第37話 旅先でも
【シルヴィア視点】
「シルヴィア、見て。この石、割れ目だけ色が違う」
「エステル。集合は、あちらですわ」
「でも、中まで同じ色か気にならない?」
「気になりますけれど、先生を待たせる方が気になります」
わたくしは親友の袖を引いた。
研修旅行、2日目。ラングレー領の《緑石迷宮》に到着したところだ。
すでにエステルが立ち止まったのは3回。
1回目は道端の花。2回目は石垣の苔。そして今が、石だ。
この調子で世界の全てを調べていたら、わたくしたちは入口で卒業してしまう。
「記録して、自由観察の時間に確かめては?」
振り返った先生に言われ、エステルはぱっと顔を上げた。
「はい!」
帳面へ書きつける指が、嬉しそうに動く。
あとで調べる楽しみができたらしい。帳面を閉じると、今度は足を止めずに集合場所へ向かった。
「シルヴィアも、一緒に見ようね」
「……時間があれば、ですわ」
少し、中を見てみたくなったのは本当だった。
*
《緑石迷宮》は全5層。白晶より小さく、浅い階層は1年生の実習にも使われる。
「本日の課題は、討伐数ではありません。進路の確認、隊列の維持、異変の報告です」
先生が告げると、並んだ生徒たちの表情が引き締まった。
第1層の指定区画を、教師の引率で班ごとに探索する。
わたくしたちは、《四つ葉》の4人と同じ班だ。先頭のアニエスが剣の位置を確かめ、マリオンは弓を持ち直す。コレットとノエミも、互いの荷物に緩みがないか見ていた。
「2人がいると、心強いね」
アニエスがこちらを向いた。
「ですが、今日の先頭はあなたですわ」
「うん。頼りきりにならないようにする」
その返事に、わたくしは頷いた。
わたくしたちが全部倒してしまっては、彼女たちが試す機会を奪ってしまう。
オスカーも、わたくしが新しい魔法を試す時には、すぐに倒さず、詠唱する時間を作ってくれていた。
今日は、わたくしがそれをする番だ。
*
最初の曲がり角で、アニエスが手を上げた。
「右に2体。小型。まだ気づかれてない」
声が後ろへ伝わっていく。
壁際の魔物は、1体が丸い石を弄び、もう1体は床の何かを齧っていた。
「マリオンは奥。コレットは手前を止めて。ノエミ、後ろをお願い」
3人が頷き、コレットが杖を向けた。
「大地よ、我が魔力を受けて腕を伸ばせ。敵の足を捕らえ、その歩みを縛れ――《アース・バインド》」
手前の魔物の足へ、土が絡みついた。
奥の1体が立ち上がるより早く、マリオンの矢が喉元を捉えた。アニエスも前へ出て、足を封じられた魔物を斬り倒す。
直後、踏み込んだ右足が湿った苔で滑った。
「足元、滑りますわ!」
わたくしが声をかけると、彼女は左足で踏ん張った。壁へぶつかる前に体勢を立て直し、剣を構える。
倒れた2体が白い粒へ変わり、魔石が床へ落ちるのを確かめてから、皆が息を吐いた。
「……足元、見てたつもりだったんだけど」
「敵を見つけると、そちらへ目が行きますもの。わたくしも、声をかけてもらうことがあります」
「シルヴィアさんも?」
「ええ。気づいた人が教えればよいのですわ」
ふと、大きくなった手を思い出した。
段差で立ち止まるわたくしへ、当たり前のように差し出される手。
指を重ねると、しっかり引き上げてくれる。
この頃は、その後すぐ手を離すのが、少し惜しい。
「シルヴィア、誰を思い出してるの?」
「足元の話をしております」
「足元を見ていたのに、急に嬉しそうにするから」
エステルが笑った。
どうして、魔物より先にこちらの隙を見つけるのですか。
わたくしは帳面を開いた。記録。今は記録が大切だ。
「オスカー君のこと?」
アニエスまで、小声で聞いてきた。
