第5話 破棄した者、追放した者達
連載中の
『怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う』
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【シルヴィア・ラングレー視点】
振り返りませんのね。
中庭から伸びる回廊を見つめながら、わたくしは扇を閉じた。
オスカーの姿は、もう見えない。
1度くらい戻ってきて、もう少し話したいと言うと思った。
そうしたら、仕方ありませんわねと答えるつもりだった。
答える用意だけが、残っている。
「……本当に、可愛げのない方」
わたくしが婚約を破棄すると告げたのだ。それなのに、あの人は今日の予定が1つ済んだような顔で帰っていった。
少しくらいは慌てて、考え直してほしいと言うものではなくて?
わたくしとの婚約なのだから。
幼い頃から、一緒にお茶を飲んで、一緒に出かけてきた。あの人が苦手な食べ物も、人前で話す時に袖口を触る癖も知っている。
わたくしだって、誰でもよかったわけではないのだ。
中庭の石段へ腰を下ろし、膝の上で両手を重ねる。
思い出したのは、立派な剣でも、高価な贈り物でもなかった。
震える手に握られた、1本の枝。
7年前、魔物に襲われた時。転んで立てなくなったわたくしの前へ、オスカーが飛び出してきた。
強くもなかった。声は裏返っていたし、枝の先も頼りなく揺れていた。
それでも、逃げなかった。
護衛に助けられたあと、わたくしより大きな声で泣いたことまで、よく覚えている。
わたくしは、その傷を治すこともできなかった。
次は、ちゃんと治してあげたい。その思いで回復魔法を学び、練習を重ねた。今では、氷魔法と並ぶ得意な魔法になっている。
けれど、その理由は本人に話していない。
翌日、お礼の焼き菓子を持っていくと、オスカーは包帯を巻いた腕で箱を受け取った。
早く治しなさいと命じたら、少し困った顔でうなずいた。
残さず食べなさいと言ったら、本当に全部食べようとした。何度かに分けてもよいのだと、慌てて教えた。
婚約の話が出た時、お父様にオスカーがよいと伝えたのは、わたくしだ。
彼には言っていない。
言わなくても、少しくらいは分かると思っていた。
他の方から届いた花を眺めるより、彼と向かい合ってお茶を飲む時間の方が好きだったことも。
けれど、婚約してからも、オスカーは遠慮ばかりしていた。
夜会で隣に立っても、半歩下がる。話しかけても、最初にわたくしの顔色を見る。手を差し出せば取ってくれるけれど、彼の方からは伸ばしてこない。
もっと堂々となさいと、何度も言った。
わたくしの隣に立つ方なのだから、と。
そうしたら、本当に堂々とするようになった。
熱で休んだあとに登校してきた彼は、背筋を伸ばし、相手の目を見て話していた。教室で名前を呼んだ時も、まっすぐこちらを向いた。
『おはよう、シルヴィア』
たったそれだけの挨拶に、返事が1拍遅れた。
顔を上げて笑うと、こんな顔になるのかしら。
なのに、放課後に呼び止めても、彼はすぐには来なくなった。
『これから練習室へ行くんだ。歩きながらでよければ、話を聞くよ』
嫌そうな顔ではなかった。ただ、自分の予定を当たり前のように話した。
わたくしのために、その予定を変えようとはしなかった。
それが気に入らなくて、言い方がきつくなった。きつく言っても彼が俯かないので、今度は何を言えばよいのか分からなくなった。
だから、少し困らせようと思った。
婚約を破棄すると言えば、さすがにわたくしの方を向く。
他の方に取られたくないと、言ってくれるかもしれない。
『わかった。この婚約は解消しよう』
「……そこまで、堂々としなくてもよろしいのに」
扇を開いて顔をあおいだ。
涼しくならない。
ジュリアン様との婚約など、決まっていない。
お花をいただいたことはある。お茶に誘われたこともある。それだけだ。
なのに、紹介するとまで言ってしまった。
