第57話 その先へ
翌朝、教室へ入った俺を出迎えたのは、槍の構えだった。
正確には、丸めた紙を槍に見立てたブルーノである。
「待っていたぞ、エルフォード。俺の新たな必殺――」
「授業で提出するやつでしょ、それ」
隣からフェリクスに指摘され、ブルーノが手元を見た。
丸まった紙の端に、名前と日付が見える。
「……伸ばせば大丈夫だ」
「先端、潰れてるぞ」
槍は、戦う前に机へ戻った。
7月14日。
ジュリアンとの決闘から、1晩が経っていた。
学院の廊下では、まだ彼の技名が飛び交っている。長すぎて誰も正しく覚えていないため、場所によって内容が違う。
階段の踊り場で聞いた技名には、昨日より星が3つも増えていた。
「おはよう。今日は薔薇、持ってこなかったんだね」
エステルが隣の席から笑いかけてくる。
「あれは先輩に任せるよ。俺が持ってきたら、挨拶する前に吹き出すだろう?」
「昨日のあれ、実技の授業に入ったらどうしよう」
「まずは手を挙げて、先輩のお手本をお願いしたいな。あんなに楽しそうに槍を振れるのは、ちょっと羨ましい」
思い出すと、こちらまで笑ってしまう。強かったし、何より自分の槍が大好きな人だった。
俺が鞄を下ろすと、シルヴィアがこちらを向いた。
「お2人とも、もうその話はよろしいでしょう」
「そうだな」
昨日は、彼女も十分に疲れただろう。
ここでやめておこうと思ったところで、エステルが首を傾げた。
「でも、ジュリアン先輩、最後はちゃんと謝ってくれたね」
「……ええ。そこは、よかったと思っていますわ」
シルヴィアは少し考えてから答えた。
扇を開いて顔を隠すこともなく、静かに息を吐く。
「これからは、普通にお話しできるとよいのですけれど」
「そうだな。手合わせも誘ってもらったし、次はゆっくり話せるといいな」
シルヴィアが小さく頷いた。
エステルも笑いながら、授業の支度へ戻った。
*
「それで。お前、昨日はどこまで読んでいたんだ」
ヴィンセントが、机の横へ来た。
俺は椅子を少し引いた。
「最後の突きか?」
「ああ。最初から足を止めるつもりだったのか」
近くの生徒も顔を向ける。
ブルーノは、伸ばしかけた提出物から手を離した。
「途中からだ。こっちが入ろうとすると、少し下がって間合いを取り直していたからな」
机の上で指を動かす。
ジュリアンの槍は長い。穂先を外しても、そのまま追えば柄で迎えられる。
だから、下がる足を止めた。
「先輩の足運びは上手かった。でも、同じ間合いへ戻ろうとするなら、どこへ足を置くかは予想できる」
「……そのために水を撃ったのか」
「当たれば、それでもよかった。避けられた後に、濡れたところを使ったんだ」
全部が、最初から決まっていたわけではない。
相手が違う動きをすれば、こちらも変える。
ヴィンセントは卓上を見ながら、指先で小さく線を引いた。
「俺なら、あそこまで入られた時点で崩されていたな」
独り言に近い声だった。
隣で、ブルーノが頷く。
「俺は名前の途中で突っ込んで、刺される気がする」
「それ、昨日の俺も1度考えた」
「お前もかよ」
「隙があるなら行こうと思った。でも、槍先はずっとこっちを向いていた」
話しながら、昨日の穂先を思い出す。
あれだけ喋って、視線まで観客へ向けて、それでも相手の踏み込みに反応できる。
技名には付き合いきれないが、身につけるまでに相当な数を繰り返したのだろう。
「強い先輩だったよ」
俺が言うと、ヴィンセントは1度頷いた。
「それに勝つお前が、腹立たしいんだがな」
「褒めてる?」
「……半分は」
残り半分を聞く前に、リネットが口を挟んだ。
