第52話 驚かす
【シルヴィア視点】
木剣が振り下ろされる音は、こんなに違うものだっただろうか。
レオノーラ様の剣が、空気を裂いた。
さっきと同じ構え。同じ場所からの1振り。
けれど、耳に残る音が、明らかに鋭い。
「分かったか」
「……はい」
わたくしは、杖を握ったまま頷いた。
レオノーラ様は1度剣を下ろし、それから、わたくしを見た。
「今の違いが、君の魔法だ」
その言葉を、胸の中でもう1度繰り返した。
わたくしの魔法。
剣姫と呼ばれる方の1振りを、さらに強くできた。
自分が放った光は、決して大きくなかった。雷のような音も、炎のような熱もない。それでも、今の剣の音には、確かにわたくしの力が加わっていた。
「……もう1度、お願いいたします」
今度は、さっきよりもよく見ていられた。
*
最初の個別指導を終える頃には、手帳の1頁が埋まっていた。
クラリッサ先輩は残りの2つの魔法も見せてくれたが、無理に全部を試そうとはしなかった。
「今日は、強化を覚えられたでしょう。次は防護をやりましょうね」
「はい。ありがとうございました」
頭を下げると、先輩はわたくしの手帳へ目を落とす。
「復習はしてよいけれど、寝る時間まで削らないこと」
「……はい」
「今、少し間があったわね」
レオノーラ様が、横で小さく笑った。
否定できなかった。
今日のうちにもう1度、図書室へ寄ろうと思っていたからだ。
道具を片づけていると、レオノーラ様が、不意に声をかけた。
「シルヴィア。私からも、話しておきたいことがある」
「何でしょうか」
木剣を棚へ戻したレオノーラ様は、少しだけ言葉を探すように、空いた手を見た。
「エステルのことだ」
姿勢を正す。
先ほど、言いすぎただろうか。
王女殿下の才能を羨むようなことを、姉君の前で。
そう思った瞬間、レオノーラ様が言った。
「ありがとう」
返事が、出てこなかった。
「初等部から、あの子と競ってくれて。留学している間も、帰ってきた時に胸を張れるように頑張ってくれていたのだな」
「それは……わたくしが、勝手に」
「ああ。君がそうしたかったからだろう。だから、嬉しい」
レオノーラ様は、穏やかに微笑んだ。
「昔、エステルは君の話をよくしていた。シルヴィアが解いた、シルヴィアはこう考えた、次は自分もやってみる、と」
知っている親友の顔が、知らない場所で浮かんだ。
王宮へ帰った後も、わたくしのことを話していた。
レオノーラ様は懐かしむように続けた。
「あの子の話を最後まで聞いて、言い返してくれる子は、そう多くなかった。そして、対等に張り合える子なんてもっといなかった。君がいてくれて、よかったと思っている」
胸の奥が、じわりと温かくなった。
わたくしばかりが、あの子の背中を見ていたつもりだった。
でも、エステルも、わたくしを見ていたのだ。
「……ありがとうございます」
それだけ言うのに、少し時間がかかった。そして涙が落ちた。
*
「それから、もう1つ」
レオノーラ様が、ベンチへ腰を戻した。
「私も、エステルの前では凡人だと思うことがある」
「レオノーラ様もですかっ?」
思ったより大きな声が出た。
慌てて口元を押さえると、レオノーラ様は苦笑した。
「そんなに驚くか」
「だって……剣姫と呼ばれる、レオノーラ様が」
「呼ばれるようになる前から、あの子の姉だったのでな」
わたくしは黙った。
クラリッサ先輩も、資料を片づける手を止め驚いている。
「幼い頃から、何を教えても覚えが早かった。覚えるだけで終わらず、こちらが考えていなかったことを聞いてくる。答えられず、後でこっそり調べたこともある」
それは、よく分かった。
エステルの疑問は、教科書の最後の頁で終わらない。
「姉だからといって、いつまでも先に立っていられるわけではないのだと、何度も思い知らされた」
「……それで、レオノーラ様は」
「剣を振った」
返事は簡潔だった。
「私が好きで、私が強くなりたいものだったからな。あの子が驚くほど強くなってやろうとも思った」
レオノーラ様らしいと思った。
けれど、次の言葉で、その道が真っ直ぐだったわけではないと知る。
