第50話 唱えて分かったこと
翌朝、机へ紙を広げた。
真ん中に、短く書く。
離れた相手へ、狙って雷を当てる。
今、できるようにしたいことは、それだった。
剣へまとわせるのも、高速で踏み込むのも、いずれ覚えたい。あの青白い刃を思い出すだけで、指が落ち着かなくなる。
だが、今日は1つだ。
紙の端へ、昨日の結果を書き足す。
近距離なら届く。離すと散る。魔力を増やしても、安定しない。
エステルは、詠唱を使って成功した。
そこで、ペンを止めた。
「……先に、完成した感覚を覚えればいいのか」
声に出すと、随分と簡単な話に聞こえた。
前世で新しい仕事を始める時も、まず達成したい結果を決めていた。そこから期限を戻し、何が必要で、何が足りないかを考える。
最初に思いついた方法がうまくいかなければ、ほかを探す。
逆算の思考。分かっていたはずだった。
それなのに、魔法となると、与えられた無詠唱を使うことが当たり前になっていた。
自分で形を作り、魔力を通せば発動する。4属性では、それでできることが増えてきた。
雷も、その続きを繰り返せばよいと思っていたのだ。
だが、今の俺には、うまく通った時の感覚が足りない。
詠唱で1度完成させる。それを覚え、言葉が助けてくれた部分を、自分の操作で再現していく。
紙へ矢印を書いた。
最後に、無詠唱、と添える。
遠回りに見えるが、これなら次に試すことがはっきりしていた。
*
「オスカーが、詠唱を?」
昼休み、エステルがパンを持ったまま瞬いた。
「ああ。まずは昨日、先輩が教えてくれたとおりにやってみる」
「雷も、詠唱から確かめ直すのですの?」
シルヴィアまで、少し意外そうな顔をする。
「ああ。最近は、すっかり使わなくなっていたからな」
「以前は、火の魔法を唱えていらっしゃいましたわね」
俺は頷いた。
前世の記憶が戻る前は、教えられた詠唱で火を出していた。その記憶はある。無詠唱を使えるようになってから、改めて言葉の働きを確かめようとはしていなかった。
雷でも、同じように助けを借りられるはずだ。
「2人が言葉に合わせて動かしている魔力を、俺も確かめたい。昨日の雷を、まず同じ手順で使ってみる」
エステルは少し考え、パンを皿へ置いた。
それから、こちらへ顔を寄せる。
「じゃあ、今度はわたしが教えてあげようか?」
「ああ、ぜひ頼むよ」
「……え」
「昨日、成功したばかりだから、どこで難しかったかも覚えているだろう。それを聞きたい」
彼女は、なぜか1度姿勢を戻した。
頬が、少し赤い。
「うん。もちろん。ちゃんと教える」
「どうした?」
「もうちょっと、悔しがるかと思っただけ」
「悔しかったよ。でも、隣に教えてくれる人がいるなら、ありがたいだろう?」
隣で、シルヴィアが口元を押さえた。
「俺、そんなに意外なことを言ったかな?」
「いいえ。エステル先生が、急に真面目になりましたので」
「もともと真面目です」
エステルが胸を張る。
そこで使う敬語は、少し面白かった。
*
放課後は、昨日より短い時間だけ、ユリウス先輩に見てもらうことになっていた。
雷の指定区画へ着くと、先輩の隣に赤い髪が見えた。
レオノーラだった。
腰には剣。腕には木剣が2本。
「お姉様、今日も来てくれたの?」
「遠征の打ち合わせへ向かう前に、様子を見ようと思ってな。必要なら、剣の動きも――」
「ユリウス先輩! 昨日、帰ってから考えたんですけど」
エステルの視線が、隣へ移った。
レオノーラの口が止まる。
「雷を弱くする時、最初から集める量を減らした方がいいですか? 途中で減らそうとすると、まとまりまで崩れそうで」
「今の段階なら、最初に量を決めた方が扱いやすいね。途中で変える練習は、それが安定してからにしよう」
エステルが手帳を開く。シルヴィアも横から覗き込んだ。
俺は先輩に、詠唱から試したいと話した。