「ヴィンセントさん、昨日、帰る途中で3回くらい最後の動きを試していましたよ」
「リネット」
「道の真ん中で急に止まるので、ぶつかりそうになりました」
「それは悪かった」
素直に謝った。
ブルーノが笑い、フェリクスが眼鏡を押し上げる。
「夏休みには、僕たちも練習を頼みたい。迷宮へ行かない日でいいから」
「ああ。予定を合わせよう」
「俺もだ」
ヴィンセントが、すぐに続けた。
「今度は、昨日の土の使い方を見せろ」
「もちろん。その代わり、俺の練習にも付き合ってくれないか? 相手をしてもらえると助かるよ」
彼は少し意外そうに俺を見た。
それから、口の端を上げる。
「いいだろう。そう簡単には止まってやらんぞ」
挑戦状ではなく、練習の約束。
こういうのは、いくら増えても歓迎だった。
ただし、名前を考える会は除く。
*
昼休み、訓練場の端で軽く剣を振っていると、レオノーラが来た。
手には木剣を持っている。
「昨日は、ずいぶん盛り上がったらしいな」
「はい。聞こえていましたか」
「生徒会室まで聞こえた。何度か終わったのかと思ったが、そのたびに続きを叫んでいた」
すまない。
あれは俺にも、止められなかった。
レオノーラは向かいへ立ち、木剣を持ち上げた。
「最後の踏み込みを、見せてくれ」
「今ですか?」
「時間は取らせん。お前たちは、今日は第3層だろう」
「はい」
昨日の決闘で、予定は1日ずれた。
だが、その分、資料は読み直せた。放課後には、3人で黒曜へ向かうつもりだった。
俺は間合いを取り、身体強化を使う。
レオノーラの木剣を自分の剣で外へ払い、その懐へ踏み込む。
その瞬間、胸の前へ剣先があった。
止まる。
「……速いですね」
「お前の肩が動いてから、合わせた。私と戦った時の最後の一撃は、それがなかったな」
力を抜いたつもりだったのに、見てもらおうと意識すると、肩に力が入ってしまう。
あの1度を、いつでも出せるようにしたい。
レオノーラは剣を下ろした。
「昨日の相手には通った。だが、相手が下がるとは限らん。こちらから入ってくる者もいる」
言いながら、俺の前へ1歩出る。
槍の内側へ入るつもりだった距離に、もう彼女がいる。
「起こりを隠しても、間合いや状況から攻撃を予想する相手はいる。横へ抜けるか、剣を残して受けるか。読まれた時の次も考えて入れ」
「もう1度、お願いします」
「ああ」
今度は、身体を前へ運びすぎないようにした。
胸へ来た木剣へ自分の剣を合わせ、横へ足を出す。
抜けた、と思ったところで、肩を軽く叩かれた。
「足だけ逃がして、剣を置いていくな」
「……はい」
厳しい。
だが、何を間違えたのかは、さっきより分かった。
3度目には、叩かれる前に剣を戻せた。
乾いた音が鳴る。
レオノーラが頷いた。
「それだ」
教わったとおりに動けたのが嬉しくて、自然と口元が緩んだ。
「ありがとうございます」
「まだ、身についたわけではないぞ」
「はい。でも、今のは分かりました」
レオノーラも、少し笑った。
「……そういう顔をされると、つい続きを教えたくなるな」
「お姉様。昼休み、終わっちゃうよ」
振り向くと、エステルとシルヴィアが立っていた。
シルヴィアの手には、俺が頼んでおいた昼食の包みがある。
レオノーラが、校舎の時計を見た。
「まだ、もう1本くらいは――」
「オスカー、ご飯食べてないの」
「……そうか」
木剣が下がった。
エステルが俺の方へ来て、楽しそうに目を細める。
「雷の練習の時は、お姉様、いつ剣に戻るんだって言ってたのに」
「魔法の後には、剣も必要だろう」
「今は剣の後に、お昼が必要だよ」
反論の余地がなかった。
シルヴィアが包みを差し出してくれる。