「1年生の年末に、武闘祭でユリウス先輩に負けた」
クラリッサ先輩が、静かに頷いた。
「武技戦の決勝ですわね」
「ああ。先輩は2年生だった」
レオノーラ様は、自分の掌を開いた。
剣を握り続けてきた手だった。
「あと少しだったと思った。その少しが、どうしても届かなかった」
先日の決闘を思い出す。
砕けた木剣と、円の外へ僅かに出た踵。
負けを認めた時のレオノーラ様の顔は、今も覚えている。取り乱すことはなくても、悔しくなかったはずがない。
「その夜は、目を閉じるたびに最後の動きが浮かんだ。なぜあそこで足を出した。なぜ気づけなかった。考えても勝敗は変わらんのに、何度もな」
「……はい」
「翌朝、剣を握った。昨日より1本多く振れば追いつけるかと思って、腕が上がらなくなるまで振った」
レオノーラ様が、少し気まずそうにクラリッサ先輩を見る。
「褒められたやり方ではなかった」
「そうね。次の日の練習で、まともに腕が動かなかったものね」
「それは、言わなくてもよいだろう」
思わず笑ってしまった。
レオノーラ様は困った顔をしたが、怒りはしなかった。
「必死だったのだ。休んでいる間にも、先輩が先へ進んでいる気がしてな」
笑いが、静かに収まった。
その気持ちは、今日のわたくしに、とても近かった。
「それからは、先輩にも聞いた。何を見ていたのか、どこで私の動きを読んだのか。悔しくても、分からないままでは変われん」
「ユリウス先輩は、教えてくださったのですか?」
「よく教えてくださった。次に同じ手を使ったら通用しなくなるのに、惜しまなかった」
クラリッサ先輩が笑った。
「その代わり、次は別の手を考えてくるのよね」
「そうなのだ」
2人の声に、長く一緒に戦ってきた時間が滲んだ。
勝てないから離れるのではなく、隣にいるから、何度でも挑める。
剣姫と雷帝という呼び名の間に、そんな日々があった。
「今でも、努力はしている。君に見せるほど格好のよいことばかりではないぞ」
レオノーラ様は木剣の置かれた棚を見る。
「上手くいかずに腹も立つ。昨日より悪い日もある。それでも、できなかった動きができるようになれば、やはり嬉しい」
わたくしの手帳に、視線が戻った。
「君と同じだ」
*
「ユリウス先輩とエステル。あの2人は、天才なのかもしれないな。いや、天才という簡単な言葉で片付けることはできないのかもしれない」
レオノーラ様が言った。
「そして、その2人が一目置く……あの男。オスカー・エルフォードだ。悔しいが、彼もまた、その類なのだろう」
わたくしは、小さく頷いた。
「あの子が人の魔法を、あそこまで夢中になって見ているのは、はじめて見た。君なら、よく分かるだろう。近くにいたのだから」
「……ええ」
オスカーに教わった後の、エステルの顔。
雷を見た時の、息をのむ音。
自分でもやってみたいと、弾んだ声。
それを見ていたわたくしも、同じように、彼の次の魔法を待っていた。
「でも、オスカーは、自分ができないこともよく話します」
口にしてから、そのことに改めて気づいた。
「届かないとか、思ったところへ飛ばないとか。そう言って、エステルに聞いていました。わたくしにも、氷の使い方を尋ねます」
「そうだったな」
「あんなに色々できるのに……できないことを話すのは、平気なのですわね」
言って、少しおかしくなった。
わたくしは、2人より遅いかもしれないと打ち明けるだけで、こんなに勇気が要ったのに。
彼は、できないことを教えてもらえるなら、その方がいいという顔をする。
「なら、今度は教えてあげたら?」
クラリッサ先輩が言った。
「私が教わった魔法は、こんなふうに役に立つのだと」
まだ、満足に使えない。
けれど、使えるようになったところを想像すると、胸が弾んだ。
その瞬間、レオノーラ様が、にやりと笑った。
「そんな者たちと一緒にいられる我々も、なかなか幸せではないか」
その笑い方は、王女殿下というより、悪戯を思いついた仲間のようだった。
「悔しい思いはする。だが、退屈はせん。こちらが強くなれば、驚く顔もすぐそばで見られる」
「……驚く顔」
「ああ。1泡も2泡も吹かせてやろうではないか」
