第38話 2人で、悪い顔
【エステル視点】
「わたし、オスカーのことが好き」
言った途端、胸の奥がきゅっと縮んだ。
難しい詠唱より、ずっと勇気が要った。
シルヴィアは、机に置いていた手を膝へ戻した。
「……そう、ですの」
わたしを見る青い目が、わずかに揺れる。
「好きになったみたい、って言うつもりだったんだけど」
右手の指輪を撫でる。青い石は、触れても少し冷たかった。
「今日1日、何を見ても、帰ったらオスカーに話そうって考えてた。あの苔も、魔物の動きも、お昼のご飯が冷たかったことまで」
「最後のものは、ご本人に責任はありませんわよ」
「うん。温かいご飯に慣れさせた責任は、あると思うけど」
シルヴィアの口元が、少し緩んだ。
「おいしいものを食べたいだけなら、料理人にお願いすればいいんだよね。でも、あの人に『どうだ?』って聞いてほしいの。おいしいって言ったら、ちょっと嬉しそうにするでしょ。あれが、見たい」
「……分かりますわ」
小さな声だった。
シルヴィアは自分の返事に気づいたように、唇を結んだ。
「シルヴィアの気持ちも、分かってるよ」
「わたくしは、その……幼い頃から知っておりますし」
「うん」
「仲間ですもの。心配もしますし、頼りにもしていますわ」
「うん」
続きは、出てこなかった。
ベッドから立ち、彼女のそばへ椅子を寄せた。
「ごめんね。でも、シルヴィアも好きだって分かっているのに、黙ってオスカーへ気持ちを伝えるのは嫌だったの」
膝の上で、彼女の指が重なった。
しばらく待つと、シルヴィアは俯いたまま息を吐いた。
「……好きですわ」
「婚約が決まった時、本当に嬉しかったのです。将来のことを考えると、いつも隣にあの人がいました。だから……わたくしがいなくなると言えば、困ってくださると思った」
重ねた指が、きつく握られる。
「わたくしをどう思っているのか、素直に聞けばよかったのです。引き止めてほしくて、あんな言い方をして……自分でも、情けないと思いますわ」
わたしは、すぐに言葉を返せなかった。
オスカーがあの時どう感じたかを、わたしが決めることはできない。
「今は、話せてるよね」
「ええ。だからこそ、怖いのです」
シルヴィアが顔を上げた。
「また一緒に笑えるようになったのに。やり直したいと伝えて、断られたら……今のようには話せなくなる気がして」
わたしは彼女の手に触れた。指先が冷たい。握ると、少し遅れて握り返してくれた。
「わたしも、怖いよ」
「あなたも?」
「うん。魔法を見せてってお願いするのは平気なのに、好きって言うところを想像したら、何から話せばいいか分からなくなる」
「あなたも、同じことで悩んでいらしたのね」
「試験より難しいもん。答え、どの本にも載ってないし」
「載っていても、そのまま読み上げるのはおやめなさい」
「……それくらい分かってるよ」
一瞬の間を、シルヴィアは見逃してくれなかった。
じっと見つめられて、今度はわたしが窓へ目を逸らす。
参考文献くらいは、探そうと思っていた。
彼女が小さく笑った。握った手から力が抜け、そのことが嬉しかった。
「ですが、エステル。あなたには、別の難しさもありますわ」
「身分のことだよね」
「ええ。あなたは第3王女。オスカーは男爵家の跡取りです。ご本人同士の気持ちだけで、全てが決まるとは思えません」
分かっている。
王家のマジックバッグを使うために、首席で卒業すると約束した時は、やることがはっきりしていた。勉強して、結果を出せばよかった。
結婚は、同じようにはいかない。
お父様がわたしを大切にしてくれていることと、望んだ相手に嫁げることは、別の話だった。
「うん。だから、作戦があるんだ」
シルヴィアの顔から、笑みが消えた。
「……そのお顔、存じておりますわ」
「どんな顔?」
「周りが大変なことになる直前のお顔です」
「オスカーに、爵位を上げてもらうの。最低でも侯爵くらいになれたら、お父様にも結婚を認めてもらいやすくなると思うんだ」
「最低でも?」
「うん。できれば、この王国の英雄に」