レオノーラは木剣を1本持ち上げかけ、そっと腕へ戻した。
見なかったことにするには、少し遅かった。
「よい考えだね。どこまで自分で操作できていて、どこを詠唱に助けてもらうか、分かるかもしれない」
ユリウス先輩は頷くと、まず雷を出さずに、言葉に沿って魔力を動かすように言った。
*
最初の1度は、ただ喋っているだけだった。
言葉を間違えずに唱えることはできる。
だが、いつもの癖で、最初から全部の形を作ろうとしていた。
「少し急いでいるね」
先輩が、俺の手元を見た。
「言葉が進むより先に、放つ準備までしている。まずは集めるところで止めてごらん」
「……はい」
エステルが、自分の杖を胸の前へ持った。
「最初はここ。まだ標的まで伸ばそうとしなくていいの」
彼女の実演を見てから、掌へ意識を戻す。
声に合わせて集める。
次の言葉で、まとまりを保つ。
そこで初めて、いつもと違う感覚があった。
自分で押さえていた形が、少し収まりやすくなる。手を離したわけではないのに、支える場所が分かったようだった。
「……今、少し分かった」
先輩が頷く。
「そのまま、次へ」
詠唱を続けたところで、意識が先へ飛びすぎた。
魔力のまとまりが崩れる。
俺は手を下ろした。
「惜しかったね」
「ええ。分かったと思った瞬間に、全部やろうとしました」
エステルが、くすりと笑った。
「オスカーも、そうなるんだ」
そうなる。
少しできると、その先まで確かめたくなる。
昨日、彼女が何度も杖を構え直した気持ちが、よく分かった。
*
3度、雷を放たずに繰り返した。
先輩が、近い標的を示す。
「では、1度通してみよう」
掌を向け、息を整えた。
「空を渡る雷光よ、我が魔力を束ね、指し示す先を貫け――《サンダー・ボルト》」
光が走る。
金属が、鋭く鳴った。
届いた。
今までより、余計な火花が少ない。
俺は手を下ろさず、光の消えた空間を見た。
手元で束ねた魔力が、途中でほどけずに先へ通った。その感触が、まだ掌の奥に残っている。
「……こうなるのか」
エステルが、ぱっと笑った。
「今の、きれいだった!」
「ああ。もう1度――」
「まず、今の感覚を確かめて」
先輩が笑いながら止めた。
俺は頷き、掌を1度閉じる。
危なかった。
成功したことを喜んで、何をしたか忘れるところだった。
記憶強化で覚えられるのは、自分が捉えたものだ。分からなかった部分まで、都合よく埋まるわけではない。
今、どこが楽になったのか。
どこは、まだ自分で支えていたのか。
その違いを、順に思い返した。
*
次の1回では、新しく得た《魔力感知》にも意識を向けた。
遠くの標的まで、流れがくっきり見えるわけではない。
ただ、掌のすぐ先で、集まっていた魔力が外へ伸びる気配は分かった。
そちらへ気を取られた途端、雷が横へ散る。
「今度は、手元を気にしすぎたかな」
「はい」
先輩へ、感知のことまでは話さなかった。
自分でも、まだ何が分かるのか確かめている途中だ。
発動しながら全部を追おうとすると、魔法そのものが乱れる。それなら、1回ごとに確かめる場所を絞ればいい。
まず、手元だけ。
次は、外へ出る瞬間だけ。
詠唱の助けを借りて同じ術を繰り返すうちに、成功した時は、掌の外でもまとまりが急に崩れないことが分かってきた。
今までの俺は、雷が出た瞬間、届かせる方へ意識を寄せていた。
作ったばかりの形を、途中で手放していたのかもしれない。
エステルにそう話すと、彼女は杖を指でなぞった。
「わたしは、最後まで細い水を通すように考えたの。途中だけ広がったら、先へ届かなくなるでしょう?」
「なるほど」
「でも、雷を水に変えるわけじゃないよ。保ち方の話」
「ああ、その考え方なら分かりやすいな」
昨日、先輩から聞いた説明と、彼女自身の感覚が、ようやく繋がった。
隣で、レオノーラが1歩前へ出る。
