第54話 Cランク冒険者
剣の練習では、構えた位置から力まず打つ動きも続けた。素振りならできても、相手に受けてもらうと、当てたい気持ちで肩が上がる。ユリウス先輩が見せた、あの自然な一撃はまだ遠い。
地図の、最後の空白が埋まった。
7月12日。
シルヴィアが初めて補助魔法を実戦で使ってから、2週間が経っていた。
「ここ、前に通った道へ繋がってる」
エステルが、岩壁に残る白い筋を指した。
「ああ。向こうから見た時には、岩の裏に隠れていたんだな」
俺は手元の紙へ、線を1本引き足した。
黒曜第2層。水の流れる通路を何度も折れ、途中の部屋を確かめてきた。その先が、昨日までに歩いた場所へ戻っている。
探索マップでも、繋がりを確認する。
これで、第1層と第2層の通常の道と部屋は、ひと通り歩いた。
もちろん、知らない隠し部屋までないと言い切るつもりはない。白晶では、そういう場所から100体も魔物が出てきた。
あの経験をした後で、「全部分かった」と胸を張るのは、なかなか勇気が要る。
「……終わったのですわね」
シルヴィアが地図を覗き込む。
最初に借りた地図だけでは分からなかった、足場の悪い場所。水が深くなるところ。岩陰に魔物が伏せやすい部屋。
3人で確かめて、書き足した印が並んでいる。
「広かったねえ」
エステルがしみじみと言った。
「白晶のつもりで来たら、道を覚えるだけで夏が終わるところだった」
「あなた、最初は嬉しそうでしたわよ」
「今も嬉しいよ。まだ下があるもの」
即答だった。
分かる。
俺も、探索マップの完成した地図の端にある、階段の印を見ていた。
第3層へ続く階段。
場所は分かっている。
だが、今の俺たちの許可は第2層までだ。
「今日は、ここまで」
俺が言うと、2人が頷いた。
「ええ。帰りましょう」
「報告、楽しみだね」
地図を畳む。
何度も開いた折り目が、指に馴染んでいた。
*
この2週間、迷宮だけに通っていたわけではない。
授業を受け、課題をこなし、試験を受け、放課後に潜り、戻った後でできなかったことを確かめる。探索を休む日は、訓練場や図書室へ行った。
俺の雷は、実戦で使える形になってきた。
近距離の放電に加えて、剣へ沿わせた雷を、斬り込む瞬間まで保てるようになった。先日の練習で、ユリウス先輩が基本を教えてくれた《サンダー・エッジ》だ。
詠唱して感覚を確かめ、次に言葉を省く。離れた場所まで光を伸ばすより、握った剣の先へ通す方が、俺には掴みやすかった。
体に雷をまとう《ライトニング・ステップ》も練習している。身体強化を土台に、踏み出す一瞬だけ雷の力を重ねる。
こちらは、最初の数回、雷を重ねるのが早すぎた。間合いへ入る前に加速が終わり、肝心の一撃は普段の踏み込みと変わらない。
思考加速で動きを確かめ、並列思考で雷の制御と剣の動きへの注意を分ける。踏み出す足と雷の発動を合わせ、今は短い直線なら加速から一撃へつなげられる。相手に応じて進路を変えながら雷を重ねるのは、まだ練習が必要だ。
エステルは、離れた敵へ撃つ雷で相変わらず先を行く。
通常の詠唱だが、狙い直すのも、撃つのをやめるのも速い。先輩から教わった《ヘヴンズ・ボルト》も、訓練場では頭上から標的へ落とせるようになった。頭上の空間へ魔力を集め、細く絞って落とす。迷宮でも雲を待つ必要はない。
「剣にずっと残すより、向こうへまとめた方が分かりやすくない?」
「俺は、その逆なんだよな」
練習の後、2人で首を傾げたことがある。
どちらも覚えたい。ただ、同じ時間をかけても、手に馴染む使い方は違った。
そして、シルヴィア。
気づけば、彼女の強化がかかるのを自然に待つようになっていた。
力を貸してもらって前へ出る。
奥の敵はエステルへ任せ、氷で止まった1匹へ剣を通す。風を使う魔物がいれば、シルヴィアが防護をかけてくれる。状況によってはシルヴィアが氷でとどめを刺す。