シルヴィアは口を開き、閉じた。
「……今、侯爵を通り過ぎましたわよ」
「英雄なら、お父様も無視できないでしょ」
「お父上より先に、オスカーが驚きますわ」
「なんなら、オスカーと新しい国を作るのもありかな」
シルヴィアが、わたしの手をぎゅっと握った。
「エステル。いったん侯爵まで戻ってくださいませ」
「大きな図書館があって、好きなだけ魔法を研究できて。3人で冒険に出て、帰ってくる場所もあって……楽しそうじゃない?」
「3人で冒険に出ている間、誰が国を治めるんですの」
「あ。そこも考えないとね」
「先に考えるところですわ!」
また声が大きくなって、2人で扉を見た。
わたしは口元を押さえた。シルヴィアが一緒に考えてくれたことが嬉しい。
「まあ、でも。わたしにとって、地位なんてどうでもいいんだけどね」
「ここまで話を広げておいて?」
「欲しいのは、オスカーと一緒にいる未来だもん。身分が高いから好きになったわけじゃないし。わたしたちの結婚を周りにも認めてもらうには、どうしたらいいかなって」
首を傾け、笑ってみせた。
「道がなかったら、作るのも楽しそうでしょ?」
シルヴィアは、呆れたような、笑いたいような顔をした。
オスカーに話したら、きっと黙ってから『順番に説明してくれ』と言う。想像すると笑いそうになった。
「ですが、爵位のために危険なことをしてほしいとは、言えませんわよ」
「うん。オスカーが望まないことを、押しつけたいわけじゃないよ」
「領地を立て直すことも、もっと深い迷宮へ行くことも、3人でやるの。あの人がやりたいことを、一緒に実現していく。わたしたちの成果が、国の役にも立つくらいに」
「それには、わたくしたちも相当な力をつけなければなりませんわね」
「もちろん。オスカーだけ頑張って、わたしたちはお城で待ってるなんて、つまらないよ」
シルヴィアが、今度はすぐに頷いた。
「それで、わたしたち2人とも、お嫁さんにしてもらおう」
「……はい?」
椅子が、がたんと鳴った。
シルヴィアは半分立ち上がった姿勢で、わたしを見ていた。
「わたしたちって、誰と誰ですの」
「わたしとシルヴィア」
「なぜ、わたくしの結婚まで決まっていますの!」
「しーっ。皆に聞こえちゃう」
慌てて2人で扉を見る。
廊下は静かなままだった。
シルヴィアがゆっくり座り直す。頬が、さっきよりずっと赤い。
「……侯爵だけでも驚きましたのに、国づくりの次は、わたくしの結婚ですのね」
この国には、複数の妻を迎える貴族もいる。だから、全くありえない話ではない。王女が嫁ぐとなれば、簡単ではないだろうけれど。
「あなたは、それでいいんですの? わたくしに遠慮して、2人ともと言っているのなら――」
「遠慮じゃないよ。もちろん、やきもちだって焼く。オスカーがシルヴィアにだけ笑いかけたら、わたしにもって思う。今日だって、皆があの人を褒めるのは嬉しかったのに、あんまり好きにならないでって、ちょっと思った」
きれいなことばかり言って、頷いてもらいたくなかった。
「……わたくしもですわ」
シルヴィアが、指輪へ目を落とした。
「あなたとオスカーが魔法の話で楽しそうにしていると、入っていけないことがあります。そんな時は、少し悔しい」
「わたしは、2人の昔の話が分からないのが悔しい」
顔を見合わせた。
「わたしたち、けんかするかもね」
「昔から、しておりますわ」
それもそうだった。
試験で負ければ悔しい。先に新しい魔法を覚えられたら、追いつくまで練習する。それなのに、うまくできた時に1番見せたいのは、この子だった。
「でも、シルヴィアがいない未来は嫌なの」
わたしは、握っていた手を両手で包んだ。
「オスカーのことが好き。シルヴィアも大好き。ずっと3人で笑っていたい。どっちかを諦めたら、聞き分けのいい王女になれるのかもしれないけど……わたし、それにはなりたくない」
「本当に、欲張りですわね」
「うん。まだ、あるよ」
「まだ?」
わたしは笑った。話したいことが溢れていた。