「形を保つのなら、剣へ炎を――」
「それなら、手元だけ強くしていたのが駄目だったんですね」
俺がユリウス先輩へ顔を向けたのと、ほとんど同時だった。
しまった。
振り返ると、レオノーラは口を閉じ、真面目な顔で頷いていた。すみません、お姉様……
「………うむ。その理解でよい」
木剣の柄を握る指が、わずかに動く。
あの剣姫が、会話へ入る間合いを逃している。
*
休憩になった途端、レオノーラが木剣を差し出した。
「では、魔法を待つ間の足運びを見よう」
「今は休憩だよ、レオノーラ」
「……軽くだ」
「腕も休めようね」
ユリウス先輩の穏やかな声に、木剣がまた下がった。
「………」
シルヴィアは水筒を持ったまま、少しだけ目を伏せる。笑いをこらえているように見えた。
エステルは姉へ近づき、その袖を軽く引いた。
「お姉様。ひとつ聞いてもいい?」
「ああ」
返事が速かった。
「わたしが雷を唱えている時、敵がオスカーの横を抜けてきたら、止めてから避けるので間に合うかな」
レオノーラの目が、変わった。
木剣を脇へ置き、地面に3つの小石を並べる。
「距離による。だが、止めることを済ませてから足を動かす、と決めておくな。近いなら、まず動きながら魔力を解け」
彼女は石の横へ立った。
「下がる先も、真後ろとは限らん。シルヴィアの前を塞がず、オスカーが戻れる方へ寄る。先日の探索なら、この岩の側だ」
靴が、斜めへ1歩動く。
俺には敵が追う先が見えた。シルヴィアには杖を向ける場所が空く。
雷を1度も出していないのに、3人で使う景色がはっきりした。
「……そっか。唱え終わることばかり考えてた」
「覚えたてだからな。次に3人で動く時、そこも確かめよう」
「うん。お姉様、お願いね」
レオノーラの口元が、ようやく緩んだ。
「任せておけ」
隣でユリウス先輩が、水筒へ口をつけた。
飲む直前、少し笑っていた気がする。
*
最後に、言葉を使わずに試した。
詠唱中の感覚を思い返す。
集める。束ねる。外へ伸ばしても、まとまりを保つ。
ああ、わかる。
青白い光が、綺麗に標的へ届いた。
乾いた音。
俺は、息を止めていたことに気づいた。
「今の、唱えていませんでしたわね」
シルヴィアの声がした。
「ああ」
昨日、散った距離だった。
隣の、エステルが使う標的にはまだ遠い。
だが、届いた。
「もう1度、同じようにできるかな」
先輩に促され、構え直す。
2度目はさらに速く綺麗にできた。
3度目はほぼ自分のものになっていた。
「……できました」
「驚いた」
ユリウス先輩は、俺の掌を見た。
「次は、そのまま距離を伸ばしていこう。威力はその後でいい」
俺は頷いた。
「先輩。これが安定したら、剣にまとう方も教えていただけますか。あの踏み込みも」
「もちろん。君は剣を振る時の方が、魔力を置く場所を具体的に思い描けるようだね」
先輩が、俺の足元を見る。
「身体強化で動ける体はできているから、雷を重ねるタイミングを覚えていこう。一瞬の加速を、剣が届くところで生かしたいね。早すぎても遅すぎても、せっかくの速さが攻撃につながらない」
「前に教わった、力まず踏み出す動きからでも使えますか」
「うん。まずは短い直線から。曲がるのは、その後だ」
「わたしは落とす方も!」
隣からエステルが手を上げ、先輩が笑った。
「覚えているよ。2人とも基本は共通だから、まずは今日の感覚を忘れずにね」
今日は、雷剣まで辿り着かない。
エステルの射程も、まだ越せない。
それでも、昨日までなかった手応えがある。
無詠唱を使えるからこそ、詠唱に助けてもらう発想が遅れた。完成のアプローチは1つではない。
だが、気づけたのは、彼女が隣で先へ進んでくれたからだった。
「ありがとう、エステル。助かった」
彼女は目を丸くした後、嬉しそうに胸を張った。
「どういたしまして。先生だからね」
「次も頼んでいいか?」
