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第5話 破棄した者、追放した者達

連載中の


『怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う』


https://ncode.syosetu.com/n7268mo/


もよろしくお願いします!

【シルヴィア・ラングレー視点】


 振り返りませんのね。


 中庭から伸びる回廊を見つめながら、わたくしは扇を閉じた。


 オスカーの姿は、もう見えない。


 1度くらい戻ってきて、もう少し話したいと言うと思った。


 そうしたら、仕方ありませんわねと答えるつもりだった。


 答える用意だけが、残っている。


「……本当に、可愛げのない方」


 わたくしが婚約を破棄すると告げたのだ。それなのに、あの人は今日の予定が1つ済んだような顔で帰っていった。


 少しくらいは慌てて、考え直してほしいと言うものではなくて?


 わたくしとの婚約なのだから。


 幼い頃から、一緒にお茶を飲んで、一緒に出かけてきた。あの人が苦手な食べ物も、人前で話す時に袖口を触る癖も知っている。


 わたくしだって、誰でもよかったわけではないのだ。


 中庭の石段へ腰を下ろし、膝の上で両手を重ねる。


 思い出したのは、立派な剣でも、高価な贈り物でもなかった。


 震える手に握られた、1本の枝。


 7年前、魔物に襲われた時。転んで立てなくなったわたくしの前へ、オスカーが飛び出してきた。


 強くもなかった。声は裏返っていたし、枝の先も頼りなく揺れていた。


 それでも、逃げなかった。


 護衛に助けられたあと、わたくしより大きな声で泣いたことまで、よく覚えている。


 わたくしは、その傷を治すこともできなかった。


 次は、ちゃんと治してあげたい。その思いで回復魔法を学び、練習を重ねた。今では、氷魔法と並ぶ得意な魔法になっている。


 けれど、その理由は本人に話していない。


 翌日、お礼の焼き菓子を持っていくと、オスカーは包帯を巻いた腕で箱を受け取った。


 早く治しなさいと命じたら、少し困った顔でうなずいた。


 残さず食べなさいと言ったら、本当に全部食べようとした。何度かに分けてもよいのだと、慌てて教えた。


 婚約の話が出た時、お父様にオスカーがよいと伝えたのは、わたくしだ。


 彼には言っていない。


 言わなくても、少しくらいは分かると思っていた。


 他の方から届いた花を眺めるより、彼と向かい合ってお茶を飲む時間の方が好きだったことも。


 けれど、婚約してからも、オスカーは遠慮ばかりしていた。


 夜会で隣に立っても、半歩下がる。話しかけても、最初にわたくしの顔色を見る。手を差し出せば取ってくれるけれど、彼の方からは伸ばしてこない。


 もっと堂々となさいと、何度も言った。


 わたくしの隣に立つ方なのだから、と。


 そうしたら、本当に堂々とするようになった。


 熱で休んだあとに登校してきた彼は、背筋を伸ばし、相手の目を見て話していた。教室で名前を呼んだ時も、まっすぐこちらを向いた。


『おはよう、シルヴィア』


 たったそれだけの挨拶に、返事が1拍遅れた。


 顔を上げて笑うと、こんな顔になるのかしら。


 なのに、放課後に呼び止めても、彼はすぐには来なくなった。


『これから練習室へ行くんだ。歩きながらでよければ、話を聞くよ』


 嫌そうな顔ではなかった。ただ、自分の予定を当たり前のように話した。


 わたくしのために、その予定を変えようとはしなかった。


 それが気に入らなくて、言い方がきつくなった。きつく言っても彼が俯かないので、今度は何を言えばよいのか分からなくなった。


 だから、少し困らせようと思った。


 婚約を破棄すると言えば、さすがにわたくしの方を向く。


 他の方に取られたくないと、言ってくれるかもしれない。


『わかった。この婚約は解消しよう』


「……そこまで、堂々としなくてもよろしいのに」


 扇を開いて顔をあおいだ。


 涼しくならない。


 ジュリアン様との婚約など、決まっていない。


 お花をいただいたことはある。お茶に誘われたこともある。それだけだ。


 なのに、紹介するとまで言ってしまった。