「こちらも、冷める前にお願いいたしますわ」
「助かった」
受け取ると、まだ温かかった。
レオノーラは木剣を脇へ抱え、俺たちを見た。
「第3層は、通路の広さが変わる場所に気をつけろ。狭い道から出た途端に、横を取られることがある」
「はい。まずは入口の周辺から確かめます」
「足元だけを見て、頭の上を忘れるなよ」
エステルが、小さく頷いた。
俺も、今の言葉を覚えておく。
初めての場所で迷った時に、思い出せるように。
*
放課後のギルドは、いつもどおり賑わっていた。
俺たちが第3層の地図を確かめていると、エマさんがカウンター越しに声をかける。
「今日は、初めて下りるんですね」
「はい。遠くまでは進まず、戻る道を確かめてきます」
「それなら、階段を下りた先の広間から、東へ出る道を。比較的、見通しが利きます」
エマさんが、地図へ指を置いた。
同じ第3層でも、通路の幅も、魔物が出やすい場所も違う。最初は慣れた冒険者の記録が多い道から進みたい。
「こちらの狭い道は、岩棚の陰に気をつけてください。上から飛びつかれたという報告があります」
「お姉様と同じこと、言ってる」
エステルが呟いた。
シルヴィアは地図へ目を落とし、通路の脇に短く書き込む。
「足元と、上ですわね」
「あと、前もな」
「それは、あなたにお願いします」
「分かった」
地図を畳み、帰還予定を伝えた。
外へ出ると、夏の日差しが石畳に残っている。
エステルは杖を握り直し、歩調を少し速めた。
「やっとだね」
「ああ」
「階段のところで帰るたびに、1段だけ下りちゃ駄目かなって思ってた」
「気持ちは分かるな。俺も、下を覗きたかったよ」
「でしょう? 待つの、長かったよね」
そう言って笑う。
その隣でシルヴィアも、口元を緩めた。
「今日は、ちゃんと下まで行けますわ」
同じ道を歩いているのに、3人とも、いつもより少し足が軽かった。
*
第1層と第2層は、慣れた道を必要な戦いだけで抜けた。
やがて、岩の壁が途切れた。
第3層へ続く階段が、暗がりへ伸びている。
何度も、ここまで来た。
そのたびに、階段を前に引き返していた。
今日は、下りる。
「2人とも、いいか?」
「うん」
「ええ」
短い返事を背に、最初の1段へ足を置いた。
階段を下りると、広間へ出た。
「……大きいね」
エステルが声を落とした。
太い岩柱が並び、奥の通路を隠している。
俺は足を止め、探索マップを確かめた。
近くに、反応が3つ。
柱の向こう側だ。
「右の柱の奥。3匹いる」
小さく伝えると、エステルの表情が変わった。
シルヴィアも杖を持ち上げる。
柱の陰から、灰色の背中が現れた。
額から太い角を伸ばした、大きな山羊だった。資料にあった岩角山羊だ。細く見えた脚で、岩の縁をしっかり掴んでいる。
続いて、もう1匹。最後の1匹は、低い岩の上へ足をかけている。
こちらに気づいた1匹が、角をこちらへ向けた。
「階段を背にしすぎると、動きにくい。左へ寄ろう」
広間の端に、足場の平らな場所がある。
2人が移動する間、俺は前へ出た。
シルヴィアの詠唱が聞こえる。
「巡る力よ、彼の身に満ち、踏み出す歩みを支えよ――《フィジカルブースト》」
身体へ、温かい力が広がった。
剣を握る手が軽くなる。
山羊が走り出した。
1匹は真っ直ぐ。もう1匹は柱の外を回る。
岩の上の1匹が、後ろ足を縮めた。
「上、来るよ!」
エステルの声。
俺は、目の前の山羊へ剣を向けたまま頷いた。
「頼む!」
頭上で、風が鳴った。
短縮詠唱で放たれた《ゲイル・エッジ》が、飛びかかった山羊を横から捉える。
その身体が柱の向こうへ落ちるより早く、目の前へ太い角が迫った。
