第44話 剣姫戦2
白い光が、剣の動きに細く尾を引いた。
斜めに打ち下ろす。レオノーラが受ける。
さっきまでとは違う音がした。
重い衝撃が木剣から腕へ返り、踏み込んだ足の下で砂が弾ける。彼女の剣先を、わずかに押し下げた。
通る。
そう思った瞬間、受ける面が傾いた。
俺の力が、横へ逃げる。
すぐに剣を引いた。レオノーラの突きが、その下を抜けてくる。
腰を捻ったが、脇腹に木剣が触れた。
鋭い痛み。歯を食いしばり、足を戻す。
「闘気まで覚えたか」
「使いこなすには、まだ練習が必要ですが」
「そのようだな。剣へ力を乗せた後、肩へ力が残っている」
戦いながら、指摘まで飛んでくる。
ありがたい。
ありがたいが、授業料が少々痛い。
「後ほど、まとめて伺っても?」
「覚えていられればな!」
次の1撃が来た。
受け止めず、外へ滑らせる。肩の力を抜こうとしたが、打ち返したい気持ちが先に立ち、剣を引いてしまった。
切り返しも、待ち構えたように受けられる。
「振る前に、肩が教えてくれるぞ」
ユリウス先輩にも言われたことだった。
練習ではできた。だが、目の前の剣姫に追い立てられると、力が入る。
続きを聞く余裕はなかった。
俺は低い位置へ水を走らせ、剣を上から打った。
下と上。
彼女は足を入れ替えて水を避け、上体を前へ寄せる。俺の振りが強くなる前に、木剣の根元で受けた。
肘が、詰まる。
近い。
その距離から押し返され、俺は円の外へ弾き出された。
膝が地面へ触れた。
「オスカー!」
2人の声が、重なる。
俺は木剣を握り直して立った。
「続けます」
ハインツ先生を見て、息を吐く。
胸は動く。指も動く。脇腹は痛むが、深く息を吸えた。
先生は俺の足と顔を確かめ、頷いた。
「残り、2分」
もう3分か。
レオノーラは、中央から少しだけ右へ寄っている。
白い線まで、まだ余裕があった。
*
【シルヴィア視点】
「すごい……本当に、打ち合ってる」
後ろで、女生徒が呟いた。
「でも、殿下にはまだ余裕があるわ」
「お怪我も、全然ないもの」
その言葉が、胸に刺さった。
オスカーだけが、傷を増やしている。
分かっていたことだ。相手は、あのレオノーラ様なのだから。
それでも、彼が立ち上がるたびに、今度こそと思ってしまう。
「エルフォード、いけ!」
男子生徒の声が響く。
振り返ると、ヴィンセントが前のめりになっていた。
「止まるな! まだ時間はあるぞ!」
その横で、別の男子生徒が拳を握る。
「足を出させるだけだろ? もう少し押せれば、いけるんじゃないか?」
「その、もう少しが遠いんだよ」
《栄光の翼》の盾役が、低く答えた。
ユリウス先輩は、試合から目を離さない。
「でも、ただ力を増やすことはやめたね」
「魔法を入れる場所が変わったな」
盾役の先輩が、円の内側を指した。
「うん。剣を当てるためだけじゃない。次に彼女が立つ場所を、少しずつ限ろうとしている」
言われて、地面を見た。
円の内側に、土の盛り上がりが幾つか残っている。
水で濡れた場所もあった。
「レオノーラなら、そのくらいで崩れないでしょう?」
長い杖を持つ上級生の言葉に、先輩が頷いた。
「そうだね。彼女は、それも承知で受けている」
木剣がぶつかり、短い歓声が上がる。
レオノーラ様の赤い髪が揺れた。振り抜く姿は凛々しく、目を奪われるほど美しい。
「1年生の頃から、ずっと勝ってきた方ですものね……」
近くの女生徒が、憧れるように言った。
「負けたのは、1度だけだって聞きました」
「僕に、だね」
ユリウス先輩が答える。
「僕が2年生で、彼女が1年生の時。武闘祭の武技戦、その決勝だった。今でもよく覚えているよ。最後まで、気を抜けなかった」
「会長を、あと1歩まで追い詰めた試合だろう?」
盾役の先輩が、ユリウス先輩へ顔を向けた。
「うん。レオノーラは本当に強かったよ」
勝ったことを誇る声ではなかった。
目の前にいる仲間を、誇らしく思っている声だった。
そんな人を相手に、オスカーは今、前へ出ている。
