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『婚約破棄され、冒険者パーティも追放されたモブ貴族』~前世の知識と転生特典で借金を返して楽しく生きるつもりが、いつの間にか英雄になりそうです~  作者: 雅
間章 それぞれの歩み、忍び寄る影

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第56話 必殺技(長い)

 槍先が、喉元へ来た。


 俺は半歩ずらし、木剣の腹で穂先を外へ流す。


 すぐに引かれた。


 追って踏み込もうとした膝の前を、今度は柄が横切る。


 足を止める。


 乾いた音。木剣と柄がぶつかった。


 重い。


 ジュリアンは弾かれた勢いで槍を回し、再び俺の胸へ穂先を揃えた。


「いい反応だ、エルフォード君」


 微笑んでいる。


 だが、槍先は笑っていなかった。


 手首が僅かに動くだけで、狙いが喉から肩、肩から脇腹へ変わる。


 俺は身体強化を使い、間合いの外へ出た。


 ジュリアンも深追いはしない。


 あの華やかな名乗りに負けない腕前だ。どうやって間合いを詰めようか。槍先を見ながら、少しわくわくしている自分に気づいた。


「最初の一合から、君が僕の槍を受け止めてくれるとはね」


「危なかったですよ。最初から、あんなに速いとは」


「君が間に合うと思ったからさ。楽しめそうだね」


 先輩も、楽しんでいる。その笑顔を見たら、こちらも思い切り挑みたくなった。


     *


「速いな、あの先輩」


「だから言っただろ。槍は、上手いんだ」


 観客側から、ヴィンセントの声が聞こえた。


 槍は、というところに何かを感じる。


 ジュリアンは前脚を引き、槍を斜めに構えた。


「では、見せよう。僕が数多の夜を越え、君という1輪の花に捧げるために磨き上げた、この1撃を」


 最後の部分で、観客席へ顔が向く。


 シルヴィアのいる方だ。


 よそ見している。俺は、その隙に1歩入った。


 槍が来た。


 見ていたのか。


 木剣で弾くと、ジュリアンは少し誇らしげに顎を上げた。


「視線は彼女に。槍先は君に」


「こちらを見ていただけますか」


「欲張りだね」


 俺が悪いのか。


 槍が胸の高さへ戻る。


 ジュリアンは大きく息を吸った。


「咲き誇れ、誇り高き1輪よ! 恋の夜明けに目覚めし我が情熱、千の言葉を1条の光へ変えて、麗しき君の心の扉を叩け――《ロイヤル・ローズ・オブ・デスティニー・ファーストキッス・スラスト》!」


