第53話 3人で通した雷
シルヴィアが、少しだけ得意そうだった。
黒曜の迷宮へ向かう朝。
ギルドで探索の届け出を済ませ、装備と帰還予定を確認している間も、彼女は何かを待っているように見えた。
催促すると怒られそうなので、待つことにした。
エステルは、待てなかった。
「シルヴィア。魔法の話、聞いてもいい?」
「ええ、もちろんですわ」
返事が速い。待つ必要はなかったようだ。
俺たちは人の流れから外れた場所へ寄った。
「覚えたのは、3つです。《フィジカルブースト》、《マジックガード》、《ウィークネス》」
彼女は指を1本ずつ立てた。
「身体の力を高めるもの。魔法の攻撃を和らげるもの。それから、敵の力を弱めるものですわ」
「3つとも、使えるようになったのか」
「はい。ただ、弱体化は強い相手には効きにくいと教わりました。使ったから必ず弱るとは、思わないでくださいませ」
「分かった。そこは一緒に確かめよう」
エステルは、自分の杖とシルヴィアの杖を交互に見ている。
「わたしにも、かけられる?」
「もちろんですわ」
「楽しみ」
率直な一言に、シルヴィアの口元が緩んだ。
あれから数日。
俺とエステルが雷を練習している間、彼女はクラリッサ先輩の指導を受けていた。レオノーラも手伝ってくれているとは聞いたが、実際に見るのは今日が初めてだ。
俺も、掌を軽く開く。
「俺の雷は、まだ近い相手に使おうと思う。遠い敵は、エステルに任せてもいいか?」
「うん。前に出る時は教えてね」
「ああ」
新しい魔法を覚えても、俺たちは3人だ。
互いに何ができるか知っていれば、戦い方も考えられる。
今日行くのは、これまでと同じ、第1層と第2層。
確かめたいことは増えたが、進む先まで欲張る必要はなかった。
*
最初の狼は、3匹だった。
岩陰から鼻先が覗き、こちらを見つけた1匹が低く唸る。
俺は剣を抜き、後ろの2人へ数を伝えた。
「3匹。手前を俺が取る」
「では、その前に」
シルヴィアの声がした。
「巡る力よ、彼の身に満ち、踏み出す歩みを支えよ――《フィジカルブースト》」
淡い光が、背中から身体を包む。
温かい、と感じた次の瞬間だった。
剣が軽い。
思わず握りを確かめた。いつものミスリルの剣だ。身体強化も、今までと同じように使っている。
なのに、腕にはまだ余裕があった。
狼が跳んだ。
踏み込んで、牙の外へ剣を通す。
鋭い手応え。
そのまま身体を返し、岩の脇から回り込もうとしていた2匹目へ向き直った。
脚が、力強く地面を蹴る。
速い。
自分の身体なのに、いつもより動きやすい。
狼の足元へ、氷が走った。
シルヴィアだ。
強化を終えた彼女は、もう次の魔法へ移っている。
「奥、雷を使うね!」
エステルの声に、俺は進路を空けた。
詠唱が響く。
「――《サンダー・ボルト》!」
青白い閃光が、3匹目へ真っ直ぐ伸びた。
狼の身体が跳ね、横へ崩れる。
俺は氷に足を取られた2匹目を仕留め、そのまま奥へ走った。倒れた狼はまだ動いていた。起き上がる前に、剣を振るう。
周囲を確かめる。
新たな敵は、いない。
剣を下げてから、ようやく後ろを振り返った。
「……シルヴィア」
「はい」
「これは、すごいな」
他の言葉が出てこなかった。
彼女は一瞬目を見開き、それから、わざとらしいくらい背筋を伸ばした。
「お役に立てたようで、何よりですわ」
「役に立つどころじゃない。剣を振った時の余裕が違う。次へ動くのも、ずっと楽だった」
「……そうですの」
頬が赤い。
隣でエステルも、俺が走った場所を見ていた。
「いつもより速かった。わたしが雷を唱えている間に、あそこまで行けるんだね」
「ああ。今のなら、詠唱を待つ間も動きやすい」
「すごい、シルヴィア。3人とも強くなる魔法なんだ」