以前より、1戦の後に残る余力が増えた。
その分、次の部屋を確かめられる。回収する素材も増える。
第1層では、黒牙狼の回り込みと、風切りコウモリの上から来る風に備える。第2層では、水弾カニに岩陰へ追い込まれないように動き、鎧トカゲの硬い背を避けて剣を通す。
牙と翼膜、鱗と大バサミ。
素材袋を分ける数も、初めて来た頃より増えていた。
俺のレベルは、108になっていた。
数字が増えるのは嬉しい。
だが、2人の声を聞けば次にどう動くか分かるようになってきたことも、同じくらい嬉しかった。
帰り道、岩陰から出てきた狼を倒すと、エステルが杖を下ろした。
「今の、わたしが言う前に空けてくれたね」
「そっちから撃つだろうと思った」
「うん。思ったところに、ちゃんと道があった」
彼女が笑う。
シルヴィアは魔石を拾いながら、少し呆れた顔をした。
「だからといって、合図を省かないでくださいませ。わたくしにも分かるように」
「分かった」
「はあい」
揃って返事をすると、今度はシルヴィアが笑った。
*
ギルドへ戻ると、エマさんが俺たちの地図を広げた。
探索の記録と照らし合わせ、今日の帰還時刻を書き込む。
「これで、第2層もひと通りですね」
「はい。最後の通路が、昨日の経路へ繋がっていました」
新しく引いた線を指し、足場や遭遇した魔物を伝えた。
エマさんはいくつか質問した後、地図の上から顔を上げる。
「皆さんに、お知らせがあります」
その声に、隣の2人が姿勢を正した。
俺も、カウンターへ置いていた手を引く。
ここ数日は、探索の報告とは別に、得意な魔法や危険な時の判断について確認を受けていた。昇格のための評価だとは聞いていたが、結果までは知らない。
エマさんが、奥から取り出した書類をこちらへ向けた。
「これまでの討伐実績と、継続した探索での連携・判断を評価し、パーティ《深淵》のCランク昇格が認められました」
ついにきたか。
Cランク。
「オスカーさん、エステルさん、シルヴィアさん。3名それぞれの個人ランクも、あわせてCへ昇格です」
「……やった」
エステルが、小さく言った。
次の瞬間、俺とシルヴィアの腕を片方ずつつかむ。
「やったね。オスカー! シルヴィア!」
「ああ」
「ええ……本当に」
シルヴィアの声が、僅かに弾んだ。
後ろで、椅子が鳴った。
「おい、今、Cって言ったか?」
「白晶を3日で攻略した深淵か!」
「Dになったの、いつだった?」
エマさんが記録へ目を落とす。
「5月26日ですので、47日前ですね」
「2か月も経ってねえじゃねえか!」
大きな声に、酒場側までこちらを向いた。
素材袋を肩へ担いだ男が、俺たちを見て口の端を上げる。
「最近、たくさん魔石持って帰ってきてるの見てたぜ」
「おめでとうございます、殿下!」
「ラングレイ嬢もおめでとうございます!」
「オスカー君おめでとう!」
拍手が、1つ聞こえた。
それに別の拍手が重なる。
エステルは嬉しそうに手を振り、シルヴィアは丁寧に頭を下げた。
俺も礼を言った。
強くなっただけではない。
何度も潜って、確かめて、帰ってきた。その積み重ねを見てくれていた人がいる。
それが、思っていた以上に嬉しかった。
「今後は、黒曜第10層までの探索が許可されます」
エマさんが言った。
「ただし、下へ進むほど危険も増します。第3層以降の資料は、改めて確認してくださいね」
「はい。まず、第3層から調べます」
頷くと、エマさんは柔らかく笑った。
「皆さんなら、そうおっしゃると思っていました」
隣でエステルが、俺の袖を引く。
「階段の先、行けるね」
「ああ」
今日は引き返した場所へ、次は進める。
その違いに、胸が高鳴った。
*
魔石と素材の査定を待つ間に、3人で食堂の端の席を借りた。
冷たい飲み物を頼み、俺は帳面を開く。
売却の伝票が届くと、シルヴィアが横から数字を確かめた。
