第49話 隣にいた天才
【オスカー視点】
「わたしも、一緒に習っていいですか?」
翌日の放課後。
訓練場でユリウス先輩へ頭を下げようとした俺の隣から、銀色の髪がふわりと前へ出た。
エステルは杖を両手で持ち、先輩を見上げている。朝、今日の予定を話してから、ずっとこの顔だった。
楽しみで仕方がない、という顔だ。
「もちろん。今日は2人に教えるつもりで、場所を取ってあるよ」
「ありがとうございます!」
隣で、シルヴィアが小さく笑った。
「教室を出てから、歩くのが速すぎましたわ」
「だって、雷だよ?」
十分な説明をした、という顔だった。
俺にも、それ以上の理由は必要なかった。
レオノーラと黒曜へ潜った昨日のうちに、先輩へ雷の指導をお願いしていた。エステルも希望していると伝えると、遠征準備の合間に時間を作ってくれたのだ。
シルヴィアは見学と、今後の連携を考えるために来ている。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「僕も楽しみにしていたからね。ただ、夕方には仲間と集まる。鐘が鳴ったら、続きは次の機会にしよう」
「はい」
先輩が、俺の顔を見て微笑む。
「もう1回、はその前までだよ」
まだ言っていない。
だが、言う可能性はかなり高かった。
*
案内されたのは、放電用の標的が並ぶ区画だった。
地面は乾いていて、標的の後ろには分厚い防護板がある。隣の区画との間も柵で区切られていた。
ユリウス先輩は見学位置を示してから、俺へ向き直った。
「まず、今できることを見せてもらえるかな」
2つの金属端子を近づけ、その間へ魔力を通す。
ぱちり、と青白い光が弾けた。
少し間隔を広げて、もう1度。
今度は細い枝が横へ散った。狙った端子にも届いたが、先ほどより魔力を使っている。
「離れると、こんな具合になります」
「なるほど。決闘では、届く間合いまで自分で入ったんだね」
「それしかできなかったので」
「できる距離を分かっていたから、あの一瞬に使えた。そこは大切にしていい」
先輩は標的の位置を戻した。
「次は、その距離を伸ばそう。雷を強くするだけでは、狙ったところへは届かないから」
俺は頷き、奥の標的を見た。
近くで痺れさせることはできた。
あの剣姫に通じたという事実は、今でも誇らしい。
だが、敵の腕へ毎回手を伸ばせるとは限らない。3人で使うなら、2人の後ろからでも届く魔法にしたかった。
「エステルさんは、雷の詠唱を読んだことはある?」
「あります。でも、実際に教わるのは初めてです。留学中は4属性の制御と組み合わせを優先していたので」
エステルが手帳を開く。
頁には、俺が放電を見せた時の端子の絵まで描かれていた。
「あの時から、気になっていたんです。通る場所を先に決めるなら、その道は最後まで同じ太さにするんですか?」
先輩が、少しだけ眉を上げた。
「いいところを気にするね。まずは僕がやってみよう」
*
先輩は剣を抜かなかった。
右手を、数歩先の標的へ向ける。
「空を渡る雷光よ、我が魔力を束ね、指し示す先を貫け――《サンダー・ボルト》」
青白い光が走った。
乾いた音とともに、標的の中央が白く瞬く。
以前見た、空から落ちる雷ほど大きくはない。光は1本にまとまり、横の板には触れていなかった。
それが、かえって難しそうに見えた。
「これが、狙った相手へ雷を放つ基本の術だよ。今日は威力より、毎回同じところへ通すことを目指そう」
エステルは、標的より先輩の手を見ていた。
「途中で、広がらないようにしていましたよね」
「そう。よく気がついたね」
「集めたまま、先まで……」
彼女が杖を上げかけ、先輩の顔を確かめる。
許可の頷きを受けてから、近い標的へ向いた。
銀色の髪が肩から滑り落ちる。杖を握る右手で、青い指輪が光った。
いつものエステルなのに、急に周囲の音が遠くなったように感じた。