シルヴィアの指が、杖の柄をきゅっと握った。
何か言いかけて、やめる。
その代わりに、嬉しそうに笑った。
「まだ、ありますわよ」
*
第2層へ進むと、天井の暗がりから2つの影が飛び出した。
「上だ。2匹」
灰色の翼。その縁だけが、白い。
資料で見た、風切りコウモリだった。
羽ばたきに合わせて、空気が鳴る。
「風の魔法が来る!」
俺は土の盾を作り、2人の前へ出た。
風が表面を削り、乾いた砂が散る。
コウモリは、その上を回った。片方が低く滑り込み、俺の横へ抜けようとする。
「オスカー、そのまま!」
シルヴィアの詠唱が終わる。
「――《マジックガード》!」
薄い光が、肩から腕を包んだ。
盾の端を抜けた風が来る。
避けながら剣を上げたが、外套の肩をかすめた。衝撃を覚悟した瞬間、光が揺れる。
布を引かれただけだった。
肌に、痛みはない。
驚いている暇はなかった。
低く入ったコウモリへ掌を向ける。
詠唱していた時の感触を思い出す。急がず、雷をまとめる。
射程は短い。
だが、今の距離なら。
青白い光が、翼へ届いた。
コウモリが傾く。俺は1歩寄り、剣を振った。
背後で、エステルの風がもう1匹を岩壁の側へ押し戻す。
続く水の槍が、その身体を貫いた。
翼の音が消える。
水音だけになってから、俺は肩を確かめた。
「怪我は?」
シルヴィアが近づいてくる。
「大丈夫だよ。助かった、ありがとう」
肩の布を引いて見せると、彼女はほっと息をついた。
エステルも横から覗き込む。
「今、風が当たったよね?」
「ああ。防護がなければ、切れていたと思う」
「これが、マジックガード……」
エステルは、自分の腕を軽く撫でた。
それから顔を上げ、シルヴィアを見る。
「わたし、これがあったら、魔法を止めずに済む場面が増えそう」
「防ぎきれないこともありますから、避けられる時は避けてくださいませ」
「うん。でも、守ってもらえるのは嬉しい」
エステルが笑う。
シルヴィアも笑った。
治してもらう前に、傷を減らせる。
当たり前だが、それは大きい。
彼女の新しい魔法は、俺が思っていたより、ずっと多くのことを変えていた。
*
次の戦いの前に、1度休んだ。
岩を背にして水を飲み、2人の様子を確かめる。
「シルヴィア、魔力はどうだ?」
「まだ大丈夫です。回復に使う分も、残してありますわ」
「分かった。疲れたら言ってくれよ。休む時間も取ろう」
「あなたもです」
即座に返され、頷いた。
エステルは、先ほど雷を撃った時の話をした。練習場と違って、敵が動く。その先を狙うために、1度狙いを変えたという。
俺も、コウモリへ撃つ前に少し時間が必要だったと話した。
「まだ、打ち合いながら遠くへ飛ばすのは難しいな」
「でも、ちゃんと当たっていましたわ」
シルヴィアが言う。
「近かったからな」
「では、近い時には使えるということでしょう?」
その言い方に、少し笑った。
「ああ。そうだな」
できることが1つ増えた。
今は、それを喜んでいい。
シルヴィアは手帳へ短く書き込み、小さな印をつけた。
*
鎧トカゲは、2匹いた。
先に見えたのは、手前の岩に伏せていた1匹。
その奥で、もう1匹の尾が水を掻いた。
硬い鱗。太い脚。低く構えた頭。
前に来た時、レオノーラは、あの前脚の外へ入り、首の下を斬った。
俺たちが真似をするには、3人の力が必要だった。
「奥を止めますわ」
「そっちは、わたしが見る」
2人の声を聞いて、俺は手前へ出た。
シルヴィアの氷が、奥のトカゲの脚へ絡みつく。
手前の1匹が、爪を振るった。
剣を斜めに当て、横へ流す。重い。身体強化を使っていても、正面から受け続けたい相手ではない。
踏み込もうとすると、頭がこちらを追った。
入れば、噛まれる。
俺は無理に進まず、半歩外へ回る。