 長い。


 そう思う前に、3度、槍を受けていた。


 名前を言っている間にも、普通の突きが来る。


 最後の『スラスト』で、後ろ足が強く地面を蹴った。


 それまでより、深い踏み込み。


 俺は木剣を斜めに立て、槍先を受け流しながら外へ出た。


 肩のすぐ横を、穂先が通る。


 ジュリアンが腰を引き、距離を戻した。


 悪くない。婚約破棄された日に紹介されていたら負けていた。


 小さな突きで相手を下がらせ、最後だけ1歩深く入る。槍の長さに慣れたところへ、もう1段先から届かせる技だ。


 問題は、名前が耳に残りすぎることだった。


戦闘で《思考加速》《並列思考》《記憶強化》を使いたくないのは今日がはじめてだ。


「いかがかな」


「最後の踏み込みが、鋭かったです」


「技名は?」


 先に、そちらを聞くのか。


もしかして新手の《思考加速》封じか。


「……長かったです」


「そうだろう。想いを削るわけにはいかないからね」


 削ってよい部分は、かなりあると思う。


     *


「今、何て言った?」


「ローズまでは聞こえた」


「最後、キスって言わなかったか?」


「突きだぞ。槍の突きだ」


 観客が、技の解釈で揉めている。


 エステルが、シルヴィアへ耳元で何か聞いた。


「……知りませんわ」


 はっきり聞こえた。


 ジュリアンは、それを自分への感想だと思ったらしい。


「初めて見る技だからね。驚くのも無理はない」


「初めて聞く名前の話をしています!」


 シルヴィアが言い返す。


 エステルは、その横で肩を震わせていた。目に涙が溜まっている。


 俺は呼吸を整え、木剣を構え直す。


 ジュリアンの槍は、丁寧だ。


 大きく回す動きも、ただ見せるだけではない。近づけば柄の後ろが来るし、下がれば持ち直して穂先が伸びる。


 以前、ロルフと戦った時にも、槍の近くへ入る難しさを教わった。


 この人はそこへ、火と水も加える。


 俺は指先に小さな水弾を作り、足元の横へ放った。


 ジュリアンが避ける。


 その先へ踏み込み、木剣を振る。


 槍の柄が立って、受けられた。


 続く切り返しにも、ついてくる。


 ただ、3度目には後ろ足が下がった。


「……なるほど」


 ジュリアンの笑みが、少し薄くなった。


「近くで踊るのも、得意なようだ」


「離れると、槍が届きますので」


「僕も同じことを考えていた」


 槍が短く持ち直された。


 こちらの木剣を押さえ、その隙に1歩離れる。


 詠唱が始まった。


     *


「燃え立つ炎よ、我が前に集い、指し示す先へ駆けよ――《クリムゾン・バレット》!」


 炎の弾が、俺へ飛んだ。


 俺は水をぶつけ、横へ跳ぶ。


 白い飛沫の向こうで、槍先が揺れた。


 火の魔法は、狙って避けさせるためのものだ。


 避けた先へ、槍が来る。


「情熱の炎に照らされし我が槍よ!」


 まだ続くのか。


「焦がれる想いを真紅の花弁に託し、恋敵の迷いを薙ぎ払え――《ブリリアント・クリムゾン・ローズ・カーニバル・フォー・マイ・オンリー・レディ》!」


 ただの大きな横薙ぎだった。


 俺は頭を下げ、近づくと見せて、すぐ外へ退いた。


 槍が頭上を通り過ぎる。


 直後、穂先が返ってくる。


 2段だった。


 返しの突きを木剣で打ち上げ、俺は距離を取った。


 炎で動かし、横薙ぎで低くさせ、返す突きで狙う。


 組み立ては、きちんとしている。


 技名から、その内容が一切伝わらないだけだ。


 もしかして、惑わす作戦か。


「今のも、ローズだったな」


「さっきのとは違うローズだろ」


「何本あるんだよ」


 男子たちの会話が聞こえる。


 フェリクスが真剣な声で言った。


「魔法の詠唱は、先に終わってるよ。長い方は、槍の連携につけた名前だと思う」


「つまり、短くしても使える?」


「たぶん」


 ジュリアンの眉が動いた。


 聞こえていたようだ。


「使えることと、美しくあることは別だ!」


 俺の木剣を受けながら、観客へ答えた。


 よく喋る。


 よく動く。


 そして、よそ見もする。


 この3つを同時に続けられる体力と器用さは、見習うべきかもしれない。


     *


 ジュリアンは、俺の水弾を槍の柄で外へ逸らした。


 飛沫が頬へかかる。


 流した髪が、1房、額へ落ちた。


「……いい水だ」


「どうも」


「僕も、応えよう」


