第48話 追われる翼
第48話 追われる翼
【レオノーラ視点】
生徒会室の机へ、探索の記録を置いた。
黒曜、第1層から第2層。
普段なら、通過した時刻を書き留める程度の場所だ。
今日は、その2層だけで、紙が埋まっていた。
椅子へ腰を下ろし、手袋を外す。
窓から入る午後の光が、机の端を照らしている。遠征の打ち合わせまで、まだ少し時間があった。
私はペンを取り、3人の名を書いた。
オスカー。エステル。シルヴィア。
指導の記録を残すつもりだった。
だが、書き始めてみれば、感心したことばかりが並ぶ。
「……まったく」
椅子の背へ体を預けた。
あの3人は、思っていた以上だった。
*
まず、シルヴィアだ。
優秀だという噂は、以前から耳にしていた。初等部の頃から、エステルと首席を争っていた少女だ。
勉学に真面目で、回復魔法も使える。生徒会へ推薦したいと、本人へ話したこともある。
《栄光の翼》へ誘うことも、考えていた。
ただ、彼女の魔法と判断を、これほど近くで続けて見るのは初めてだった。
狼の足元へ刺さった氷を思い出す。
大きな魔法ではない。
だが、正確だった。
1匹を止めると先に伝え、オスカーが別の1匹へ向かえる時間を作る。倒すために威力を足すより、味方の剣を間に合わせることを選んでいた。
頭のよい子だ。
何をできるかだけでなく、今、何をすべきかを考えている。
まだ、自分の杖へ意識が寄る時はある。味方が大きく動けば、追うのが遅れることもある。
だが、指摘された時の顔がよかった。
恥ずかしそうにしても、目を逸らさない。手帳へ書き、次には直そうとする。
訓練場で見えなかった2匹目を、今日の彼女は自分から確かめていた。
覚えたことを、持ってくるのだ。
その勤勉さは、才能と同じくらい得がたい。
私は記録の余白へ、短く書き加えた。
もっと、伸びる。
そう思わせる者を、教える側が見逃してはいけない。
ふと、初等部の答案を持って帰ってきたエステルを思い出した。
満点の紙を見せる時より、シルヴィアに1点負けた時の方が、よく喋った。
どこを間違えたのか。次はどの問題なら負けないのか。悔しがりながら、もう明日の話をしていた。
王女だからと、勝ちを譲らない。
特別な子だからと、遠くから眺めるだけにもならない。
シルヴィアは、あの子の隣で、本気で張り合ってくれた。
姉として、それには感謝している。
今日、2人が声をかけ合って魔法を放つ姿を見て、その思いがまた強くなった。
並んでいてくれて、よかった。
それはいつか、本人にも伝えよう。
*
エステルは、幼い頃から特別だった。
教えられた魔法を覚えるのが早い。それだけなら、才のある子で済んだだろう。
あの子は、教わったところで止まらなかった。
水を集められれば、なぜ丸くなるのかと聞く。細くできれば、もっと長く伸ばせないかと考える。さらに水は何でできているのかと考える。
説明を聞いて頷いたと思ったら、次には別の疑問を持ってくる。
私は、教わった剣の形を、少しでも正確に再現しようとする子供だった。
エステルは、なぜその形なのか、ほかの形では駄目なのかと、向こう側まで覗こうとする子供だった。
その眩しさの前では、自分がひどく平凡に思えた。
妹と同じように考えようとしても、途中で追いつけなくなる。私は自分の得意な剣へ戻り、あの子は楽しそうに、まだ先を見ていた。
天才とは、こういう子を言うのだろう。
魔道王国から戻ってきた時、その思いは確信になった。
王家の宝になる。
王国の宝になる。
いや、あの子が知りたがっているものは、国境の内側には収まらない。
いつか、世界の宝になる子だ。
そして、何より可愛い。
そこは、異論を認めない。
今日も、滝へ案内してくれた時の顔がよかった。知っている景色だと言っても、少しも気にせず、私と見るのは初めてだと笑った。
剣を持っていなければ、頭を撫でていたところだ。
いや、剣は鞘にあった。
撫でればよかった。
次回の課題にする。
ペンを持つ手を止めた。
今のことまで、指導記録へ書く必要はない。
*
そんな妹が、目を離せずにいる男がいる。
オスカー・エルフォード。
1ヶ月前、木剣を持って私の前へ立った時には、3度とも、足を動かす必要すらなかった。
あの手合わせのあと、私は、この程度では認めないと言った。攻めを変える判断には見込みがあっても、それを通す技量が足りなかったからだ。