ペン先が止まり、帳面に余計な染みができた。
*
休憩場所へ戻ると、別の班のリネットが、手に擦り傷を負った生徒を治療していた。
汚れを落とし、傷を確かめてから、丁寧に魔力を集める。
「慈しみの光よ、この手に宿り、傷ついた身を癒やしたまえ――《セイクリッド・ヒール》」
淡い光が傷を覆った。
消えた後も指を動かしてもらい、痛みがないかを尋ねる。慌てず、1つずつ確かめていた。
「これで、大丈夫でしょうか」
わたくしに気づいたリネットが、緊張した顔をする。
「ええ。動かして確かめたのも、よかったですわ」
ほっとしたように笑い、彼女は使わなかった包帯を袋へ戻した。
袋が閉じない。
押し込む。
別の包帯が、横から顔を出す。
「……ずいぶん、お持ちになりましたのね」
「ブルーノさんが、予備も必要だって。それから、予備がなくなった時の分も」
袋の中には、小さな包みが整然と詰まっていた。
『予備』。
『念のため』。
そして、1番下に『念には念』。
用意した本人の真剣な顔が浮かんで、わたくしは唇を結んだ。
笑ってはいけない。親切なのだ。
「ブルーノ、リネットを1週間でどれだけ働かせるつもりなんだろう」
エステルの呟きで、マリオンが顔を背けた。
肩が揺れている。
「け、怪我をしてほしいわけではないと思います!」
リネットが慌てると、今度はエステルも笑った。
「分かってるよ。心配だったんだよね」
リネットは何か言いかけ、包みを見て、小さく頷いた。
「……はい。ありがたく、持ってきました」
頬が赤い。
その顔を見た途端、わたくしまで嬉しくなってしまった。
マリオンがそっと肘でつついてくる。
言いたいことは分かる。けれど、ここではやめて差し上げましょう。
*
昼食は、宿舎から持参したパンと干し肉だった。
エステルが王家のバッグから包みを配る。たくさん入る貴重な品でも、中の時間まで止まるわけではない。
パンを一口齧ったところで、エステルと目が合った。
「……温かいお肉、食べたいね」
「考えないようにしておりましたのに」
蜂蜜と果実酢の甘酸っぱい香り。噛むと広がった肉汁。隣で、おかわりがあるぞと言ってくれた声。
いけない。干し肉を齧る口が、止まってしまった。
「何のお肉?」
ノエミが聞いた。
「オスカーが作ってくれたの。すっごく美味しかった」
4人の顔が、同時に上がった。
「料理もできるの?」
「剣も魔法も使えて、白晶まで攻略して?」
「この前、荷物も運んでくれたよ。重い方を、ひょいって」
話が、思いがけない速さで広がっていく。
「お肉だけではありませんわ。豆と野菜のスープも、塩加減がちょうどよくて――」
言ってから、口を閉じた。
エステルがこちらを見る。
わたくしも、エステルを見る。
あなたが余計なことを言うから。
そう訴えたかったのに、彼女の顔にも同じことが書いてあった。
「今度、教えてもらおうかな」
マリオンの声に、2人で振り向く。
「お料理を?」
「料理?」
「うん。……どうして2人そろって、そんなに驚くの?」
わたくしたちは黙って、パンを齧った。
オスカー。
いない場所でまで、人を落ち着かなくさせないでくださいませ。
*
夜、実習記録を提出し終えた談話室。
昼間は進路と隊列を真剣に話し合っていた女子たちが、今は枕とお茶を囲み、別の議題へ全力を注いでいた。
「優しい人と、強い人。どっちがいい?」
マリオンの問いに、コレットが即答する。
「両方」
「どっちって聞いたのに」
「選べるなら、料理もできる人」
「条件を足さないで」
笑いが起こった。
ノエミが指を折りながら、真面目に考え始める。
「優しくて、強くて、料理ができて……あれ?」
そこで、こちらを見た。