 槍を片手へ持ち替え、もう片方を前へ出す。


 俺は踏み込んだ。


 片手でも、突きは速かった。


 木剣で払う間に、彼が横へ動く。距離を作りながら、詠唱を続けている。


「清き水よ、我が前に集い、丸き形をなして敵を打て――《アクア・オーブ》!」


 水の塊が浮かんだ。


 大きすぎない。だが、俺の進路を塞ぐには十分だった。


「蒼き水面に映る君の微笑みよ――」


 また別のものが始まった。


 俺は水弾を避けながら、槍先を追う。


「寄せては返す波のごとく、離れてもなお、巡り逢う2つの魂に、永遠の口づけを捧げん!」


 水が来る。


 その後ろから、槍が来る。


「《エターナル・ブルー・ムーンライト・マリアージュ・リターンズ――》」


 俺は木剣で槍を逸らし、前へ出た。


「《――トゥ・ユー》!」


 まだ続きがあった。


 引き戻した柄が、俺の腕を狙う。


 木剣のつば元で受けた。


 こつん、と乾いた音。


 ジュリアンの目が、僅かに見開かれる。


 近くへ入った俺に、槍の穂先は届かない。


 彼は足を滑らせるように引き、柄で俺の剣を押しながら離れた。


「今の返し、上手かったですね」


「君もだ。まさか、リターンズの後へ入ってくるとは」


「そこで終わりだと思いました」


「君へ帰るまでが、技だよ」


 帰ってこなくていい。


     *


 観客の笑い声が、大きくなってきた。


 だが、ただ馬鹿にしている声ばかりではなかった。


「先輩、普通に強いぞ!」


「今の水、ちゃんと退く先を狙ってた!」


「名前を短くすれば、もっと速くならないか!?」


「短くしたら先輩じゃなくなるだろ!」


 それは、どういう評価なのだろう。


 ジュリアンは息をつき、髪を払った。


 指先が濡れていることに気づき、さりげなく制服で拭く。


 さりげなくは、できていなかった。


「エルフォード君。君は僕の技を、よく見ているね」


「はい。勉強になります」


「それにしては、少しも追い詰められた顔をしない」


 声が、僅かに変わった。


 俺は木剣を下げずに答える。


「顔に出すと、次にどこへ来るか分かってしまいますから」


「……そうか」


 ジュリアンが、笑った。


 今度は、観客へ見せるための笑みではなかった。


「剣姫との勝負は、条件だけで勝ったわけではないんだね」


「条件がなければ、勝てませんでした」


「だが、その条件を生かせるだけの腕があった」


 槍が、低く構えられた。


「少し、甘く見ていたようだ」


 そこは、素直に認めるらしい。


 俺も、握りを確かめた。


 ジュリアンは強い。


 しかし、レオノーラの剣を受けた時の、何を選んでも先を塞がれるような圧力はない。


 今なら、槍先だけでなく、後ろ足も見える。


 魔法を使う前に、どの方向へ逃がそうとしているかも考えられる。


 あの人に教わり、2人と迷宮を歩いた時間が、ここでも役に立っていた。


 そろそろ、こちらから勝負を決めにいこう。


     *


「次で、僕のすべてを見せる」


 ジュリアンが言った。


 槍を両手で持ち、長く息を吐く。


「これほどの相手へ使うのなら、惜しくない」


 観客のざわめきが、少し静まった。


 その構えは、今までと違う。


 穂先が低く、身体の正面が狭い。力を溜めた後ろ足は、俺が少し動いても位置を変えなかった。


 下から持ち上げる突きか。


 それとも、懐へ入らせてからの切り返しか。


 ジュリアンは、観客席を1度だけ見た。


 シルヴィアへ、目が向く。


 彼女は扇を握ったまま、きちんと試合を見ていた。


 ジュリアンが、嬉しそうに口元を緩める。


 そして、俺へ向き直った。


「聞いてくれ、エルフォード君」


「はい」


「これは、僕が幾千の朝に槍を振り、幾万の夕べに己の未熟を恥じ、それでも君という1輪の花へ辿り着くために磨いた――」


 俺は、1歩動いた。


 槍先がついてくる。


「――孤高にして至高、優美にして勇壮、誰にも折れぬ誓いを宿した、ベルクールの奥義!」


 俺は水弾を放った。


 ジュリアンが槍で払い、足を運ぶ。


 口は、止まらない。


「《グランディオーソ・ロイヤル・ローズ・エターナル・ブライダル・ファンタジア――》」


「結婚まで行ったぞ」


 誰かが言った。


「《――すべての星が眠る夜にも僕だけは君を想い続ける――》」


「途中から文章になった!」