「魔法。あの人となら、どこまでだって行けると思うの」
声を落とし、机に置いた王家のバッグを見た。
古の魔道具の仕組みを解き明かし、自分でも作る。それだけでも、一生を懸ける価値があると思っていた。
空間魔法は超S級。現代の魔法使いにとって、遥かに遠い領域だ。
その先に、時間まで止まる収納があった。
神話を読んで憧れていたわたしの前で、オスカーは温かい料理を取り出して、当たり前みたいに皿を並べたのだ。
「時間が止まった場所と、動いているわたしたちの世界は、どうやって繋がってるんだろう。荷物が戻ってくる境目で、何が起きてるのかな」
指先で空中をなぞる。見えたわけでもない境目を、もう1度確かめたくなる。
「調べてみたい。仕組みが分かったら、いつか自分でも、時間の止まる収納を作れるかもしれないでしょう?」
胸が弾んで、気づけば椅子から腰が浮いていた。
シルヴィアが、繋いだ手を軽く引く。
「今夜は、お座りになって」
「あ、ごめん」
「そのまま王都へ帰ってしまいそうでしたわ」
座り直したけれど、笑みは収まらなかった。
「オスカーは、そんなこと無理だって笑わずに聞いてくれる。一緒に考えてくれる。あの人となら、今は本で読むだけの魔法にも、手が届く気がするの」
いつか、わたしの発見に驚くオスカーの隣で、シルヴィアが胸を張るのだ。わたくしたちの成果ですわ、と。
「わたしは絶対、オスカーから離れたくない。2人と一緒に、まだ誰も知らない景色を見たい」
シルヴィアは、困ったように笑った。
「あなたが1度言い出したら、聞かないことくらい知っていましたのに」
「じゃあ、一緒に考えてくれる?」
「ええ。あなた1人に作戦を任せておく方が、心配ですもの」
彼女は背筋を伸ばした。
「ですが、わたくしも負けるつもりはありませんわ。あなたにも、オスカーにも。隣に立ち続けられるよう、強くなります」
握った手に、力がこもった。
「その作戦、乗りますわ」
嬉しくて、思わず身を寄せた。シルヴィアが笑いながら肩を受け止める。
「ふふ。まずは、お姉様に勝ってもらわないとね」
「ええ。あの方を納得させないことには、先へ進めませんもの」
「2人で、できることを全部やろう」
「もちろんですわ」
声を潜めて、顔を近づける。
先生に見つかったら、何を企んでいるのですかと聞かれそうな顔で、2人とも笑っていた。
「それから侯爵。英雄。新しい国も――」
「そのお話は、ひとまずしまっておいてくださいませ」
「じゃあ、お嫁さん」
「その前に、1番大切なことが抜けておりますわ」
「何?」
「オスカーに、わたくしたちを好きになっていただくことです」
止まった。
爵位やお父様の許しばかり考えて、肝心のオスカーにどう振り向いてもらうかは、何も考えていなかった。
「……どうしよう。それが1番難しいかも」
「先ほどまでの自信は、どちらへ?」
「だって、英雄になるところは想像できるのに、わたしに好きって言ってくれるところは……」
想像しかけて、声が出なくなった。
シルヴィアまで、口を押さえて横を向く。
お父様を説得すると言っていたのに、本人から好きと言われる想像だけで、2人とも何も言えなくなっていた。
しばらくして、どちらからともなく吹き出した。
「じゃあ、最初は、好きになってもらうところから」
「ええ。今度は、素直に」
オスカーの返事は、まだ分からない。
それでも、わたしたちの望む未来を、わたしたちが最初に諦めてしまいたくなかった。
2人の人生を賭けた極秘作戦が、始まった。
シルヴィアが、右手の指輪に目を落とした。
「まずは、この指輪のお礼をしませんこと? わたくしたちからも、オスカーに贈り物をしたいですわ」
お読みいただきありがとうございます。
もうすぐ1万いいね記念。いつもありがとうございます。
1話分を漫画でサクッと1ページでまとめてみました(^^)
好評だったら続けてみようかと。最初の1話から作るのもありですね♪
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