エステルの手が、わたくしの手へ触れた。
冷たいと思った。けれど、それが彼女の手なのか、自分の手なのか、分からなかった。
「……見ていよう」
エステルが言う。
「最後まで」
わたくしは、その手を握った。
*
【オスカー視点】
レオノーラが、土の段差を踏み砕いた。
そこへ足を置き直し、俺の横薙ぎを受ける。
狭めたつもりの場所が、また開いた。
やはり、地面だけでは止められない。
「考えていることは、悪くない」
木剣が、俺の手首を狙う。
引いた。
「だが、考え終わるまで待つ相手ばかりではないぞ」
「それは、十分に教わりました!」
火球を飛ばし、消える前に水を続ける。
彼女がどちらへ避けるかを見る。
右へ半歩。
風を当てる。剣で押す。
受けた力を地面へ逃がし、レオノーラはその場で踏みとどまった。
靴の外側に、白い線がある。
あと1歩より、短い。
しかし、強引に押そうとした瞬間、彼女が前へ出た。
懐へ木剣が入る。
逃げるために足を引けば、中央へ戻られる。
俺は息を止め、剣を立てた。
衝撃。
腕が軋む。
後ろ足で支え、上体だけが反らないよう腰を落とす。踏みとどまった俺を見て、レオノーラの瞳がわずかに開いた。
その隙に、剣を押し戻した。
中央へは、帰さない。
「残り、1分!」
先生の声が聞こえる。
汗が目尻へ流れた。
息は荒い。強化した身体で攻撃と回避を繰り返し、脚は重い。身体強化と闘気を併用し、魔法も重ねた分、魔力も減っている。動き続けながらでは、どちらの回復促進も消耗に追いつかなかった。
俺は1度、光を絞った。
レオノーラは追ってこない。円の中で剣を構え、こちらを見ている。
「まだ、来るな?」
「もちろんです」
声だけは、はっきり返した。
あの人を驚かせるなら、1度。
使える距離まで、自分で入る必要がある。
雷帝のような、場を貫く雷は撃てない。
まして、雷をまとってあの速度で走ることなど、今の俺には無理だ。
それでも、練習した小さな雷はある。
俺は木剣を、両手で構えた。
*
【シルヴィア視点】
オスカーが、また走った。
さっきより低い。
剣先が地面すれすれを通り、跳ね上がる。
レオノーラ様が、それを受けた。
「速い!」
隣のエステルが息をのむ。
上から、横から。
続けて打ち込む白い剣を、レオノーラ様が正面から押さえた。
2人の距離が、詰まる。
オスカーの左手が、柄から離れた。
水か、風か。
そう思った瞬間だった。
青白い光が、2人の間で弾けた。
ぱん、と鋭い音。
「……え?」
自分の声が聞こえた。
火ではない。
何度も一緒に練習して、見慣れた4属性のどれとも違った。
「雷……?」
エステルが、目を丸くしていた。
握った手に、ぎゅっと力が入る。
「いつの間に、そんなものを……!」
レオノーラ様が、右腕を引いた。
動いた。
あの距離で、あの速さで、初めて見る魔法へ反応したのだ。
光が腕の外側をかすめる。
木剣の切っ先が、1瞬だけ下がった。
「無詠唱の雷だと!?」
「今、何をしたんだ!」
周囲が沸く。
ユリウス先輩まで、目を見開いていた。
「……そこまで、できるようになったのか」
その声は、驚きと、隠しきれない喜びを含んでいた。
*
【オスカー視点】
避けられた。
いや、全部ではない。
レオノーラの右手が、柄を握り直した。指先の動きが、ほんのわずかに鈍い。
けれど、剣は落ちない。
左手が柄へ添えられ、もう次の構えに入っていた。
「雷まで、隠していたか!」
声が弾んでいた。
怒りよりも、喜びに近かった。
俺は返事の代わりに、地面を蹴る。
ここで止まれば、すべて終わる。
彼女の左足の前へ、土を低く盛り上げた。
踏み砕ける高さだ。だが、踏み砕く動作は必要になる。
右の空いた場所へ、水を横から走らせる。
レオノーラが木剣を動かした。その顔の横へ、小さな火球を放つ。
目を引く1瞬。
首を傾けてかわす。その動きの途中へ、風を押し当てた。
ばらばらに撃てば、すべて処理される。
だから、剣を止めない。
足を出しながら土を。切り返しながら水を。次の踏み込みへ、火と風を繋ぐ。