伸びしろを見せてみろと、1か月の猶予を与えた。
今は違う。
腕も肩も1回り以上たくましくなり、踏み込む速さは、同じ人間かと疑うほど変わった。
剣。身体強化。4属性。淡く白い闘気。
その上、無詠唱の雷まで隠していた。
ただ増やしただけなら、あの最後の1撃にはならない。自分で使い、失敗し、繋ぎ直してきたことが、剣を合わせれば分かった。
それでも、決闘だけでは見えなかったものがある。
今日、岩陰の狼を告げた声を思い出す。
2匹しか見えていない場所で、彼は残りの魔物も気にしていた。見通しの悪い分岐では、足を止めるのが早い。
何を頼りに見つけているのか、まだ分からない。
だが、索敵の確かさは、前衛の剣以上に仲間を助けていた。
見つけてからの判断もよい。
自分だけが敵へ届く場所へ走らず、2人が魔法を使える場所を選ぶ。私が同行していても、帰還の予定を変えなかった。
彼の右手首には、私が渡した真紅の腕輪があった。
威力の違いに気づいた後も、無理に敵を追わなかった。渡してよかったと思ったのは、よく斬れた時より、2人の前へ戻った時だ。
使い慣れた品が自分の手首にないのは、少し落ち着かない。だが、彼の剣を支えるのなら、それでよい。
そして、教えたことを、次の戦いでもう変えてくる。
鎧トカゲへ踏み込みかけた、あの1瞬だ。
私を真似ようとした。距離が足りないと気づいた。風を使い、自分に届く隙へ作り直した。
戦いながら、強くなっている。
その速さには、正直、驚いた。
エステルに並ぶものを感じる。
もしかすると、あの子以上に、多くのものを受け止めて育てていく器があるのかもしれない。
そう考えたことを、私は紙へ書かなかった。
まだ、1度同行しただけだ。
だが、容易に打ち消せる考えでもなかった。
何より、あの性格だ。
教えれば礼を言う。できなければ、自分から聞く。2人の意見を聞き、よかったところは、その場で言葉にする。
休憩になれば、温かい食事まで出てくる。
あれでは、エステルが好きになってしまうではないか。
……いや。
もう、なっているのではないか?
今日の食事を思い返す。
器を渡す時、顔が近かった。地図を覗き込む時も近かった。帰り道に何か話していた時など、肩が触れそうだったぞ。
道は、あれほど広いというのに。
もう少し離れるよう、言わねばならない。
適切な間隔は、探索の基本だ。
決して、私の気分の問題ではない。
*
「ずいぶん、熱心だね」
顔を上げると、ユリウス先輩が入口に立っていた。
腕には書類を抱えている。扉を閉め、こちらの机へ歩いてきた。
「もう、お戻りでしたか」
「今、戻ったところ。声はかけたんだけれど、気づかなかったみたいだ」
「失礼しました。指導の記録を」
「うん。見れば分かるよ」
先輩が、紙へ目を落とす。
私も見た。
余白に、いつの間にか1行、書き足していた。
距離が近い。
「……隊列の話です」
「誰と誰の?」
「前衛と、後衛です」
「なるほど」
先輩は頷いた。
笑うなら、いっそ笑ってほしい。
その穏やかな顔が、1番困る。
「それで、どうだった? 3人での探索は」
私はペンを置いた。
「予想以上でした」
そこには、ためらいなく答えられた。
シルヴィアの判断と根気。エステルの魔法と、味方の動きを見る目。オスカーの索敵と修正の速さ。
順に話していくと、先輩は時々質問を挟みながら聞いた。
冗談を言う時とは違う、冒険者の目だった。
「なるほど。君が、そんなに褒めるとはね」
「褒めたくなることをするのです」
答えてから、少し言い方が強かったかと思った。
先輩は、楽しそうに笑った。
「うん。いい指導だったみたいだ」
*
「先輩は、最初から見抜いていたのですか」
「オスカーのこと?」
「うーん、どうかな。訓練場で、初めてきちんと話した時から不思議な感覚はあったよ」
先輩は少し考え、首を振った。
「全部は、分からなかったよ。ただ、変わった子だとは思った」
「変わった子、ですか」
「僕の雷を見て、全部気になったと言ったんだ。その後は、肩の力を抜いて剣を出す練習に夢中だった。受けられるたびに、何が見えたのか聞いてきてね」
先輩が、自分の肩を軽く動かす。
「1つできると、すぐ次を試す。失敗しても、さっきとの違いを探している。そして楽しそうな顔をしている。見ていて、僕まで剣を振りたくなった」