 あの人は、本当に会う気でいる。


 わたくしは、いったい誰を連れていけばよいのかしら。


 いや、違う。連れていく方を探してどうするの。


 紹介したい人なんて、最初からいない。


 言わなければよかった。


 婚約破棄なんて思ってもいないことを。お父様の支援のことも。


 エルフォード家を助けているのは、お父様だ。わたくしが不機嫌になったからといって、止めてよいものではない。


 それを持ち出せば引き止められると、どこかで思っていた。


 困っている彼の家を、そんなふうに使ってしまった。


 彼が嫌がるようなことばかり、言った。


 それなのに、こちらの気持ちを察してほしいと思っていた。


 ……分かるわけがありませんわね。


 口にした言葉と、してほしいことが、まるで反対なのだもの。


 お父様には、まだ何も話していない。家同士で婚約の解消が決まったわけでもない。


 けれど、彼はもう、わたくしと別れるつもりでいる。


『それじゃあ、また明日』


 明日も、同じ教室には来る。


 けれど、隣に立ってほしいと言う時に、もう「わたくしの婚約者なのですから」は使えない。


 それでも彼は、来てくれるだろうか。


 わたくしは立ち上がった。


 まずは、明日、きちんと話す。


 勝手に1人で納得して行ってしまうなんて、許せない。だから、もう1度こちらへ――。


 そこで、口を閉じる。


 また、命令しようとしていた。


 誰もいない回廊へ向かって、言い直す。


「オスカー。少し、お話ししたいことがありますの」


 これくらいなら、言える。


 その先をどう続けるかは、まだ決まらない。


 魔法の小試験なら、心配などしていない。


 明日は、その前の挨拶の方が、よほど難しそうだった。


     *


【銀翼の鷹・三人称視点】


 同じ頃、実習棟の準備室では、《銀翼の鷹》の3人が机を囲んでいた。


 机の上には、オスカーが残した共同の道具が並んでいる。


「だから、3人で分ければいいだろ」


 ヴィンセントが言った。


 ブルーノは予備の縄を持ち上げ、肩に掛けてみる。そこへ雨よけの布を重ねると、背中の盾へ引っかかった。


「……歩きにくい」


「だったら布は僕が持つよ」


 フェリクスが布を受け取る。広げかけて机の回復ポーションへ触れそうになり、慌てて腕を上げた。


「これ、どう畳んでたんだっけ」


「4つに折ればいいだろ」


「折ったよ。まだ大きいんだけど」


 ブルーノが、オスカーの出ていった扉を見た。


 さっきまで、あの袋へ全部収まっていたはずだ。


 袋ごと置いていけ、と言った時、オスカーははっきり断った。


 父親が買ってくれたものだから、と。


 ブルーノは、自分の盾の縁を指でなぞった。これも、冒険者登録をする日に父から贈られたものだ。


 使わないなら置いていけと言われても、渡すつもりはない。


 その当たり前の返事を聞いて、なぜあんなに驚いたのだろう。


「あいつ、本当に変わったな」


「何がだ」


 ヴィンセントは、火打ち石を手にしたまま聞き返した。


「話し方とか。前なら、あんなにきっぱり断らなかっただろ」


「1人でやれると思い込んでいるんだろうさ」


「そうかね。別に、偉そうでもなかったぞ」


 だが、オスカーは普通に笑っていた。追い出されたことへの恨み言もなく、返してほしい金だけ受け取り、帰っていった。


 何となく、部屋が広くなった気がする。


 机の上は、こんなに狭くなったのに。


「まあ、今日のうちに袋を買えばいいか」


 ブルーノは縄を机へ戻した。


「袋まで、あいつに出してもらってたんだな」


 フェリクスはうなずき、畳み直した布を端へ寄せた。


「包帯も補充しよう。残り2つだって言ってた」


 フェリクスは、1本だけ残っていた回復ポーションを布で包んだ。


「これは僕が持つ。割ったら困るから」


「分かっている。そんなことは、これから分担すればいい」


 ヴィンセントが少し強く言った。


 雑用をしていたことくらい、彼も知っている。


 だが、Eランクのままで終わるつもりはない。戦いのたびに後ろで固まる仲間を気にしていては、踏み込めない場面もある。


 だから、外すと決めた。


「次は、戦える奴を探す。Dへ上がったら白晶の奥へ進み、10層のボスを倒す。その先は黒曜だ」