クラリッサ先輩が、楽しそうに息を漏らした。
「いいわね。私も、ユリウスの驚く顔は好きよ」
わたくしも、笑っていた。
置いていかれないために。
そう考えていた時は、胸の奥が苦しかった。
でも、2人を驚かせてやろうと思うと、次に杖を握るのが待ち遠しかった。
「……でしたら、どうか。もうしばらく、わたくしにお付き合いくださいませ」
頭を下げると、レオノーラ様が頷いた。
「もちろんだ。実戦で使えるところまで、見届けよう」
*
それからの数日は、放課後があっという間に過ぎた。
クラリッサ先輩に教わる日と、1人で復習する日。
レオノーラ様が参加できる時は、魔法をかける相手になってくれた。2人とも遠征の準備がある。だから、約束した時間はきちんと守った。
《マジックガード》を初めて使えた時は、わたくしが自分へかけた。
クラリッサ先輩の、ごく弱い風の魔法を受ける。
さっきは袖を強く引かれたのに、今度は肌を撫でる程度だった。
「……本当に、弱くなるのですわね」
「ええ。魔法の攻撃を和らげてくれるの。相手が強ければ防ぎきれないから、避けられる時は避けること。それだけは忘れないでね」
頷きながら、手帳へ印をつけた。
レオノーラ様は、それを見つけるたび、少し嬉しそうにしていた。
《ウィークネス》の練習では、レオノーラ様の木剣を持つ腕に、ほんの僅かな重さを感じさせるところから始まった。
強い相手には、効きにくい。
それでも、失敗ばかりだった光が、1度だけ、確かにレオノーラ様へ届いた。
「今のは、分かったぞ」
その1言で、疲れを忘れそうになる。
今度は自分から、水筒へ手を伸ばした。
明日も練習したかったからだ。
*
次の探索を前にした、最後の授業。
わたくしはレオノーラ様へ強化をかけ、自分へ防護をかけた。
詠唱は、もう手帳を見なくても言える。
先輩が放つ風を受け止めると、淡い光が袖の前で揺れた。
「大丈夫そうね」
クラリッサ先輩が頷く。
肩から、ほっと力が抜けた。
《ウィークネス》も、最初の日よりはっきりと効果が出た。ただ、強い魔物に必ず効くとは限らない。そのことは2人にも、先に伝えておくつもりだった。
「最初から、覚えたものを全部使おうとしなくてよいぞ」
レオノーラ様が言った。
「君には、これまで磨いてきた氷と回復もある。必要な時に、必要なものを使えばよい」
「はい」
初等部から、少しずつ覚えてきた魔法。
何度も練習して、使えるようになった氷。
その上に、できることが増えたのだ。
今までのわたくしが、足りなかった証拠ではない。
クラリッサ先輩が、わたくしの杖を見る。
「2人の反応を、聞かせてね」
「……はい。きちんと、驚いていただきますわ」
口にすると、2人が笑った。
レオノーラ様は次の休講日、《栄光の翼》8人での訓練がある。探索へは同行しない。
「3人とも、無事に戻ってこい。その後なら、話はいくらでも聞く」
わたくしは、深く頷いた。
*
校舎へ戻ると、オスカーとエステルが待っていた。
「どうだった?」
エステルが、すぐに駆け寄ってくる。
「実戦で使ってよいと、おっしゃっていただけました」
「本当? 楽しみ!」
自分のことのように笑う。
その顔を見たら、先輩たちに打ち明けた不安を、少し話してもよいかもしれないと思った。
でも、その前に、見せたいものがあった。
「次の探索では、出発前に説明いたしますわ。どんな魔法を使うのか、2人にも知っておいていただきたいので」
「ああ、楽しみにしてるよ。俺も、雷を使える距離を話しておくな」
オスカーが頷く。
そこには、わたくしの魔法も当然、次の戦いの役に立つものとして扱う顔があった。
「今日は、さらに離れた先の標的に当たったんだ」
「1回だけね」
「端に当たったのも、入れてくれないか? あれも、かなり嬉しかったんだ」
「それなら2回」
エステルが笑い、彼も笑った。
つられて、わたくしも笑う。
焦りが、すっかり消えたわけではない。
2人が遠く見える日は、きっとまた来る。
それでも今日は、手帳を胸へ抱く腕に、余計な力は入らなかった。
わたくしも、明日見せたいものがある。
そのことが、嬉しかった。