「補充するものは、昨日の分で揃っていますわね」
「ああ。今日の経費は、こっちだ」
共同資金へ残す分を分け、残りを3等分する。
自分の取り分から、生活と次の活動に使う金を除く。
その残りを、返済用の欄へ足した。
筆が止まった。
もう1度、計算する。
「……100枚」
口にすると、不思議な響きがした。
「何が?」
エステルが身を寄せる。
「父へ送るために貯めていた金だ。金貨100枚分になった」
シルヴィアが、帳面を見た。
俺の顔を見て、もう1度、数字を見る。
「100枚……次の返済は、60枚でしたわね」
「ああ。8月3日。あと22日ある」
指で、書き込んだ日付を押さえた。
「60枚を送っても、40枚残る」
言ってから、ようやく実感が追いついてきた。
足りる。
あの夜、眠れなくなるまで眺めていた数字に、手が届いている。
借金全部がなくなるわけではない。領地の維持には金が要るし、父の手元の帳簿も確かめなくてはならない。
それでも、次の支払いのために、何を売るか考えなくて済む。
少なくとも、その60枚を、俺が用意できた。
「オスカー」
シルヴィアの声で顔を上げる。
彼女は、笑っていた。
青い瞳が少し潤んでいて、何か言おうとしてから、1度息を整える。
「……よかったですわね」
それだけだった。
その短い言葉が、胸へ染みた。
「ああ」
頷く。
「本当に、よかった」
エステルが両手でカップを持ち上げた。
「お祝い、もう1つ増えたね」
「そうだな」
「じゃあ、今日は少し豪華にしようよ。ご飯」
俺は卓上の品書きを見た。
いつも頼む料理と、その下の、少しだけ高い皿。
「……今日は、そっちにしようか」
「うん!」
返事が速かった。
父へ送る金とは別に、3人で喜ぶための出費くらい、してもいい。
*
料理を待ちながら、帳面を少し遡った。
最初に父へ送った8枚。
その後に取り分けた3枚。
モンスターハウスの魔石を売った、28枚。
指輪を受け取ってくれた2人が、今度はこちらから贈らせてほしいと言ってくれた金だった。
白晶の奥で得た取り分。2人の研修旅行中、1人で挑んだ時の収入。黒曜で少しずつ広げてきた探索の成果。
どの行にも、何をして稼いだのか、思い出せる出来事があった。
この2週間だけでも、返済用の金は40枚増えた。
俺1人の取り分で、だ。
「最初は、自分の生活費を稼ぐところからだと思っていたんだ」
2人が、俺を見る。
「家から送ってもらう金を減らして、少しずつ父を助ける。そのくらいのつもりだった」
シルヴィアが静かに頷いた。
5月5日。
婚約を破棄すると告げられてから、68日が経っている。
あの時の俺は準備をしていた。稼ぐ手段も、強くなる方法も、考えていた。
だが、この2人と、こんなふうに帳面を囲むことまでは、計画に入っていなかった。
「思っていたより、ずっと早く貯まった。2人のおかげだ」
「あなたが頑張ったからでしょう」
シルヴィアが言った。
「それは、頑張った」
否定すると、かえって嘘になる。
剣も振ったし、魔法も練習した。借金の数字を思い出して、眠気が飛んだ夜もある。
「でも、俺1人なら、同じようにはできなかった」
エステルの右手で、指輪の青い石が光る。
その隣に、シルヴィアの同じ指輪があった。
「奥の敵を任せられる。怪我をしても治してもらえる。今は、前に出る力まで貸してもらえる。だから次の部屋へ進めたし、無事に戻れた」
シルヴィアの指先が、カップの縁で止まった。
「一緒に練習するのも楽しい。できないことを話せば、2人が考えてくれる」
エステルが、少し照れたように笑う。
「わたしだって、教えてもらってるよ」
「ああ。だから、3人で来られてよかったと思う」
言葉にすると、そんなに難しいことではなかった。
けれど、きちんと言っておきたかった。
「ありがとう、エステル。シルヴィア」
エステルは笑顔のまま、目を細めた。