さっきまで弾んでいた声が、落ち着く。
「空を渡る雷光よ、我が魔力を束ね、指し示す先を貫け――《サンダー・ボルト》」
杖先で光が弾けた。
雷は標的まで伸び、端をかすめて散った。
「……え」
俺の口から、間の抜けた声が出た。
最初の1回だぞ。
指1本分の火花が出て、朝から浮かれていた俺の思い出が、まだ新しいのだが。
「最後、右へ逃げたね」
「はい。届かせようとして、魔力を足しました」
「増やすより、途中のまとまりを保ってごらん。そこまで作れた形は、よかったよ」
「もう1度、お願いします」
2度目。
青白い光が、標的の内側へ入った。
シルヴィアのペンが止まる。
エステルは唇を少し開き、光の消えた場所を見つめた。それから、ゆっくり俺の方へ振り向く。
「……できた」
「ああ、見てたよ。すごいな、今の!」
「雷になったよ」
「綺麗に届いたな。俺まで嬉しくなるよ」
その瞬間、青い瞳が輝いた。
嬉しそうに笑った顔を見て、俺まで口元が緩む。
自分の魔力が初めて雷になった朝を思い出した。胸の奥が熱くなって、授業へ向かう足まで軽くなった。
今、彼女も同じものを感じているのだろう。
ただし、俺より随分、長い雷だった。
*
次は俺の番だった。
杖先から標的まで伸びた光を思い浮かべ、掌から魔力を通す。
近い端子ならできる。道を長くしても、途中で崩さなければいい。
そう考えたが、放電は標的の手前で散った。
指を下ろし、1度息を吐く。
「途中まで保てていたよ。今、どこで難しくなった?」
「先を意識すると、手元が緩みます。手元を保つと、先が曖昧になります」
「では、距離を少し戻そう。その両方を確かめられるところからだ」
無理に遠くを狙わず、標的を近づける。
短い雷が、金属へ届いた。
先輩は頷き、そこで繰り返すように言った。
隣では、エステルが3度目の詠唱を始めていた。
先ほどより、ためらいのない声。
雷が中心近くを打つ。
俺は、自分の標的を見た。
近い。
エステルの標的を見た。
遠い。
……距離というのは、残酷なほど分かりやすい。
*
休憩を挟んでから、先輩は標的を2つ並べた。
まず自分で雷を放ち、同じ場所へ、次は弱めた1撃を通す。光は細くなっても、散らずに中央を打った。
「次は、僕が指定した方へ。焦らず、狙いを確かめてから唱えて」
「はい」
「左」
エステルが体の向きを変える。
詠唱。発動。
左の標的が鳴った。
「右。今度は、少し弱く」
光が細くなる。
それでも、途中で散らずに右へ届いた。
先輩は、次の指示を出しかけて止まった。
左の標的を見る。続いて、右を見る。
それから自分で歩いていき、2つの焦げ跡を確かめた。戻ってきても、すぐには口を開かなかった。
「……驚いたな」
小さく息を吐き、エステルを見る。
「雷を通すだけでも、今日は十分だと思っていたんだ。狙いを変えて、威力まで落として、それでも形を崩さないとは」
「弱くする方が、難しかったです。少なくしすぎたら、途中で消えそうで」
「うん。それを、1度の説明で直してしまったんだね」
先輩は額にかかった金色の髪をかき上げた。
いつも言葉を返すのが早い人が、少しだけ言い方を探している。
「レオノーラからは、何度も聞いていたよ。妹がどれほど優秀か、どんな魔法を使ったか。何度も、何度もね」
そこで、声に笑いが混じった。
回数を強調した理由は、よく分かる。
「お姉様、そんなに話しているんですか?」
「昨日も聞いたよ」
「もう。わたしには言わないのに」
そう言いながら、エステルは嬉しそうだった。
先輩も笑い、それから、まっすぐに彼女を見た。
「でも、聞いていた以上だ。本当に、すごいな」
教える側が励ますための言葉には聞こえなかった。
目の前で起きたことに、ただ驚いている。
雷帝と呼ばれる人に、そんな顔をさせた。
エステルは少し照れたように杖を抱え直し、それから明るく笑った。
