第43話 剣姫戦1
実技場へ続く廊下で、俺は足を止めた。
人が、多い。
窓際にも、階段にも、入口の前にも生徒がいる。授業が終わってから、まだそれほど経っていないはずだ。
「……今日、何か催しがあったか?」
「あるよ。オスカーとお姉様の決闘」
エステルが、当然のように答えた。
知っている。それは知っているが、もう少し身内で見守る感じにはならなかったのだろうか。
「レオノーラ様の模擬戦ですもの。こうなるとは思っていましたわ」
シルヴィアは人の波を眺め、それから俺を見た。
「緊張していらっしゃいます?」
「今、少し増えた」
「では、周りを見ない方がよろしいかと」
「そうだな。2人の顔を見ている方が、落ち着きそうだ」
エステルが笑い、俺の袖を軽く引いた。
「大丈夫。ちゃんと見てるから」
その一言で、少しだけ息がしやすくなった。
腰のミスリル剣は、今日は置いてきた。手にあるのは、使い慣れた木剣だ。
2人からもらった剣で戦いたい気持ちはある。だが、今日までに確かめた握り方も、刃を運ぶ感覚も、この手に残っている。
贈り物が役に立つ場所は、これからいくらでもあるだろう。
まずは、今日だ。
*
「レオノーラ様ーっ!」
実技場に入った途端、甲高い歓声が響いた。
中央に、赤い髪が見える。
レオノーラは稽古着の袖を留め、ハインツ先生の説明を聞いていた。背筋がまっすぐ伸びている。木剣を受け取る何気ない動作にまで、無駄がなかった。
呼びかけに気づき、顔を上げる。
片手を軽く上げただけで、今度は2階の見学席まで沸いた。
「こちらを見てくださったわ!」
「違うわ、今のはこっちよ!」
「本日もお見事な勝利を!」
最後は、男子生徒の声だった。
揃いの赤い布を腕に巻いた一団が、妙に統率の取れた動きで拳を上げている。
「……あれは?」
「お姉様の応援をする人たち」
「すごいな。掛け声までぴったり揃ってる」
「練習しているそうですわ」
俺たちが踏み込みを練習していた頃、彼らは掛け声を練習していたらしい。
方向は違うが、今日に備えた仲間ではある。
「オスカー君も、頑張って!」
近くで別の声が上がった。
1年の女生徒たちが、こちらへ手を振っていた。教室で顔を見たことのある子もいる。
「白晶の時みたいに、すごいところ見せて!」
「怪我しないでね!」
礼を返すと、また声が弾んだ。
隣でシルヴィアが、俺の袖をつまみ直す。
「……よそ見は、ほどほどになさってくださいませ」
「応援してもらえるのは嬉しくてな。……2人とも、今日は頼むよ」
「ええ。わたくしたちも、ちゃんと見ておりますから」
エステルは肩を震わせていた。
笑っていられるのも、そこまでだった。
レオノーラが、こちらへ歩いてくる。
近づくほど、その目が俺を確かめているのが分かった。肩、腕、足の運び。最後に、木剣を持つ手。
「待っていたぞ、オスカー・エルフォード」
「本日は、よろしくお願いいたします」
「随分、体が変わったな」
「制服が、少々苦しくなりました」
レオノーラの口元が上がった。
「それは結構。中身も、相応に育ったか?」
「そのつもりで来ました」
答えると、剣姫の笑みが深くなる。
美しい人だと思った。
そして、木剣を向けられる前から、肌がひりつくほど強い。
*
観客を下がらせ、防護柵の内側を空ける。
ハインツ先生のほかにも実技担当の教員が立ち、治療用の道具が端へ置かれていた。
「条件を確認する」
先生は、地面に描かれた直径2歩ほどの白い円を指した。
「制限時間は5分。殿下の靴の一部でも、開始時の円より外の地面へ触れれば、エルフォードの勝ちとする。殿下は木剣と身体強化のみ。エルフォードは木剣と魔法、これまで訓練で使用してきた身体強化と闘気を使用できる」
俺たちは頷いた。
「エルフォードが1本を取られ、剣を落とし、あるいは転倒しても、それだけでは終了しない。だが、降参するか、私が続行不能と判断すれば、そこで終わりだ。外部からの援護は禁止。土を動かしても、円の位置は変わらない」
「承知しています」
「異存ない」
レオノーラが円へ入る。
その足が中央で止まった。
1ヶ月前と、同じだ。
あの日は3度向かって、触れることもできなかった。
木剣を握る指へ、力を込める。
あれから、何度この姿を思い浮かべて剣を振っただろう。
「オスカー」
柵の向こうで、エステルが右手を上げた。
その隣で、シルヴィアが頷く。
俺も頷き返し、剣姫へ向き直った。
「始め!」
地面を蹴った。
*
初撃は、肩口へ。
木剣が合わさり、硬い音が弾ける。
受け流されるより先に、肘を畳んだ。腰を回し、逆側から打ち込む。
2撃。3撃。
足を止めず、円の縁を斜めに横切る。
レオノーラの剣先が、俺の喉へ伸びた。
半歩引く。
目の前を木剣が通る。その下から突きを返したが、彼女は手首を返すだけで外へ弾いた。
まだ、足は動いていない。
だが、俺の剣も落ちていなかった。