シルヴィアは視線を落とし、少しだけ唇を結んだ後、顔を上げる。
「……では、これからも頼ってくださいませ」
「ああ、頼りにしてるよ。俺の方も、遠慮なく頼ってくれ」
「わたくしも、そういたしますから」
その声は、真っ直ぐだった。
エステルがカップを差し出す。
「じゃあ、3人に!」
俺たちも持ち上げた。
軽い音が、カチーンと3つ重なった。
*
学院へ戻る途中で、3人で焼き菓子を買った。
先輩たちにも、報告したかった。
生徒会室の扉を叩くと、ユリウス先輩が顔を上げた。卓上には黒曜の地図と、遠征の準備らしい書類が並んでいる。
レオノーラとクラリッサ先輩もいた。
「Cに上がりました」
俺が伝えると、ユリウス先輩の顔がほころんだ。
「おめでとう。3人とも?」
「はい!」
エステルが答える。
レオノーラは1度大きく頷き、それから、こちらへ手を差し出した。
「記録を見せてくれ」
「お姉様。その前に、お菓子」
「……そうだな。まずは祝おう」
剣姫の手が、紙の束から菓子の箱へ向きを変えた。
クラリッサ先輩が笑い、机の端を空けてくれる。
俺は昇格だけでなく、家へ送る金を確保できたことも話した。
「皆さんに教わったことが、毎日の探索で役に立ちました。思っていたより早く、父を助けられそうです」
頭を下げる。
「ありがとうございました」
隣で、2人も頭を下げた。
顔を上げると、ユリウス先輩が静かに微笑んでいた。
「それは、よかった。お父上も安心されるね」
「はい。まず、手紙で知らせます」
「うん。早い方がいい」
クラリッサ先輩は、シルヴィアへ目を向けた。
「また、できることが増えたのね」
「はい」
シルヴィアが笑う。
その顔を見てから、レオノーラが卓上の地図を引き寄せた。
「ならば、我々も負けていられんな」
指先が、下の階層へ伸びる。
23。
さらに、その先。
「出発は8月1日だ。夏休みに入ると同時に、8人で潜る」
ユリウス先輩が言った。
「今の仲間で組む、在学中最後の大きな遠征になる。準備も、だいぶ整ってきたよ」
「20日後、ですね」
「ああ」
穏やかな声だった。
だが、地図へ向ける目は、楽しそうで、真剣だった。
「27層の記録を、越えてくる」
その言葉に、レオノーラもクラリッサ先輩も頷く。
教えてくれる時とは、少し違う顔だった。
この人たちも、先を見ている。
「俺たちも、夏休みには、もっと先へ進みます」
言うと、ユリウス先輩が俺を見た。
「まずは第3層から。順に確かめて、第10層を目指したいです」
「いいね」
先輩が笑う。
「戻ってきた時、互いに話すことが多そうだ」
「はい」
レオノーラはエステルへ視線を移した。
「私がいない間も、無茶はするなよ」
「お姉様もね」
「私は――」
言いかけて、クラリッサ先輩に見られた。
レオノーラは、1度咳払いをした。
「……ああ。約束しよう」
エステルが満足そうに頷いた。
*
寮へ戻り、机に便箋を広げた。
窓を開けると、昼の熱を残した風が入ってくる。
4月に始まった学年は、もう夏休みを迎えようとしていた。
父上へ。
そこまで書いて、筆を止めた。
伝えることが多い。
Cランクに上がったこと。黒曜の第2層までを歩いたこと。教えてくれる先輩がいること。仲間と、今日も無事に帰ってきたこと。
だが、最初に書くべきことは、決まっていた。
帳簿を見て眠れなかった夜には、この1文を、こんなに早く書けるとは思っていなかった。
できれば、父が読むところを見たい。
驚くだろうか。
また無理をしていないかと、心配するだろうか。
それなら、続けて書いておこう。
*
ひと通り書き終え、椅子の背へ身体を預ける。
金貨100枚。
自由に近づくための金が、確かに貯まった。
その金を一緒に稼いだ2人は、明日も隣にいる。
机の端には、第3層の資料を置いてある。
夏休みまで、あと20日。
父への手紙を丁寧に折ってから、俺は、次の地図を開いた。