「ユリウス先輩も、すごいと思います」
「僕も?」
「はい。わたし、魔法を見て、本当にすごいって思う人は、あまりいないんですけど」
シルヴィアの肩が、ぴくりと動いた。
俺も、思わず先輩の顔を見た。
エステルは気づかず、楽しそうに続ける。
「その中でも、先輩はすごいです。見せてくれる雷も、教え方も。さっき、わたしが質問する前に、困っていたところを教えてくれましたよね」
青い瞳が、先輩の手元へ向く。
「弱くしても、光が少しも散らなくて。わたしが何を変えても、次にどうすればいいか、すぐ教えてくれる。まだ、どれだけできることがあるんだろうって、わくわくします」
先輩が、目を瞬いた。
3学年下の後輩から、数少ないすごい人の1人だと評価されたのだ。俺なら、喜ぶ前に返事を考えてしまう。
だが、彼女はただ、知りたいものを目の前にした顔で笑っていた。
ユリウス先輩は1度口を開き、何も言わずに閉じた。
それから、ふっと笑った。
「……そっか。なんだか、君にそう言ってもらえると、僕もすごく嬉しいよ」
いつもの穏やかな笑みより、少し照れくさそうだった。
「ありがとう。そんなに楽しみにされたら、僕も張り切ってしまうね」
「では、もっと教えてください!」
「うん。ただ、まずは今の雷を、きちんと使えるようにしようか」
「はい!」
エステルが素直に頷く。
シルヴィアが、ようやく肩の力を抜いた。
俺も、小さく息を吐く。
エステルは、教わる相手まで楽しそうにしてしまうのか。
感心していると、先輩が2つの標的へ目を戻した。
「君は、指摘した場所だけを直しているんじゃないね。なぜそこが乱れたかまで考えている」
「同じ失敗をしたら、次のことを試せないので」
当然のような返事だった。
俺は少し笑いかけ、笑えなくなった。
次を試したい。そのために、今の失敗を理解する。
言葉にすれば簡単だ。
だが、聞いた説明を、次の1回で自分の魔法へ変えてしまうのは、別の話だった。
*
シルヴィアが、練習区画の外から声をかけた。
「ユリウス先輩。味方が標的の近くにいる時は、どのくらい距離を空ければよいのでしょうか」
「威力と制御によるから、今は広く取ってほしい。まずは味方が前を横切る時、撃つのをやめられることが大切だね」
先輩は離れた位置から、長い棒の先につけた布を標的の前へ出した。
「これを味方だと思って。通ったら、放たずに魔力を解いて」
エステルが詠唱を始める。
途中で、布が前を横切った。
杖先の光が揺れる。
彼女は唇を閉じ、雷を放たずに魔力を散らした。
「……これ、撃つより難しい」
「覚えたばかりだと、完成させたくなるからね」
先輩が布を戻す。
俺は、黒曜で2人の射線を塞いだ自分の背中を思い出した。
「俺も、撃ちやすい位置を空ける」
「うん。でも、必要なら前を通って。ちゃんと止めるから」
エステルは、もう1度杖を構えた。
ただ雷が出たと喜んでいた顔が、仲間の動きを待つ顔に変わっていた。
次は布が出ない。
雷が標的へ通る。
その次は途中で止め、構え直してから放つ。
決して、1度も失敗しないわけではない。止めた後、次の詠唱で光が散ることもあった。
それでも、同じところで何度も足踏みしない。
ユリウス先輩の言葉を聞く横顔は真剣で、答えが分かった瞬間だけ、唇の端が上がる。
俺は、彼女が魔道王国を首席で卒業したことを知っていた。
白晶では大勢の魔物をまとめて倒し、黒曜では迷いなく魔法を組み合わせる姿も見てきた。
それでも、今日はまた違った。
知らなかったものを知り、できなかったことができるようになる、その瞬間を隣で見ている。
天才だ。
そう思った。
俺に与えられた成長補正のことが、頭をよぎる。
熟練度は10倍。覚えたことを忘れにくく、考える時間まで増やせる。
恵まれている自覚はあった。
それでも、目の前の彼女は、俺がまだ掴めない感覚を掴んでいた。
*
鐘が鳴る少し前、最後の確認をした。
