ殿下、頑張ってください!」
「全員、帰ってこいよ!」
最後の声に、仲間の1人が手を上げた。
ユリウス先輩も振り返り、笑う。
レオノーラは、エステルの前で1度足を止めた。
「では、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい、お姉様」
姉が妹の頭へ手を伸ばす。
エステルは少し照れた顔をしながら、その手を避けなかった。
髪を撫でてから、レオノーラが俺を見る。
その視線が、右手首で1度止まった。
「腕輪には、慣れたか」
「はい。斬った後に剣を戻すところまで、意識しています」
「よし。帰ったら見てやる」
「前より使いこなせるようになって、お待ちしています」
レオノーラは、満足そうに頷いた。
「妹を頼む」
「はい」
「だが、必要以上に距離を詰めるな」
「お姉様」
「大事なことだ」
エステルが、わざと俺の隣へ半歩寄った。
レオノーラの眉が動く。
クラリッサ先輩が、彼女の肩へ手を添えた。
「続きは、帰ってからね」
「……分かっている」
少しだけ笑いが起きた。
俺も笑った。
今度は、その言葉を聞いても、続きを想像しないようにした。
8人の背中が、黒曜の中へ消えていく。
金色が見えなくなった。
赤い髪が、岩の陰へ隠れた。
最後の1人が振った手も、やがて見えなくなった。
入口には、朝の光だけが残った。
今回は、外れてくれ。
心の中で、もう1度だけ思った。
*
「オスカー」
袖を、軽く引かれた。
シルヴィアがいた。
「わたくしたちも、参りましょう」
「ああ」
「……心配ですの?」
俺は入口を見てから、彼女へ向き直った。
「お世話になった人たちだからな」
「ええ。わたくしもです」
シルヴィアも、同じ方を見た。
「でも、あの方々に教わったことを、わたくしたちもちゃんと使いましょう。戻ってきた時に、話せるように」
俺は頷いた。
隣でエステルが、杖を持ち直す。
「お姉様たちに負けないくらい、いっぱい経験しよう」
「そうだな。まずは2泊3日、3人でやってみよう」
エステルの頬が、少し緩んだ。
「2晩とも、一緒なんだよね」
「そうなるな」
「朝、起きても、オスカーがいるんだ」
「見張りの順番によるけど」
「……そういうことじゃないんだけど」
シルヴィアが、口元へ手を当てた。
「探索に集中してくださいませ」
「シルヴィアは楽しみじゃないの?」
「楽しみですわ。探索は」
「ふうん」
妙に長い相槌だった。
シルヴィアは返事をせず、荷物の留め具を確かめる。
先程も、同じ留め具を見ていた気がする。
俺も少し、意識してしまった。
これまでは、夕方になると別れていた。
夜食の心配をしても、寝具を並べる場所までは相談しなかった。
今夜は、その先まで一緒にいる。
迷宮で寝る、という新しい経験に、別の落ち着かなさが混ざり始めた。
*
出発前の確認を済ませた。
8月3日、夕方までに帰還。
初日は第4層で、これまでに確かめた道から先へ進み、第5層へ続く階段を探す。夜は下見済みの第3層へ戻って泊まる。
2日目は第5層へ進み、余力と帰路を確かめて、第6層の入口周辺までを見る計画だ。
ギルドでは第5層の野営候補地も教わった。2晩目はそちらへ移り、3日目を帰路に使う。現地で泊まれる状態でなければ、先へ進まず引き返す。
層の隅々まで歩くのは、また次でもいい。今回は地図にある主な道を辿り、泊まりながら先へ進む経験を積む。
2人も、泊まりで活動することは家へ伝えてある。
寝具、食料、水、薬。共同の道具は、俺の収納とエステルのバッグへ分けた。すぐ使うものは、いつもどおり手元にも残している。
テントは2つ。
俺用と、2人用だ。
ブルーノがいたら、「まさか寝る時も一緒なのか?」と真っ先に聞いてきただろう。
幸い、今はここにいない。
帰ってから聞かれたら、探索の報告を先にしよう。
「8月3日か」
日付を確認し、ふと呟いた。
ずっと気にしていた日だ。
父からの返事には、支払済みと書いてあった。
今は、3人で帰ってくる日として、同じ数字を見ている。
父へは、夏休みに帰りたいことと、2人も訪問を希望していることを、あの後の手紙で伝えた。具体的な日程は、都合を合わせてからだ。
その前に、また1つ、話すことを増やしてこよう。
「準備はいいか?」
「ええ」
「うん!」
2つの返事が重なる。
もう1度、入口の奥を見た。
先輩たちは、先へ進んでいる。
俺たちも、自分たちの道を行く。
不安は、完全には消えていなかった。
それでも、隣にいる2人まで、不安な顔で歩かせたくはない。
「行こう」
俺は2人へ笑いかけた。
エステルが笑い返し、シルヴィアが頷く。
3人分の足音が、朝の光から迷宮の中へ入っていった。