あの人は、本当に会う気でいる。
わたくしは、いったい誰を連れていけばよいのかしら。
いや、違う。連れていく方を探してどうするの。
紹介したい人なんて、最初からいない。
言わなければよかった。
婚約破棄なんて思ってもいないことを。お父様の支援のことも。
エルフォード家を助けているのは、お父様だ。わたくしが不機嫌になったからといって、止めてよいものではない。
それを持ち出せば引き止められると、どこかで思っていた。
困っている彼の家を、そんなふうに使ってしまった。
彼が嫌がるようなことばかり、言った。
それなのに、こちらの気持ちを察してほしいと思っていた。
……分かるわけがありませんわね。
口にした言葉と、してほしいことが、まるで反対なのだもの。
お父様には、まだ何も話していない。家同士で婚約の解消が決まったわけでもない。
けれど、彼はもう、わたくしと別れるつもりでいる。
『それじゃあ、また明日』
明日も、同じ教室には来る。
けれど、隣に立ってほしいと言う時に、もう「わたくしの婚約者なのですから」は使えない。
それでも彼は、来てくれるだろうか。
わたくしは立ち上がった。
まずは、明日、きちんと話す。
勝手に1人で納得して行ってしまうなんて、許せない。だから、もう1度こちらへ――。
そこで、口を閉じる。
また、命令しようとしていた。
誰もいない回廊へ向かって、言い直す。
「オスカー。少し、お話ししたいことがありますの」
これくらいなら、言える。
その先をどう続けるかは、まだ決まらない。
魔法の小試験なら、心配などしていない。
明日は、その前の挨拶の方が、よほど難しそうだった。
*
【銀翼の鷹・三人称視点】
同じ頃、実習棟の準備室では、《銀翼の鷹》の3人が机を囲んでいた。
机の上には、オスカーが残した共同の道具が並んでいる。
「だから、3人で分ければいいだろ」
ヴィンセントが言った。
ブルーノは予備の縄を持ち上げ、肩に掛けてみる。そこへ雨よけの布を重ねると、背中の盾へ引っかかった。
「……歩きにくい」
「だったら布は僕が持つよ」
フェリクスが布を受け取る。広げかけて机の回復ポーションへ触れそうになり、慌てて腕を上げた。
「これ、どう畳んでたんだっけ」
「4つに折ればいいだろ」
「折ったよ。まだ大きいんだけど」
ブルーノが、オスカーの出ていった扉を見た。
さっきまで、あの袋へ全部収まっていたはずだ。
袋ごと置いていけ、と言った時、オスカーははっきり断った。
父親が買ってくれたものだから、と。
ブルーノは、自分の盾の縁を指でなぞった。これも、冒険者登録をする日に父から贈られたものだ。
使わないなら置いていけと言われても、渡すつもりはない。
その当たり前の返事を聞いて、なぜあんなに驚いたのだろう。
「あいつ、本当に変わったな」
「何がだ」
ヴィンセントは、火打ち石を手にしたまま聞き返した。
「話し方とか。前なら、あんなにきっぱり断らなかっただろ」
「1人でやれると思い込んでいるんだろうさ」
「そうかね。別に、偉そうでもなかったぞ」
だが、オスカーは普通に笑っていた。追い出されたことへの恨み言もなく、返してほしい金だけ受け取り、帰っていった。
何となく、部屋が広くなった気がする。
机の上は、こんなに狭くなったのに。
「まあ、今日のうちに袋を買えばいいか」
ブルーノは縄を机へ戻した。
「袋まで、あいつに出してもらってたんだな」
フェリクスはうなずき、畳み直した布を端へ寄せた。
「包帯も補充しよう。残り2つだって言ってた」
フェリクスは、1本だけ残っていた回復ポーションを布で包んだ。
「これは僕が持つ。割ったら困るから」
「分かっている。そんなことは、これから分担すればいい」
ヴィンセントが少し強く言った。
雑用をしていたことくらい、彼も知っている。
だが、Eランクのままで終わるつもりはない。戦いのたびに後ろで固まる仲間を気にしていては、踏み込めない場面もある。
だから、外すと決めた。
