第47話 剣姫と見る、同じ景色
待ち合わせの場所に、レオノーラはもういた。
朝の光を受け、赤い髪が鮮やかに揺れている。動きやすそうな革の防具に、腰には剣。学院の制服姿よりも、迷宮から帰ってきた日に見た姿に近かった。
時計を見る。
まだ、約束より早い。
「お待たせしました」
「いや。私も、今来たところだ」
「お姉様、おはよう!」
エステルが駆け寄ると、近くの露店の店主が顔を上げた。
「殿下、先ほどのお茶のおかわりは――」
「結構だ。世話になった」
レオノーラの返事は、速かった。
俺は何も聞かなかった。
シルヴィアも、聞かなかった。
エステルだけが、姉の顔を覗き込んだ。
「今、来たところ?」
「支度は済んでいるな。では、行くぞ」
早くも、指導が始まったらしい。
*
休講日を迎えるまでに、体の痛みは引いていた。
授業の合間に3人で立ち位置を確かめ、探索計画もレオノーラへ渡してある。今日は第2層の、前回引き返した分岐まで。帰りの時間を先に決めた。
ギルドで同行の確認を済ませ、黒曜の入口へ向かう。
すれ違う冒険者の視線が、俺たちへ集まった。
「剣姫が《深淵》と?」
「移籍は遠征の後だそうだ。今日は指導だとさ」
「あの1年生か。雷を使ったっていう……」
俺が耳を向ける前に、レオノーラが立ち止まった。
「今日、前を歩くのは誰だ?」
「俺です」
「なら、先へ。私の知っている道ではなく、君たちが選んだ道を見せてもらう」
俺は頷き、前へ出た。
階段の先から、冷たい空気が流れてくる。
白晶にはなかった、広く低い風の音。
3人で初めて下りた時と同じ入口なのに、今日は足音が1つ多い。
「お姉様」
エステルが、階段へ足をかける前に姉を見た。
「やっと、一緒に来られたね」
「ああ」
短い返事だった。
だが、その声は、さっきより少し柔らかかった。
*
第1層の岩柱を数え、分岐の手前で足を止める。
奥に、黒い狼がいた。
見えるのは2匹。少し離れた岩陰にも、探索マップに反応が2つある。
俺は剣へ手をかけた。
「右の岩陰にも2匹いる。囲まれる前に、ここで受ける」
「わかった」
「ええ」
エステルが杖を持ち替え、シルヴィアが右へ寄る。
レオノーラは、2人の斜め後ろで止まった。
「まずは3人で。私は周囲を見る」
短く頷き、ミスリルの剣を抜く。
淡い銀色の刃が、迷宮の光を拾った。
先頭の狼が走る。
身体強化を使い、迎え撃った。横から喉元を狙い、駆け抜ける力に合わせて刃を引く。
1匹目が崩れる。
刃の通り方が、いつもより深い。
踏み込む速さが変わったわけではない。同じように振ったつもりの剣が、触れたところから力強く抜けた。右手首の《真紅の腕輪》。もらってから初めての実戦で、その違いを感じた。
その向こうから、もう1匹。
追える。
足が、勝手に前へ出かけた。
だが、俺は半歩で止まった。
「正面、頼む!」
「風よ、貫け――《ウィンド・ランス》!」
エステルの風が、俺の左側を抜けた。
狼が跳び退く。
その横から、岩陰の2匹が出てきた。
「右、1匹止めます!」
「ほう」
レオノーラが小さく声をだす。
シルヴィアの声で、狙う相手が決まる。
「凍てつく矢よ、走れ――《フロスト・アロー》」
足元へ氷が刺さり、1匹が進路を変えた。
もう1匹へ、俺が出る。
低く跳んだ体を避け、振り向きざまに斬った。淡く白い闘気が刃の輪郭を包み、振り抜いた先に細い光が残る。
倒れた魔物を目で追わず、2人の前へ戻った。
エステルの水が、最初に退いた狼を捉える。
シルヴィアが止めた最後の1匹へ、俺の剣が届いた。
息を吐く。
その場を離れず、左右の通路を確かめた。
新たな反応はない。
「2人とも、大丈夫か?」
「うん」
「問題ありませんわ」
答えを聞いてから、剣を下げた。
レオノーラが近づいてくる。
「最初の1匹を倒した後、なぜ追わなかった?」
「俺が行くより、エステルが狙う方が早かったからです。岩陰の2匹も、残っていました」
「よい判断だ」
彼女の目が、俺の右手首へ動く。
「腕輪の感触は?」
「斬り込んだ後の手応えが違います。同じつもりで振ると、思ったより深く通りました」
「なら、そのつもりで戻せ。よく斬れるからと、剣を置いてくるな」
「はい」