「黒曜の第2層へ行くには、Dランクパーティでも白晶攻略が条件だからね」


 フェリクスがうなずくと、ブルーノは腕を組んだ。


「で、誰か当てはあるのか?」


「これから探す」


「なら、まずは3人で回せるようにしないとな」


 ヴィンセントは、まだ片づいていない道具へ目を落とした。


 気に入らないのは、道具の準備が増えたことより、あの返事だ。


『おお、ちょうどよかった』


 怒るか、もう少し頑張るからと泣いて頼むか。最後に残るかどうかを決めるのは、自分のはずだった。


 ところが、あちらも抜けるつもりだったという。


 学院では自分の方が圧倒的に強い。家格も上だ。剣を交えれば、今まで1度も負けたことがない。相手にすらならない。


 それなのに今日のオスカーは、自分を見上げていなかった。


「そのうち、戻りたいと言ってくるさ」


「そうかな」


 フェリクスが顔を上げた。


「あの感じだと、本当に1人でやってみるんじゃない?」


「お前は、あいつが急に強くなったとでも言うのか」


「そこまでは知らないよ」


 フェリクスは眼鏡を押し上げた。


 ただ、ここ数日は、図書室でよく見かけていた。


 前は授業で分からなかったところを調べるために来ていたのに、最近は採取物の図鑑や、初歩の魔法の本を何冊も広げていた。物凄い速さでページをめくっていた。


 何を読んでいるのかと聞けば、今度試してみたいことがあるのだと答えた。


「何か、やりたいことがあるんだと思う」


「採取でもする気か?」


「かもしれないね」


「なら、俺たちには関係ない」


 ヴィンセントはそう言って、椅子を引いた。


 ブルーノも、盾を背負い直す。


「とにかく、道具屋だろ。日が暮れる前に行こうぜ」


「傷薬と包帯、それに予備の回復ポーションも買っておこう」


「薬があるのに、傷薬もか?」


 ブルーノの問いに、フェリクスはうなずいた。


「小さな傷までポーションで治していたら、高くつくだろう。前も、軽い傷はオスカーが傷薬で手当てしてくれたじゃないか」


「ああ。薬は、いつもの……」


 ブルーノの声が止まった。


 フェリクスと目が合う。


「どこの店だ?」


「僕に聞かれても」


「オスカーに聞けば――」


 言いかけて、ブルーノは口をつぐんだ。


 追い出したばかりの相手を呼び戻して、道具屋の場所を聞く。


 さすがに、それは少し格好がつかなかった。


「店くらい、自分たちで探せばいいだろ」


 ヴィンセントが言う。


 フェリクスは、手元に残った包帯を見た。


 オスカーが1人で抱えていたことを、自分たちは3人がかりで分けている。


 そんな簡単なことに、いなくなるまで気づかなかった。


 追放を告げる時も、止めなかった。戦力が足りないという話に、反論できなかったからだ。


 せめて、あの時、言えばよかった。


 道具の準備や手当てまでしてくれて、助かっていたと。


 口にできたのは、無茶をするなという忠告だけだった。


「僕は、今度会ったら話してみるよ」


 フェリクスが言うと、ヴィンセントの目が細くなった。


「戻ってこいとでも?」


「1人で何をするつもりなのか、聞いてみたいんだ。さっきは、ちゃんと聞けなかったから」


「好きにしろ」


 ヴィンセントは扉へ向かった。


 その背中を見ながら、フェリクスは思う。


 戻ってきたいと言われたらどうするか。


 ヴィンセントは、そのことを考えているのだろうか。


 けれど、あの時のオスカーは、誰かに居場所を決めてもらうのを待っている顔ではなかった。


 フェリクスは、包帯を自分の袋へ入れた。


「じゃあ、行こうか」


 3人が準備室を出た時には、廊下の窓から差し込む光が、少し赤みを帯びていた。


 それでもヴィンセントは、廊下の角を曲がる前に、1度だけ振り返った。


 そこに、オスカーの姿はなかった。


     *


 彼らがようやく道具屋へ向かい始めた頃。


 王家の紋章を掲げた馬車が、1人の少年を乗せて、王城の門をくぐっていた。


 少年の方では、今日の用事が順調に進んでいるところだった。

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