エステルの雷は、離れた2つの標的へ、狙いを変えて続けて命中した。
1発ごとに詠唱は必要だ。だが、離れた場所へ魔力をまとめ、狙った相手へ通す精度は、もう俺より高い。
「いずれは、上から落とす雷も習いたいです。敵が並んでいたら、奥の相手も狙えますよね」
エステルが、標的の頭上を見上げた。
「そうだね。落とす場所と、広がる範囲を決める練習も必要になるよ」
先輩の答えに、彼女の目が輝く。
俺なら、剣にまとわせて懐へ入りたい。彼女は、そこへ入らずに届かせる方法を考える。
同じ雷を見ていても、思い描く戦い方は違うらしい。
そして、先輩はどちらの質問にも、迷わず答える。剣にまとい、自分も加速し、離れた標的へ落とす。その全部を、あの日、俺は見ていた。
雷帝。自分で試すほど、その呼び名の重さが分かってくる。
だが、味方が詠唱の時間を作れるなら、十分に戦いへ持ち込める。
「最初は、見通しのよい場所で。今日と同じくらいの距離と威力から使ってごらん」
「はい!」
「今の精度なら、3人の新しい選択肢になるよ」
エステルが、俺とシルヴィアを見る。
俺は頷いた。
「頼りにしてるよ。次の探索が楽しみだな」
その言葉に、彼女は一瞬黙った。
それから、杖を握り直して笑う。
「任せて」
俺の最後の放電も、近い標的には届いた。
始める前よりは安定している。進歩はあった。
だが、届く距離も、狙いを変えた時の確かさも、今日は彼女の方が上だった。
「……先に使えたのは、俺だったはずなんだが」
思わず漏らすと、エステルがこちらを向いた。
「ふふ。先生がいいからね」
「俺も同じ先生なんだが」
「じゃあ、わたしも頑張ったから」
「ああ。見ていて分かったよ。俺にも、あとでコツを教えてくれないか?」
俺が答えると、得意げだった彼女の頬が少し赤くなった。
悔しかった。
きちんと、悔しかった。
同じ場所から同じ標的を狙って、俺の雷は手前で散り、彼女の雷は届いたのだ。
けれど、それを理由に、今の顔を曇らせたいとは思わない。
嬉しいものは、嬉しい。
面倒なことに、両方とも本当だった。
*
先輩を見送った後、3人で標的を片づけた。
シルヴィアが記録を閉じながら、俺を見る。
「珍しく、悔しそうなお顔でしたわね」
「隠せていなかったか」
「途中から、標的を見比べていましたもの」
「つい、気になってな。あんなに嬉しそうに使われたら、俺も早くできるようになりたいよ」
「じゃあ、次も一緒に練習しようよ」
エステルがすぐに言った。
少し考え、付け加える。
「でも、オスカーが雷を見せてくれなかったら、今日、習いたいって言わなかったかもしれない」
俺は手を止めた。
「もっと先でいいと思っていたもの。4属性でも、まだ試したいことがたくさんあるから」
そう言って、彼女は笑った。
「使っているところを見たら、わたしもやりたくなっちゃった」
覚えのある話だった。
俺も、あの先輩の剣を見て、そのうちでは待てなくなったのだ。
同じ気持ちが隣へ渡ったのだと思うと、少しだけ胸を張りたくなる。
……追い抜かれた件は、別として。
片づけた標的を振り返った。
エステルは、教わった詠唱を1度も省かなかった。
俺は、その言葉を覚えている。
先輩がどこで息を継ぎ、どこから魔力を集めたかも、何度も見た。
それなのに、今日、自分では1度も唱えていない。
無詠唱でできるようにしようと、最初から考えていた。
俺が欲しいのは、使える雷だ。
なら、そこへ届く方法まで、1つに決める必要があるだろうか。
「オスカー?」
「明日、少し試したいことができた」
エステルの目が、また輝いた。
「わたしも見たい」
「ああ。今度は、隠さない」
シルヴィアが、当然ですわ、と頷いた。
俺は笑って、2人と並んで訓練場を出た。
今日、隣にいた天才に追い抜かれた。
だから明日は、教わった言葉を、自分の声で唱えてみよう。