威力が増しても、次の構えは自分で作る。初めて効果を確かめた贈り物は、さっそく指導の材料にもなった。
嬉しかった。
顔へ出たのか、彼女の口元が少し緩む。
「シルヴィアも、相手を止める前に伝えられたな。エステルは、味方が動く場所を空けて撃てていた」
2人が笑った。
地面につけた印を囲み、ゆっくり動いた練習が、今の戦いへ繋がっている。
俺は剣についた汚れを拭った。
「戻る時だけ、まだ慌てていますわ」
シルヴィアが言う。
見られていた。
「そうだな。気づいてくれてありがとう。次は、戻るところまで気をつけるよ」
剣姫も頷いた。
褒められて終わる授業では、なかったらしい。
*
第2層へ下りると、水音が迎えてくれた。
重なる岩棚。白く薄い霧。その奥を、細い滝が流れている。
エステルが、そっと息を吸った。
「ここ」
姉の袖へ手をかけ、それから足元を確かめて隣へ立つ。
「前に話したところ。上の岩から、こんなふうに水が落ちてるの」
レオノーラが顔を上げた。
「ああ。ここだったか」
「お姉様は、何度も通ったんだよね」
「そうだな」
「でも、一緒に見るのは初めて」
エステルが笑った。
レオノーラは妹を見て、それからもう1度、滝へ目を向けた。
今度は、すぐに視線を戻さなかった。
俺とシルヴィアは、少し離れて待った。
薄い霧の中で、赤い髪と銀色の髪が並んでいる。
昨日までなら通り過ぎていた景色が、誰と来たかで変わる。
そういうことも、あるのだろう。
「……来られて、よかったですわね」
シルヴィアが小さく言った。
俺は頷いた。
*
滝から離れた岩棚で、鎧トカゲを見つけた。
1匹だけだ。厚い鱗の下で脚を動かし、通路へ頭を出している。
レオノーラが、俺の隣へ来た。
「1度、私がやる。足と、剣を出す場所を見ていろ」
「はい」
彼女が剣を抜く。
それだけで、空気が変わった。
構えは低い。肩も腕も、力んでいるようには見えない。
トカゲが頭を向け、突進した。
レオノーラが、斜めに1歩動く。
前脚の外側へ入った。
剣が、短く走る。
首の下へ刃が入り、すぐに抜けた。彼女が横へ歩いた後で、魔物の体が地面へ沈む。
尾が、1度だけ岩を叩いた。その身体が白い粒へほどけ、魔石が床へ落ちる。
それきりだった。
「……速い」
思わず、声が漏れた。
決闘であれほど追った剣なのに、終わるまでが短すぎる。
レオノーラは魔物の動きが止まったことを確かめ、剣を下げた。
「振り回す前の尾を追っても、避ける方へ意識を持っていかれる。今は、前脚が地面を蹴るところを見た」
彼女が、剣先で地面を示す。
「頭が通る場所と、次に脚を置く場所。その外へ出れば、首の下を狙える」
俺は、さっきの動きを思い返した。
速さだけではない。
俺が尾を避け、体勢を立て直してから探していた場所へ、最初の1歩で入っていた。
「俺が同じことをしようとしたら、横へ出るのが遅れそうです」
「なら、今は魔法で動きを止めろ。3人で作った隙を使えばよい」
レオノーラが剣を納める。
「私と同じことを、1人でできなければならんわけではない」
エステルが俺を見た。
「足を止めるなら、わたしたちもできるね」
「ああ」
あの剣に憧れる。
同時に、今の俺たちでできることも見えてくる。
教わるのが、楽しかった。
*
次の鎧トカゲは、2匹だった。
岩陰を確かめ、2人へ位置を伝える。
片方を水で引きつけ、もう片方の前脚へ氷を走らせた。
脚が鈍る。
俺はそこへ踏み込みかけ、1瞬、距離を測り直した。
レオノーラなら届いた場所だ。
俺には、まだ少し遠い。
無理に伸びず、風を横から当てた。
頭が逸れる。その下へ入って、剣を突き出す。
1匹目が崩れた。
2匹目へすぐには向かわない。シルヴィアの杖の前を空け、エステルが水を撃った後で踏み込む。
今度は、戻る足も急がなかった。
戦いが終わると、レオノーラが頷いた。
「今、自分の間合いへ戻したな」
「少し、真似をしかけました」
「それもよい。ただし、届かないと分かったら変えろ。よく見ていた」
俺は剣を握り直した。
倒せた嬉しさに、もう1つ、違う嬉しさが重なっていた。
*
予定の分岐へ着いたところで、時計を確かめた。
前回避けた、濡れた苔の道が見える。
迂回する経路も地図で調べてある。だが、今日はここまでと決めていた。