 ブルーノだった。


 シルヴィアが、ゆっくりと顔を伏せた。


 エステルは、もう肩を震わせるだけでは済んでいない。完全に涙を流している。


「《――たとえ世界が僕らを隔ててもこの1槍は必ず君のもとへ――》」


 俺は、もう1度水弾を放つ。


 槍が小さく動き、それを弾いた。


 右へ動く。


 ジュリアンの前脚が、追ってくる。


「《――フォーエバー・アンド・エバー――》」


 いつまで続くんだ。


「《――ラスト・プロポーズ・オブ・ジュリアン》!」


 ようやく、終わった。


 同時に、槍先が跳ね上がる。


 俺は木剣を合わせかけて、止めた。


 穂先が、引かれた。


 誘いだ。


 打ち払わせて剣を浮かせ、その下へ本命の突きを通す。


 後ろ足が地面を蹴る。


 俺の胸へ、槍が伸びた。


     *


 思考を加速する。


 長い技名を、頭の端へ追いやった。


 要るのは、目の前の動きだけだ。


 木剣を傾け、穂先を外へ流す。


 ジュリアンが引き戻す。


 2度の水弾で濡れた地面。


 槍を戻す瞬間、そこへ小さな土の盛り上がりを作る。


 踵が触れた。


 転ばせるほどではない。


 ただ、退く足が1瞬遅れる。


 肩を上げず、剣を引かずに踏み出した。


 身体強化を強め、槍の外側から、内へ。


 ジュリアンの視線が俺の足へ落ちた時には、もう懐へ入っていた。


 ジュリアンが柄を返そうとする。


 木剣で押さえ、肩の横へ短い風を当てた。


 構えが開く。


「――っ!」


 初めて、飾りのない声が漏れた。


 俺は前脚で止まり、木剣を胸当てへ当てる。


 振り抜く必要はない。


 こつ、と確かな音がした。


「そこまで!」


 ハインツ先生の声が響く。


「有効打。勝者、オスカー・エルフォード!」


 俺はすぐに剣を引いた。


 ジュリアンは、目を見開いたまま自分の胸を見ていた。


 それから、足元の小さな土を見る。


「……なるほど」


 槍が、ゆっくり下がった。


「君の返事は、ずいぶん短いんだな」


 俺は、少し笑った。


「先輩の槍を追うので精一杯でしたよ。楽しかったです」


「僕もだよ。次は、もっと君の剣を見せてもらいたい」


     *


 歓声が上がった。


「オスカー、やった!」


「今の、足を止めたよな!?」


「土を使ったんだ。下がるところへ!」


 女子たちが拍手をし、男子たちも身を乗り出している。


 ブルーノが、両手を頭へ乗せた。


「最後まで聞いたのに、名前が思い出せねえ!」


「最後はジュリアンだった」


「そこしか残ってねえ!」


 ジュリアンが、僅かにそちらを見る。


 今度は、訂正しなかった。


 息を整えてから、俺へ手を差し出す。


「僕の負けだ。見事だった」


「ありがとうございました」


 握った手には、槍を使い続けた硬さがあった。


 あれだけの技名を考える合間にも、ちゃんと練習している手だ。


「火の後に、2段で槍を返すところ。参考になりました」


「……分かってくれたか」


 ジュリアンの顔が、少し明るくなる。


「1度避けた相手は、どうしても安心する。そこへ、もう1度届かせるんだ」


「ええ。最初に下がるだけだったら、返しで追いつかれていました」


「そうなんだよ」


 嬉しそうだった。


 技の話をしている間は、随分と話しやすい。


「ただ、名前を覚えるのには苦労しそうです。短く呼んでも構いませんか?」


 言うと、彼は真剣な顔になった。


「どのように?」


 そこから相談が始まるのか。


「たとえば、最初のローズ・スラストだけでも」


「王家への敬意と、運命と、初めての口づけを削れと?」


「そこは残したいんですね。では、次までに俺が覚えてきます」


 ジュリアンが、嬉しそうに顔を上げた。


「本当かい? それなら、技の解説も付けよう」


 ずいぶん熱心に教えてもらえそうだ。次の手合わせまでに、槍の動きもよく思い出しておこう。


     *


 2人が近づいてきた。


 エステルはまだ少し笑っている。


 シルヴィアは、ジュリアンの前で足を止めた。


 彼が背筋を伸ばす。


 槍を持つ手にも、少し力が入った。


「見て、いてくれたかな」


「はい。槍は、お見事でした」


 ジュリアンの顔が輝く。


「では――」


「お返事は、変わりません」


 輝きが、少し静かになった。