俺は半歩外へずれ、斬る。
刃が通った。
だが、山羊は止まらなかった。
肩から血を散らしながら、なおも身体ごと押し込んでくる。
重い。
白晶で戦った角狼のつもりなら、ここで押されていた。
俺は剣を身体の近くへ戻しながら、横へ足を出した。山羊が頭を振ってきても、角を受けられるように構えを保つ。
昼休みに、剣を置いていくなと言われたばかりだ。
脇を抜けた山羊へ向き直り、今度は首へ剣を通した。
倒れる。
「左を止めますわ!」
柱を回ってきた最後の1匹の足元へ、氷が走った。
シルヴィアの《フロスト・チェイン》が、その脚を捉える。
山羊は角を振り、身体をひねった。
氷が軋む。
俺が向かおうとした時、エステルが1歩前へ出た。
「そのまま、お願い」
雷の詠唱が始まる。
「空を渡る雷光よ、我が魔力を束ね、指し示す先を貫け――《サンダー・ボルト》」
白い光が、広間を走った。
山羊の身体が跳ね、動かなくなる。
雷鳴の余韻が、遠い壁へ消えていった。
俺は剣を構えたまま、探索マップを確かめる。
風で撃ち落とした1匹も含め、3匹とも反応が消えていた。新しく近づく魔物もいない。
「……終わった」
伝えると、2人が杖を下ろした。
エステルが、小さく息を吐く。
「最初の子、あの高さまで跳ぶんだね」
「思っていたより、遠くまで来ましたわ」
「ああ。先に見てくれて助かった」
最後の山羊が白い粒へ変わるのを確認してから、俺は剣を下げた。床に残ったのは魔石と、短く太い角だった。
問題なく勝てた。
だが、第2層とまったく同じではない。
1撃で止まると思った相手が、踏み込んでくる。見上げる位置から、後ろの2人へ届こうとする。
先輩たちの言葉が、ようやく景色と繋がった。
「オスカー。腕は?」
シルヴィアが近づいてくる。
俺は袖を確かめた。
裂けてはいない。山羊が触れた時に、毛と埃がついただけだ。
「大丈夫。怪我はない」
「そう。よかったですわ」
彼女の指が、袖についた汚れを払った。
俺は少し腕を上げ、手伝いやすくする。
「強化も、助かった」
「いつものことですわ」
「その、いつものやつがありがたい」
シルヴィアが、1瞬だけ手を止めた。
それから、小さく笑った。
「でしたら、これからも忘れずにかけます」
落ちた角を拾っていたエステルが、顔を上げる。
「わたしの雷は?」
「頼もしかった」
「うん。今のは、ちょっと上手にできた」
嬉しそうだった。
あれだけの才能があっても、1つ上手くいけば喜ぶ。
その顔を見ると、俺も、次に試したいことを思い出す。
ただし、今日はまだ入口だ。
まず、ここを覚えよう。
*
素材を回収すると、2人は広間の端で地図を開き、柱の死角と山羊が跳びかかってきた岩の位置を書き込み始めた。
見張りに立ちながら、俺は広間の奥へ目を向けた。
この先には、まだ知らない道がある。
夏休みには、もっと長く潜れる。ユリウス先輩たちは27層の先を目指し、俺たちは、まず第10層へ向かう。
父へ送る金を稼ぐために始めた冒険だった。
その目的は今もある。60枚を託した控えも、寮の机へ大切にしまってある。父からの返事が来るまでは、受け取ってもらえたか少し気になる。
それでも、目の前の通路を見て胸が高鳴るのは、魔石の値段を考えているからだけではなかった。
あの角の向こうを、見たい。
2人となら、どこまで行けるだろう。
「できましたわ」
シルヴィアが顔を上げる。
エステルが地図を畳むのを待ち、俺は東の通路を指した。
「行こう、2人とも」
2人が頷く。俺も剣の柄を握り直し、歩き出した。
足音が3つ、まだ知らない通路へ重なった。