見なくてよろしい。
わたくしは紅茶を飲んだ。
「リネットは? 心配性の人とか、どう?」
「それは、どういう……」
「包帯をたくさんくれるような」
「具体的すぎませんか!」
リネットがカップを置き、両手を振った。
アニエスは笑いながら、そのカップを机の奥へ寄せる。
「でも、嬉しかったんでしょ?」
「……親切にしていただいたので」
「うんうん」
「皆さん、どうして頷くんですか」
リネットがこちらへ助けを求める目を向けた。
わたくしは咳払いをした。
「そろそろ、別のお話にしましょう」
「じゃあ、シルヴィアさんは?」
助けに入った途端、こちらへ来た。
迷宮なら、もう少し敵の向きが分かりやすいのに。
「わたくしは、特に――」
「オスカー君、この頃すごく速いよね」
マリオンが言うと、コレットも身を乗り出した。
「分かる。訓練場で見た時、剣を構えたと思ったら、もう相手の横にいた」
「背中も大きくなったよね。前は、もう少し細かったのに」
「そうなの。肩も腕も、すごくしっかりしてきて」
エステルが、嬉しそうに答えた。
途中で、わたくしを見た。
また話しすぎた、と気づいたらしい。
「やっぱり、2人ともよく見てるんだ」
「毎日一緒に探索しているのですから、分かりますわ」
「じゃあ、前に立ってくれると安心する?」
「ええ。それは、もちろん」
答えた瞬間、談話室が静かになった。
皆が、にこにこしている。
しまった。
否定するところでもないのに、ひどく大切なことを言ってしまった気がする。
「……戦闘の、お話ですわよ」
「うん。私たちも、戦闘の話をしてたよ?」
マリオンは、実に無邪気な顔をした。
その無邪気な顔で、とぼけないでいただきたい。
「手も大きくなったよね」
今度は、エステルだ。
「分かりますわ。段差で引いてくださる時など、前より――」
止まるのが、また遅れた。
アニエスが枕へ顔を埋めた。
コレットはノエミの肩を叩き、リネットまで口元を押さえている。
「もう、お2人のお話を聞いてるだけでいいかも」
「皆さんが考えているようなお話ではありません!」
「わたしたちが、何を考えてると思ったの?」
エステルまで笑った。
あなたも、同じだけ話しましたからね。
その時、先生が扉を開けた。
「ずいぶん楽しそうですね」
全員の背筋が伸びた。
「実習の振り返りです!」
マリオンが答える。
先生は枕を抱えたアニエスと、赤くなったわたくしたちを見渡した。
「では、続きは明日。今夜はしっかり休んで、明日の観察も同じくらい熱心にお願いします」
扉が閉まった。
誰かが、息を漏らした。
それを合図に、全員が小さく吹き出した。
わたくしも、とうとう笑ってしまった。
頬は熱い。からかわれるのは困る。
それでも、明日もこの人たちと一緒に過ごせることが、楽しみだった。
*
部屋へ戻ると、急に静かになった。
窓の外には、見慣れた領地の灯りがぽつぽつと見える。
今日の実習は順調だった。皆で笑い、普段は聞けない話もたくさん聞けた。
なのに、机へ向かった途端、考えてしまう。
あの人は、どんな1日を過ごしたのだろう。
ちゃんと食べたかしら。1人で、無理をしていないかしら。
手紙でも書こうかと紙へ触れ、やめた。
まだ、出発して2日目だ。
その2日で、何度名前を口にしただろう。
右手の指輪を、そっと撫でる。
「ねえ、シルヴィア」
振り返ると、エステルがベッドの端に座っていた。
さっきまでの、からかうような顔ではない。
「少し、話してもいい?」
彼女の指も、青い石へ触れていた。
わたくしは椅子へ座り直した。
「……ええ」
今度は、笑ってごまかしてはいけない話だ。
親友の顔を見て、そう思った。