 シルヴィアは、今度こそ目を逸らさずに続けた。


「わたくしは、あなたのために婚約破棄を口にしたのではありません。お誘いをお断りしたのも、迎えにきてほしかったからではありません」


 ジュリアンは、黙って聞いた。


「それから、ハニーという呼び方も、困ります」


 風が、訓練場の砂を薄く動かした。


 彼は、手の中の槍を見た。


 それから、少し困ったように笑う。


「……僕は、君の言葉より、自分の考えを聞いていたらしい」


「はい」


「そこは、少しくらい迷ってほしかった」


 エステルが、唇を噛んだ。


 笑うのを我慢したのだと分かった。


 ジュリアンは息を吐き、改めて一礼する。


「困らせてしまって、すまなかった。シルヴィア嬢」


 今度の呼び方に、シルヴィアの肩が少し緩んだ。


「分かっていただけたなら、結構です」


「ありがとう」


 頭を上げた彼は、俺へ顔を向ける。


「エルフォード君」


「はい」


「今日の君には、1つ、足りないものがある」


 俺は首を傾げた。


 足運びか。


 それとも、槍を受ける角度か。


「技名だ」


 そちらだった。


     *


「最後の1撃は、実に鮮やかだった。水で道を整え、大地で足を止め、風を従えて剣を届ける。なのに、無言とは」


「無詠唱ですので」


「魔法の話ではない。観客の心に、何を残すかという話だ」


 エステルが、ぱっと顔を上げた。


「オスカーの技にも、あの長い名前をつけるの?」


「望むなら、力になろう」


「ありがとうございます。でも、あれを叫びながら戦うのは、俺には難しそうです」


 先に答えた。


 大切なことは、早めに伝える。


 ジュリアンは顎へ手を当てた。


「水と大地と風……そして、2輪の花に見守られた勝利。ふむ。これは、かなり長くなるぞ」


「待ってください。先輩、もう考えてくださっているんですか?」


「まずは《トリニティ・エレメンタル・ブライダル――》」


「そ、そこまで大きな話にされると、俺も照れますよ」


 シルヴィアが、とうとう笑った。


 口元へ手を添えて、それでも隠しきれずに目を細める。


 その横で、エステルも笑う。


 ジュリアンが2人を見た。


 何か言いかけ、少し考えて、口を閉じる。


 代わりに俺へ手を上げた。


「また、槍を合わせてくれるかな。今度は、純粋に腕を磨くために」


「それなら、喜んで」


「技名についても――」


「まずは槍から、お願いします。そちらだけでも、教わりたいことが山ほどありますから」


 ジュリアンは、残念そうに頷いた。


     *


 片づけを終える頃には、訓練場へ長い影が伸びていた。


 荷物から真紅の腕輪を取り出し、右手首へ戻す。今日の槍との勝負は、これの力を借りずに終えられた。


 レベルを確かめると、109になっている。


 槍を相手にした経験は、また1つ増えた。


 ただ、今日覚えたものの中には、今後使う予定のない言葉も大量に混ざっている。


 記憶強化は、律儀だった。


「ねえ、オスカー」


 校舎へ戻る途中、エステルが隣へ来た。


「最後の名前、覚えてる?」


「できれば、聞かないでほしい」


「わたし、途中で分からなくなっちゃった。星が眠ったあたりから」


「その後、世界に隔てられる」


「やっぱり覚えてる!」


 しまった。


 シルヴィアが、こちらを見た。


 何かを警戒するような顔だった。


「……まさか、次の探索で叫ぶおつもりではありませんわよね」


「いやあ、俺が叫んだら途中で笑ってしまいそうだ。あれは先輩だから似合うんだよ」


「少しくらい聞いてみたいなあ」


「エステル」


 2人の声が、夏の夕方の回廊へ響く。


 父へ金を送り、Cランクへ上がり、次は黒曜の第3層。


 その前に、なぜか長大な求婚の言葉を浴びながら槍と戦うことになった。


 どれほど準備をしていても、こういうものは予定表へ書いておけない。


 前方から、男子生徒の声が聞こえた。


「フォーエバーの後、何だった?」


「アンド・エバー」


「そこから、もう1回続くのかよ!」


 俺は、顔を伏せた。


 少なくとも今日、学院中の記憶に残ったのは、俺の勝利だけではなさそうだ。


 今日の主役は間違いなく、ジュリアン先輩だった。

※電車やバス、公共の場で読まない方が良いかもしれません。

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