「引き返します」
レオノーラが、道の奥を見た。
「私がいれば、もう少し進めるかもしれんぞ」
「今日は、俺たち3人でも戻れる道を確かめたいので」
答えると、彼女がこちらへ目を戻した。
「そうか」
それ以上は、何も言わなかった。
だが、帰る時には、行きより少し離れて後ろを歩いていた。
俺たちに、任せてくれているのだと思った。
*
【レオノーラ視点】
第1層で休憩に入ると、エステルがバッグから小さな鍋を出した。
オスカーは周囲の見通しを確かめてから、朝に用意したというスープを温め始める。シルヴィアが器を並べ、パンを配った。
声をかけ合うまでもなく、次々に準備が進む。
私は、腰を下ろす場所を選びかけて止まった。
エステルの隣が、空いている。
偶然だ。
今、たまたま、そこが空いているだけだ。
「お姉様、こっち」
座る理由ができた。
「私が最初に周囲を見る。先に食べていろ」
「交代しますので、レオノーラ様も温かいうちにどうぞ」
シルヴィアが言い、少ししてから見張りを替わった。
渡された器から、香草の匂いが上がる。
1口飲んだ。
鶏肉の旨味に、柔らかく煮えた野菜。少しだけ利いた香辛料が、冷えた体へ染みていく。
スプーンで底をすくうと、丸い肉団子が浮かんできた。口へ入れれば、ほろりとほどける。刻んだ根菜の歯触りが、その柔らかさの中に残っていた。
「肉団子か。ずいぶん軽いな」
「鶏つくねです。肉を叩いて、卵と少しの粉でまとめました。香りの強い根菜を混ぜると、汁にもよく合うので」
「お姉様。そっちの大きいの、どうぞ」
エステルが自分の器から勧めてくる。
妹が。私に。大きい方を。
今の言葉だけでも、もう1杯いけそうだ。
「……これは、オスカーが?」
「はい。今朝、作ってきました」
「おいしいでしょう?」
エステルが、なぜか得意そうに言った。
頷こうとして、パンを勧められる。
「こっちも、つけてみて」
言われるままに浸す。
旨い。
隣で妹が、私の反応を待っている。
もう1口食べると、嬉しそうに笑った。
……なるほど。
居心地がよいとは思っていたが、食事までこうなのか。
これは、離れがたくもなる。
「お姉様、また来てね」
「ああ。予定を合わせよう」
即答してから、オスカーの顔が見えた。
何かを堪えるように、口元へ手をやっている。
「何だ」
「いえ。指導を、またお願いできればと思いまして」
「無論、その話をしている」
当然だ。
私は、指導員として来ている。
エステルが、私の器へ鶏肉を1つ足した。
次の予定は、戻ってから確認しよう。
*
【オスカー視点】
地上へ出ると、昼前の光が眩しかった。
帰還の報告を済ませ、4人で門の脇へ寄る。
レオノーラが、俺たちを順に見た。
「3人だけで潜ってきた理由が、少し分かった」
エステルが、姉を見上げる。
「ちゃんと、3人で戦えてたでしょう?」
「ああ」
レオノーラは頷いた。
「教えることは、まだ多い。だが、3人で考えて動けている。誰か1人が連れて歩いているわけではない」
その言葉が、胸へ残った。
強くなったと言われるのとは、また違う。
俺たち3人で続けてきたことを、認めてもらえた気がした。
別れ際、エステルが姉へ手を振った。
「遠征の準備も、頑張ってね!」
「お前たちもな。次に会う時、今日の戻り足を見せてもらうぞ」
最後は、俺への言葉だった。
「練習しておきます」
答えると、剣姫は笑った。
*
寮へ戻ってから、画面を開いた。
【レベル101】
剣姫との決闘で100に届き、今日の探索で1つ上がった。
指導を受けながら、限られた範囲で戦った結果だ。
新しく得た《魔力感知》も、まだ使い始めたばかりだ。近くで魔法が放たれれば気配は感じるが、戦いながら、その流れを追い続ける余裕はなかった。
少しずつ、慣れていこう。
数字を見る前から、今日の手応えは残っていた。
味方の魔法が通る場所を空けたこと。
届かない1歩を、無理に踏まなかったこと。
ミスリルの剣を手入れしながら、次に試す動きを思い描く。
今日見た剣姫の1歩は、まだ遠い。
それでも、何を練習すればいいかは、昨日よりはっきりしていた。
剣を鞘へ戻す。
あの滝の先にも、道は続いている。
次は、3人だけで歩く時にも、今日より確かな足取りで。