2人と何度も練習した動きだった。
「来い!」
レオノーラが、迎え撃つ。
濡れた土を靴底で踏みしめ、身体強化をした両腕で木剣を振るう。
まだ、速い。
腕にわずかな痺れが残っていても、俺よりずっと鋭い。
《思考加速》と《並列思考》の中で、その剣筋を見た。
正面から合わせれば、また横へ流される。
前へ出すぎれば、懐へ入られる。
また、強く打とうとしている。
握り込んだ指に、肩に、余計な力が入っていた。
――腕も脚も、もう十分に動くんだから。
先輩の穏やかな声が浮かんだ。
息を吐く。肩を落とす。
身体強化は解かない。強くなった身体へ動きを任せ、前へ残した剣を引かずに出す。
狙う場所へ、目を動かすこともしなかった。
さっきまでの打ち込みとは、違った。
レオノーラの剣が動く。だが、俺の剣へ面を合わせるのが、わずかに遅れた。
それでも受ける。
読み切れなかった一撃へ、あの人は追いついてきた。
けれど、今度は横へ流されない。
刃が合う瞬間へ、残していた魔力を重ねた。身体強化の出力が上がり、淡い白の闘気が腕と木剣を厚く覆う。
足から腰へ、腰から剣へ。
「――っ!」
2本の木剣が、ぶつかった。
腹の底まで響く爆発音がした。
足元の砂が輪になって吹き飛び、風が稽古着を叩く。柵の向こうで悲鳴が上がった。
木剣が、軋む。
押し返される。
それでも後ろの足を離さず、腰から力を送った。
腕へ、最後の衝撃が突き抜けた。
2本の木剣が、同時に砕けた。
ひび割れた刀身が根元まで弾け、粉々になった木片が砂とともに宙を舞う。白い闘気の名残が、その間でほどけて消えた。
「そこまで!」
先生の声が、場を貫いた。
*
急に、手が軽くなった。
握っているのは、裂けた柄の残骸だけだった。
俺は膝をついた。
息が、足りない。
何度吸っても、胸が空っぽになる。
ぱらぱらと、木片が地面へ落ちる。
薄れていく砂埃の向こうに、レオノーラが立っていた。
彼女の手にも、剣の形をしたものは残っていない。砕けた柄を見下ろし、それからゆっくり、足元へ視線を移す。
俺は足元を見た。
白い線。
その向こうへ、靴の踵がほんの少し、出ていた。
「……出てる」
誰かが言った。
急に、場が静かになる。
ハインツ先生が、足元を確認した。円の位置を記録していたもう1人の教員へ目を向け、頷きを受ける。
「最後の打ち合いで、円外への接地を確認。制限時間内だ」
先生が、こちらへ手を上げた。
「勝者、オスカー・エルフォード!」
1拍。
歓声が、爆発した。
「勝った! 本当に勝ったぞ!」
「オスカー君!」
「おい、見たか! 最後のあれ!」
「あ、ああ、オスカーすごかったぞ!」
声が重なり、誰が何を言っているのか分からなくなる。
赤い布を巻いた男子生徒が、頭を抱えていた。
「嘘だろ……いや、今のは……くそ、すごかった!」
その隣では、仲間が夢中で拍手している。
俺は、もう1度踵を見た。
これだけだ。
たった、これだけ動かすために、1ヶ月を使った。
レオノーラが、柄の残骸を地面へ置く。
荒い息を1度吐き、それから俺を見た。
「……私の負けだ」
少し離れたユリウス先輩へ目を向けてから、彼女はぼそりと呟いた。
「私は、雷を使う者とは相性が悪いようだ」
俺を見る目元に、かすかな苦笑が浮かぶ。
それでも、悔しそうだった。
眉が寄り、唇が結ばれる。
けれど、差し出された手は、まっすぐだった。
「よく、ここまで来た」
俺は、その手を握った。
引き上げられ、どうにか立つ。
「ありがとうございました」
それを言うだけで、喉が熱くなった。
走ってくる2人が見えた。
エステルの目が潤んでいる。シルヴィアは笑おうとして、うまく笑えていない。
2人の驚いた顔は、戦っていて見られなかった。
だが、今こちらへ向けられた顔を見たら、それは少しも惜しくなかった。
俺は2人へ、空いた手を上げた。
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