「オスカー。弱体化を使います!」
「頼む!」
シルヴィアの声が、はっきり聞こえた。
詠唱の間、俺は剣を見せながらトカゲの注意を引く。
光が、鱗へ触れた。
「――《ウィークネス》!」
次の爪が来る。
受け流した瞬間、違いが分かった。
さっきほど、重くない。
太い前脚が地面を蹴る。だが、巨体を押し出す力が弱まっている。
俺は、剣を押し返した。
できる。
「エステル、頭を!」
彼女の風が、トカゲの顔を横から叩いた。
頭が逸れる。
その下に、1瞬、道が空いた。
身体へ力を通す。
淡く白い闘気が、腕と剣を覆った。
踏み込み、前脚の外へ入る。
首の下へ、刃を通した。
硬い鱗の隙間に、深い手応えがあった。
そのまま抜ける。背後で尾が振られ、水が大きく跳ねた。
弱くなっても、動けなくなったわけではない。
距離を取り直した時、トカゲの身体が崩れた。
奥では、氷を砕いたもう1匹が頭を上げていた。
そこへ、エステルの水の槍が突き刺さる。
シルヴィアの氷が、なお動こうとする脚を止めた。
俺は剣を構えたまま、動きが完全に止まるまで待った。
息を吐く。
今の1撃は、俺1人では通らなかった。
*
「……できた」
小さな声がした。
シルヴィアだった。
彼女は自分の杖を見つめていた。張りつめていた肩が下がり、ようやく顔が上がる。
「今の、効いていましたか?」
「ああ。はっきり分かった」
俺は剣を下ろした。
「爪を受けた時の重さが違った。押し返せたのは、君の魔法のおかげだ」
「わたしも見えたよ。オスカーが入れるって分かったから、風を使えた」
エステルが近づく。
「シルヴィア。いつの間に、こんなにできるようになったの?」
その問いに、シルヴィアが瞬きをした。
それから、唇を結ぶ。
笑うのを、少しだけ我慢している顔だった。
「2人が、雷に夢中になっていた間ですわ」
俺とエステルは顔を見合わせた。
確かに、夢中だった。
昨日より届いた、次はもっと速くしたいと、そればかり考えていた。
その間、シルヴィアも、俺たちの知らないところで新しいものを覚えていたのだ。
「驚いたよ。正直、ここまで変わるとは思っていなかった」
「……本当に?」
「ああ」
エステルも、大きく頷く。
「すっごく驚いた」
シルヴィアは俯いた。
杖の柄へ指を添え、何かを確かめるように撫でる。
そして顔を上げた時には、もう、いつもの少し誇らしげな笑みになっていた。
「でしたら、練習した甲斐がありましたわ」
その顔を見て、ふと思い出した。
俺も以前、似たことを考えていた。
2人を驚かせたくて、雷を黙って練習していたのだ。
「もしかして、俺たちの驚く顔が見たかったのか?」
シルヴィアは目を細めた。
「どなたかが、とても楽しそうにおっしゃっていましたので」
エステルが吹き出した。
これは、1本取られた。
*
先へ進めば、まだ戦えたと思う。
だが、予定していた、濡れた苔のある分岐で引き返した。
今日は新しい魔法を幾つも使っている。慣れた魔法だけの日より、気を張っていた。
成果があったからこそ、持ち帰る。
帰りは、使い慣れた氷と水、剣を中心に進んだ。
第1層の見通しのよい場所で、交代で見張りながら食事を取る。
肉と野菜を挟んだパンを渡すと、シルヴィアが果物を取り出した。
「今日は、これも持ってきましたの」
「ありがとう」
エステルが1切れ口に運び、嬉しそうに頬を緩める。
俺は水筒の蓋を開けながら、シルヴィアへ聞いた。
「個別の練習は、どうだった?」
「楽しかったですわ」
すぐに返ってきた。
それから少し考えて、言い足す。
「最初は、少し……焦っていたのですけれど」
俺は、彼女を見た。
エステルも、果物を持つ手を止める。
「2人が、どんどんできるようになるものですから。わたくしも早く、と」