「ほう」
短い声が聞こえた。
俺は身体強化へ流す魔力を増やす。
踏み込みが深くなる。剣が、さっきより速く戻る。
上から2度。低く払って、胸へ突く。
レオノーラは小さく上体を反らし、返す木剣で俺の脇を狙った。
今度は、下がらない。
後ろの足で腰を支え、剣を縦に戻す。
重い。
受けた腕が跳ね上がりかけたが、持ちこたえた。地面に靴底が食い込み、肩が流れずに残る。
次の1歩が、出せた。
「おおっ!」
観客の声が近づく。
「今、受けたぞ!」
「レオノーラ様の切り返しを?」
俺は答える余裕もなく、剣を振った。
また、速度を上げる。
白晶で魔物を斬った腕。黒曜で踏みとどまった脚。空振りするたびにやり直した、腰の動き。
ばらばらに鍛えていたものが、1振りの中で繋がっていく。
レオノーラの眉が、わずかに動いた。
「いい踏み込みだ」
「ありがとうございます!」
「だが、肩が空いた」
木剣が消えた。
そう見えた直後、肩へ衝撃が走る。
横へよろけた。痛みが熱に変わり、息が詰まる。
耐性があっても、打たれれば痛い。関節を動かし、握りに問題がないと確かめる。
レオノーラは、中央にいた。
「続けられるな?」
「もちろんです」
今の1撃で、よく分かった。
さっきまでの速度では、まだ余裕があるのだ。
*
【シルヴィア視点】
思わず、柵を握っていた。
肩を打たれたオスカーが、もう1度剣を構える。
足は、ふらついていない。
ハインツ先生も止めなかった。大丈夫だと自分に言い聞かせても、握った指はなかなか緩まなかった。
「今の、よく戻したね」
隣でエステルが呟く。
目は、姉から離れていない。
「お姉様、最初より剣を短く持ってる」
「……近くで、速く返すため?」
「うん。オスカーの2撃目が速いから」
嬉しくなりかけて、すぐに次の音へ肩が揺れた。
あれだけ強くなっても、届かない。
でも、1ヶ月前とは違う。
あの時は、何もできずに終わってしまった。今は何度弾かれても、自分から次の剣を出している。
「エルフォード、右だ!」
「いや、そっちは殿下が待ってる!」
男子生徒まで身を乗り出していた。
少し離れた場所に、ユリウス先輩たちがいる。《栄光の翼》の7人が、揃って試合を見ていた。
「本当に、あの1年生なのか」
盾を背負った男子生徒が、感心したように言った。
「剣を振るたびに速くなる。まだ上げるのか?」
「少しずつ確かめているんだろうね。彼女に、どこまで通じるか」
ユリウス先輩の声は穏やかだった。
金色の髪が、風に揺れる。目元には笑みがあるのに、その視線は2本の木剣を追い続けていた。
「じゃあ、押し切れるかもしれませんね」
近くの男子生徒が言うと、先輩は小さく首を振った。
「このままでは、オスカーはレオノーラには勝てないよ」
胸が、きゅっと縮んだ。
長い杖を持った仲間も頷く。
「レオノーラは、受ける場所を自分で選んでいるものね」
「そう。彼の剣は速い。でも、彼女が1番受けやすい角度へ、少しずつ運ばれている」
先輩の言葉に合わせるように、オスカーの剣が外へ流れた。
ただ弾いているだけではなかったのだ。
「それでも、彼はまだ試している。ここから何を変えるか、見たいね」
エステルが、柵へ身を寄せた。
「変えるよ」
小さな声だった。
「オスカーは、これで終わらないもの」
わたくしも、もう1度顔を上げた。
*
【オスカー視点】
剣だけでは、中央から動かせない。
ならば、次だ。
左へ回り込みながら、足元へ魔力を通した。
小さな土の段差がせり上がる。その反対から、水弾を飛ばした。
レオノーラの剣が水を散らす。
そこへ踏み込み、横薙ぎを放った。
初めて、彼女の足が動いた。
わずかに向きを変えただけだ。段差を踏まず、円の中で俺を正面に捉え直す。
「足が動いた!」
「まだ中央だぞ!」
観客の声を背に、俺は風を放った。
剣先を押す風。
受ける角度を変えたところへ、小さな火球を横から走らせる。
レオノーラは火球へ木剣を合わせず、肩を引いてかわした。火は背後の地面へ落ち、教員の水で消える。
その間に、俺の剣が迫る。
また、硬い音。
彼女の靴底が土を擦った。
今度は半歩。まだ外へは遠いが、俺の目にははっきり見えた。
剣姫が、立つ場所を変えた。
「オスカー・エルフォード」
剣を合わせたまま、レオノーラが笑った。
「たった1ヶ月で、見事だ。あの時とは別人だな」
嬉しいと思うより先に、押し返される。
木剣を跳ね上げられ、俺は2歩下がった。
「だが、この程度では、まだ私を外へ出せんぞ」
呼吸を整える。
腕は重い。肩も痛む。
それでも、自然と口元が上がった。
「ええ。分かっていますよ」
全身へ、闘気を通す。
腕の輪郭を、淡く白い光が縁取った。薄い光は袖の先から手へ、握った木剣へと流れ、刃に沿って静かに揺れる。
レオノーラの笑みが、初めて止まった。
俺は白く霞む切っ先を、剣姫へ向けた。
「だから、ここからです」