「もちろん。でも嬉しいけど悔しい! オスカーはもう無詠唱でできちゃうんだもん」
言ってから、彼女は1歩近づいた。
「わたしにも教えて。今の、言葉がなくても形が残った感じ」
「ああ。俺に分かる範囲でよければ」
「うん。それが聞きたいの」
俺たちは、片づけるはずの標的へ同時に顔を向けた。
背後で、咳払いがした。
「今日は、終わりだ」
レオノーラが時計を指している。
今度の声には、指導員としての迷いがなかった。
*
道具を戻していると、訓練場の入口へ1人の女生徒が現れた。
4年生の徽章。肩の下で切り揃えた深い緑色の髪に、細い銀縁の眼鏡をかけている。薄い資料の束を腕へ抱え、こちらを見ると柔らかく微笑んだ。
「ここにいたのね。2人とも、打ち合わせの前にこれだけ見ておいてほしくて」
「ありがとう、クラリッサ。ちょうど終わったところだよ」
ユリウス先輩が、俺たちを振り返る。
「紹介するね。《栄光の翼》の仲間で、補助魔法を担当している、クラリッサ・リンドベルだ」
決闘の時に、先輩たちと一緒にいた人だった。
シルヴィアが、すっと背筋を伸ばす。
「初めまして。シルヴィア・ラングレーと申します」
「ええ。レオノーラから聞いているわ。先日の探索でも、よく仲間を見ていたそうね」
シルヴィアの目が、レオノーラへ向いた。
剣姫は、当然のことを話しただけだという顔だった。
「氷を使う位置もよい。味方の動きに合わせることを、よく考えている」
「……ありがとうございます」
シルヴィアが手帳を胸へ寄せる。
照れているが、それだけではなかった。
1度、俺とエステルを見てから、クラリッサ先輩へ向き直った。
「補助魔法について、伺ってもよろしいでしょうか」
「どんなこと?」
「味方を強くする魔法を、わたくしも覚えたいのです。回復だけでなく、戦っている2人の力になれることを増やしたくて」
クラリッサ先輩の視線が、シルヴィアの手帳へ落ちる。
「もう、使う場面を考えているのね」
「3人で、もっとできることを増やしたいのです」
迷いのない声だった。
先輩は微笑みを深くし、抱えていた資料の端を揃えた。
「今は短くしか話せないけれど、よければ別の日に、個別で教えましょうか?」
「よろしいのですか?」
「ええ。もちろんよ」
シルヴィアは、すぐに手帳を開いた。
空いている時間を確かめる指が、少し速い。
エステルが俺の袖をつつき、楽しそうに目を細めた。
今度は、シルヴィアの番だ。
レオノーラは2人の手帳を覗き込み、空いている日を指した。
「その日なら、私も手伝える。魔法をかける相手が必要だろう」
「助かるわ。では、3人で」
クラリッサ先輩が頷くと、シルヴィアは2人へ深く頭を下げた。
*
先輩たちを見送って、3人で校舎へ戻った。
エステルは次に試したい雷の話をし、シルヴィアは教わる日に必要なものを書き留めている。
俺は歩きながら、掌を開いた。
標的まで雷が通った感覚は、まだ残っていた。
初めて火花が出た朝には、2人を驚かせたいと思った。
今は、隣で笑っている2人に、何度も驚かされている。
思っていたより、ずっと楽しい。
「オスカー、次の雷の練習も一緒にね」
「ああ」
エステルに答えると、シルヴィアが顔を上げた。
「その間に、わたくしはクラリッサ先輩に教わってきますわ」
「楽しみだな。どんな魔法を覚えるんだ?」
「まずは、きちんと使えるようになってからです」
シルヴィアは手帳を閉じ、少しだけ顎を上げた。
「成果を、お待ちになっていて」
「うん。待ってる」
エステルが、俺より先に答えた。
3人で笑った。
俺1人で思いつく準備には、限りがある。
隣の2人が新しいものを見つけるたび、その先で試せることも増えていく。
次に黒曜へ入る時、俺たちの戦い方は、また少し変わっているはずだ。
その変化を、今度は3人で確かめたかった。