シルヴィアは手帳へ視線を落とした。
「でも、先輩方にお話を聞いていただいて。できるようになったことを、ちゃんと喜ぼうと思いました」
何を話したのか、細かくは聞かなかった。
今、彼女が自分から話してくれたことを、まず受け取りたかった。
「俺も、エステルに雷で抜かれた時は、悔しかった」
「オスカーも?」
エステルが驚く。
「そうだな。先に練習していた分、ちょっと格好つけたかったんだ」
「でも、教えてって言ったでしょう?」
「悔しいから、教わりたかった」
2人が、顔を見合わせた。
シルヴィアが先に笑った。
「……あなたらしいですわね」
「今度はシルヴィアにも教えてほしいな。今日の魔法を使えば、どこまでできると思う?」
彼女の目が、少し丸くなる。
「たとえば、エステルが防護を使ってもらう時、俺はどこにいた方がいいか。そういうことを、次に3人で試したい」
「わたしも!」
エステルが身を乗り出した。
「あと、強化をわたしにもかけてみてほしい。避ける時に、どれくらい動けるか知りたいの」
シルヴィアは、2人の顔を順に見た。
それから、手帳を開く。
「1度におっしゃらないでくださいませ。順番に、書きますから」
困ったような口調だったが、その声は、さっきより明るかった。
*
帰還の報告と魔石の売却を済ませ、学院へ戻った。
訓練を終えた《栄光の翼》の8人が、道具を片づけているところだった。
レオノーラが、こちらを見つけて歩いてくる。
「戻ったか。怪我は?」
「ありません。3人とも無事です」
「よし」
エステルの顔を確かめてから、シルヴィアへ視線を移す。
「どうだった?」
シルヴィアは、1度俺たちを見た。
「……驚いていただけました」
その返事で、レオノーラの口元が上がった。
後ろから来たクラリッサ先輩も、嬉しそうに笑う。
何だ。
その確認は、事前に打ち合わせがあったのか。
「かなり驚きました。レオノーラ殿下も、ご存じだったんですね」
「ああ。よく練習していたからな」
レオノーラは、隠す気もなく答えた。
「たまには、君たちが驚く側でもよいだろう」
ユリウス先輩が隣へ来る。
「それは、僕も見たかったな」
「先輩まで」
「いつも驚かされているからね」
穏やかな顔で、そう言われた。
エステルが楽しそうに笑っている。
その横で、シルヴィアはクラリッサ先輩へ手帳を見せた。先輩が1つ頷き、何か言うと、彼女はまた少し照れた。
詳しい探索の話は、順に報告した。
雷が通ったこと。防護に助けられたこと。鎧トカゲへ3人で1撃を通せたこと。
レオノーラは、倒した魔物の数だけでなく、どこで引き返したかも聞いた。
「そこまでと決めて、守ったのならよい。次も同じように考えろ」
「はい」
帰り際、シルヴィアが2人の先輩へ頭を下げた。
「ありがとうございました。また、教えていただけますか」
「もちろん」
クラリッサ先輩が答える。
「次にできるようになりたいことを、持ってきてね」
*
部屋へ戻って確かめると、レベルは102になっていた。
100を越えても、まだ先がある。
嬉しくなって、表示を少し眺めた。
それから手帳を開き、今日の探索で気づいたことを書いた。
俺の雷。
エステルの雷。
シルヴィアの強化と防護、弱体化。
3人の名前を並べると、書きたいことが幾つも出てきた。
シルヴィアが、あんなふうに焦っていたとは知らなかった。
隣にいるからといって、全部分かるわけではない。
今日、話してくれてよかったと思う。
次に訓練場へ行ったら、まず俺から声をかけよう。
教えてもらいたいことがある。
試してみたいこともある。
その時、彼女はきっと、少し得意そうに手帳を開くのだろう。
今日、2人の先輩の前で見せたような顔で。
それを想像すると、明日の放課後が楽しみになった。