今日の、オスカーと同じだ。
「では、私との勝負も?」
「いい戦いはすると思っていた。でも、あそこまでとは思わなかった」
先輩が、私へ顔を向けた。
「最後の一撃は、肩から動かなかったね。あの打ち合いの中で力を抜けたのには、驚いたよ」
「……来るのは分かっていました。それでも、剣が動き出すところを読み損ねた」
受けることはできた。だが、力を横へ逃がすには遅かった。
雷の痺れも、足場も、最後に重なった力もある。どれか1つだけなら、あの踵は線の内側に残っていただろう。
「最後の雷は、なおさらだ。僕が見せたものを、この短期間で自分で調べ、練習して、あの場で使ったんだろう。驚異的な吸収の速さだと思う」
私は右手を開いた。
痺れは、もうない。
だが、あの1瞬は、何度でも思い出せた。
「彼が勝った時、悔しくありませんでしたか。先輩の教えた動きで、私が負けたのですが」
「君が負けて、悔しくないわけはないよ」
返事は、静かだった。
「でも、教えたことをあそこまで磨いた後輩は、嬉しい。次の勝ち方を考えている君も、頼もしい」
先輩が笑う。
「両方あっても、いいんじゃないかな」
私は、ゆっくり息を吐いた。
この人は、いつもそうだ。
こちらが1つに決めようとして苦しくなっている時、どちらも持っていてよいと言う。
私にないものを持っている。
だから、私はこの人の隣で剣を振り続けてきたのだろう。
*
「彼の提案にも、驚かされたよ」
先輩が続けた。
「勝った後で、こちらの約束まで大切にしてくれるとは思わなかった。しかも、その記録を抜くとまで言うんだから」
「生意気な男です」
「嫌いではないだろう?」
私は、すぐには答えなかった。
妹との距離は、近い。
そこは、今後も見ておく。
「……指導する価値は、あります」
「うん。そう言うと思った」
先輩は、抱えてきた書類を机へ置いた。
黒曜第23層から先の、遠征資料だった。
私は3人の記録を閉じ、その隣へ自分たちの地図を広げた。
「先輩。我々も、うかうかしてはいられません」
「そうだね」
「あの3人の伸び方は、私たちが1、2年生だった頃を越えています。今の実力には差がある。経験にも、まだ差がある。ですが、半年後にも同じ差があるとは、思えません」
口にすると、自分でも背筋が伸びた。
追いつかれることを、初めて具体的に考えていた。
先輩は地図へ手を置いた。
「教えた分だけ、早く追ってくるかもしれないね」
「だからといって、手加減して教える気はありません」
「僕もだよ」
金色の髪の向こうで、先輩の目が細くなる。
「その分、僕たちも進もう」
穏やかな声に、はっきりと熱があった。
「27層を越える。さらにその先へ。その目標を、8人で果たしたい」
「はい」
「ただ、後輩に追われたからって、帰りの余力を削るような遠征にはしたくないね」
「無論です。全員で帰って、記録を渡してやらねば」
先輩が頷いた。
私は前回の記録へ指を置く。
「ここで、隊列を直すのに時間がかかりました。次の訓練では、この幅に合わせて8人で動きを確かめたいです」
「いいね。僕は魔法を切り替える間を見直す。君が前で受けている時間を、もう少し短くできるはずだ。ボス階の消耗も減らそう」
地図の上へ、新しい書き込みが増えていく。
無理に歩く時間を増やすのではない。今まで止まっていたところを、1つずつ減らす。
それなら、私たちにもまだできることがある。
廊下から、仲間たちの声が近づいてきた。
私は椅子を引き、8人で地図を囲めるよう場所を空ける。
机の端に、3人の指導記録が残っていた。
その紙を重ねようとすると、先輩が余白を指した。
「それ、持って帰る時は気をつけて」
距離が近い。
私はその1行へ、静かに線を引いた。
指導記録に残すことではない。
覚えておけば十分だ。
扉が開き、仲間たちが入ってくる。
私は地図の前へ立った。
「次の遠征について、試したいことがある」
7人が、こちらを見る。
今朝までより、剣を振りたかった。
教える側になっても、私の成長が終わったわけではない。
あの3人に追われるのなら、なおさらだ。
オスカー・エルフォード。
目標を頼むと、貴様は言ったな。
ならば、見ていろ。
私たち8人が、その先へ行く。