「次は、戦える奴を探す。Dへ上がったら白晶の奥へ進み、10層のボスを倒す。その先は黒曜だ」
「黒曜の第2層へ行くには、Dランクパーティでも白晶攻略が条件だからね」
フェリクスがうなずくと、ブルーノは腕を組んだ。
「で、誰か当てはあるのか?」
「これから探す」
「なら、まずは3人で回せるようにしないとな」
ヴィンセントは、まだ片づいていない道具へ目を落とした。
気に入らないのは、道具の準備が増えたことより、あの返事だ。
『おお、ちょうどよかった』
怒るか、もう少し頑張るからと泣いて頼むか。最後に残るかどうかを決めるのは、自分のはずだった。
ところが、あちらも抜けるつもりだったという。
学院では自分の方が圧倒的に強い。家格も上だ。剣を交えれば、今まで1度も負けたことがない。相手にすらならない。
それなのに今日のオスカーは、自分を見上げていなかった。
「そのうち、戻りたいと言ってくるさ」
「そうかな」
フェリクスが顔を上げた。
「あの感じだと、本当に1人でやってみるんじゃない?」
「お前は、あいつが急に強くなったとでも言うのか」
「そこまでは知らないよ」
フェリクスは眼鏡を押し上げた。
ただ、ここ数日は、図書室でよく見かけていた。
前は授業で分からなかったところを調べるために来ていたのに、最近は採取物の図鑑や、初歩の魔法の本を何冊も広げていた。物凄い速さでページをめくっていた。
何を読んでいるのかと聞けば、今度試してみたいことがあるのだと答えた。
「何か、やりたいことがあるんだと思う」
「採取でもする気か?」
「かもしれないね」
「なら、俺たちには関係ない」
ヴィンセントはそう言って、椅子を引いた。
ブルーノも、盾を背負い直す。
「とにかく、道具屋だろ。日が暮れる前に行こうぜ」
「傷薬と包帯、それに予備の回復ポーションも買っておこう」
「薬があるのに、傷薬もか?」
ブルーノの問いに、フェリクスはうなずいた。
「小さな傷までポーションで治していたら、高くつくだろう。前も、軽い傷はオスカーが傷薬で手当てしてくれたじゃないか」
「ああ。薬は、いつもの……」
ブルーノの声が止まった。
フェリクスと目が合う。
「どこの店だ?」
「僕に聞かれても」
「オスカーに聞けば――」
言いかけて、ブルーノは口をつぐんだ。
追い出したばかりの相手を呼び戻して、道具屋の場所を聞く。
さすがに、それは少し格好がつかなかった。
「店くらい、自分たちで探せばいいだろ」
ヴィンセントが言う。
フェリクスは、手元に残った包帯を見た。
オスカーが1人で抱えていたことを、自分たちは3人がかりで分けている。
そんな簡単なことに、いなくなるまで気づかなかった。
追放を告げる時も、止めなかった。戦力が足りないという話に、反論できなかったからだ。
せめて、あの時、言えばよかった。
道具の準備や手当てまでしてくれて、助かっていたと。
口にできたのは、無茶をするなという忠告だけだった。
「僕は、今度会ったら話してみるよ」
フェリクスが言うと、ヴィンセントの目が細くなった。
「戻ってこいとでも?」
「1人で何をするつもりなのか、聞いてみたいんだ。さっきは、ちゃんと聞けなかったから」
「好きにしろ」
ヴィンセントは扉へ向かった。
その背中を見ながら、フェリクスは思う。
戻ってきたいと言われたらどうするか。
ヴィンセントは、そのことを考えているのだろうか。
けれど、あの時のオスカーは、誰かに居場所を決めてもらうのを待っている顔ではなかった。
フェリクスは、包帯を自分の袋へ入れた。
「じゃあ、行こうか」
3人が準備室を出た時には、廊下の窓から差し込む光が、少し赤みを帯びていた。
それでもヴィンセントは、廊下の角を曲がる前に、1度だけ振り返った。
そこに、オスカーの姿はなかった。
*
彼らがようやく道具屋へ向かい始めた頃。
王家の紋章を掲げた馬車が、1人の少年を乗せて、王城の門をくぐっていた。
少年の方では、今日の用事が順調に進んでいるところだった。




